駒ヶ岳から豪士山、三体山

駒ヶ岳から豪士山
三体山


【日時】 2011年11月11日(金)〜13日(日) 2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 12日:曇り後晴 13日:曇り後雨

【山域】 置賜東部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 駒ヶ岳・こまがたけ・1067m・なし・山形県
 豪士山・ごうしやま・1022.4m・二等三角点・福島県
【コース】 砂川登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/米沢、関/糠野目、稲子
【ガイド】 新分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)
【温泉】  温もりの湯 300円

【山域】 朝日連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 三体山・さんたいさん・1255.9m・三等三角点・山形県
【コース】 合地沢吊り橋より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/手ノ子/羽前上郷
【ガイド】 なし

【時間記録】
11月11日(金) 14:40 新潟=(R.7、新発田、三日市、R.290、大島、R.113、松原、羽前小松、高畠、和田 経由)=19:00 豪士山登山口  (車中泊)
11月12日(土) 6:50 豪士山登山口―7:00 ひかば沢分岐―7:25 信濃沢登り口―7:50 尾根上―9:06 駒ヶ岳―9:27 高畠町最高点(1074.8mピーク)―10:25 ひかば越え―11:00 豪士山〜11:25 発―11:40 豪士峠―12:58 豪士山登山口=(高畠、今泉、菅野ダム 経由)=15:30 合地沢吊り橋  (車中泊)
11月13日(日) 6:35 合地沢吊り橋―6:58 桂谷分校跡―7:18 登山道口―8:24 雨量計跡―9:17 三体山―9:55 雨量計跡―10:53 登山道口―11:08 桂谷分校跡―11:28 合地沢吊り橋=(菅野ダム、手ノ子、R.113、大島、R.290、三日市、R.7 経由)=15:30 新潟
 豪士山は、奥羽山脈南部の、山形と福島の県境に位置する山である。豪士山の北にある豪士峠は、かつて山形県高畠町と福島県福島市茂庭を結ぶ板谷街道に対する裏街道として利用されていたという。豪士山の登山道は山形側から整備されており、山形県の山というイメージが強いが、三角点は、福島県側に置かれている。駒ヶ岳は、豪士山の南に位置する山で、最近まで登山道はなかったが、豪士山の会によって登山道が整備され、豪士山と結んで歩くことができるようになった。

