鳥海山、子安岳、高松岳、山伏岳、名号峰、熊野岳

鳥海山
子安岳、高松岳、山伏岳
名号峰、熊野岳


【日時】 2011年7月16日(金)〜18日(月) 前夜発3泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 16日:晴 17日:晴 18日:晴

【山域】 鳥海山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 七高山・しちこうざん・2229.2m・一等三角点補点・山形県
【コース】 滝ノ小屋コースより千畳ヶ原周遊
【地形図 20万/5万/2.5万】 新庄/鳥海山、大沢口/鳥海山、湯ノ台
【ガイド】 アルペンガイド「鳥海・飯豊・朝日」(山と渓谷社)、山と高原地図「鳥海山、月山」(昭文社)
【温泉】 鳥海山荘 500円

【山域】 栗駒・神室山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 小安岳・おやすだけ・1292.0m・三等三角点・秋田県
 高松岳・たかまつだけ・1348m・なし・秋田県
 山伏岳・やまぶしだけ・1315.0m・二等三角点・秋田県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新庄/秋ノ宮/秋ノ宮、桂沢
【ガイド】 新・分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「栗駒・早池峰」(昭文社)
【温泉】 泥湯温泉・奥山旅館 500円

【山域】 蔵王山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 刈田岳・かっただけ・1758.0m・三等三角点・宮城県
 熊野岳・くまのだけ・1840.5m・二等三角点・山形県
 名号峰・みょうごうほう・1490.9m・三等三角点・宮城県
【コース】 刈田岳登山リフト登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/上山/蔵王山
【ガイド】 山と高原地図「蔵王・面白山・船形山」(昭文社)

【時間記録】
7月16日(金) 13:00 新潟=(R.7、酒田、R.344、八幡、湯ノ台 経由)=19:30 滝ン小屋登山口  (車中泊)
7月17日(土) 4:20 滝ノ小屋登山口―4:40 滝ノ小屋―5:35 河原宿―7:27 伏拝岳―8:07 七高山―9:03 伏拝岳―10:03 七五三掛―10:03 御田ヶ原分岐〜10:53 発―11:57 千畳ヶ原―13:04 月山森分岐―13:37 河原宿―14:20 滝ノ小屋―14:38 滝ノ小屋登山口=(湯ノ台、R.344、金山、R.13、雄勝、R.108、小杉山 経由)=19:00 山伏山登山口  (車中泊)
7月18日(日) 5:25 山伏山登山口―5:33 遊歩道入口〜5:50 発―16:02 泥湯登山口―6:27 新湯―7:44 水場〜7:50 発―7:53 稜線分岐―8:01 子安岳〜8:08 発―8:14 稜線分岐―8:30 石神山分岐―9:22 高松岳〜9:32 発―10:48 山伏岳―(11:05〜11:20 昼食)―12:15 山伏岳=(泥湯、須川、R.13、山形、蔵王エコーライン 経由)=18:00 刈田岳登山リフト登山口  (車中泊)
7月19日(月) 4:48 刈田岳登山リフト登山口―5:13 刈田岳―5:50 避難小屋―6:56 追分―9:17 名号峰〜7:22 発―7:38 追分―8:45 避難小屋〜8:59 発―9:15 熊野岳―10:02 刈田岳登山リフト登山口=(蔵王エコーライン、R.13、赤湯、R.113、越後大島、R.290、新発田、R.7 経由)=13:30 新潟
 鳥海山は、日本海にその裾野を洗う成層火山であり、秀麗な山容から出羽富士あるいは秋田富士と呼ばれている。北関東・東北では燧ヶ岳に次ぐ標高を持ち、山頂部は複式火山特有の変化に富んだ地形になり、花の山としても名高い。

