馬場目岳、太平山、高下岳、根菅岳、南面白山

馬場目岳から太平山
高下岳、根菅岳
南面白山


【日時】 2011年10月7日(金) 3泊4日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 8日:曇り 9日:晴 10日:晴

【山域】 太平連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 馬場目岳・ばばめだけ・1037.4m・三等三角点・秋田県
 赤倉岳・あかくらだけ・1084m・なし・秋田県
 笹森・ささもり・1045m・なし・秋田県
 旭岳・あさひだけ・1040m・なし・秋田県
 太平山 たいへいざん・1170.4m・一等三角点本点・秋田県
【コース】 旭又登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/太平山、阿仁合/太平山。天上倉山
【ガイド】 新・分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 お山の家 300円

【山域】 和賀山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 高下岳・こうげだけ・1322.8m・三等三角点・岩手県
 根菅岳・ねすがだけ・1340m・なし・岩手県
【コース】 高下川登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/鴬宿/北川舟、羽後朝日岳
【ガイド】 新・分県登山ガイド「岩手県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 沢内バーデン 300円

【山域】 二口山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 南面白山・みなみおもしろやま・1226.4m・三等三角点・山形県、宮城県
【コース】 面白山高原より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/山形、川崎/山寺、作並、
【ガイド】 新・分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「蔵王・面白山。船形山」(昭文社)

【時間記録】
10月7日(金) 14:15 新潟=(R.7、日本海東北自動車道、秋田自動車道、秋田中央IC、仁別 経由)=20:30 旭又登山口  (車中泊)
10月8日(土) 4:58 旭又登山口―7:04 稜線分岐―7:43 馬場目岳―8:16 稜線分岐―9:26 赤倉岳―9:48 ガラ沢岳―10:00 笹森山―10:22 旭又分岐―11:21 旭岳―11:25 旭又分岐―11:38 太平山〜11:52 発―11:59 旭又分岐―12:33 御手洗清水―13:44 旭又登山口=(仁別、秋田中央IC、秋田自動車道、湯田IC、高下 経由)=7:30 高下川登山口  (車中泊)
10月9日(日) 6:30 高下川登山口―6:59 赤沢分岐―7:36 高下岳分岐―9:00 高畑コース分岐―9:15 高下岳―9:58 根菅岳〜10:15 発―10:55 高下岳―11:05 高畑コース分岐―12:21 高下岳分岐―12:37 赤沢分岐―12:55 高下川登山口=(湯田、R.107、横手、R.13、天童、山寺 経由)=19:30 面白山高原  (車中泊)
10月10日(月) 6:35 面白山高原―7:37 ゲレンデ上―8:35 南面白山―9:44 権現様峠―10:32 富神瀑布―11:02 奥新川峠分岐―11:20 面白山高原=(天童、R.13、赤湯、R.113、R.7 経由)=16:00 新潟
 太平連峰は、秋田市の東の海岸近くに、独立した山塊を形成し、馬場目岳から主峰である奧岳、中岳、前岳と、馬蹄形の稜線を連ねている。奥岳の山頂には、三吉神社の奧宮が置かれており、信仰の山になっている。

 高下岳は、山頂近くまで美しいブナ林が広がり、和賀川を挟んで和賀岳と対峙する山である。和賀川の源流域を形成する稜線は馬蹄形に和賀岳へ続いており、高下岳から和賀岳あるいは大荒沢岳にかけての登山道はあることにはなっているが、高下岳から分岐になる根菅岳までのみ刈り払いが行われている。

 宮城・山形県境の、蔵王連峰と船形連峰の間には、神室岳、大東岳、面白山を代表的なピークとする二口山塊が広がっている。標高は低いものの、深い渓谷が刻まれて、変化に富んだ地形を示している。面白山と南面白山は、仙山線の面白高原駅の東、南北に連なる県境線上にあるが、約4kmの距離で離れた独立した山である。面白山は、つらしろやまとも呼ばれていたというが、山頂部が雪で覆われて白いからとか、あるいは山頂付近のガレ場に由来するとか言われている。