 三体山は、朝日連峰南部の祝瓶山から南に延びる稜線を辿った先にある山である。最近登山道が整備された。

 この週末の天気はあまりぱっとしないようで、少しでも良さそうな山形方面に出かけることにして、まだ登っていない三体山と豪士山を目的に出かけることにした。三体山の登山口は、谷奥にあり、そこまでのアクセス道路の状態が判らないので、早めに出かけることにした。
 県境を越して山形に入ると、激しい雨になった。雨は夜中には止むようだが、雨の影響は、翌日まで残りそうである。しっかりした登山道を歩いた方が無難ということで、先に豪士山を登ることにした。
 飯豊道の駅から国道を分かれて高畠を目指したが、どこを走っているのか判らないような、車のナビまかせの運転になった。文殊山の麓をかすめた後に、県道236号線に入ると、後は道まかせにまっすぐ進むことになる。本宮川を渡って右岸に移ると、細い林道に変わった。砂防ダムを過ぎると、林道の分岐に出て、ここが中ノ沢峠登山口となる。直進すると、すぐに元宮キャンプ場となる。ここには、駒ヶ岳から豪士山にかけての登山道の案内図が置かれているので、事前に確認する必要がある。暗い中、細い林道を先に進みたくはなかったので、ここに車を停めて夜を過ごした。
 梢から落ちる雨粒が車の屋根をたたく音が続いていたが、それも夜中には止まった。
 朝は、霧が立ち込めるものの、雨は止んでいた。豪士山の登山口までは、歩いてもそうたいした距離ではなかったはずだが、車を進めることにした。早朝とあって、対向車の心配はない。
 豪士山の登山口は、車四台ほどのスペースで、コンクリート橋を渡った先にも車を停めることができる。まずは、湯を沸かして、朝のコーヒー。人気の高い山なら、他の登山者やキノコ採りの車が現れるところだが、だれも現れなかった。
 先回と同じく、まず駒ヶ岳を登ってから豪士山をめざす周回コースとして歩くことにした。駒ヶ岳へは、林道歩きで始まる。2003年6月に登って以来かなりの時間が経っており、記憶もすっかり薄れていた。
 ひと歩きで、林道の分岐に到着した。ここには駐車スペースもあり、林道の路面の状態もそう悪くはないので、車もここまで入ってこられる状態であった。
 駒ヶ岳へは、右手の信濃沢沿いの林道に進む。すぐに林道を草が覆うようになった。林道上の草を掻き分けるうちに、ズボンの裾は濡れてしまった。林道跡を辿っていくと、途中で沢の右岸に渡ると伐採地に出た。人の名前を書いた杭が何本も立てられているのを見ると、記念植樹でも行われているようであった。
 再び沢に下り立ち、右手の枝沢に進むと、登り口になった。ここからは、急斜面の九十九折の登りが続いた。ひと登りして傾斜が緩むと、美しいブナ林が目に飛び込んできた。霧が流れる中に、残りの紅葉がしっとりとした色を見せていた。尾根上に出ると、周辺の木立も背が低くなり、灌木帯に変わった。霧が立ち込めて展望が閉ざされているため、ただ尾根道を進むだけになった。
 尾根は東に向きを変え、小ピークを越えていくと駒ヶ岳の山頂に到着した。山頂は、小さな刈り払い広場になってるが、周囲の木立の具合からすると、展望はそれほど開けてはいないようである。これまで越えてきた小ピークと変わらないような地味な山頂であった。山頂の写真を撮って、そのまま先に進んだ。
 駒ヶ岳から先は、登山道整備の時期の問題か、道を覆う草が少し多くなった。1074.8mピークに到着すると、ここには高畠町最高点という標識が置かれていた。ここからは山形・福島の県境稜線の歩きになる。次の目的地はひかば越えなのだが、小さなピークの乗り越えもあって、なかなか到着しなかった。
 ようやく台地に出て視界が開けると、ひかば越えであった。天気も回復してきており。豪士山の山頂は雲に隠されていたが、福島県側は青空が広がっていた。草地が広がり、休憩には良い場所である。ナナカマドなどの木の実が、雨粒を付けて輝いていた。太陽の光とともに、心も浮き立ってきた。
 先回は草が延びていた本沢に下る道も、豪士山に向かう道も、しっかりと刈り払いが行われていた。豪士山へは、急な登りを頑張る必要があった。小ピークを越えて、台地を進み、県境線から福島県側に入ると、豪士山の山頂に到着する。
 豪士山の山頂には、単独行がいたがすぐに歩き出していき、一人占めの山頂になった。雲も切れて、周囲の展望が広がるようになった。飯豊連峰や吾妻連峰の稜線部は雲に隠されていたが、豪士峠のある台地や名残の紅葉を留めた谷間、雲の間から見え隠れする高畠のある平野部などの眺めは、楽しめるものであった。
 所々に残る紅葉を眺めながら下山することにした。台地を進んでいき、ひと登りすると豪士峠に到着する。この間に、二人連れ二組とすれ違った。豪士山のこの日の登山者は、合計で6名であったようで、この山は混み合うことはなさそうである。