 高松岳は、栗駒山と神室山地の間に位置し、小安岳や山伏岳と共に一つの山塊を形作っている。高松岳への登山コースとしては、虎毛山への縦走路をはじめ、幾つかのコースがあるが、ひなびた湯治場の雰囲気の残る泥油から三山を周遊するコースが開かれている。
 蔵王連峰の最高峰である熊野岳は、信仰の対象の山としての歴史も有しており、蔵王連峰の主峰になっている。熊野岳の南に隣り合う刈田岳には、蔵王エコーラインが通じて、噴火口が山上湖となった御釜見物の観光客で賑わいを見せている。名号峰は、熊野岳から雁戸山を経て笹谷峠に至る縦走路の途中にあるピークである。

 今年の海の日がらみの三連休は、梅雨明けになったのは良いが、猛暑が続いている。混雑を避けることのできる山を考えていくと、東北方面に気が引かれて、結局、鳥海山から蔵王へと回遊することにした。

 高速の無料化実験と1000円上限が終わって、高速に乗るのが以前よりも高いものに思われるようになったが、新潟から鶴岡方面は、一般道だけでも順調に走ることができる。湯ノ台への道もお馴染みになっている。登山口の駐車場に到着すると、五台ほどの車が停められていたが、山中泊りの登山者のもののようであった。この駐車場では、夜中に到着する車に眠りが妨げられるので、一段下の駐車場で夜を過ごした。
 夜明けとともに登山口の駐車場に移動したが、2004年7月24日に登った時は大混雑になっていたものが、三分の一ほどが埋まっている状態であった。今年は、震災の影響か、遠方からの団体が少ないようである。
 このコースは途中で雪渓歩きがあるため軽アイゼンを持ち、猛暑に備えて水も1リットル持ったため、荷物は重たくなった。青空が広がり、暑い日になりそうであった。
 滝ノ小屋コースの歩き初めは、石が並べられた登山道で緩やかな登りが続く。沢を渡ると滝ノ小屋に到着する。その先で沢を飛び石伝いに渡ると、残雪が現れた。残雪の表面はつるつるで滑りやすくなっていた。傾斜は緩いので、そのまま登ることができた。その先で、八丁坂の登りが始まる。第一関門といってよい踏ん張り所になる。振り返ると、低山が濃淡を見せながら重なり、その向こうには月山が大きな山体を横に広げていた。日本海の海岸線も見下ろすことができた。何度か、登りの途中汗をぬぐうついでに、背後の眺めを楽しんだ。八丁坂は、途中で傾斜が変わるためか、急登はそこまでと思うと、その先があるということを繰り返した。
 傾斜が緩やかになると、右手に水量の多い沢が流れるようになり、じきに河原宿に到着する。この日は、小屋の周囲で休む登山者も見当たらない状態であった。
 チングルマのお花畑の中を抜けていくと、心字雪渓の末端に到着した。雪はまだ堅く締まっていたが、最初は傾斜も緩やかでスプーンカットを利用して歩くことができ、少し傾斜がきつくなったところで、左手の草付きの踏み跡に逃げることができた。ひと登りした所で、雪渓の右手に移動し、夏道を辿った後に雪渓を横断することを繰り返した。途中、山頂泊りの登山者とも数組すれ違った。雪渓の上に立つのは、傾斜の緩くなったところだけであったので、軽アイゼンは使わずに済んだ。もっとも、このコースを歩くには、安全のために使わずとも軽アイゼンを携行する必要がある。
 雪渓から分かれると、薊坂と呼ばれる急斜面の登りになった。ここが、一番苦しい登りになる。外輪山上に出ると、ほっとした気持ちになった。外輪山上の登山道は、登山者で賑わうところなのだが、誰もおらず、静かな山歩きを楽しむことができた。
 風が強くなって涼しくなったため、山シャツを着ることになった。さすがに、東北一の標高だけのことはある。
 今回は、花の写真を撮りながらのんびり歩きたく、新山は省略することにして、七高山を目指した。
