房住山、大潟富士、男鹿三山、寒風山、東光山、笹森山、稲倉岳

房住山、大潟富士
男鹿三山、寒風山
東光山、笹森山
稲倉岳


【日時】 2011年4月30日(土)〜5月4日(水) 前夜発4泊4日
【メンバー】 単独行
【天候】 1日:雨、2日:曇り 3日:晴 4日:晴後曇り

【山域】 出羽丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 房住山・ぼうじゅうざん・409.2m・二等三角点・秋田県
【地形図 20万/5万/2.5万】 弘前/森岳/小又口
【コース】 井戸下田林道登山口
【ガイド】 新・秋田県の山(山と渓谷社)
【温泉】 森岳町民保養センターゆうぱる 300円

【山域】 男鹿半島
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 男鹿三山・おがさんざん
  真山・しんざん・567m・なし・秋田県
  本山・ほんざん・715.2m・一等三角点補点・秋田県
  毛無山・けなしやま・677m・なし・秋田県
【地形図 20万/5万/2.5万】 男鹿/船川/船川
【コース】 真山神社より往復
【ガイド】 新・秋田県の山(山と渓谷社)
【温泉】 温浴ランドおが 300円

【山域】 笹森丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 東光山・とうこうざん・594m・なし・秋田県
 笹森山・ささもりさん・594.5m・一等三角点補点・秋田県
 仏洞山・ぶっとうさん・488m・なし・秋田県
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/本庄/岩野目沢、新沢
【コース】 二タ又集落より
【ガイド】 新・秋田県の山(山と渓谷社)
【温泉】 総合交流ターミナルぽぽろっこ 400円

【山域】 鳥海山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 稲倉岳・いなくらだけ・1554.2m・なし・山形県
【地形図 20万/5万/2.5万】 酒田、新庄/吹浦、鳥海山/小砂川、鳥海山
【コース】 七曲より
【ガイド】 なし

【時間記録】
4月30日(土) 20:30 新潟=(日本海東北自動車道、朝日まほろばIC、R.7、鶴岡IC、山形自動車道、酒田みなとIC、R.7 経由)=24:00 吹浦 (車中泊)
5月1日(日) 6:30 吹浦=(R.7、両前寺仮出口、日本海東北自動車道、秋田自動車道、琴丘能代自動車道、琴丘森岳IC 経由)=9:00 林道途中〜9:18 発―9:25 房住山登山口―10:35 房住山―11:17 登山口―11:25 林道途中=(琴丘、大潟 経由)=15:30 真山神社  (車中泊)
5月2日(月) 7:15 真山神社―8:21 真山―8:57 自衛隊管理道分岐―9:20 本山―9:34 自衛隊管理道分岐―10:14 毛無山―10:33 自衛隊管理道分岐―11:07 真山〜11:23 発―12:06 真山神社=(寒風山、昭和男鹿半島IC、秋田自動車道、大内IC 二タ又 経由)=15:30 林道入口 (車中泊)
5月3日(火) 6:25 林道入口―6:36 登山口―7:03 五合目毘沙門堂―7:22 七合目―7:53 東光山―8:15 笹森山―8:37 東光山〜8:50 発―9:08 七合目―9:16 仏洞山―9:21 七合目―9:46 登山口―9:55 林道入口=(二タ又、大内IC、日本海東北自動車道、両前寺仮出口、R.7、仁賀保、奈曽ノ白滝、横岡 経由)=14:00 七曲  (車中泊)
5月4日(水) 4:55 七曲―5:48 奥の院―9:00 稲倉岳〜9:15 発―10:25 奥の院―11:02 七曲=(横岡、奈曽ノ白滝、R.7、酒田みなとIC、山形自動車道、鶴岡IC、R.7、朝日まほろばIC、日本海東北自動車道)=16:00 新潟
 房住山は、八郎潟の東の出羽丘陵北部にある山である。低山であるが、古くからの信仰の山になっており、山中には房住神社や三十三観音の石仏が置かれている。

