浅草岳、鬼ヶ面山、阿寺山

浅草岳から鬼ヶ面山
阿寺山


【日時】 2010年10月15日(金)〜17日(日) 2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 16日:曇り後雨 17日:晴

【山域】 浅草岳
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 浅草岳・あさくさだけ・1585.5m・一等三角点本点・新潟、福島
 鬼ヶ面山・おにがつらやま・1465.1m・三等三角点・新潟、福島
【コース】 田子倉登山口より六十里峠登山口へ下山
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟、日光/小林、須原、守門岳、只見/田子倉湖、毛猛山、守門岳、只見
【ガイド】 アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「越後三山・卷機山・守門岳」(昭文社)
【温泉】 ゆーパーク薬師 湯之谷薬師温泉センター 600円

【山域】 越後三山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
阿寺山・あでらやま・1509.0m・二等三角点・新潟県
【コース】 広掘登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田、日光/十日町、八海山/五日町、兎岳、八海山
【ガイド】 アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「越後三山、巻機山、守門岳」(昭文社)

【時間記録】
10月15日(金) 16:20 新潟=(北陸道、中之島見附IC、R.8、川崎北、R.351、栃尾、R.290、渋川、R.252)=19:10 田子倉登山口  (車中泊)
10月16日(土) 6:00 田子倉登山口―6:35 最後の水場―7:06 田子倉見晴らし―7:42 鬼ヶ面眺め―8:57 浅草岳―9:11 前岳分岐―10:11 北岳―10:36 鬼ヶ面山―11:07 南岳〜11:07 発―11:36 林道口―11:48 マイクロウェーブ―12:08 六十里越峠―12:30 六十里越登山口=(R.252・自転車使用)=13:00 田子倉登山口=(R.252、小出、R.291、山口 経由)=16:00 阿寺道登山口  (車中泊)
10月17日(日) 6:50 阿寺道登山口―7:15 沢の分岐―7:22 竜神碑―7:52 最後の水場―9:56 阿寺山―10:34 神生池〜10:52 発―11:19 阿寺山下分岐〜11:35 発―12:41 最後の水場―13:02 竜神碑―13:06 沢の分岐―13:26 阿寺道登山口=(山口、R.291、大和PA、関越自動車道 経由)=15:30 新潟
 浅草岳は、江戸時代より越後と会津を結ぶ交易路として利用された六十里越と八十里越に挟まれている。なだらかな山容の西面に対し、福島県側の浅草岳から鬼ヶ面山に続く稜線の東側は、大岩壁になって、対称的な姿を見せている。一般には、歩行時間の短いネズモチ平あるいは桜ゾネから登る者が大部分であるが、沼の平のブナ林と組み合わせることのできる入叶津に至るロングコース、急登の連続となるが鬼ヶ面山の岩壁の眺めが素晴らしい田子倉登山口からのコース、六十里越峠から岩壁の縁を辿りながら鬼ヶ面山を越して浅草岳に至るコースなど、それぞれ特徴のある健脚向きのコースを楽しむことができる。
 越後三山のひとつに数えられる八海山は、三山のうちでは標高は最も低いものの、山頂部に険しい鋸歯状の岩峰を連ね、古くからの信仰の山として知られている。阿寺山は、最高峰の入道岳の南に位置するピークで、山頂一帯には草原が広がり、小さな池が点在して穏やかな風景を見せている。麓の山口の集落から阿寺山を経由して八海山へ至る登山道は、御池道とも呼ばれている。
 ここのところ遠出が続いていたが、新潟の山も紅葉の季節を迎えているので、地元の山を登ることにした。紅葉の美しい山ということで、浅草岳から鬼ヶ面山への縦走と阿寺山を登ることにした。阿寺山は、2008年7月の集中豪雨で登山道が失われたようだが、最近になって修復が行われたという情報が入ってきている。
 この週末の天気もあまり芳しくはなかったが、外れる方にかけて出かけることにした。 浅草岳から鬼ヶ面山への縦走後、六十里越から田子倉登山口に戻るため、自転車を車に積んで出かけた。栃尾付近から本降りの雨になった。六十里越登山口で自転車を下し、ガードレースのワイヤーに鎖で縛りつけてから田子倉登山口に向かった。
 田子倉登山口には、線路の奥の登山者用駐車場と道路脇の広場があるが、自転車で下りてくる都合上、道路脇に車を停めた。こちらの方が、夜中に到着する登山者の車がおらず、静かに眠れる。
 翌朝、ようやく明るくなった周囲を見渡すと、周囲の木立の紅葉はまだであった。今年の紅葉は、猛暑の夏の影響が続いている。
 休憩所のトイレを利用しようとすると、建物付属のものは閉鎖されており、脇に移動式の簡易トイレが置かれていた。
