三田原山、粟立山、大毛無山

三田原山
粟立山、大毛無山


【日時】 2011年5月14日(金)〜16日 前夜発2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 15日:晴 16日:晴

【山域】 妙高連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
三田原山・みたはらやま・2330m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/妙高山
【コース】 笹ヶ峰より
【ガイド】 なし
【温泉】 杉野沢温泉 苗名の湯 450円

【山域】 矢代山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 粟立山・あわだちやま・なし・1194m・なし・新潟県
 大毛無山・おおけなしやま・1429.0m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山、高田西部/関山・重倉山
【コース】 旧アライマウントスキー場より
【ガイド】 なし

【時間記録】
5月14日(金) 21:30 新潟=(北陸自動車道、上信越自動車道、妙高高原IC、杉野沢 経由)
5月15日(土) =1:00 笹ヶ峰 (車中泊)
6:17 笹ヶ峰―9:26 三田原山〜10:05 発―12:02 笹ヶ峰=(杉野沢、いもり池、R.18、道の駅あらい 経由)=15:00 御備川沿いの林道途中 (車中泊)
5月16日(日) 5:53 御備川沿いの林道途中―山麓第二リフト終点―小毛無第一リフト終点―8:25 膳棚第一リフト終点―8:56 粟立峠―9:30 粟立山〜9:48 発―10:13 粟立峠―11:00 膳棚第一リフト終点 ―11:36 大毛無山〜12:00 発―12:30 小毛無第一リフト―12:58 山麓第二リフト終点―13:30 御備川沿いの林道途中=(中郷IC、上信越自動車道、北陸自動車道 経由)=16:00 新潟
 三田原山は、前山、赤倉山、大倉山、神奈山と並ぶ、妙高山を取り囲む外輪山の一ピークである。妙高国際スキー場のリフトが、上部に延びてアプローチしやすくなったため、山スキーによる登山が盛んであるが、残雪期にこの山を目指す登山者は少ない。

 大毛無山は、上越市の高田の西に広がる南葉山塊と妙高山塊に挟まれた矢代山塊にある山である。大毛無山から南西に延びる尾根は、不動山、容雅山を経て火打山に続いている。大毛無山周辺は豪雪地で、遅くまで雪が残るため、東斜面には「ARAI・マウンテンANDスノーパーク」というスキー場が設けられていたが、現在では休業している。粟立山は、大毛無山の北に隣り合う山である。

