弥彦山山麓

弥彦山山麓


【日時】 2011年3月20日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 弥彦・角田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 弥彦山・やひこやま・634m・無し・新潟県
【コース】 旧道
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦
【ガイド】 なし

【時間記録】 8:10 新潟=(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線、R.402、田の浦 経由)=9:40 登山口〜9:56 発―11:36 林道―14:31 登山口=(往路を戻る)=15:00 新潟
 弥彦山は、越後平野の日本海際に、角田山や国上山と共にひとつの山塊を作る山である。山頂は、越後一宮として名高い弥彦神社の奥の院の置かれた弥彦山と、一等三角点の置かれた多宝山のふたつのピークに分かれている。山頂へのロープウェイや山岳道路によって観光地化が進んでいるが、一歩脇に入れば自然は良く残されている。

 2011年3月11日(金)に発生した東北地方の大地震は、その直後の津波、福島原発事故によって、日本国民にとって忘れることのできない大災害になった。山の計画を含めた日常生活も大きく変わることになった。12日(土)は、テレビの報道にくぎ付けになって山に行く気持ちにはなれなかった。13日(日)は、被害の拡大に目が離すことのできない状態ながら、17日から20日までの日程で計画していたタイ旅行の準備をした。14日(月)には、成田空港は復旧したものの、首都圏での計画停電の影響で成田までの鉄道が不通になっていることから、タイ旅行のキャンセルを行うことになった。
 新潟市内では、地震直後にはカップ麺やガソリンなどの物資不足も目立ったものの、一週経つと、買い物にほとんど問題は無くなっていた。しかし、ガソリン不足は、被災地や首都圏で続いており、ガソリン節約のために、山のための遠出も自粛するムードが続いた。出かけた先でのガソリンの補給ができるのかも不安の残る状態であった。しばらくは、新潟近くの山で遊ぶしかないことになるが、いずれにせよ、3月末の新潟は、残雪と春の花で、遠出の必要のないほどに楽しむことができる。
 3月末の春分の日がらみの連休は、例年なら、雪割草の盛りになって、県外からの登山者で大賑わいになる。ところが、今年は、寒さが続いて、弥彦山や角田山の山頂部は、まだ白いままであった。花を見るには、山麓部で探す必要がある。
 まだ歩いていないコースとして、山麓部に広がる山道を確かめに出かけることにした。最近は、入り口付近は歩く者も多くなっているが、その奥の状態は不明である。
 登山口に向かう途中、シーサイドライン沿いを走った。例年なら観光バスも見られる角田浜も、車はまばらであった。車窓から見える角田山の山頂部も白く染まっているので、花を目的にするならば、山頂をめざしても意味がない。
 登山口から見る弥彦山の山頂部も白く染まっていた。山道の入口付近では、キクバオウレンの花が咲いていたが、カタクリは全く見られなかった。地図にも破線が記されているが、実際とは違っている。標高は上がらないが、深山の雰囲気は充分である。
 石仏が置かれた清水を過ぎると、尾根上への登りになる。さらに進むと、山腹を巻いていく道が続く。歩く者も少なく、所々で倒木を避ける必要があるものの、山道自体はしっかりしていた。
 雪割草の花も見られるようになったが、帰りに写真撮影を行うことにして先に進んだ。風衝帯なのか、下生えも少ない林も広がり、海も見えて、歩く気分も良かった。
 枝尾根を下ることになったが。落ち葉によって山道が隠されていた。道を見失ったかと思って、一旦戻って間違っていないか確かめることになった。
 尾根沿いに下っていくと、再び踏み跡も明瞭になってきた。枝尾根を下りきった所で飛び石伝いに沢を渡ると、舗装された林道に飛び出した。地図に書かれている道は、新しい砂防ダムのためか、無くなっていた。海岸部までの林道歩きは、かなりありそうなため、引き返すことにした。ナニワズやマンサク、雪割草の花を楽しみながら、来た道を戻った。
 分岐に戻り、この方面の踏み跡を辿ってみることにした。しばらく進むと予想に反して、尾根を西に向かって外して下っていった。枝尾根から外れた所の谷間で踏み跡ははっきりしなくなった。その谷間では、咲き初めの雪割草に出会うことができた。花の写真撮影をしていると、手ぶらの年輩者が登ってくるのに出会った。この先の道はと聞いてきたので、歩いてきた尾根を示して教えた。この先ははっきりした道があるのだろうと考えて、この年配者がどこから来たのか尋ねなかったのは失敗であった。
 花の写真撮影を終えて、下山することにした。谷間を下ると、横切る踏み跡に出会った。下る方向に少し進んだものの、道は無いようであった。踏み跡の左右のどちらを行くか迷い、左に進んだものの、少し先で荒れており、引き返すことになった。
 結局、右の方向に進むことになった。山腹を巻いていく道が続いた。歩く距離も長くなってきて、不安も湧いてきた。登山口までもう少しというところで、踏み跡が判らなくなった。流水による溝に沿って笹薮を掻き分けて下っていくと、沢の左岸沿いに続く山道に飛び出してひと安心になった。以前、この道を確かめるために歩いたことがあったが、笹薮のために引き返したことがあったが、今回はその先を確かめたことになる。予期しない一周になったが、そこから別れる枝道という新たな課題が浮かんできた。

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