編笠山、権現岳、西岳、日向山

編笠山、権現岳、西岳
日向山


【日時】 2010年8月27日(金)〜29日(日) 前夜発2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 28日:晴 29日 晴

【山域】 南八ヶ岳
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 編笠山・あみがさやま・2523.7m・二等三角点・長野県、山梨県
 権現岳・ごんげんたけ・2715m・なし・長野県、山梨県
 西岳・にしだけ・2398m・なし・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 甲府/八ヶ岳/八ヶ岳西部
【コース】 観音平より
【ガイド】 山と高原地図「八ヶ岳・蓼科・美ヶ原・霧ヶ峰」(昭文社)
【温泉】 スパティオ 600円

【山域】 南アルプス周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
日向山・ひなたやま・1560m・なし(1659.6m・三等三角点)・山梨県
【地形図 20万/5万/2.5万】 甲府/韮崎/長坂上条
【コース】 矢立石より
【ガイド】 新分県登山ガイド「山梨県の山」(山と渓谷社)

【時間記録】
8月27日(金) 17:00 新潟=(北陸自動車道、長野自動車道、中央自動車道、小淵沢IC 経由)
8月28日(土) =0:40 観音平  (車中泊)
4:32 観音平―5:18 雲海展望台―5:56 押手川分岐―7:04 編笠山〜7:14 発―7:43 青年小屋―8:13 のろし場―9:02 権現岳―9:56 のろし場―10:15 青年小屋―11:16 西岳〜11:48 発―12:47 青年小屋―13:44 押手川分岐―14:13 雲海展望台―14:50 観音平=16:00 矢立石駐車場  (車中泊)
8月29日(日) 6:22 矢立石駐車場―7:00 錦滝登山口―8:10 日向山―8:58 矢立石駐車場=(往路を戻る)=14:40 新潟
 八ヶ岳は、山梨・長野県境に南北30km、東西15kmにわたって広がる独立した火山群である。北部は針葉樹原生林の中に池沼、草原、岩峰をに点在させる逍遥的な山であり、南部は険阻な岩稜を連ねる登攀的な山である。八ヶ岳の名前の由来は、多数の意味で「八」の峰といったのか、八の峰を特定した上での命名かは不明である。八つの峰としては、編笠山、西岳、権現岳、赤岳、阿弥陀岳、横岳、硫黄岳、天狗岳(あるいは峰ノ松目)をさすという。

 日向山は、甲斐駒ヶ岳の北東に位置する山で、山の形は幅広尾根の高まりといった風であるが、山頂の西斜面には雁ヶ原と呼ばれる花崗岩が露出した崩壊地があり、独特の景観を見せている。

