要害山

要害山


【日時】 2010年9月5日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名 
のろし山・のろしやま・200m・なし・新潟県
物見山・ものみやま・240m・なし・新潟県
要害山・ようがいさん・281m・なし・新潟県
【コース】 平林城跡より
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/坂町
【ガイド】 なし

【時間記録】 7:00 新潟=(日本海東北自動車道、荒川胎内IC、R.7 経由)=8:00 平林城跡登山口〜8:12 発―8:43 首切り清水―8:53 のろし台―9:06 物見山―7:14 要害山〜9:22 発―9:34 首切り清水―9:57 平林城跡登山口=(往路を戻る)=11:00 新潟
 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在も土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。

 仕事があって、土曜日は山に行けなかったので、日曜日はなんとか山に行かなければならなかったが、昼までに家に戻る必要があった。猛暑は九月に入っても続いているため、簡単な山を考える必要があった。
 高速無料化実験によって、県北の山には行きやすくなっているので、神林の要害山に出かけることにした。要害山は低山にもかかわらず展望が良いことからお気に入りの山であるが、先回歩いたのは2006年1月なので、時間があいている。
 高速を使ったおかげで、登山口には1時間のドライブで到着した。以前は、一般道を使って1時間半程はかかっていたので、行きやすくなった。
 平林城跡登山口には、プレハブ小屋があり、その両脇の空き地に車を停めることができる。車の中で朝食をとっていると、車が次から次に到着した。登山口付近の整備を行う人で、回転ノコや小さなシャベルカーで作業を始めていた。
 登山口からは、杉林になった城跡の中の歩きになる。以前よりも草刈りがきれいに行われて、土塁や堀の形がはっきりしていた。城跡を巡る道が分かれるが、直進して山に向かう。
 しばらくはトラバース気味の登りが続く。暑さもきびしく、汗が噴き出てきた。馬洗場に出て、ひと息入れた。その先は、傾斜が少し増して、疑木の段々が整備された道になる。「烏帽子山山麓を経て不動滝」という看板を見ると、山間の窪地に到着し、首切り清水に到着する。
 首切り清水は、パイプから水が流れ出ていたが、昔は処刑場で首を洗ったという謂れをしると、ここの水は飲む気になれない。
 首切り清水からは、いつものようにのろし台経由で歩くことにした。ピークの下をトラバース気味に進み、尾根上に出たところで左に急登すると、のろし台に到着する。これから進む要害山の山頂を望むことができたが、この季節は周囲の木立の葉が茂っているため、展望はあまり良くなかった。
 のろし台から僅かに下ると川部からの登山道が合わさる。そのまま尾根沿いに進んで登っていくと、物見山の分岐に到着。左手に進むと、僅かな先で物見山に到着する。ベンチも置かれており、良い休憩場所になっている。眼下には、色づいた稲田と日本海が広がり、その向こうには佐渡が横たわっていた。
 物見山からもうひと登りすると、土塁が広がる台地に出て、踏み跡を辿ると本丸跡の山頂到着になる。汗を拭きながら、嶽薬師や高坪山の眺めを楽しんだ。
 下山は、七曲に進む。坂を足早に下ると、首切り清水に出て、後は登りに使った道を戻ることになる。途中で、5名グループとすれ違ったが、もっと知られても良い山であるにもかかわらず、登る者は少ない。
 下山後に高速を走ると、昼前に家に戻ることができた。
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