日本平山

日本平山


【日時】 2012年4月29日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 日本平山・にほんだいらやま・1081.1m・一等三角点本点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/高石、
【コース】 中山ルート
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)

【時間記録】 5:25 新潟=(R.49、五十島橋 経由)=6:33 中山ルート登山口〜6:50 発―7:30 五十母水場―8:33 大村杉―10:15 大池―11:34 日本平山〜12:05 発―12:52 大池―14:18 大村杉―15:04 五十母水場〜15:15 発―15:50 中山ルート登山口=(往路を戻る)=17:20 新潟
 日本平山は、川内山塊の盟主の矢筈岳を源流とする早出川右岸に位置する山である。細々としたゼンマイ道が僅かに通じているだけの川内山塊において、日本平山は、各方面からの登山道が切り開かれている貴重な山である。日帰りの山であるが、谷沢方面からにしろ、早出川ダムからにしろ、行程は長く、山の奥深さを感じさせる山である。山頂は、ならだかな高原状で、一等三角点本点が置かれている。

 五月連休の初日は、鳥屋山でカタクリ見物を行ったが、やはり残雪の山を歩きたい。近場で、人の少ない残雪の山を考えていき、日本平山を登ることにした。2006年4月29日に中山ルートで登ったが、残雪歩きをたっぷりと行うことができた。日本平山は、新潟の山のガイドブックに取り上げられることの多い山ではあるが、残雪期は意外に手ごわく、登る者は少ない。
 五十島から青少年自然の森を目指すと、大須郷の尾根乗り越し部で、日本平山登山口の標識が現れる。トイレのある広い駐車場が設けられて、日本平山への中山ルート登山口の標識も置かれている。登山者のものらしい一台の車が置かれていた。
 アイゼンは念のために持ったが、ピッケルの代わりに二本ストックにした。つぼ足での歩きを想定して、ワカンは持たないことにした。ワカンが必要な条件なら、日本平山の山頂には行きつけない。
 歩き初めは青少年自然の森の敷地内で、遊歩道が分岐したが、日本平山への登山道は標識が取り付けられて迷う心配はなかった。しばらくは杉林の中の歩きが続くが、それも途切れて雑木林の尾根歩きが続くようになる。周囲の林に残雪が目立つようになると、登山道はカタクリのお花畑の中を通過するようになった。谷の右手には、マンダロク山が残雪をまとった姿を見せ、その麓の台地に広がる栗園も目に入ってきた。
 336.0mの三角点ピークは肩を巻いて一旦下りになった。このようなアップダウンが多く、帰りに体力を消耗することになった。336.0mの三角点ピークの先で、五十母水場という標識が現れた。先回の山行の際には、この水場は気が付かなかったので、その後に標識が整備されたようである。行きは必要としなかった水場であったが、帰りにはこの水場のおかげになった。
 ロープの取り付けられた急な泥斜面が現れ、その後は、登山道と残雪を交互に辿るようになった。
 678.0mの大村杉(人分山)の山頂は一面の雪原になっていたが、山頂の縁にある三角点周辺は雪が消えていた。マンダロク山は目の前で、菅名山塊や五頭山塊、飯豊連峰の眺めも広がっている展望の良いピークである。ここまでは難所もないことから、大村杉を目的に登っても良さそうであるが、このピークは一般に知られていない。
 大村杉で、この先に進むべきか、もう一度考えることになる。風邪の治りも良さそうなので、先に進むことにした。
 台地状の山頂を南西に進んだ後に90度方向を変えて雪原を下ることになる。ひと下りしたところで、尾根の延長の右側に藪が出ており、登山道が現れていた。滑りやすい泥斜面を木の枝を掴みながら下ると、鞍部の人分に到着した。この人分への下降が、最初の関門になっている。
 人分から先しばらくは、尾根の一段下をトラバース気味に続く登山道を辿りながらの歩きが続いた。そのうち登山道も完全に姿を消して、雪原歩きが続くようになった。五月連休時に、標高700mほどから一面の雪原が広がる山というのも珍しいのではないだろうか。雪原の緩やかな登りが長く続くようになった。地形が複雑なため、このコースはGPSが威力を発する。雪も締まってきているため、残雪に残される足跡は目立たないものになっており、先行者のトレースも見失ったり、また出会ったりという状態であった。
 前方に高く見えていた持倉山のピークも、歩いていくうちに右手の谷向こうに並ぶようになり、大池のある窪地を左手に見下ろすようになった。日本平山の山頂も、小ピークの重なりの向こうに姿を見せるようになった。山頂を視界に捕えたといっても、まだ頑張って歩く必要があった。
 小ピークから下ってから山頂から北に延びる稜線への登りに掛ると、単独行が下ってくるのに出会った。声を掛けられると、山関係の知り合いであった。日本平山にこの時期登るのは、限られたものということになる。
 稜線上に出ると、山頂までは小ピークの乗り越しが現れる。そう大きなアップダウンではないが、暑さが堪えて、足が止まりそうになった。この時期、暑さに体がまだ慣れていない。うっかりすると、熱中症にもなりかねないと、体調をうかがいながらの歩きになった。雪庇も上が丸まっており、歩くのに危険な所はなかった。
 日本平山の山頂は台地状になっており、その縁近くに山頂標識が頭を出していた。雪稜の先には、鍋倉山や御神楽岳が姿を見せ、一旦雪庇に上がると川内山塊の盟主矢筈岳や五剣谷岳の眺めも楽しむことができた。大快晴のもとに、このような大展望を一人占めにするのは、満足とも、もったいないという気分にもなる。
 帰りも時間がかかるため、あまりゆっくりはできず、山頂を後にすることになった。帰りは、小ピークの登り返しで体力を消耗することになった。特に大村杉への登り返しでは、一気には登れず、途中で休む必要があった。
 暑さのために水の消耗は多く、1.75L中1Lを消費したところで、五十母清水に戻り、腹いっぱい冷たい水を飲んだ。
 暑さにまいったものの、快晴のものでの大展望を楽しむことができ、五月連休の山としては充実した山行になった。

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