 只見線の線路を渡って登山口前の広場に進むと、三台の車の登山者が歩きだす準備をしていた。この日の最初の登山者として歩きだした。
 しばらくは、只見沢左岸沿いの歩きが続く。幽の倉沢の徒渉点には、以前の仮橋よりは立派な、ワイヤーの吊橋が掛けられていた。春の早い時期にはここの徒渉に苦労したが、これからは、踏み板は外されているとしても、支えの横木を伝って渡れそうである。
 その先で一段登ると、ブナ林の中の最後の水場に到着する。この付近のブナの紅葉もまだであったのは少し残念であった。
 ここからは、急な登りが続くようになる。ひと汗かいて痩せ尾根の上に出たところが、田子倉見晴らしである。振り返ると、田子倉ダムの湖面が光っていた。会津方面の山には雲が垂れこめていたが、鬼ヶ面山の稜線部は見えていた。
 この先は、尾根の登りが続く。尾根が上っていく先には小さなこぶが連なっているが、急な所は巻いてから尾根に戻るので、少しは楽になっている。ヒメサユリの季節に歩いた時は、蒸し暑さで体力を消耗したが、それに比べれば楽に歩き続けることができた。
 小ピークを巻くと、鬼ヶ面眺めに到着したが、この付近の紅葉は、色とりどりで素晴らしかった。紅葉を前景にして、鬼ヶ面山が、ギザギザの稜線になった岩壁を見せていた。この付近では、写真撮影のために、歩くスピードが落ちてしまった。
 しばらく緩やかな尾根になってひと息つけるが、再び急斜面の登りが続くようになる。登るにつれてガスが濃くなって、見晴らしは無くなってしまった。この日の天気は、これ以上は良くならないようであった。
 ようやく登りついた浅草岳の山頂は、風が冷たいためか、誰もいなかった。先は長いので、そのまま先に進んだ。
 山頂下の草原もガスのために、木道が延びているのが見えるだけであった。五味沢方面からの登山者にも、すれ違うようになった。紅葉の季節としては少なめであるが、時間が早いためなのかもしれない。
 前岳から鬼ヶ面山への縦走路に進む。しばらくは、露出した岩で足元に注意が必要な急な下りが続くが、直に土の道に変わる。刈り払いが行われており、歩きやすくなっていた。周囲の紅葉は盛りであったが、ガスで展望が閉ざされていた。
 登山道は崖の縁を辿っているのだが、灌木に縁どられているため、危険を感じるような所はない。ただ、小さなアップダウンが続くため、体力は消耗していく。
 北岳の手前で、単独行と4名グループとすれ違った。グループは車二台を使っての縦走として、単独行はどのような交通手段であるのか、疑問がわいてくる。六十里越から田子倉登山口へ歩くと、最後の車道歩きが登りになって、大変なことになる。
 風も強まり、雨粒も混じってきた。ズボンはすでに汚れていたので、雨具の上着だけを着て歩き続けた。
 鬼ヶ面山の山頂で大休止するつもりであったが、雨のためにそのまま通過した。前岳に到着したところで、雨は止んだので大休止にした。最後の自転車乗りが、雨だとブレーキが利かなくなって危ないなと思っていたので、ひと安心した。
 前岳の山頂では、進むかどうか迷っていた単独行がいたが、こちらが腰を下すのを見て、同じく座り込んでしまった。話かけられたのを聞いていると、ひとグループが、風が強いとここから引き返したという。それ程の風ではないのだが、無理に勧めて事故をおこされてはと思って、これからどうするかは聞かなかった。
 前岳からは、僅かな下りで林道跡に出るが、その先のマイクロウェーブからの下りは意外に長く感じられる。
 八十里越登山口に到着し、昨晩デポした自転車を回収する。ここからは一気のダウンヒルといっても、県境のトンネルを越えた少し先までは僅かではあるが登り坂で、パダルコギで息が上がった。その後は、ブレーキを握りしめる手が疲れるダウンヒルが続く。田子倉登山口手前の白沢トンネルは、内部照明がないため、そのままつっこむと平衡感覚を失ってバランスを崩すので注意が必要である。このトンネルは自転車から下りて通過した方が無難である。トンネルを過ぎると、最後の急降下になって、田子倉登山口に到着する。縦走などで自転車を使うコースが考えられるが、この浅草岳から鬼ヶ面山への縦走は、そういったジャンルを集めたとしたら、真っ先に選ばれるものであろう。
 自転車を車に乗せて小出に戻り、食料を買い込んだ後に、阿寺山の登山口に向かった。夕方の時間があったので、八海山ロープウェイ乗り場と、二合目登山口の様子を見た。二合目登山口には、八海山縦走路と新開道合流部が土砂崩れで通行不能という掲示が置かれていた。ネットの山行報告では、木の枝を掴むめば通過できるようなことが書かれていたが、無理はしないで今回は阿寺山の往復だけを行うことにした。二合目登山口から阿寺山登山口までの自転車走行はどうかなと思っていたが、道が細く急傾斜で危なそうであった。
 以前は、広堀橋の脇の広場で夜を過ごしたが、砂防ダムの工事でダンプカーが行き来していた。その先は未舗装の道に変わるが、工事の関係か、以前よりも整備されていた。登山口には二台の車が停められていたので、その手前の広場に車を停めた。登山口に停まっていた二台の車は群馬県ナンバーで、時間も遅かったので山頂泊りのものかと思っていたら、薄暗くなったところで下山してきたのには驚かされた。