 週末の二日間、晴天が巡ってくるというので、残雪の山を考えた。結局、妙高連峰の三田原山と新井の大毛無山を目指すことにした。
 時間調整をして、高速を土曜になってから下り、笹ヶ峰まで上がったところで夜を明かした。
 周囲が暗いためはっきりしたことが判らなかったが、笹ヶ峰近くから道路脇に残雪が現れてきていた。五月も半ばであるが、今年は大雪であったため、残雪もまだ豊富だろうという期待での計画である。
 三田原山は、2003年5月11日に登っているが、その時の取りつきは涸沢からであった。涸沢を探しながら車を走らせたが、京大ヒュッテまで行ってから引き返すことになった。涸沢は、暗渠があるようで、道路の南の下流方向だけ水が流れているので注意が必要である。あらかじめ入力しておいたGPSのルート表示で現在地を確認した。牧場側に入り込む空地に車を停めた。
 晴天の朝になり、三田原山付近の稜線が青空に浮かんでいた。
 歩きはじめは、島状の残雪を辿るようになった。小枝を避ける必要はあったが、ヤブコギという程のことはなかった。右手に水音が聞こえるようになったのでのぞくと、涸沢は深く落ち込み滝もかかっていた。
 右手に涸沢を見下ろしながら歩いていくと、沢の二又を過ぎたところで、雪に埋もれた涸沢に自然に下り立つことができた。この先の尾根通しは藪が出ているところもあるようなので、沢沿いに登るのが正解である。下山時に気が付いたことだが、木にペンキで矢印が書かれており、沢沿いから尾根に上がるように指示されていた。山スキーヤーへの注意のようである。
 雪に埋まった涸沢に出ると、後はひたすらの残雪歩きが続く。この先の雪に埋もれた涸沢には、滝のような難所はない。沢は次第に左に方向を変えていき、1670m標高付近で沢から別れて幅広尾根に出た。
 この先は、1976m点を経て2347m小ピークの北側の鞍部を目指すのだが、コースは、最初は右にカーブするように続き、最後は左に向きを変えるので、特徴の無い地形でコース取りは難しい。逆にいうと、GPSの利用価値の高いコースなので、GPSの練習を兼ねて歩くには良い。
 沢から出た台地は細い白樺が並んでいるが、そのうちに太い針葉樹やダケカンバが点在する広大な雪原の登りに変わる。雪が締まって足元が滑りやすくなってきたので、アイゼンを装着した。今回は、ピッケルは持たず、二本ストックだけにした。
 傾斜も増してきて、息が切れるようになった。背後に広がる乙見湖や高妻山の眺めの写真撮影を口実に足を停めて、息を整えた。このコースは、ひたすらに雪原を登るのが醍醐味である。
 2347m小ピークが近づくと、笹原が出てきたが、これを左に避けながら登っていくと、ピークの北側の鞍部に到着する。前回は、2347m小ピーク付近で藪と不安定な残雪に苦労したが、今回は先回の経験のおかげで苦労を免れることができた。
 三田原山の山頂までの最後の登りは、尾根の右手に続く雪堤を辿ることになった。クレパスも開き始めていたが、辿るのには支障はなかった。
 三田原山の山頂は、前後に長く、火打山方面は木立が現れており、目の前の妙高山は、雪庇の崩落が怖く、頭しか眺めることができない。
 北の落ち口まで進むと、焼山から火打山にかけての遮るものの無い展望が広がった。火打山方面は、山スキーヤーで大盛況であろうが、三田原山は、貸し切りの山頂であった。下から見上げれば雪庇の様子も判るので、注意して雪庇の縁まで近寄って妙高山の眺めを楽しんだ。岩の一つずつが手に取る近さに見える。手を振れば見える距離であるが、この季節に妙高山に登る者はいない。
 先回も思ったのだが、三田原山からは、黒沢池方面に下るのも面白いかもしれない。今後の課題である。  帰りは一気の下りになる。雪が中途半端に固く、アイゼンを履いた状態では一歩ずつ停めるので、体力を消耗した。傾斜が緩んだところでアイゼンを外した。
 時折GPSを確認し、登りの時と同じコースを辿った。
 翌日は大毛無山を予定していたが、時間も早かったので、温泉に入った後、いもり池に寄り道した。水芭蕉は盛りを過ぎていたが、池の周りは、大勢が絵を描いていた。なかなかうまい絵もあるが、山腹に刻まれたスキー場は、無視されて描かれているのが興味深い。
 新井の道の駅にあるすきやで食事し、近くのコンビニで食料を買い込んでからアライマウントスキー場に向かった。このスキー場は、現在は営業中止の状態だが、五月の連休過ぎまでという長い営業期間を売りにしていた。確かに大毛無山の山頂部は、妙高連峰に負けないほどの雪が残されていた。スキー場が営業中だと、その中を歩いて登るわけにはいかないが、休業中ならゲレンデの中を歩けるはずである。
 まずスキー場付属のホテルを目指したが、入口で関係者以外立ち入り禁止となっていた。一旦戻って、北側の山裾を走る車道を辿ると、ホテルの脇をかすめて、御備川沿いを走るようになった。川から離れて高度を上げて大きくカーブするとその先で雪のために先に進めない状態になった。先をうかがうと、谷奥にゴンドラの中間駅が見えていた。ここから歩き出せば、大毛無山登山には問題はなさそうであった。
 一旦戻り、御備川沿いにあった広い駐車場で夜を過ごした。翌朝起きて身支度をしていると、山菜取りなのか、車が上がっていくのが見えた。この林道は、山菜取りの利用が多いようである。
 スキー場のゲレンデ登りは、地図を見ただけでは把握が難しい。地図にはリフトは出ていても滑降コースまでは記載されていない。営業中止になったスキー場であるが、幸い、ネット上にゲレンデ案内が残されていたのが役に立った。ゲレンデ歩きには、初心者コースが向いており、中級車向きもなんとか歩けるが、上級者向きは急すぎて適さない。御備川沿いの林道は、膳棚沢右岸のリフト終点まで続いており、これが初心者用の滑降コースになっているようである。その先は、地図には記載されていないが、山頂部からの中級コースが続いているはずである。