 大潟富士は、八郎潟干拓地の中の小山で、標高0mの日本で一番低い山と地元で宣伝している。しかしながら、海抜0m以下の開拓地に土盛りをして造った山のため、日本で一番低い山は大阪の天保山(2.7m)とされている。

 八郎潟の西の縁を形作る男鹿半島の真山、本山、毛無山は、男鹿三山として古くから御山かけの信仰登山が行われてきた。現在でも、登山道は良く整備されているが、本山や毛無山の山頂部は、自衛隊のレーダー基地になって立ち入ることができない。

 日本海に面して聳える鳥海山は、広大な裾野を広げている。稲倉岳は、その北西部の山裾に頭を持ち上げるピークである。かつては御浜からの道があったが、現在では廃道になっている。稲倉岳は、山スキーの山として人気が高いが、残雪歩きでも楽しめる。

 五月連休は、道路の渋滞を避けるため、東北方面に足が向いてしまう。東北地方の震災の復興も始まったところで、東北の日本海側の山をめざすことにして、秋田に向かった。当初は、仕事のために三日間の予定であったものが、直前に五日間の休みが取れることになり、山の計画もはっきりしないまま出かけることになった。
 本命の山としては、鳥海山の稲倉岳を登りたかったが、しばらく雨が続くようで、低山めぐりで天気の回復を待つことになった。予定といっても、不確定要素が多かったが、地図を収めたコンピューターを持っていくので、山の計画はその場で考えることもできる。 日本海東北自動車道の県北までの延長と庄内に入ってからの高速の整備によって、鳥海山の麓の遊佐までの時間は短くなった。
 翌日の山も危ぶまれる激しい雨のため、とりあえず、西浜の公園の駐車場で夜を過ごした。翌朝も本降りの雨。雨の中でも登れそうな山ということで、房住山を選んだ。まず一番北まで進んでから南に戻ってくることにした。秋田県に入ったからも高速のおかげで移動は楽になった。
 琴丘森岳ICで高速を下りると、そこから房住山の入り口の井戸下田林道の入り口まではそう遠くは無い距離であった。林道入り口には大きな鳥居も立ち、房住山への信仰も厚いことが判った。林道入り口には、林道の崩壊によって通行止めという表示が掲げられていたが、登山口との関係が判らないため、ともかく進んでみることにした。
 舗装された林道を進んでいくと、ショベルカーが置かれた通行止め地点にでた。現地を地図上で確認すると、尾根を乗り越す266m点の少し手前であった。登山口までは500mほどで、歩いてもたいした距離ではないので、登山を決行することにした。
 本降りの雨のため、上下の雨具を着て、さらに傘をさして歩き出した。
 道路の幅いっぱいが崩壊していたが、側溝脇を歩くには問題なかった。舗装道路を歩いていくと、広い駐車場が設けられた房住山の登山口に到着した。
 登山道は良く整備されており、雨の日にあるくのにも問題はなかった。ただ、階段状に整備されているため、足にはかえって負担がかかった。
 尾根上に出ると、左奥に房住神社の社殿が現れた。脇道に進むと展望の開けたあずまやがあるようだが、雨のため視界も閉ざされているので、そのまま先に進んだ。
 緩やかな尾根道がしばらく続いたが、急斜面に突き当たった。台倉の坂あるいはババ落しと呼ばれる急坂である。巻き道は、崩壊部があるのか侵入禁止のロープが張られていたので、直登コースに進んだ。足元の泥斜面が雨で濡れて滑りやすくなっており、張られているロープを頼りに登ることになった。さすがに、傘は畳む必要があった。
 急坂を登り切ると、再び緩やかな尾根道に変わった。石仏も連続して現れるようになった。石仏の説明もそれぞれに書かれていたが、雨の中とあっては、いちいち写真撮影していくわけにもいかなかった。
 小ピークを乗り越していくため、房住山はなかなか到着しなかった。途中で、刈り払い道が左に分かれ、林道もすぐ下に見えていた。帰りは、この道を下るつもりになった。