 体育の日がらみの三連休は、紅葉の山が期待できる。せっかくの三連休なので、遠出を考え、秋田の馬場目岳と岩手の高下を目指すことにした。三日目の山は、考えがまとまらず、気分次第で決めることにして、地図を印刷するためのコンピューターとプリンターも車に積んでいくことにした。
 新潟からの1日でのドライブは秋田が限界に近い。昼過ぎに家を出て、秋田県に入ったところで高速道を利用して時間を短縮した。仁別を暗くなったところで通過し、林道に走りこんだ。旭又への林道は、以前にも走ったことがあったが、やはり長く感じられた。舗装されているが、カーブが続く。登山口の旭又には、広い駐車場が設けられており、一台の車が停められていた。
 天気予報では晴時々曇りというものであったが、雲が多い朝になった。馬場目岳に登った後、順調ならば太平山まで縦走するつもりであったので、早立ちした。
 木の橋で左岸に広がるキャンプ場を抜けて林道跡を進んだ。細いコンクリート橋で右岸に渡ると、沢に突き当たった。ガイドブックによれば、コンクリート橋は二本あるはずであったが、洪水で流されてしまったのかと思った。対岸に踏み跡が続いていた。水量はあったが、沢を良く眺め、水面下の石を伝って対岸に渡った。河原の草むらを抜けて尾根の末端に近づいていくと、左手にコンクリート橋が架かっているのが見えた。渡渉点から杉林の中を高巻き気味に進むのが正規のルートであったようである。この点は、地形図が正確であった。
 尾根の登りが始まった。標高差600mほどの登りが続くので、マイペースで登る必要があった。登山道はしっかりしているものの、落ち葉の様子からすると、、歩く者は少ないようであった。杉林の中の登りが長く続いたが、ようやくブナ林が現れるようになった。
 稜線が近づいたところで、登山道を笹藪が覆うようになった。笹に前夜の雨粒が乗っているため、ストックで落としながら歩く必要があり、ペースダウンになった。100m程進んでブナの木が周囲に現れるようになると、再び普通の登山道に変わった。笹薮の下に踏み跡はしっかり続いてはいたが、太平山方面から縦走してきてこの道を初めて下ろうとすると不安を覚えることになりそうである。
 稜線に出ると、周囲にはブナ林が広がっていた。まずは、左折して馬場目岳を目指した。幅広尾根を一旦下り、小さなピークを越えると、その先が馬場目岳の山頂であった。山頂直下には、立派な避難小屋が設けられていた。雲が掛って、馬場目岳の山頂からの展望は閉ざされていた。ガスが流れる中、灌木の葉が色づいていた。
 分岐に戻り、太平山への縦走路に進んだ。分岐からは、いきなりの急登になった。幸い、1001mピークを越えると、小さなアップダウンが続く道になった。赤倉岳への登りになると、美しいブナ林が広がるようになった。紅葉は始まったばかりであった。赤倉岳の山頂は、細尾根という感じで、山頂標識も無くそのまま通過することになった。
 一旦大きく下ってから登り返した1093.1mピークの山頂は、刈り払いの広場になっており、「赤倉岳(ガラ沢岳)」という標識が立てられていたが、マジックで赤倉岳はその先と書き込まれていた。三角点の点名は赤倉岳となっているが、地形図では1084mピークに赤倉岳と書かれている。誤解を招きやすい標識である。とりあえず、こちらをガラ沢岳と呼んでおくのが妥当なようである。
 ガラ沢岳から下っていくと、旭又登山口への登山道が分かれた。入口付近をのぞくと、笹がかぶり気味であった。続いて笹森への登りになった。黒雲が空を多い、小雨も降り出して、雨具の上着を着込むことになった。ズボンは、すでに笹の露で濡れていたので、雨具のズボンを履くのは様子見とした。幸い、雨は短い時間で止んでくれた。
 笹森を越え、さらに小ピークを越えていくと、旭岳に到着した。狭い山頂には石仏が置かれていた。丁度ガスが晴れて、太平山の山頂が姿を現した。太平山は、目の前であった。紅葉に彩られた灌木帯を辿ると、旭又からの登山道との分岐になった。馬場目岳から歩いてきた縦走路と比べると、幅広の立派な道であった。旭又から登ってきた登山者グループにも出会った。
 角が壊れた金属製の鳥居をくぐると、太平山の山頂へはひと登りであった。太平山の山頂は、三吉神社の社殿や小屋、トイレが建てられて、登山者が休むスペースも手狭になっていた。
