要害山

要害山


【日時】 2012年3月25日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雪

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名 
 物見山・ものみやま・240m・なし・新潟県
 要害山・ようがいさん・281m・なし・新潟県
【コース】 平林城跡より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/坂町
【ガイド】 なし

【時間記録】 7:00 新潟=(日本海東北自動車道、荒川胎内IC、R.7 経由)=7:50 平林城跡登山口〜8:20 発―9:35 要害山―10:19 平林城跡登山口=(往路を戻る)=11:10 新潟
 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在も土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。

 日曜日も悪天候になり、登る山に頭を悩ますことになった。弥彦・角田山塊の花の状態も気になるが、残雪の状態も確認しておく必要がある。簡単な山ということで、要害山に出かけることにした。高速道の週末無料化が3月で終わるため、最後の機会ということで、高速を利用することにした。
 高速を使えば、要害山の平林城跡登山口には1時間程で到着する。手頃な山であるが、知名度は高くない。
 登山口の駐車場で準備をしていると、激しいみぞれが降ってきた。しばらく様子を見ていると、止んだので歩き出した。この日は、雪雲の塊が押し寄せてきて、雪が断続的に降るという状態であった。
 歩き初めの平林城跡は、杉林の中にあるが、藪が除かれて見通しが良くなっており、土塁や堀の状態が良く判るようになっていた、登山道は直進すれば良いのだが、城跡の整備が進んで立派な脇道が設けられたいるので、初めてだと迷うかもしれない。
 山道になると、残雪も多くなってきて、馬洗場付近からは完全に雪の上を歩くようになった。スノーシューを背負っていたが、結局つぼ足で歩き続けることができた。
 緩やかな登りを続けていくと尾根に囲まれた窪地に出て、首切り清水に到着する。首切り清水の由来を知っていると、なにやら不気味な感じがする。いつもだと、ここからのろし山に向かうのだが、天気も悪いので、直接山頂を目指すことにした。
 七曲坂は雪原になっており、丁度日差しが差し込んできて、雪を纏った木々が美しい姿を見せていた。ひと登りすると物見山の分岐になるので、寄り道をすることにした。物見山からは、日本海や中条の街並み、櫛形山塊の眺めが広がっている。ひと休みするには良いところだが、黒雲が流れてくるのが見えて、先を急ぐことになった。
 物見山の分岐からは、トラバースを繰り返す道と、尾根沿いに登る二通りがある。尾根沿いに登っていくと、山頂直下の曲輪の下に出た。夏道がどのように続いているのか判らなくなったので、雪原を直登して山頂に向かった。
 要害山の山頂には、プレハブ小屋の休憩所が設けられているが、誰もいない山頂であった。本丸跡に立って登頂とした。、嶽薬師が招くかのように、ピラミッドの山頂を見せていた。要害山から嶽薬師までの縦走を単独行では行っていないので、今年の課題といって良い。
 下りは、みぞれに追われるように、足を速めることになった。歩けるだけでも満足しなければならない。
 下山後着替えをして車を走らせると、近くの田んぼで白鳥の群れが餌を採っていた。春になって、そろそろ北に帰る時期になるのであろう。

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