 豪士峠からは下りが続く。尾根から左手の沢に逸れると、一旦水場にでる。この先はトラバース気味に進んで再び尾根に戻る。所々で紅葉も残っており、写真を撮りながらの歩きになった。
 露岩帯に出て山頂方面を振り返った後に、尾根を一気に下っていくと、じきに登山口に戻ることができた。
 以前にも入ったことのある温もりの湯で入浴したが、この温泉は浜田広介記念館の敷地内にある。本館には入らなかったが、彼の生家である藁葺屋根の農家は解放されていたので、中をのぞき、庭の写真を撮った。
 長井の町で食料を買い込み、木地山ダムに向かった。立派な道路ができており、一気に高度を上げると、菅野ダムの堰堤に出た。夕暮れが迫っていたが、車を停めて、湖畔に広がる紅葉の風景を楽しんだ。
 その先も、トンネルが整備された良い道が続いた。神尾山の麓を巻いて進んでいくと、道は一旦下りになり、合地沢を渡ると西栃平トンネルとなって、その先からは道が急に細くなった。二つ目の路肩広場の先が急カーブになっていたので、車を停めてGPSで現地確認を行った。登山口になる合地沢の吊り橋は、すぐ先のようであった。歩いて確認すると、カーブを曲がった先が吊り橋の入口であった。吊り橋のたもとに下ったところと、入口の上に駐車スペースがあったが、他の車がいると、車の回転が難しくなる。
 この夜は、一旦戻って、ダムの建築現場なのか、整地された広場に車を停めて寝た。夜は月が輝いていたが、朝はどんよりした曇り空が広がっていた。
 再び登山口に戻り、手前のスペースに車を停めて歩き出した。吊り橋に近づくと、足場の板が、二枚並べて置かれるべきところが、左右交互に外されて一枚だけになっていた。吊り橋から水面までの高さはあるものの、吊り橋の幅が狭くて、両手でワイヤーを握りしめることができたので、問題なく渡ることができた。この吊り橋が、下山後に問題になるとは思ってもいなかった。
 吊り橋の先は、枝沢に沿ったへつり道が続いた。谷が広がると、杉の木や整地跡やらで、人の気配が強くなった。林道跡に飛び出すと、木に桂谷分校跡地という標識が置かれ、旧校舎の写真も掲示してあった。ここには、「三体山登山口 平野地開協」と書かれた登山標識も置かれていた。
 標識に従って、右折して林道跡を辿ることになった。思ったよりも林道は長く続き、尾根の末端部の580m地点が、登山道の入り口になった。
 足場の少ない泥の急斜面の登りになった。尾根の上に出て傾斜が一旦ゆるむも、急斜面が現れた。固定ロープもあって、なんなく突破したものの、その先は、尾根が痩せて、落ち葉で足を滑らさないように注意が必要になった。尾根の張り出し部では、急な壁になって、ロープと木の根を頼りに登るような所が連続して現れるようになった。このような急斜面がどれほど続くのかと、不安を覚えるようになった。天気の崩れも早まったようで、躊躇する気持ちがぬぐえないままに登りを続けることになった。813mピークを越えるも、まだ悪場は続いた。
 ようやく傾斜が緩んで、ブナ林の広がる幅広尾根に達したところで、恐れていた雨が降り出した。戻るべきか迷ったが、しばらくは雨は降ったりやんだりであろうと思って、山頂を目指すことにした。尾根を右に外して窪地に出ると、雨量計跡の標識が置かれていた。
 右手の尾根に乗り換えたところには、下に向かって間違って進まないようにテープが張ってあった。時間との勝負とばかりに、足を速めたが、山頂が近づくにつれて雨は激しくなった。登山道も笹が覆うようになってきた。踏み跡を見失わないように登っていくと、台地状になって、広場に出た。枝を横に広げた松があり、その奥に三角点が頭を出していた。
 登ってきた登山道の左手の藪に、テープが取り付けられていた。一等三角点ピークへの目印のように思えたが、少し進んで確かめる余裕もなく、引き返すことになった。
 下りを続けて急坂に到着する頃には、雨は止んでくれた。岩場を慎重に下った。雨で濡れた落ち葉は油断ができない。安全なところで気を抜いたとたん、滑って尻餅をついた。
 林道跡に下り立ち、ほっと息をついた。再び本降りになった雨の中を車をめざした。吊り橋に戻り、これで登山も終わったと思って吊り橋を見た途端に、驚愕することになった。吊り橋の板が外されて、ワイヤーだけになっていた。これを渡るしかないので、躊躇することもなく、ワイヤー渡りに挑戦することになった。幸い、両手でワイヤーを掴めることと、数メートル置きに横板が置かれていくので、足を進めることができた。渡り終えたところで、吊り橋の記念写真を撮った。渡り終えた感じでは、そう難しいものでもなかったが、登り初めに板が外してあったら、登山は諦めていたであろう。
 ずぶ濡れになった衣類を着替え、本降りの雨の中を家路についた。

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