鏡山、田代山(高森山)

鏡山
田代山(高森山)


【日時】 2011年11月5日(土)〜6日 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 5日:晴 6日:曇り時々雨

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
鏡山・かがみやま・1338.9m・三等三角・新潟県、福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/大日岳/大日岳
【コース】 弥生より
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)、山と高原地図「飯豊山」(昭文社)
【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
田代山・たしろやま(高森山・たかもりやま)・830m・なし・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/只見/会津横田
【コース】 林道田代高盛線より
【ガイド】 なし

【時間記録】
11月5日(土)6:05 新潟=(R.49、安田IC、磐越自動車道、津川IC、R.49、徳沢、R.459、奥川 経由)=8:00 久良谷橋〜8:15 発―9:15 登山口―9:25 弥平四郎分岐―10:43 鏡山〜11:06 発―11:59 弥平四郎分岐―12:14 登山口―13:11 久良谷橋=(奥川、R.459、徳沢、R.49、R.252、会津横田 経由)=17:30 林道田代高盛線途中  (車中泊)
11月6日(日) 6:40 林道田代高盛線途中―6:54 林道終点登山口―7:36 田代山(高森山)―8:11 林道終点登山口―8:23 林道田代高盛線途中=(会津横田、R.252、西方、西会津、西会津IC、磐越自動車道、安田IC、R.49 経由)=11:30 新潟
 飯豊連峰の実川源流部の左岸、三国岳から南東に延びる尾根上には、疣岩山、卷岩山、鏡山、七森山、立石山、高森山、高陽山といった峰々が連なっている。福島県側における飯豊の代表的登山口の弥平四郎から鏡山に登り、北上して疣岩山に至り、従来から歩かれてきた飯豊本山へのルートに合わさる登山道が整備されている。鏡山は、実川を挟んで大日岳と向かい合っており、その山頂からは飯豊連峰の大展望を楽しむことができる。飯豊連峰の展望台というべき山はいくつも挙げられるが、その中でも代表的な山頂といって良い。

 高森山は、会津の大塩の只見川左岸の山である。地元では、田代山と呼ばれているようで、案内標識には二つの名前が併記されている。最近、登山道が整備されて、要所にしっかりした案内標識が置かれている。近くの沼沢湖の南岸には、同じ名前の高森山にも登山道があるが、こちらの高森山は一般には知られていない。