 最後は緩やかな登りで、房住山の山頂に到着した。山頂は、立派な展望台が設けられており、それでほぼいっぱいになっていた。展望台が無ければ、山頂とは知らずにそのまま先に進んでしまいそうである。展望台の下に、数体の石仏と三角点が窮屈そうに置かれていた。
 展望台に上ったが、雨のため、遠望は閉ざされていた。もっとも、展望が開けても、馴染みのない山域なので、見える山の名前を上げることはできないであろう。
 登山口の案内板を見ると、山頂から直接林道に下る道もあるようなのだが、草の被った踏み跡らしきものが見られるだけであった。雨の中とあっては藪の中を通れないので、途中でみた刈り払い道を下ることにした。
 一旦来た道を戻ってから刈り払い道を下ると、大きな九十九折も僅かで、林道跡に飛び出した。尾根沿いには、水道の浄化施設のようなものが三つ見られたので、その作業道であったのかもしれない。 緩やかに下っていくと、道が左右に分かれた。電柱が並ぶ左の道に進むと、林道に飛び出した。
 後は、林道歩きで、登山口を経て車に戻ることができた。
 ともかく登山を行い、近くの温泉で汗を流した。
 翌日は男鹿三山を予定して、時間も早いので八郎潟を見物していくことにした。ここで、以前から気になっていた大潟富士を訪れることにした。
 場所を事前に調べていなかったので、まず大潟村干潟博物館をめざし、そこで無料開放の博物館を見学して、大潟富士の場所を記載されている資料を手に入れた。それによって、御幸橋のたもとにあることが判った。
 八郎潟干拓地は、オランダを思わせるような広大な耕作地が広がっていた。御幸橋に向かう道は、桜並木になっており、満開の桜と菜の花が美しい風景を見せていた。晴れていれば大混雑になるようで、交通整理の人員も立っていたが、雨のために、車の流れは順調であった。
 御幸橋を渡ると、橋のたもとに駐車場があり、小さな土盛りの大潟富士があった。傘をさして外に出たものの、豪雨の状態で、写真を撮るのもままならない状態であった。水たまりに注意しながら階段をひと登りすると、大潟富士に登頂できた。中央に三角点らしきものが埋められていたため、写真を撮ってから下山した。
 帰宅後地図を良く見ておかしなことに気が付いた。大潟富士の場所には、-3.8mの三等三角点が置かれている。これが麓の標高で、土盛りをした山頂は、富士山の1000分の1スケールの3.776mの高さを持ち、標高0mということである。山頂の標石は三角点ではなかったようであるが、雨のために良く見ないで下ってしまった。国土地理院に地図に記載を求めたが、土盛りということで断られたというが、幻の日本最低山として話のたねにはなる。
 翌日は、男鹿三山を登ることにして、真山神社に向かった。大鳥居を過ぎるとなまはげ館があり、その先に真山神社があった。なまはげ館の駐車場で夜を過ごした。雨は止んだが、車が揺れるような強風が吹いていた。
 翌朝は、風は強いものの雨は上がっていたので山に向かった。
 真山神社の社殿脇から杉林の中を登っていくと五社殿に出て、ここから山道が始まった。しばらく台地を行くと、急坂が始まった。道は階段状に良く整備されていたが、前日の雨で滑りやすくなっていた。ひと登りすると尾根沿いの緩やかな登りが続くようになった。
 日本海に面した山ということで、新潟の弥彦山塊と同じように花が多いかと期待していたのだが、エゾエンゴサクの花が見られるだけであった。カタクリの花は終わっている時期ではあるが、葉も見当たらなかった。
 ひと汗かいて真山神社の奥社が置かれた山頂に到着した。奥社は二階建てで、一階部はベンチが置かれた休憩所になっていた。本山に向かって進むと、すぐ先に真山の標識が置かれていた。ここが最高点のようであるが、奥社の位置とそれほど高さは変わっていない。
 真山からは、一旦下りになった。標高差は60mほどであるが、三山縦走ではなく引き返してくるので、登り返しがおっくうである。