 太平山は、1996年9月に登って以来だが、先回の方が山頂からの展望は良かった。近くの稜線の眺めが得られるばかりで、ブナ林の紅葉はまだであった。
 三連休とあって、山頂は大勢の登山者で賑わっていた。ここまでは誰にも会わない登山道を辿ってきたため、余計に煩く感じられた。団体が下山の合図をしたのをきっかけに、それよりも早く下山を開始することにした。
 下りはじめると、太陽も差し込んで、旭岳にかけての紅葉した稜線の眺めが広がった。旭又への下りは、先回も往復した道であるが、記憶は無くなっていた。登りの登山者にも大勢すれ違っていたが、疲れた顔をしている者が多かった。道が良いのに助られて、快調に下っていくと、御手洗(みたらし)の広場に出た。二体のお地蔵様が、赤い衣をまとって立っていた。脇の水場も、十分な水が流れていた。
 下りは、さらに続いた。御滝神社に出ると、その先で尾根の下りは終わるが、森林伐採用のトロッコ軌道敷きの歩きをもうひと頑張りする必要がある。
 駐車場に戻ると、広い駐車場は満杯状態であった。所々で隙間があるのは、きのこ採りの車が引きあげた後のようである。
 秋田で食料を買い込み、高速を使って湯田に向かった。湯田から盛岡方面に抜ける県道は、交通量が少ないわりに立派な道路であるが、途中にコンビニが無い点が欠点である。 高下の集落から林道に走りこんだ時はすでに暗くなっていた。林道入口には和賀岳登山口の標識が置かれている。高下川に沿って進んでいくと、舗装も途切れて砂利道に変わる。分岐を左に進むと、道も荒れてきた。土砂崩れの跡をブルドーザーで均してあったが、それでも雨水で掘り込まれた溝にタイヤを落とさないように注意が必要であった。長く感じるドライブの末に登山口に到着することができた。登山口の100mほど先が、登山者用の駐車場になっているが、テントが張られていた。少し戻った所の路肩広場に車を停めて寝た。
 高下岳の往復はそれほど時間もかからないので、ゆっくりと起きて出発した。登山口から急な尾根の登りが続く。ただ、標高差は200mなので、ひと汗かく頃にはブナ林が広がる稜線上に到着した。稜線上で、赤沢コースが合流するが、完全に藪に覆われて道の痕跡も見られなくなっていた。 
 稜線上に出ると、次の目標地点は和賀岳への登山道の分岐になる。赤沢分岐からは、結構急な登りが続いた。高下岳へは登るだけ山頂が近づいてくることになるが、和賀岳へは和賀川に向かって下降する必要があるので、ここでの登りは苦労が増すだけになる。
 分岐からは、幅広尾根の緩やかな登りが続く。見事なブナの原生林が広がり、黄色く色づき始めていた。  標高1200m付近で灌木帯となり、和賀川の谷向こうに和賀岳が見え始めてきた。山頂からの展望の期待が高まった。南峰である1320mピークが近づくと、山肌の灌木が黄色や赤に染まっており、写真撮影のために足が止まった。
 1320mピークから一旦下ったところの鞍部で、高畑コースが合わさった。分岐からひと登りした所が山頂のように見えたが、小さな起伏を越した先であった。高下岳の山頂は、三角点の位置ではなく、下りにかかる所に山頂標識が置かれていた。
 快晴となって、遮るもののない和賀岳の眺めが広がっていた。高下岳から先の稜線をうかがうと、はっきりした刈り払い道が続くのが見えていた。その先には、円錐形の山頂を持つピークが見えており、これは根菅岳のようであった。幸い、あわよくば根菅岳まで進めないかと思ってGPSに根菅岳までのルートデーターを入れてきていた。根菅岳までは、おそらく1時間ほどであろうと思い、先に進むことにした。
 高下岳からは、帰りに汗を流すことになる下りになったが、その先は緩やかなアップダウンの稜線歩きになった。刈り払いは最近行われたようで、足元で笹の切り跡がぼきぼきと音を立てる状態であった。根菅岳付近の紅葉はひと際見事で、写真を撮りながらの歩きになった。
 最後に草原をひと登りすると根菅岳の山頂に到着した。腰を下ろして南西の和賀岳や北の大荒沢岳と朝日岳の眺めを楽しんだ。刈り払いはここまでで、その先はかすかな踏み跡に変わっていた。和賀岳あるいは大荒沢岳への縦走を行ってみたいものであるが、今日のところはここで引き返すしかない。
 高下岳への戻りも、紅葉を楽しみながらの歩きになった。高下岳でも展望を楽しめるが、さらに根菅岳まで足を延ばせばさらなる展望が開けるので、是非とも根菅岳を目標に登りたいものである。
 南峰で紅葉の山頂を振り返った後は、下りに専念することになった。