 外輪山沿いからは新山と御室小屋の眺めが広がるが、歩いていくうちにその姿は変わっていった。チョウカイフスマも現れたが、花の写真は後回しにして、とりあえず七高山に向かった。
 七高山の山頂には、単独行がいるだけで、いつもと異なり、静まり返っていた。山頂で風景を眺めた後に、花の写真を撮りながら来た道を引き返した。鳥海山は、花の多い山であるが、外輪山沿いでは、チョウカイフスマやイワブクロが特に注目すべき花で、下るにつれてヨツバシオガマやハクサンフウロといった草原性の花が増えていった。
 花を撮影しながらのんびり下っていくと、気温も上がってTシャツだけになって歩くことになった。登ってくる登山者にも多くすれ違うようになった。
 七五三掛を過ぎた御苗代付近では残雪が消えた後の草付きがハクサンイチゲで白く染まり、その先の草原では、ニッコウキスゲやチョウカイアザミが現れた。御田ヶ原分岐の先で、腰を下ろして昼食にした。下山にはまだかなり時間がかかるので、ビールを飲んだ。草原の向こうに頭を持ち上げる鳥海山の眺めが美しかった。
 千畳ヶ原に進む前に鳥海湖を眺めていくことにした。分岐からひと登りすると、残雪を映しこんだ青い湖面の眺めが広がった。
 分岐からの下りでは、夏道は階段状に整備されているが、残雪に覆われて、通過が難しい状態であったので、脇のガレ場を辿った。沢を横断して進むと、木道の敷かれた千畳ヶ原に出た。ここは、訪れるもののない静かな湿原である。太陽の日差しがきびしく感じられるようになって、帽子をかぶることになった。ビールのせいもあるのか、喉が渇くようになり、沢水を飲んで元気を取り戻した。
 千畳ヶ原を横断した先は、岩の転がる涸れ沢の登りになる。傾斜も急であるため、体力を消耗した。ここでビールの酔いが一気に回ったのかもしれない。ようやく急斜面を登り終えると、その先は、再び湿原の中の歩きになった。
 河原宿小屋に戻り、鳥海山の山頂を振り返ると、雪渓の上を多くの登山者が歩いているのが見えた。三連休ということで、山頂の小屋で泊まる登山者も多いようであった。
 ここからの下山では、八丁坂の下りをもうひと頑張りする必要がある。暑さもきつく感じられて、辛い下りになった。今回、新山の山頂を省略したのは正解であった。
 登山口に戻ると、駐車場はほぼ満杯の状態であったが、以前は、路上駐車の列が続いていたので、例年に比べれば、登山者は少なめといって良い。
 翌日の山は、虎毛山として湯沢に向かった。虎毛山は、高松岳からの縦走の終点として登っているが、単独の往復はしていない。一般的な往復登山をして、山の印象を確かめたと思った。湯沢で食料を買い込んでからR.108に進むんだ。秋の宮温泉郷を過ぎた先で、林道に進むと、虎毛山の登山口に到着となるが、6月の豪雨による土砂崩れによって、登山道は通行不能で閉鎖中とあった。
 代わりの山に頭を悩ますことになった。神室山にも気が引かれたが、鳥海山での暑さが堪えており、昼までに下山できるくらいの山が良かった。結局、以前にも歩いたことのある、子安岳から高松岳、山伏岳を回る周回コースを歩くことにした。
 秋の宮温泉郷に戻り、泥湯に通じる林道に進んだ。この林道は観光道路になって舗装されており、大型車のすれ違いはできないが、一般車の通行に支障はない。
 河原毛地獄の手前が山伏岳の登山口になる。先回は河原毛地獄の駐車場で夜を過ごしたが、硫黄の臭いが漂ってくるので、山伏岳の駐車場で夜を過ごした。
山伏山登山口から泥湯へ向かうが、すぐ先が河原毛地獄である。硫黄の臭いが漂い、遊歩道は入口付近から先は立ち入り禁止になっていた。