 フタツアイと呼ばれる鞍部からは、本山を左に巻いていく道が続いた。山頂の反対まで巻いていくことになった。杉林の中の道は、天気のせいもあるが、余計に暗く感じられた。 本山を半周したところで、自衛隊の管理道に出て、ここからはジャリ道を歩いて山頂に向かうことになった。
 山頂部に到着したところで、管理道は、自衛隊のレーダー基地のフェンスで遮られた。フェンス沿いに踏み跡があったので進むと、壊れかかった赤神神社奥社に出た。その上あたりに一等三角点があるようであったが、フェンスのために近寄ることはできなかった。 分岐に戻って毛無山に向かった。管理道を少し進むとゲートがあり、一般車はここまで上がってこられるようである。遊歩道の入り口には、自然保護の管理小屋があり、中にスタッフがつめていた。自然保護地区で、山野草の採取禁止の看板がいくつも立てられ、遊歩道沿いにはロープが張られていた。その割には、花が見当たらなかったが。
 登山道は管理道沿いに走っていたが、毛無山の手前で左手の車道にトイレが設けられていた。その先は毛無山への最後の登りと思ったが、右手に巻いていき、ピークの反対に出たところで、そのまま下り気味になった。登山道は、毛無山の山頂を通過していないことが判って、来た道を戻った。トイレ脇から管理道を登っていくと毛無山の山頂部に出たが、ここも大きなアンテナが置かれており、フェンスで囲まれていた。三山のうち、ピークを踏むことができるのは、真山だけであるのは、少し残念であった。
 車のため縦走はできないので、来た道を戻った。天気も回復してきた。結局、山中で登山者には出会わなかった。
 近くの温泉に入った後、観光地として名前を良く聞く寒風山に向かった。寒風山は、一帯が芝地になっており、山頂部まで車道が通じていた。一段下に大駐車場が設けられていたが、雨のために車も少なかったので、山頂部のレストハウス前まで上がってから、山頂部に進んだ。広場になっており、三角点が中央の小高い部分に置かれていた。周囲には、八郎潟や日本海の眺めが広がっていた。確かに観光客向きにの展望台であった。
 翌日は東光山を登ることにして、高速に乗って一路南下した。高速の出口近くで時間潰しをしたが、この道の駅付属の温泉に、東光山の後に入浴することになった。
 登山口の二又集落の入り口には、東光山の案内板が置かれていた。集落の最終民家を過ぎた先で東光山の登山口に至る林道の入り口になった。見ると、農作業用の車が入っていく狭い道であった。ここまでは二車線幅の舗装道路で、車を置くスペースも充分ある。林道入口から歩き出すことにして、その先の路肩スペースで夜を明かした。
 ようやく晴天の日になった。本命の稲倉岳を目指すべきであったかと、ちょっと後悔した。
 林道というよりは、農道といった方が良い道であった。林道歩きもさほどかからずに、堰堤下の登山口に到着した。最初は、林道跡と思われるような幅広の道が続いた。
 東光山への登山道は、地形図にも破線が記されているが、実際とは少し違っていた。
 ひと登りすると、一合目賽の河原の標識が現れた。この後、各号目に標識が置かれていたが、間隔も短いことから、読むのが面倒になるほどであった。二合目は、台地になった鳥居ノ段。トラバース気味に進むと沢があり、ここが三合目の清水清流ノ滝。ここからは登りの傾斜が増し、坂の途中が四合目の薬師となる。坂を登り切ると、五合目の毘沙門堂となった。ここは、近くの長谷寺の開祖是山和尚修行の場であった毘沙門堂と参籠所がある。丁度五合目でもあり、休むのには良い所である。
 ここからは、涸沢沿いの直登となり、地図の破線とは大きく異なっていた。途中で、六合目の干餅倉となって、さらに急坂を登っていくと、稜線上の七合目仏洞山分岐になる。登りついた所は、仏洞山直下の鞍部になるので、仏洞山に立ち寄るには都合が良い。