 高下岳から下山して、まずは温泉入浴のために沢内バーデンを目指した。汗を流してさっぱりした後、三日目の山を決めることになった。連休最終日とあって、新潟への帰りの際の道路混雑を考える必要があった。日本海側なら鶴岡、中央ルートなら山形あたりまで戻っておく必要がある。蔵王は最近も登っているので、二口山塊の山を考えることにした。疲れも出てきたので、簡単な山ということで、面白高原から南面白山を登ることにした。南面白山は、面白山からの環状縦走で歩いているが、この山だけを目標にしたことはない。
 横手から新庄を経由して山形までは、有料道路の一部開放もあって、以前よりも時間が短くなっている。天童から山寺に向かった。山寺の門前町を通り過ぎると、そこから先は沢沿いの細い道が続く。ガードレールが無いところもあるので、気が抜けない。途中で、翌日の帰りが気になってきた。ドライブに慣れない観光客が入り込むと、車のすれ違いに苦労することは必至である。他の山に変更するか迷ったが、時間も遅くなっていたので、予定通りということにした。
 面白高原に到着すると、民宿や駅の明かりが煌々と光っていた。寝る場所を探して先に進むと、北面白山の登山口を過ぎて、さらに舗装道路が続いていた。この道はどこに続いているのだろうと先に進んでいくと、天童高原スキー場に通じていることが判った。天童スキー場は、以前にも訪れたことがあるが、良い道が整備されていた。面白山高原へのアクセス道としては、天童高原スキー場経由で入るのが正解であることが判った。翌日の帰りの心配が無くなって、安心することができた。林道途中の空き地で夜を過ごした。
 朝になって面白山高原に戻り、トイレ脇のスペースに車を停めた。まずは、スキー場への車道歩きになった。急な坂を登っていくと、盛りを過ぎたコスモス畑が広がるゲレンデに到着した。ゲレンデの中央をまっすぐ登っていくと、前方に南面白山の山頂が迫ってきた。ゲレンデは左手の小ピークの上に続いているが、ゲレンデの途中から左の山道に入った。ブナ林の中の登りで気持ちが良いと思ったのも僅かで、再びゲレンデに出た。ゲレンデ最上部から続く初心者用迂回コースのようで、左の方から巻きながら、ゲレンデ最上部に近づいていった。ゲレンデ上までは1時間かかり、後で南面白山へのコースタイムを確認すると、ここが中間点であった。
 ゲレンデ上部からブナ林の広がる尾根に乗った。戻る方向に幅広尾根を進んでいくと、山頂に続く急斜面が迫ってきた。右へのトラバース道が始まった。岩が露出して歩き難い道を進むと、ガレた涸れ沢の登りが始まった。急斜面の登りが続き、足にも疲労が出てきた。涸れ沢を抜けだしてブナ林の中に出ても、急登は続いた。結局、この急登は南面白山の山頂まで続いた。
 南面白山の山頂は、小広場になっており、大東岳が大きな山体を見せていた。小東岳への稜線も一望でき、歩いている登山者も見えていた。小東岳方面にも気が引かれたが、予定通りに権現様峠に向かった。  笹原の中の刈り払い道を下っていくと、周囲にブナ林が広がった。黄色く色づいており、足がしばしば止まった。大東岳の山腹を巻く道がしばらく続いたが、周辺のブナ林は見事であった。
 権現様峠に出ると下降が始まった。幅広尾根を下っていくと細尾根の下りになり、沢に下り立った。沢の右岸に沿って下っていくと、左の沢に下り立ち、沢を渡った後は、足場の悪いトラバース道が続くようになった。この付近の道は、地形図に記されている破線と大きく違っているので、崩壊地のう回路として設けられた道なのかもしれない。
 足元に注意が必要なトラバースが長く続き、いさかかうんざりしてきた。再び沢を越すと右下に富神滝が現れた。その先で、広河原の大黒淵に出た。沢の水量もあったが、飛び石伝いに越すことができた。ここの渡渉は、増水していると危険である。
 その先もトラバース道が続いた。奥新川峠からの道が合わさると、その先の道は良くなって歩きやすくなった。沢を越す所にも、コンクリート橋や吊り橋が掛けられていた。
 登山口が近くなると、沢に入り込んだ人声が聞こえるようになった。面白高原の駐車場は、芋煮の準備をして歩き出す観光客で賑わっていた。
 下山時間も早かったため、新潟までは渋滞にも会わず、快調に戻ることができた。

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