岩菅山、関田峠から宇津ノ俣峠

岩菅山
関田峠から宇津ノ俣峠


【日時】 2010年9月10日(金)〜12日(日) 前夜発2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 11日:晴 12日:曇り後雨

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 岩菅山・いわすげやま・2295.0m・一等三角点補点・長野県
 裏岩菅山・うらいわすげやま・2341m・なし・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岩菅山/岩菅山、切明
【ガイド】 新・分県登山ガイド「長野県の山」、山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社)
【温泉】 戸狩温泉・暁の湯 300円

【山域】 関田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 花立山・はなだてやま・1069.3m・三等三角点・長野県、新潟県
 宇津ノ俣峠・うつのまたとうげ・984m・なし・長野県、新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/飯山、高田東部/野沢温泉、柳島
【ガイド】 信越トレイルマップ(NPO法人信越トレイルクラブ事務局

【時間記録】
9月10日(金) 16:00 新潟=(関越自動車道、越後川口IC、R.117、夜間瀬、R.292、丸池 経由)=21:00 岩菅山登山口  (車中泊)
9月11日(土) 6:20 岩菅山登山口―6:46 アライタ沢―7:18 中間点―7:46 縦走路分岐―8:15 岩菅山〜8:20 発―9:07 裏岩菅山〜9:30 発―10:15 岩菅山〜10:20 発―10:42 縦走路分岐―11:03 中間点―11:30 アライタ沢―11:57 岩菅山登山口=(丸山、R.292、夜間瀬、R.117、飯山、戸狩 経由)=6:00 関田峠  (車中泊)
9月12日(日) 5:52 関田峠―6:22 梨平峠―6:32 三角点―7:09 牧峠―7:42 花立山―8:18 宇津ノ俣峠―8:52 花立山―9:18 牧峠―10:07 三角点〜10:17 発―10:27 梨平峠―11:00 関田峠=(板倉、R.18、R.8、大潟PA、北陸自動車道、西山IC、R.116 経由)=15:30 新潟
 岩菅山は、岩巣護山とも呼ばれ、鷹の巣を管理する巣守衆がいて鷹の子を幕府に献じたことから名前が付けられたと伝えられている。2000m級の山々が連なるもののスキー場の開発が進んだ志賀高原にあって、岩菅山は、開発されずに残された貴重な山として、登山の対象の代表的ピークになっている。裏岩菅山は、岩菅山の西隣りにあるピークで、こちらの方が高い標高をもっている。

 信越トレイルは、長野・新潟県境に沿って延びる関田山塊に開かれた総延長約80kmの長距離歩道である。標高1000m程の稜線部に続き、古くからの交易路が横断する峠を結んでいる。

