黒中山

黒中山


【日時】 2011年2月13日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雪

【山域】 櫛形山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 黒中山・くろちゅうやま・446.4m・四等三角点・新潟県
【コース】 太田野原より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/中条
【ガイド】 無し

【時間記録】 8:00 新潟=(日本海東北自動車道、中条IC、R.7 経由)=9:10 太田野原〜9:30 発―10:55 黒中山〜11:10 発―11:54 太田野原=(往路を戻る)=13:00 新潟
 櫛形山脈は、日本海沿いに広がり、胎内川と加治川によって両端が切りおとされた、全長約13キロメートルの山塊である。25000分の1図に山脈と記されている唯一の例といわれ、日本一のミニ山脈と呼ばれている。北部の白鳥山と鳥坂山、中央部の櫛形山、南部の大峰山、さらに縦走路が、日帰りの山として親しまれている。黒中山は、鳥坂山の南東部に位置する縦走路上のピークである。四等三角点が置かれて点名は「高元」であるが、麓の黒川中学校近くから登山道が整備されており、このピークもそれにちなんでか黒中山と呼ばれている。

 連休三日目は、天気予報も良くなかったので、遠出はやめて櫛形山脈の黒中山に出かけることにした。中越方面では、例年にない大雪になっているが、下越方面は例年並みの雪のようである。
 黒中山は、櫛形山脈縦走の際に何度か通り過ぎているが、この登山道を歩いて確かめたのは、2007年1月2日であった。この時は本格的な降雪前で、下部では雪が無くなっていた。雪山として登るのは初めてである。
 夜中の雪で、新潟市から郊外にでると、道路をシャーベット状の雪が覆うようになった。ゆっくりと車を走らせて胎内観音のある樽橋を過ぎると、車三台の衝突事故が起きていた。
 黒中橋を渡り、太田野原へと曲がる手前の路肩に車を停めた。先の様子が判らないので手前に停めたが、集落はずれの除雪終点付近の路肩駐車で良かったようである。
 準備のために車の外に出ると、冷たい風が日本海側から吹き寄せていた。この日は、日がさすと思うと、激しい吹雪になるという目まぐるしく変わる天気であった。
 除雪終点から先は一面の雪原が広がっていた。雪原を横断して尾根の末端部に向かえば良かったのだが、まずは林道入り口にある「黒中コース」登山口を確かめることにした。
 雪にすっかり隠されている車道を進んで杉木立に向かうと、「黒中コース入口」の標識が置かれていた。以前は、この標識は無く、地元の人間しか判らない状態であった。鎖のかかった林道に進むと、尾根の取りつきになるが、ここにも登山標識が置かれていた。夏道としては、後は尾根の一本登りになるので、登山標識としては充分ということになる。
 尾根上に出るまでは、急斜面の登りになるが、少し前のスノーシューのトレースがあり、これに従って登ることになった。このトレースは下りだけのものであった。
 雪は凍った上にあられが積もった状態で締まっており、スノーシューの金属歯を食い込ませながらの登りになった。標高250mまでは急登が続くので、ラッセル状態では、このコースは厳しいようである。
 登山道は雑木林に囲まれて、風は感じられず、汗が噴き出してきた。登るにつれて、鳥坂山やユズリハの峰が目の高さに近づいてきた。
 途中で、急斜面で雪が凍っており登るのが難しい所も現れたが、左手の雑木林の斜面を迂回して登ることができた。
 標高370m付近まで登ると、緩やかな尾根が伸びて、その先に黒中山の山頂が高みを見せていた。周囲にはブナ林も広がり、気持ちの良い歩きになった。
 黒中山の山頂は、雪庇ができかかって、平らな部分も狭まっていた。鳥坂山は、まだ遠く、少し低く見えていた。鳥坂山まで進むと、帰りの登り返しが大変になりそうなため、この日の行動は黒中山までとした。
 山頂の木立はエビの尻尾ができ始めていたので、少し下って、風の弱い所で大休止にした。
 下りは、体重をかければスノーシューのヒールが食い込む状態のため、快調に下ることができた。
 尾根末端の最後の下りになろうというところで、単独行が登ってくるのにすれ違った。昼になっており、これから登るには遅い時間である。長靴にアルミワカンの装備であった。別な登山口から縦走してくる者の出迎えのように思われた。
 車に戻って着替えをする間にも、猛吹雪が襲ってきた。この日の山歩きとしては、充分歩いたという気分になった。

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