 河原毛地獄の駐車場が最高点で、その先は下りになる。車道を下っていくと、遊歩道入口という標識が現れた。地図を良く確認しないで、この道に進んだ。道型はしっかりしているものの、草が倒れこんでいる所も現れた。枝尾根の上に出ると、トラバース道になった。展望が開けて、沢の左岸尾根にいることが判った。子安岳へは、右岸沿いに登るはずで、間違った道に進んでいることが判って、車道に引き返すことになった。
 車道の日向では、早くも暑さが堪えるようになってきた。この日の歩きは、暑さ対策が必要になりそうであった。
 車道は、泥湯に向かって大きく下っていった。今回は、周回コースであるので、どちらから登ろうとアルバイト量は同じになるはずであるが、車道歩きでこの坂を登る気にはなれない。
 泥湯温泉の駐車場の脇に子安岳の登山口があった。標識もしっかりしており、普通なら迷う心配はないが、迷いこんだ遊歩道はなんだったのだろうという疑問が残る。
 登山口からは、トラバース道が続いた。以前は林道であったような幅広のところもあったが、崩壊して、山道の幅だけになっている所も現れた。登山道脇には、温泉を引いたホースが引かれており、漏れているところでは、周囲を熱気が包んでいた。
 ガレた沢に出ると、その上流部には湯気が上がっており、ここが新湯のようであった。 さらにトラバース道は続き、暑さで体がほてってきた。この先の登山道は、帰宅後にGPSのログを確かめると、地図の破線よりも下方を通っていた。
 子安岳から西に下りてくる尾根に突き当たると、ようやく登りの傾斜も増してきた。稜線まであと僅かと、登りを頑張ると、水場に到着した。パイプから水が流れ出ており、コップもすぐに一杯になった。一気に数杯の水を飲んだ。水は1L持ってきていたので、足りたはずではあるが、暑い日には、残りを気にしながら飲むよりは、思い切り飲むことができるのはありがたい。
 水場からは、ひと登りで稜線上の分岐に出た。ここは左折して子安岳に向かった。それほどの登りもなく、子安岳の山頂に到着した。三角点は、さらに進んだ先にあるようであったが、山頂から先は藪であった。
 子安岳の山頂からは、高松岳から山伏岳に至る稜線を一望することができた。昨日登ったばかりの鳥海山も青空に浮かんでいた。高松岳に至る登山道を目で追って、どれほどの体力が必要かを想像した。
 分岐から高松岳へは、しばらくはほぼ平坦な道が続いた。石神山への分岐には標識が置かれていたものの、登山道らしきものは無くなっていた。
 登山道の方向が西に向きを変えると、登りが始まった。1310mピークが山頂のように見えたが、高松山の山頂はまだ先であった。避難小屋を眺めながら、山頂への距離を縮めていった。
 最後の急登を終えて避難小屋の前に出ると、高松岳山頂へは300mという標識が置かれていた。山頂到着と思っただけにいささかがっかりして灌木帯の中の道を南に下っていくと、高松岳の山頂に到着した。結局、高松岳の山頂は、虎毛岳への縦走路と湯ノ俣温泉からの登山道の合流点であった。高松岳の山頂は、避難小屋のある最高点と異なっているので注意が必要である。
 高松岳の山頂からは、虎毛岳に至る縦走路を目で追うことができ、以前歩いた時の山行が思い出された。昼食には少し早いので、ひと休みで山伏岳に向かった。
 高松岳からは、急な下りになった。高松岳へは、子安岳方面からの方が登りやすい。途中、1261mピークを越した後に山伏岳への登りになった。
 山伏岳に到着した時は、日差しがきつく、日向で休める状態ではなくなっていた。高松岳方面の歩いてきた稜線を目で追った後に、下りを開始した。少し下った樹林帯に入ったところで、昼食にすることにした。
 山伏岳からの登山道は、良く整備されており、歩きやすい道であったが、結局、この日の登山者は他にいなかったようである。