 阿寺山までの日帰りの予定であったので、ゆっくり起きて出発した。この日の阿寺山への登山者はいないようであった。
 林道に掛けられた鎖の手前で、河原に下りていく道に進む。河原の様子は以前と一変して、沢脇に続く登山道は無くなっていた。河原を100mほど進むと、右手から作業道が合わさった。帰りにこの道に進むと、鎖が掛って進入禁止になっていた林道がヘアピン状にカーブする472m点に出た。この道を使った方が少し楽ができるようであった。
 しばらくは河原歩きが続いた。以前の清流は大きく変わり、砂防ダムや護岸工事が行われており、大石が転がる広河原の中を水の流れが蛇行する状態になっていた。以前の山道が現れるが、すぐに河原歩きになり、これを交互することになった。
 ハーフパイプの中を勢いよく流れる沢を、丸太橋で注意して渡ると、尾根上への登りが始まる。これは沢が左岸寄りに迫ってきたための高巻きで、再び河原に下り立つことになる。
 右手から落ちこむ沢を越すと、その先が沢から分かれるポイントになる。この先の河原沿いの道は無く、登山道の入り口には赤布も取り付けられており、迷う心配は無い状態であった。テープを見ると、阿寺道看板設置とマジックで書かれていた。登山道の整備に続いて、看板の整備も予定されているようであった。
 尾根上に向かう急登が始まった。伐開直後のため、泥斜面が滑りやすく、足元に注意が必要であった。
 尾根の傾斜が緩やかになると、竜神碑に出た。碑の傍らに置かれていた鐘も健在であった。ここまでのコースは以前とかなり違っていた。
 竜神碑から先は、以前も夏草がうるさかったが、この日は良く刈りはらわれて快適に歩くことができた。
 右手に沢が沿うようになると、右岸に付けられた新しい登山道を辿るようになった。沢に出ると、しばらくはペンキマークを頼りに、河原の登りが続いた。再び右岸に付けられた登山道を辿ると、大岩の間を水が流れ落ちる最後の水場になった。この最後の水場は、GPSに記録してあった以前の蛇食清水よりも120mほど上流であった。
 最後の水場からは、北に方向を変えてトラバース気味に登り始める。ブナ林が広がる幅広尾根に出ると、ここには「注意 女心と山の空 城内山の会」と書かれた金属プレートが、木に取り付けられていたのだが、二つに割れて木の根元に落ちていた。新しい物を取り付けない限り、この標識は失われてしまいそうである。
 この先は、ブナ林が広がる幅広尾根の登りが続くが、地形図の破線とは大きく異なっている。昭文社の登山地図も、登山道は地形図をそのままなぞったもので、蛇食清水も標高1000mの位置に記されている。実際には790mの位置にあった。最近は、GPS用の地図にも昭文社の登山道が掲載されるようになっているようだが、元データーが正確でない場合もあり、鵜のみは危険である。
 前日の疲れが残っており、記憶よりも急な登りが続くように感じた。標高1150m地点でヒドの登りとなった。鋸の切り跡もあったので急斜面を登ったが、その上の台地で、道は無くなっていた。藪の中を探ったが、やはり登山道は見当たらなかった。GPSに入力してあった以前のデーターと比べても、ずれていた。引き返すと、ヒドを登り始めたところで、右にトラバースするように登山道が続いていた。注意力が散漫でのコースアウトであった。
 右手に方向を変えながら登っていくと、やがて傾斜は緩やかになる。ひと安心するものの、直線的な登りをしばらく頑張る必要がある。
 尾根を乗り越すと、その先の窪地には草原が広がり、その向こうに阿寺山の山頂が小さな高まりを見せている。草原は黄金色に輝き、八海山の入道岳や八ッ峰を望むことができた。阿寺山は、この眺めが楽しみである。
 まずは、阿寺山の山頂を目指した。阿寺山の山頂までの登山道は、以前は踏み跡に近い物であったが、良く刈り払いされていた。阿寺山の山頂は、藪に囲まれており、かろうじて日向山方面が見えるだけなのは少し残念である。
 草原に腰を下して大休止にする前に、神生池まで足を延ばすことにした。標高差80mほどの下りになるが、それだけの価値はある。八海山に向かう縦走路も良く整備されていた。
 神生池は、小さな池であるが、傍らの灌木は紅葉の盛りになっており、入道岳のピラミッド型の山頂の姿を映す眺めは素晴らしかった。アクセスが良ければ、カメラマンの三脚が並ぶところであるが、誰もおらず静かに風景を楽しむことができた。八海山に雲がかかっては消えるため、良いシャッターチャンスを待って、しばらく足を停めることになった。
 阿寺山の草原に戻り、お待ちかねのビールにありついた。岩山よりも、このような草原に寝そべることができるような山の方が好みである。
 下りの泥斜面は滑りやすく、注意したつもりでも、何度か尻もちをついた。
 しばらく閉鎖状態であった阿寺山であるが、登山道が再び整備されたことは喜ばしいことである。

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