天神山城址、松ヶ岳

天神山城址、松ヶ岳


【日時】 2011年12月30日(金) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 弥彦山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 天神山城址・てんじんざんじょうし・230m・なし・新潟県
 松ヶ岳・まつがだけ・174m・なし・新潟県
  (松岳山城址・まつたけやまじょうし)
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦
【ガイド】 なし

【時間記録】 9:15 新潟=(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線 経由 経由)=10:12 丸小山公園〜10:28 発―11:12 天神山城址―11:22 松ヶ岳―11:50 丸小山公園=(往路を戻る)=13:15 新潟
 天神山城址は、弥彦近くの岩室集落の背後にある山城である。城主の大国実頼は、直江兼続の弟である。二人は、樋口家に生まれたが、それぞれ、直江家と小国家に養子に入り、上杉家の重臣として活躍した。

 インド旅行から戻っての休養と年末の雑用で、山に行かないままに師走になってしまった。ともあれ、今年最後の山として、天神山に出かけることにした。
 道路にもシャーベット状の雪が残っているところもあり、車をゆっくりと走らせた。冬型もひと段落したようで、雲の間から日が差し込んでいた。
 いつものように、岩室温泉の丸小山公園に車を停めた。天神山城址への登山道は、「天地人」の放送に伴って整備されたものであるが、その後に知名度も上がったようで、登山者の車も数台置かれていた。登山の間隔が開くと、雪の状態が判らなくなるが、弥彦山の山頂をめざすならともかく、天神山城址ならば長靴で充分なはずであった。
 雪に覆われた公園のグランドを横切り、水道施設の脇から登りだす。数名の足跡が雪の上に続いていた。歩き初めの傾斜はけっこう急で、息が切れてくる。雪が安定するまでは思い切った歩きもできないので、低山歩きで山の体力維持をはかる必要がある。
 上部にある水道施設の手前から尾根沿いに続く登山道に進む。小ピークへの登りにかかると、再び傾斜も増してくる。九十九折の途中からは、公園に停めた車がかなり下に見えていた。
 小ピークを越えると一旦下りになって、林道の横断になる。ここから歩き出せば、天神山城址までの時間は短いが、林道は雪に覆われて車の通行はできなくなっていた。
 丸太の段々で整備された登山道をひと登りして尾根上に出ると、登城門が設けられている。尾根沿いの登りを続けていくと、物見台跡に出て、新潟平野の展望が広がる。あいにくと山の眺めは閉ざされていた。さらに登りを続けると、枯れることのない水をたたえた瓢箪池に到着。そこからは山頂は近いが、山頂手前で傾斜が増して、左から巻くようにして登り切ることになる。
 天神山城址の山頂広場は、雪に覆われて、誰もいなかった。登山者も数名入山しているようだが、皆歩き続けているため、たまに人に出会うという状態であった。新潟平野を眺めて、そのまま先に進んだ。
 天神山城址の先では、空堀跡が急斜面になっており、滑らないようにロープを手にして慎重に下った。石瀬峠分岐を過ぎると、登山道は北に向きを変え、さらに牧場脇を過ぎると東に向かうようになる。
 小ピークを越えると、松ヶ岳への登りになる。ここも空堀跡があって、急斜面をひと登りすることになる。
 台地状の松ヶ岳に到着して弥彦山を見上げると、その後は九十九折の下りになる。山道を気持ちよく下っていくと、岩室神社に到着し、後は車道歩きで車に戻ることになる。
 これで、一年の山歩きも終了になった。五回の海外旅行のために時間がとられたが、それなりの山行回数は維持できた。

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