護摩堂山

護摩堂山


【日時】 2011年6月25日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雨

【山域】 新津丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 護摩堂山・ごまどうやま・271m・なし(268.3m・一等三角点補点)・新潟県
【コース】 登山口駐車場
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/矢代田
【ガイド】 新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新・新潟花の山旅(新潟日報事業社)

【時間記録】 8:30 新潟=(R.49、茅野山IC、R.403、新津、村松、大蔵ミズバショウ園、村松、大沢、R.403 経由)=10:48 登山口駐車場発―11:20 護摩堂山―11:48 登山口駐車場=(往路を戻る)=12:30 新潟
 新潟平野の内陸部の縁に沿った、新津、加茂、五泉の中間に広がる丘陵地を、新津丘陵と呼ぶ。この新津丘陵では、一等三角点も置かれている護摩堂山がハイキングの山として親しまれている。この山には、かつて山城が置かれ、南北朝時代(14世紀)には戦いの場になったと伝えられている。応永の大乱(1423年)では、中条町に拠点を持つ武将中条房資が一族を護摩堂山の要害に分勢し、田上原で守護代の長尾邦景と戦ったという。現在では、本丸跡、お屋敷跡、矢場、空堀跡等の遺構が残されている。山頂一帯には、あじさい園が設けられ、この時期は特に賑わう。

 土曜日に続いて、日曜日も悪天候の天気予報が出た。雪割草やカタクリの花を楽しめる時期になっているが、雨の中では花は閉じている。丁度、大蔵のミズバショウが開き始めたようなので、こちらを見に出かけることにした。ミズバショウなら雨の中でも花は開いている。花の見物だけでは物足りないので、その後で近くの山を登ることにして出かけた。
 家を出る時は曇り空であったが、新津を過ぎると、雨が降り出した。新津丘陵は黒雲に覆われていたが、大蔵方面の山は見えていた。
 ミズバショウ園の入り口がどこかと車を走らせていくと、誘導する係員が立っていた。混雑するようで、集落内を抜ける道は一方通行になっていた。集会所の庭に車を停めて、ミズバショウ園に向かった。朝のために、見物客も僅かであった。
 神社下の谷内にミズバショウの群落地が広がっていた。湿地の中に木道が設けてあったが、雪解け直後で水没している所もあるため立ち入り禁止になっていた。写真撮影のためには、ミズバショウの群落地の先に人が写りこまないので、かえってよかったかもしれない。
 ミズバショウは咲き始めであったが、花が終わって変色している物がないため、美しい花がそろっていた。幸い青空が広がって、ミズバショウの花が水に影を映していた。
 しばらく写真撮影を行ってから、ミズバショウ園をあとにした。
 予定では、大沢鍾乳洞の奥の大沢山と、そこを通過する中部北陸自然歩道を歩いて確かめるつもりであった。ところが、標高が高いため、大沢鍾乳洞入口から残雪に覆われていた。ピークハントならともかく、遊歩道の確認はできないので、またの機会ということにした。
 予定が狂ってしまったが、このまま家に帰るのも、運動量が足りない。ともかく山を歩こうということで、護摩堂山に向かった。
 驚いたことに、護摩堂山の駐車場は満杯で、数台の空きがあるだけであった。雪解けが遅れているため、通常のハイキング気分で登れる山はごく限られている。
 護摩堂山の登山道は、昔の石切り場の作業道を使っており、車も入れる状態である。子供連れでも大丈夫な軽ハイキングの山ではあるが、一気に歩き続けようとすると、傾斜があるとこともあって、息が苦しくなる。早足で歩けば、運動には丁度良い。
 登山道脇の城跡の説明も以前よりも増えていた。脇道を作って植物を植えているようなので、時期を見て歩いてみる必要がある。
 石切り場手前の分岐が近づくと、残雪が道を覆うようになった。踏み跡部はしまっており、歩くのに支障はなかった。4月の低山とは思えない状態であった。
 あじさい園を抜けて山頂に到着すると、黒雲が空を覆っていた。展望台からの眺めも閉ざされていた。雨に会わないうちにということで、下りの足を速めた。下りの途中でも、登ってくる登山者には多く出会った。
 車に戻ると同時に本降りの雨になった。ミズバショウ見物と、ともかく山歩きをすることができ、満足して家に戻ることができた。

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