 泥湯に移動して、登山の汗を流した。内湯にも露天風呂が付属しており、さらに通りの向かいに露天風呂が設けられていた。各浴槽は、源泉が違うようで、色や臭いが違っており、それぞれ入ったため、湯疲れしてしまった。
 三日目の山は、家に近い山ということで、蔵王を歩くことにした。
 湯沢から山形に抜ける東北地方の中央縦貫路は、高速道が部分的に造られて、以前よりも時間が短縮されている。しかも無料開放がうれしい。それでも、山形に到着した時は、車の運転に疲れていた。夕暮れ時とあって、蔵王エコーラインの下り車線は、車の列が続いていた。
 刈田岳リフト乗り場の大駐車場で夜を過ごした。日が沈むと、気温も下がってきて過ごし易くなった。
 翌朝は、山が混む前にということで、朝の早いうちに出発した。リフト沿いの登山道をひと登りすると、刈田岳の山頂のすぐ下に到着する。ひとまず、刈田岳の山頂を踏んでいくことにした。山頂部をガスが流れていたが、日が昇れば、晴れてくるはずであった。階段を登って刈田岳の山頂を踏んだ。御釜がガスの間から見え隠れしていた。
 馬の背を避難小屋に向かった。ザレた登山道を登っていくと、避難小屋の前に出た。避難小屋の周辺で、この日の目的のコマクサを見ることができた。
 この日は、名号峰まで足を延ばすつもりであった。昨年の9月にも名号峰までと思ったものの、天気が悪く、熊野岳を登っただけで下山してしまった。
 コマクサ見物の踏み跡に惑わされて、ロバの耳方面の登山道に進んでしまった。少し下った所で気がつき引き返したが、この方面からの御釜は見たことがなかったので、無駄ではなかった。
 避難小屋から名号峰方面にひと下りしたところは、一面のコマクサのお花畑になっていた。ロープで立ち入り禁止になっていたが、ロープ際にも沢山咲いており、花の写真を撮りやすい状態であった。蔵王をコマクサの季節に登ったの初めてであったが、簡単に登れる山でこれだけのお花畑があるのは驚きであった。
 お花畑が広がる台地の終点からは、急な下りが始まった。目印の木の柱が立てられているものの、大岩が転がっているため、登山道が判りにくくなっていた。眼下に名号峰を眺めることができたが、距離があった。
 傾斜が緩むと、灌木に囲まれた道になった。見通しの利かない道を進むと、岩が点在する砂地の広場に出た。ここが自然園のようであった。自然園という名前から、お花畑かと思っていたのだが、雲の平の日本庭園のように、ハイ松帯の中に庭園風の風景が広がっていることからの名前であった。振り返ると、熊野岳方面からかなり下ってきていた。
 自然園からは、ひと下りで、かもしか温泉跡からの登山道が合わさる追分に出た。名号峰へは、この登山道を辿るのがメインルートのようであるが、登山口のエコーライン上の賽の磧からは、谷を渡ってくるため、時間もかかるようである。今回は、コマクサの花も見たので、熊野岳から往復するという変則的なコースとりになっている。
 追分からは、ピークを一つ巻いてからもうひと登りすると、名号峰に到着した。岩が露出した名号峰からは、北蔵王縦走路の続く先の雁戸山を良く眺めることができた。縦走路をつなげたいものである。南蔵王の屏風岳や後烏帽子岳も良く見えていた。振り返ると、遠ざかった熊野岳へは、今度は登りを頑張る必要があった。
 青空が広がって、気温も上がり、最後の急坂は辛い登りになった。コマクサの花の写真を撮った後に、熊野岳の山頂を踏んだ後に、下山に移った。名号峰では誰にも会わなかったが、熊野岳からは、観光客と登山者で賑わっていた。

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