 ここからは、新緑を楽しみながらの稜線歩きになった。カタクリが咲いている場所も現れたが、その範囲は限られていた。秋田の里山歩きを続けてきたのだが、花が少ないのは意外であった。新潟の山が特別なのだろうか。
 八合目黒森山遥拝所、九合目拝水を越すとようやく十合目の東光山に到着した。木のお堂が置かれており、その前の崖の縁に立つと鳥海山や日本海の海岸線の眺めが広がった。鳥海山も雪がたっぷりで、稲倉岳登山も期待できそうであった。
 一等三角点の置かれている笹森山目指して、さらに進んだ。登山道というよりは、踏み跡状態になった。急な下りで、雨上がりの泥斜面は滑りやすくなっていた。標高差60m程を下って登り返すことになった。笹森山の山頂が近づくと、笹藪も濃くなった、一般登山者は、敬遠しておいた方が良い状態であった。一等三角点は、笹薮の中の刈り払いされた中に頭を出していた。周囲は藪で、展望は得られない状態であった。一等三角点を写真に収めた後は、すぐに来た道を引き返すことになった。
 東光山に戻り、鳥海山を眺めながら大休止にした。
 下山の途中、七合目の分岐から仏洞山を目指した。分岐の先に石の祠があり、その先からは、踏み跡状態になった。ひと登りで、仏洞山の山頂に到着したが、山頂標識や信仰の跡の遺跡のようなものも見当たらなかった。
 下山後、東光山との関係の深い長谷寺で、赤田の大仏を見学した。高さ9mの観音像で、扉を自分で開けてお堂の中に入ると、高みから見下ろしていた。彩色も派手目で、どこか中国的な雰囲気を漂わせていた。日本三大観音の一つというが、このような例にもれず、後の二つがなにかは判らなかった。
 四日目の山は、いよいよ本命の稲倉岳となる。昨年、登山口に至る林道の入り方までは確認してあった。まずは、横岡をめざすのだが、道路地図や車のナビでは、横岡に至る道がはっきりしない。一番判りやすいのは、昭文社の登山地図である。まずは奈曽の滝を目指すと、滝見学者用の駐車場への曲がり角に、横岡への道路案内が置かれている。  横岡の集落の前をかすめていくと、沢を横断する手前に集落内に入る道がある。集落内の道は狭く、曲がりくねっているが、民家を抜けると、山間に向かってすすむようになる。この林道入口を確認することが、最初の難関になる。このような時にも、GPSは、現在地の確認のために役立つ。
 今年は残雪が遅くまで残っているため、林道をどこまで入れるかは判らなかった。民家を抜けると、少し荒れてはいるものの、ゆっくりと車を走らせれば問題の無い林道になった。残雪が見られたものの、林道部分はすでに無くなっていた。結局、登山道開始部の七曲まで車で入ることができ、翌日の歩きの短縮ができた。
 七曲は、林道を走っていくと、前方に尾根が落ち込んでくるので、それと判る。林道が用水堀を渡った先で、左手に分かれる林道跡と思われる幅広の道へと進むことになる。
 用水堀の前後に駐車スペースがあり、三台の車が停められていた。ここで夜を過ごすことになるが、登山口の駐車場は、早朝に到着した車で起こされることが多い。100mほど戻ったところに駐車スペースがあったので、ここに車を停めた。
 七曲からは、奈曽谷の奥に真っ白な稜線が見えており、期待が高まった。
 快晴の朝になった。夜中に到着した車はなく、一番での出発になった。まずは、標高差100mほどを九十九折の道で登ることになった。坂の途中で残雪も現れてきた。七曲の最上部は、踏み跡に従ってショートカットした。鳥居があり、その先で尾根の張り出し部の台地に出たが、ここは行き止まりであった。左に向きを変えて尾根を辿ると、再び林道跡に戻ることができた。窪地をしばらく登ると、台地上に出て、ほぼ水平な道が続くようになった。完全に残雪上を歩くようになった。
 用水堀を渡って尾根の下に沿って進むと、鳥居と石碑が置かれた稲倉神社奥社に到着した。