 日曜日は低気圧から延びる前線の南下によって、東北から東日本方面は雨になるようであった。少しでも天気の良さそうな長野県の山のうちから、土曜日は岩菅山を登り、日曜日は信越トレイルのうちから関田峠から宇津ノ峰の間を歩くことにした。
 土曜日に入ったところで高速を下りると、登山口の到着は深夜になって、翌朝は寝不足気味になる。金曜日の早い時間に志賀高原に到着するために、夕方の割引を使って越後川口まで高速で走り、その後は一般道を走った。高速上限1000円の制度がなかった時には、これが一般的なルートであった。
 岩菅山は、一ノ瀬から林道に進んだ先の登山口から登ることにした。岩菅山には、これまで二度登っているが、一回目は一ノ瀬から東館山経由で下山は上条用水沿いの歩道経由、二度目は大沼池入口から切明への縦走を行い、もっとも一般的なこのコースの往復は行っていなかった。
 登山口に到着してみると、すでに車が停まっていたので、少し先に進んだところの路肩広場で夜を過ごし、朝になってから登山口に戻った。
 朝になってみると、車の外に脱ぎすぎたサンダルの片方が無くなっていた。風で飛ばされたはずもないはずと探すと、ようやく藪の際に落ちているのを見つけることができた。きつねがいたずらしたのであろう。
 登山口に戻ると、すでに車も4台ほどに増えており、朝食をとっているうちにも数台の車が到着した。
 登山道は、木の段々で整備された急坂で始まった。幸い、ひと登りで水平に続く用水堀沿いの道に出て、息を整えることができた。左に曲がると、しばらくは谷奥に続く水平道の歩きが続いた。
 枝沢を渡ると、その先で平らな岩の上を流れ落ちるアライタ沢に出た。木の橋を渡った後に、沢岸で顔を洗ってリフレッシュした。
 この後は、本格的な急登が続いた。登山道は、木の段々で整備されており、人気のコースであることが判る。1739m点の前後では傾斜も緩やかになったので、ひと息つくことができた。その後は、再び急な登りが始まった。
 細尾根上に出ると、中間点の標識も現れた。空気はひんやりしていたが、日向に出ると、暑さが堪えるようになってきた。岩菅山の山頂も望めるようになってきて、縦走路の合流点も近付いてきたことが判った。
 縦走路に合流する三叉路から少し進むと、岩菅山の山頂に向かう急坂の眺めが目の前に広がった。標高差200mを一気に登ることになる。決して難しいという登りではないが、ガレ場も現れ、初心者は息が上がって苦労する難所になる。
 急坂を登りきると、岩菅山の山頂に到着した。時間も早く、途中で追い抜いていった単独行がいるだけであった。
 晴天のもと大展望が広がっていた。妙高連山や白馬岳から五龍岳、鹿島槍ヶ岳といった北アルプスの山々、笠ヶ岳や横手山といった志賀の山、浅間山、富士山、大高山、白砂山、佐武流山、苗場山。見て判る山もあったが、一部は、帰宅後に写真とカシミールによる展望図を比べて確認することになった。
 岩菅山の山頂には、石の祠が置かれ、少し奥に進んだところに一等三角点が埋められている。一段下がったところには避難小屋があり、先回の縦走では、ここで一夜を過ごした。
 岩菅山だけでは少し歩き足りないので、裏岩菅山まで足を延ばすことになる。標高は裏岩菅山の方が高いし、岩菅山の先の縦走路は展望が開けて素晴らしい。
 岩菅山の先に進むと、裏岩菅山に続く縦走路の眺めが開ける。小さなアップダウンが続き、裏岩菅山は存在感のある台形の姿を見せていた。登山道周囲には低灌木や笹原が広がり、秋の訪れを告げるように、少し黄ばんだ色を見せていた。稜線を通り抜ける風は心地良く感じられた。写真撮影をしながらの歩きため、歩きのスピードはのんびりしたものになった。
 先行の単独行と入れ違いに、だれもいない裏岩菅山に到着した。縦走路はの先に、烏帽子岳が険しい姿を見せていた。腰を下して、独り占めの大展望を楽しみながら大休止をした。
 岩菅山に戻る途中、途中で追い抜いた夫婦連れの旦那とすれ違った。夫人の方は、岩菅山の山頂で休んでいた。裏岩菅やままで足を延ばす者は少ないようであった。
 下山の途中では、登山者にも多くすれ違うようになった。登山道が良く整備されているため、快調に山を下ることができた。
 時間は早かったが、山は終わりにして関田峠に向かうことにした。志賀高原付近の日帰り温泉を調べるのを忘れたため、関田峠手前の戸狩の温泉に入ることにした。食料を買い込んで戸狩に向かい、望の湯に入ろうとすると、休憩中であった。幸い、もう一軒の暁の湯は営業中で、温泉に入ることができた。
