稲荷山、山居山、臥牛山、浜山

稲荷山、山居山、臥牛山、浜山


【日時】 2012年3月31日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雨

【山域】 村上周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名 
 稲荷山・いなりやま・15.3m・三等三角点・新潟県
【コース】 稲荷神社参道より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/坂町
【ガイド】 なし

【山域】 村上周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名 
 山居山・さんきょやま・94.4m・四等三角点・新潟県
【コース】 羽黒神社より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/村上/村上
【ガイド】 なし

【山域】 村上周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名 
 臥牛山・がぎゅうさん・135.0m・三等三角点・新潟県
【コース】 村上城跡登城口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/村上/村上
【ガイド】 なし

【山域】 村上周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名 
 浜山・はまやま・29.2m・四等三角点・新潟県
【コース】 村上はまなす病院より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/村上/村上
【ガイド】 なし

【時間記録】 8:00 新潟=(日本海東北自動車道、荒川胎内IC、旭橋、塩谷 経由)=9:50 稲荷山=(R.345、村上 経由)=10:38 羽黒神社―11:05 山居山―11:29 羽黒神社=11:37 村上城跡入口―11:58 臥牛山―12:27 村上城跡入口=12:42 村上はまなす病院―12:56 浜山―13:16 村上はまなす病院=(岩船、R.345、神林IC、日本海東北自動車道 経由)=14:40 新潟
 稲荷山は、村上の南を流れる荒川の河口部にある丘である。かつては番屋が置かれて番屋山と呼ばれたこともあるようであるが、現在は頂上に稲荷神社が置かれており稲荷山と呼ばれる。

 山居山は、村上のシンボルといえる臥牛山の南西に位置する丘陵のピークである。以前は藪山であったようであるが、現在は遊歩道が整備されている。

  村上市内にそびえる小高い岡が、臥牛山であり、地元ではお城山と呼ばれている。この山には、かつて、舞鶴城とも呼ばれた村上城が築かれていた。戦国時代、本庄繁長が城郭を構え、次いで村上義明が増築し、江戸時代初期の元和4年(1618)、藩主となった掘直竒によって天守閣が設けられ、さらに城下町も整備されて城としてとしての形が整えられた。寛文3年(1663)、松平直矩の時に作り替えられた三層の天守閣は、1667年落雷によって消失し、その後再建されなかった。享保5年(1720)年以降は内藤氏5万石が領したが、戊辰戦争の際に、村上を撤退した藩兵によって城に火が放たれて消失したという。現在は、苔蒸した石垣によって往時を偲ぶことができる。

 浜山は、瀬波温泉一帯で海岸に沿って広がる丘陵部のピークである。自然歩道がピークを通過している。

 本降りの雨の中、県北の低山巡りに出かけることにした。今日限りで、週末の東北地方高速道の無料が終わることもある。
 ますは、稲荷山に向かった。高速を下りてから旭橋で荒川を渡り、河口部にある塩谷集落に向かう。集落内に入って、T字路を左折すると、右手の法面に設けられた石段が現れ、これが稲荷神社の入り口のようであった。通り過ぎた先に駐車スペースがあったので、ここから歩き出すことになった。
 傘が必要な本降りであった。ひと登りすると、赤い鳥居が並んで、その奥に稲荷神社のお堂が置かれていた。右に回り込むと展望台が設けられていた。展望台に上がると、荒川の河口部を見下ろすことができた。荒波が打ち寄せる中、サーファーが泳いでいた。雨の中の中の登山と酔狂さでは同じようなものであろうか。
 お堂の壁に取り付けられた説明板によると、この山は番所として使われていて、番所山と呼ばれていたようである。低いながら海の見晴らしは利くピークである。
 海側にも道が付けられていたので、そちらを下って、ピークを半周して車に戻った。
 続いて山居山に向かった。以前は、藪山であるようなことを読んでいたが、最近登山道が整備されたようである。
 村上市街地に入って、羽黒神社の駐車場から歩き出した。神社の本殿へは石段が続く。この石段登りで息が切れて、運動不足を痛感した。立派な社殿が設けられていた。社殿の右手に回り込むと、遊歩道が始まっていた。「山居山歩道略図」が置かれていた。この先にもこの案内図は要所で置かれていた。80mピークに向かっての登りが始まった。幅広の登山道が整備され、雪割草の花も植えられていた。雪割草は人工的に植えたものであるが、この山にはカタクリは沢山咲くようであった。
 80mピークへの登りの途中で近道が設けられていたが、トラバース道はまだ残雪に覆われていた。80mピークを一旦下ると、右手からはっきりした道が合わさった。帰りはこの道を下ることにして先に進んだ。緩やかな尾根道を歩いていくと、僅かに登ったピークに三角点が頭を出しており、山居山に到着したことが判った。案内図には、ピークを越して少し下った所が展望台と書かれていた。見下ろすと、整地された広場が見えていた。
 登山道の先にも興味があったのだが、風が傘をさせないほど強くなったため、引き返すことにした。分岐からは、歩いていない道に進んだ。尾根道を下っていくと、墓地に下り立った。お墓の中を通っていくと、長楽寺の門前に出て、後は町中を歩いて車に戻った。 山居山の並びに臥牛山がある。ついでに登っていくことにした。臥牛山は、城跡ということで、見学の観光客もおり、駐車場には数台の車が停められていた。
 入口から九十九折の登りが始まる。標高差100m程を一気に登るので、地元の人は体力作りに登っているようである。石垣の間を抜けると台地に出る。稜線沿いに、段々になった台地が設けられているが、石垣の修復が続いており、脇道を抜けて最高点を目指す必要がある。
 石垣の石積みを見ると、修復部は四角の石が整然と積まれているのが不自然に見えた。苔むした昔からの部分は、大小の石が使われている。
 本丸のある台地からは、村上市街地や下渡山の眺めが広がっているが、雨のために霞んでいた。
 下りは、南斜面に続く中世遺跡散策コースを歩いてみた。本丸下には、帯曲輪が数段重なって設けられていた。一段下ったところからトラバース道が続いた。途中で道が分かれたが、これは国道7号線に下り立つようであった。
 井戸を見ると、その先で、最初に登りついた台地に戻ることができた。
 低山巡りの最後に、浜山によっていくことにした。浜山は、瀬波温泉近くの浜辺の丘陵部にあるピークである。地図を見ると、村上はまなす病院の北側から海に向かう破線が記されているので、ここから歩き出せばよさそうに思えた。
 破線入口から歩き出して道を探したが見つからなかった。村上はまなす病院の駐車場を抜ければ、奥に進めそうであった。杉の植林地を抜けると、雑木林になり、藪の薄い所を登ると、丘陵地の上を通過する遊歩道に出た。
 遊歩道を歩いていくと、さほどの高低差もなく、三角点の置かれた浜山に到着した。三角点が置かれているものの、山というほどのものでもない。
 県道方面に下りる道を探して先に進んでみたが、300mほど進んだところで、ようやく道が合わさった。車道歩きも面白くないので、来た道を戻った。村上はまなす病院が近づいたところで、ようやく県道方面から合わさる道に出た。この道を下ると、杉の植林地を抜けて、病院南側の駐車場に飛び出した。浜山の遊歩道は、瀬波温泉から続いているようだが、この浜山だけを訪れようとすると、取り付きは判りにくい。
 
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