 久しぶりに晴天の予報が出て、展望の山を考えることになった。選んだのは、飯豊の展望台である鏡山。先回登ったのは、2006年なので、かなり時間も経っている。鏡山の登山口としては、弥平四郎と弥生があるが、今回は弥生から登ることにした。弥生から鏡山登山口までの林道は、終点まで車で入れるか不明なところもあるが、今回は、林道歩きを前提として出かけることにした。紅葉は、稜線部では終わっており、林道沿いあたりが盛りのはずであろうと期待した。
 新潟を朝出発したが、弥生に向かう途中の車窓からも、紅葉を楽しむことができた。弥平四郎と弥生の分岐には、鏡山登山口の大きな看板があり、弥生からがメインのように書かれている。
 分岐から先は渓谷沿いの細い道になり、見事な紅葉にも目をやる余裕はなく、車を慎重に走らせる必要があった。弥生集落を過ぎると、未舗装の林道になる。どこまで車で入るか迷いながら進むと、久良谷橋のたもとに駐車スペースがあったので、ここから歩き出すことにした。朝のコーヒーを飲んでいると、二台の車が林道の奥に進んでいった。
 残雪期に弥生集落の少し先から鏡山登山口までは、1時間半の歩きだったので、ここからの歩きでも問題はない。林道周辺の木立の紅葉は見事で、朝日に輝いていた。林道の上も落ち葉が積もっており、幅広の遊歩道という雰囲気であった。途中で、二台の車が停められていたので、キノコ採りかと思ったが、登山者の車であった。林道終点まで頑張れば車で入れたが、終点直前の傾斜が急になったところで崩壊によって道幅が車一台分になっており、適当なところで歩き出した方が良い状態であった。久良谷橋を渡った先で、砂利を敷いた広場があり、これは登山者用の駐車場として整備されたものであろうか。結局、1時間の歩きで、鏡山登山口に到着した。
 林道終点の登山口からは、尾根に取りついての登りが始まる。ここまでの歩きで汗をかいているが、さらに汗が噴き出てきた。気温も高くなっていた。ひと頑張りで、傾斜も緩み、弥平四郎との分岐に出た。緩やかな尾根を辿ると、1168mピークへの登りが始まる。鏡山へは、このピークと鏡山本体への登りが頑張りところになる。林道の途中で二人連れ、1168mピークへの登りで二人連れと五名グループを追い抜いた。結局、この日の登山者は、弥生からが三組、弥平四郎から一組のようであった。
 1168mピークを越えると、鏡山が姿を現した。山腹の木立は、葉を落として、枝が光っていた。鏡山への登りは、途中でだまされる尾根の張り出しがあるので、気を抜かずに登り続ける必要がある。
 鏡山の山頂は、広場になっており、大日岳から御西岳、飯豊本山、種蒔山、三国岳に続く稜線を一望できる。飯豊の展望台という名前にふさわしい山頂である。今回山行で少し残念であったのは、空が薄曇りで、山頂部に雪が無かったことである。休んでいるうちに後続の登山者も到着してにぎやかになってきたので、引き返すことにした。
 帰りも、1168mピークへの登り返しで体力を使うが、歩きやすい道である。林道に戻ってからは、紅葉の写真を撮りながらの歩きになった。
 翌日曜日は、雨の予報が出ていた。西会津で温泉に入ってから外に出ると、雲が広がって薄暗くなっていた。天気の崩れが遅れることを祈って、高森山に向かうことにした。
 会津の高森山というと、沼沢湖の南岸にある山が登山者に知られているが、今回の山は、只見川の左岸、大塩にある山である。ネットの情報で、この山に登山道が開かれたことを知り、出かけてみることにした。
 只見川沿いを走ってみると、先日の豪雨で、川の風景は一変し、流木や土砂の堆積が目に留まった。只見線の鉄橋も何か所で流されて、レールの断端が垂れ下がっているのが見えた。大塩へは、二本木橋で只見川を渡る必要があるのだが、復旧工事中であった。迂回路を辿って、上流の四季彩橋を渡ってから戻る必要があった。車を走らせていると、四季彩橋は、以前に大曽根山を登る際に通ったことがあるのに気が付いた。
 二本木橋のたもとからは、川沿いの道を下流に向かって進むと、左に林道が分かれた。この分岐には、田代山(高森山)という石造りの立派な案内板が置かれていた。舗装道路をひと登りすると、分岐があり、右の林道田代高盛線に進むことになった。左の道は田代に向かう道で、この地名から、地元では田代山と呼ぶようである。
 林道田代高盛線は、未舗装道路であったが、路面の状態は悪くはなかった。夜のために車を停める広場を探しながら車を進めた。なかなか見つからないままに車を進めていくと、送電線の鉄塔が前方に見えるところで、道幅が広くなっていたので、ここで夜を過ごすことにした。後でGPSを確認すると、562mピークの南近くであった。
 林道田代高盛線は、田代から延びる破線とは大きくことなるルートを辿っており、送電線と562mピークを辿るように進み、最後は破線と重なって標高560m付近で終わる。翌朝は車を停めたところから歩いて林道のログデーターをとり、下山後には車のフロントにGPSを置いて記録し、林道の走り具合を確かめた。
 夜中から雨がぱらついたが、朝は止んでいた。とりあえずは歩けそうなので出発した。送電線を辿るように進むと送電線がT字型に集まる鉄塔に出てから、562mピークを越えた。緩やかに下っていくと、前方に高森山らしき山頂も見えたが、ガスのためにはっきりとはしなかった。緩やかな登りに転じると、林道終点広場に到着した。路面の状態からすると、ここまで車で入ってくることはできたが、車を停めたところからは15分であったので、準備運動と思えばよい。
 登山口には、石に掘り込んだ案内板が置かれていた。計三か所に石造りの案内板が置かれていたが、里山にはもったいないくらいの立派さである。
 幅広の道がナラ林の中に続いていた。かつての植林かなにかの作業道だったような感じである。ナラ林も下生えがほとんどなく、見通しが良く開放的であった。左にトラバース気味に進むと、尾根上に出た。
 この先は、尾根の一本登りになった。右に杉の植林地が沿うもすぐに消えると、急な登りが始まった。石が露出しており、落ち葉も積もって滑りやすかったが、固定ロープも置かれていた。山頂直下まで登ると、岩場が現れた。ロープも固定されていたが、三点支持の必要な岩場で、ストックをザックに括り付けて、慎重に登った。幸い、岩場も高さ4mほどで長くはなく、ひと登りで突破できた。岩場は、もう一ヶ所現れて、これを突破すると、山頂の肩部に出た。ここは刈り払いが行われており、只見川方面の展望が広がっていた。
 緩やかになった尾根を辿ると、少し先で山頂に到着した。山頂は、刈り払われて、展望を楽しむことができるようになっていた。あいにくと、雲が広がって、所々でピークが頭を出しているのを眺めることができるだけであった。鷲ヶ倉山のとがった山頂を見分けることができたが、会越国境方面の山は隠されていた。下りは、岩場や急斜面で落ち葉に足を滑らさないように注意が必要であった。
 小さな山であるが、途中の岩場の通過や山頂での展望など、なかなか充実した山であった。こういった山が、登山道を開いたのにもかかわらず、一般に知られないのは残念なことである。山の雑誌も、マンネリ気味の百名山や山道具の記事ばかりではなく、こういった新しい山の紹介に力を注いで欲しい。

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