 昭文社の登山地図では、国土地理院の地形図で破線道の終点である標高640m付近が神社とされているが、実際は、標高600m付近の656m点から南西に枝尾根が落ち込む地点である。奥社の実際の位置で誤解を生ずる可能性があるので注意が必要である。
 奥社付近から始まる枝尾根から取りつこうかと思って様子を見たが、ヤブコギがしばらく続くようなので、林道跡をさらに進んで、雪の多いところから取りつくことにした。
 結局、地図で破線が終わる谷間が、豊富な残雪で覆われていたため、ここから取りつくことにした。初めは沢水が流れていたが、ひと登りすると、残雪に埋もれた窪地の登りになり、自然に幅広尾根に乗ることができた。歩くのには支障はないものの、スキーだと木の枝が煩わしいといった状態がしばらく続いた。
 ひと登りすると、一面の大雪原が広がるようになった。笹原が島状に露出しているところもあり、左手から回り込むようにして登り続けた。雪付きの関係で、ヤビツ川の源流部を見下ろすようなコースとりになった。
 最初前方に見えていたピークは偽ピークで、その後で見えてきたのが、稲倉岳の山頂のようであったが、広大な雪原の先にあるため、なかなか近づいてこなかった。谷奥に見える新山にかかる雲はなかなか消えてくれなかった。
 標高1230m付近で急斜面が現れたが、雪もほどほどに柔らかく、キックステップで充分であった。下は幅広の斜面で、滑落の危険性も少なかった。今回の登山では、ピッケル・アイゼンに加えてスノーシューも持ってきていたが、いずれも使わず仕舞になった。
 風が出てきて寒くなったため、フリースと雨具の上着を着込むことになった。
 残雪にクラックが入り、クレパスに落ち込まないように注意する所も現れた。ヤビツ川の源流部に沿ったラインは、最後には傾斜が増すので、一旦右手に方向を変えて、回り込むようにして稲倉岳の山頂を目指した。この最後の登りは、足も疲れて、すぐ上に見えている山頂もなかなか近づいてこなかった。広大な斜面なので、下り口の目印に、赤布を付けて竹が残されていた。
 稲倉岳の山頂は台地状で、南東の縁に進むと、その先は落ち込んでいた。ガスが出てきて、稜線の先は時折姿を現すといった状態であった。露出していた藪の上で荷物を下ろして、鳥越川側の崖をのぞくと、一気に下まで切り落ちていた。不用意に崖の縁に近づくと、雪庇を踏み抜いて転落する可能性もあった。
 鳥海山の眺めが開けないかと、ビールを飲みながら待った。風は冷たいものの、春になっており、我慢できないほどではなかった。ガスの切れ間から、蟻ノ戸渡と呼ばれる痩せ尾根をうかがうことができた。
 流れるガスも濃くなってきたため、展望もこれ以上は期待できないということで、下山を開始した。早くも視界が悪くなってきていた。一面の雪原のために、地形的な目印に乏しい。自分の足跡を追い、GPSを見続けながら下り続けた。下り口付近にあった赤布は、見えないままに通過した。
 一気に高度を下げると、視界も開けて、歩きにも余裕が出てきた。単独行が登ってくるのとすれ違った。この日は、他に二組が入山したようだが、天候の悪化が早かったため、山を楽しめたかどうかは判らない。私自身は、早立ちのおかげで、登りの途中は、稲倉岳の山頂を望みながら登り続けることができた。
 GPSのおかげで、コースミスもなく歩くことができ、雪の状態も良かったため、下山にかかる時間も短くて済んだ。
 車に戻って谷奥の稜線を見上げると、厚い雲に覆われていた。
 稲倉岳は、ひたすらの雪原の登りが楽しめた。一回登ってコースが判れば、問題になるのは、残雪の状態だけということになる。いずれの機会に再度訪れたい山になった。
 本命の稲倉岳を終えて、これで満足という気分になってしまったため、休みは1日残っていたが、家に戻ることにした。

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