 関田峠に上がるのは、2004年以来で、かなり時間が経っている。道路の拡張工事が行われており、走りやすい道に変わっていた。そのためもあり、巨木の谷登山口付近が様変わりしており、車を走らせる状態では入口を見つけることができなかった。このコースを歩くには、車の距離メーターを利用し、田茂木池から2.6kmの地点を探す必要がある。
 時間も少し早かったため、関田峠では下山してきた小学生で大混雑しており、少し戻った所の展望地に車を停めて夜を過ごした。
 展望地からは、千曲川流域の眺めが広がっていた。9時過ぎに花火の音に気がついて車の外に出てみると、飯山方面で花火大会が開かれているようで、時折り空が明るくなっていたが、尾根が邪魔をして花火は隠されていた。
 日曜日の天気は、朝焼けの起きた曇り空であった。天気の崩れは早そうであった。とりあえずは、登山を開始できる状態であった。
 今回の歩きの目的は、「新潟100名山」で、信越トレイルのうち、関田峠〜伏野峠と伏野峠〜深坂峠が選ばれており、その区間をつなげることが目的であった。信越トレイル関係では、斑尾山、鍋倉山、菱ヶ岳、天水山が選ばれており、それに加えて山でない信越トレイルの二区間を加える必要があるのか、疑問なところもあるが、歩いていないのもしゃくである。車一台のために往復するので、関田峠〜宇津ノ俣峠、宇津ノ俣峠〜伏野峠、伏野峠〜深坂峠に分けて歩くことにした。今回の関田峠〜宇津ノ俣峠を歩けば、後の二区間は短く、天気の悪い時に歩けば良い。
 関田峠から、鍋倉山とは反対側の登山道に進んだ。小ピークへの登りで始まり、いきなり息が上がった。地形図では小ピークを越えて直進するように破線が記載されているが、登山道は、県境線に沿って北側を巻くように続いていた。ピークから少し下がると、ブナ林が広がるが、稜線沿いでは灌木帯が続く。谷地状態の草地を過ぎると、小ピークへの登り返しになって、その先で台地状の梨平峠に到着した。新潟県側には、しっかりした道が続いていた。その先は、小さなアップダウンを繰り返すことになった。雲が厚くなって薄暗くなり、遠くで雷鳴も聞こえてきた。
 小さな池である牧ノ小池が右手に現れた。ベンチも置かれて休憩にも良さそうに見えるが、夏の名残りのためか虫が寄ってきたので、そのまま通過した。
 小ピークを越えると、牧峠への急な下りになった。前方には、高いピークが待ち構えているのが見えて、あまり下りたくはない気分であった。
 牧峠は、舗装された車道が越している。双眼鏡を構えた集団がいた。牧峠は、多くの鳥が渡りを行う場所として有名なようである。
 トレイルの続きは、長野県側を少し下った所から始まった。花立山と呼ばれる1069.3mの三角点ピークまでは登りが続き、体力が必要な歩きになった。それでも、名前のあるピークを踏めることはうれしい。トレイルを歩くだけでは、達成感が湧いてこない。
 花立山への登りの途中で本格的な雨になった。雷の音も聞こえていたが、近くに落ちる気配がないのだけは良かった。牧峠の手前であったなら、牧峠から引き返していたが、ここまで進んでいると宇津ノ俣峠まで進まないわけにはいかない。気温は高く、少々濡れてもかまわない状態だったので、傘をさしただけで歩き続けた。花立山の先も、小ピークの乗り越しが続いた。
 ようやく到着した宇津ノ俣峠は、城跡で見られるような横掘に似た窪地であった。目標地としては面白くないところであった。長野県側からは、道が上がってきていた。あとでGPSのトラックデーターを見ると、宇津ノ俣峠と標識の置かれていたのは、984m点であった。地形図との食い違いが気になるが、伏野峠から再度歩いた時に、宇津ノ俣峠の位置を確認する必要がある。
 宇津ノ俣峠から引き返すことになったが、小さなピークの乗り越しが、次第に堪えるようになってきた。コースの状態は、往復してみないと判らないものである。雨も本降りで休む機会もなかったが、梨平峠手前の三角点ピークでようやく雨が一時的に止んだため、朝食をとることができた。
 関田峠に戻り、濡れた衣類を着替えた時はほっとした。いつの間にか、雨もやんでいた。
 帰宅は、光ヶ原高原から上越ICに出ることにした。上越ICに乗ろうとすると、長岡付近で豪雨のため、西山ICで高速道は不通になっていた。時間かせぎのために国道を少し走った後、大潟から高速にのった。米山SAで車を停めると、車の外に出るのもままならぬ豪雨に見舞われた。少し待ったが、雨は止む様子もなかったため、車を出発させて、西山から一般道を走って新潟に戻った。高速の閉鎖部位が西山のため、一般道を使っても新潟に戻りやすかったことは幸いであった。

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