 残雪による通行止めまで車で進んでから歩き始めた。ここの残雪は、無理をすれば通過できそうであったが、その先にも本格的な残雪があり、無理をする必要はなかった。ゴンドラの中間駅まではそう遠くはなかったが、その先の左手の尾根上に見えるリフトの山頂駅までは谷を巻いていく道が長々と続いていた。途中からは、林道も雪に覆われて、残雪歩きに変わった。
 尾根上の山麓第二リフト終点の先は、林道は尾根下を巻いて迂回していたが、尾根通しのコースがあったので、こちらを歩いた。一部、枯草が露出していた。再び林道と合わさると、膳棚沢に向かうトラバース道になった。小毛無第一リフト終点で林道は終わり、はっきりしているのは、ここまで。山頂方向をうかがうと、スキーコースが続いていた。ひと登りすると、膳棚沢が二又になって、その中間尾根に滑降コースが続いていた。ここは狭い急斜面で、初心者では苦労しそうであった。幸い、雪も柔らかめのため、足を滑らすこともなく、つぼ足で充分であった。
 この急斜面を登ると、一面の雪原が広がるようになった。最初、正面が大毛無山の山頂かと思ったが、これは手前の小ピークで、山頂はその背後に隠されていた。どこでも滑降自由といった雪原で、膳棚第一リフト終点への滑降コースは判らなくなった。とりあえずトラバース気味に登って、稜線上に出た。稜線は、幅広の雪稜になっていた。
 ここで、決断が必要になった。今回の山行では、あわよくば、大毛無山の北に隣り合う粟立山を登ろうということで、GPSのルートも入力してきていた。  藤島玄氏の「越後の山旅」では、粟立山に登山道が切りひられたことが記載されている。しかしながら、1998年9月15日に大毛無山に登った際に様子をうかがったところ、峠付近からの登山道は見当たらなかった。粟立山への登山層は廃道になっているようで、そうなると残雪期に登るのが良い方法ということになる。時間にも余裕があるので、粟立山まで足を延ばすことにした。大毛無山の下山は、斜面をそのまま下って近道ができる可能性があるので、先に粟立山に向かった。
 幅広の雪稜を少し下ると、膳棚第一リフト終点となり、その先で、粟立山も目に飛び込んできた。かなり低く、距離もあったが、頑張ればなんとかなりそうであった。雪原を快調に下っていくと、尾根がは左に曲がり、急斜面になった。幸い、階段状に整備された夏道が現れていた。カタクリが満開で登山道を埋め尽くしており、踏まないと通れない状態であった。白花のカタクリも見つけることができ、思わぬプレゼントになった。峠間近で急斜面となり、藪との境界部で木の枝を足掛かりにして下った。
 粟立峠部は大きな切り通しになっており、雪の消えた泥斜面になっていた。峠の西側に回り込んでみると、灌木の間を登れそうであった。ここから取りついて尾根上に出て藪を抜けると、雪堤の上に出た。この雪堤は、遠くからも白いベルト状に見えていたが、粟立山の山頂まで続いていた。山頂までは順調かと思ったものの、小さなアップダウンや、短いが急な斜面も現れて、気をゆるめることはできなかった。林道がすぐ下を走っているはずであったが、一面の雪原が広がるのが見えるだけであった。
 小ピークを越えると、最後の登りになった。粟立山の山頂は、地図を見ると尾根の分岐とされているが、到着してみると藪に囲まれてぱっとしない山頂であった。目の前の小ピークの方が山頂らしく盛り上がって、しかも標高1200mで少し高い。大毛無山方面から見ても、山頂らしく見えたのは、この先のピークであった。後で後悔しないために、先のピークへ進んだ。雪原をひと登りすると、小ピークの上に出た。このピークの上からは、南葉山方面や大毛無山方面の眺めが広がっていた。山の形からいっても粟立山という名前にはこちらがふさわしい。なお、帰宅後に「越後の山旅」を読み返すと、粟立山の山頂は、1194mとされていた。ともあれ、未踏の山を一山手に入れたことはうれしい。
 帰りは、切り通し部を藪掴みで下りるのを避けるため、手前で雪原に向かって急斜面を下った。峠からの登り返しは辛く感じられるようになってきた。日差しもきつく、木立の中に通じている夏道に出て、木陰で一息ついた。
 ゲレンデ最上部に戻り、大毛無山の前ピークへの登りに取り掛かった。頂上はすぐ上に見えるのだが、なかなか近づいてこなかった。
 前ピークに出ると、大毛無山への最後の登りが目に入ってきた。手前の高まりに藪が出ていたため、神葉沢の源頭部をトラバースすることになった。幸い傾斜もゆるく滑落の心配はなかった。尾根の突き上げ部は雪庇が落ちた後の急斜面になっていたため、右から回り込むように登った。
 大毛無山の山頂は、三角点の周りだけが雪が融けて三角点が現れていた。山頂は雪原となり、妙高山から火打山、焼山、金山に至るパノラマが広がっていた。昨日登った三田原山も見分けることができた。妙高連峰と比べると、大毛無山は、標高こそ劣るが、雪の量では負けないのは不思議である。展望を楽しみながら、ここでようやく大休止になった。先に粟立山を登ったのは正解であった。もし、この展望が先に目に入ったら、満足してここでゆっくりとしてしまったことであろう。
 下山は、雪の堅さもほどほどに柔らかく、少々の急斜面も問題なく下れるので、一気の下山になった。ゴンドラ中間駅を見下ろすようになると、スノーモービルが走り去るのが見えた。車で林道を強引に上がってきて、スノーモービルで遊んでいるようであった。群馬ナンバーのよそ者であった。林道部分だけを走って、山頂部まで上がって来なかったのは幸いであった。
 林道を下っていくと、路肩の雪解け部にフキノトウが顔を出すようになって、家へのお土産に取りながら歩いた。
 大毛無山は、残雪期には素晴らしい展望が楽しめることが判り、お気に入りの山のリストの仲間入りになった。

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