 まだ登っていない高めの山を考えていくと、八ヶ岳の権現岳が思いついた。高速のインターから近く、合わせて編笠山や西岳といったピークハントも行える点も良い。途中の生年小屋のキャンプ場も快適なようであったが、日帰りで登ることにした。
 諏訪パーキングで時間調整をしていると、雷雨に見舞われた。土曜日になって高速を下りた。観音平へは、幅広の車道が続き、高度も一気に上がった。観音平には、広い駐車場が設けられており、十台ほどの車が停められていた。雨は幸い上がっていた。
 翌朝、到着する車の物音で目を覚ました。手早く準備をして、暗い中、ヘッドランプ頼りに歩きだした。カラマツ林の下生えの笹原に登山道が続いていた。裾野の広い山だけあって、始めは緩やかな登りが続いた。夏の終わりになって、ヘッドランプを消すのも、5時と遅くなってきていた。
 うすぐらい登山道を歩いていくと、ベンチの置かれた雲海展望台に到着した。まだ薄暗く展望の条件は悪かったが、それほどの展望が広がっているわけではなさそうであった。 再び、淡々とした登りが続いた。登山道には石が露出して歩きにくく、脇の木立に足跡が乱れながら続いていた。続く目標の押手川では、台地の中に沢の源頭部のような水の流れがあり、これが名前の由来のようであった。ここでは、生年小屋に至る迂回路が分岐するが、この道は帰りに使うことにして、直進して編笠山を目指した。
 傾斜は次第にきつくなり、石の露出で歩きにくくなった。足が疲れてきたところで、編笠山の山頂に到着した。早朝の歩きは、頭もはっきりしないだけに、無心のうちに行程がはかどる。
 ここまでは、薄暗い樹林帯の登りが続いたが、編笠山の山頂では、一気に展望が広がった。今回の主な目標の権現岳は、目の前にまだ高く、その左には、赤岳と阿弥陀岳が並んでいた。振り返れば、甲斐駒ヶ岳を中心に、左に北岳、右に仙丈ヶ岳が並ぶ姿を眺めることができた。富士山も大きく見えていた。西岳を探すと、一段低く、山頂部がガレ場になって木の生えていない姿を見ることができた。朝の光に浮かぶ山々の眺めを楽しむことができたが、気温も上がってきており、この後は雲が上がってきそうな雰囲気であった。
 編笠山からは急な下りになり、青年小屋をすぐ下に見下すようになると、ペンキマークを頼りに、大岩を伝い歩くようになった。団体だとここを歩くのには手間取りそうであった。
 青年小屋は、人気の小屋のようで、内部からも人声が聞こえていた。入口に「遠い飲み屋」と書かれた赤ちょうちんが吊るされているのは気に入った。残念ながら、飲むには時間も早く、権現岳へは、もうひと頑張りする必要があるので先に進んだ。
 樹林帯の中を登っていくと、小ピークの上に出て、そこにはのろし場と書かれた標柱が置かれていた。僅かに下った先には、権現岳山頂に寄り添う鋭鋒のギボシに向かっての急坂が待ち構えていた。
 ガレ場を登っていくと、岩場の登りが続くようになった。急坂を登りきってギボシかと思ったが、騙しのピークであった。ギボシの中腹をトラバース気味に登るようになり、鎖も張られた岩場が続くようになった。登りはともかく、下りの時は、鎖があって安心な状態であった。
 ギボシのピーク直下で、山頂に続く稜線に乗った。僅かに下ると権現小屋の前に出て、そこからはひと登りで権現岳山頂になった。キレットを越して赤岳に続く登山道と三ツ頭への登山道が分かれる三叉路で、登山地図を見るとここが山頂のように書かれているが、三ツ頭方面に高い岩が並んでいるので、そこまで足を延ばすことにした。ガスが上がってきて、赤岳方面の展望は早くも閉ざされていた。
 岩峰の下に出ると、踏み跡が岩峰に向かって続いていた。一番高い岩峰に権現岳の山頂標識が置かれていた。岩峰の上に立つことは恐ろしいので、標識に触って登頂とした。一同揃っての記念写真は不可能な山頂であった。岩峰下の草地には、秋の訪れを告げるトウヤクリンドウの花が咲いていた。猛暑が続いているといっても、季節は進んでいるようであった。
 下りの岩場を考えると、権現岳でビールを飲むのは、先延ばしにするしかなかった。岩場を注意しながら下った。権現岳や赤岳を目指す登山者にもすれ違うようになり、青年小屋に戻ると、登山者で賑わっていた。
 小屋の脇には、広いキャンプ場が広がっていた。数分歩くと、乙女の水があり、冷たい水を飲むことができた。青年小屋のキャンプ場で一夜を過ごすのも楽しそうであった。
 西岳へは、緩やかな尾根歩きが続いた。登山者も少ないようで、落ち葉を踏みしめるような道が続いた。地図では、尾根の一段下をトラバースするように書かれているが、実際には、尾根上に道が続いていた。
 最後に緩やかに登っていくと、ガレ場になった西岳の山頂に到着した。二人連れがいたが、入れ替わりに立場川方面に下っていった。お待ちかねのビールタイムになった。ガレ場にはマツムシソウが咲き乱れていた。ガスが時折り切れて、権現岳や編笠山が姿を現した。青年小屋も遠い距離に見えて、帰りの歩きがいささか厭になった。
 ビールのせいで、帰りの足取りは重くなった。気温が高く、大汗をかいた後のビールは美味いが、体に堪える。
 青年小屋の周辺はさらに賑わっていた。編笠山からも大勢の登山者が下ってくるのが見えたが、迂回路に進んでも、大勢とすれ違った。時間的にみて、青年小屋で泊る者が多いようであった。
 迂回路は、岩が露出していたり、その間に水溜りができていたりして歩きにくい道であった。すれ違う者も、登りに疲れきっているようであった。押手川分岐の分岐に戻り、下りの足を速めることになった。
 途中で大勢の登山者に出合っただけに、戻った駐車場は満杯状態で、車道脇の駐車の列が続いていた。
 観音平から車道を下っていった所の道の駅に付属する日帰り温泉で登山の汗を流してさっぱりすることができた。翌日は、登山口の近い日向山を登ることにしたが、食料の買い出しのためにコンビニに入ったが、棚は空で、夕方の商品入荷を待つため、しばらく時間つぶしをする必要があった。
 一旦国道20号線に出てから、道の駅「はくしゅう」の脇から山に向かって直進した。集落を過ぎて尾白川林道に進むと、日向山登山口までの距離を示す案内標識が連続して現れるようになった。車のすれ違いには徐行が必要な道幅であるが、舗装された道路が続いた。カーブを交えながら高度を上げていくと、登山口手前で未舗装の道に変わった。幸い、その先は僅かで、日向山登山口の矢立石に到着した。
 登山口付近の道幅は狭く、車を斜めにして駐車するよう表示されていた。夕暮れ近くで車が二台残されているだけであったので、車の回転も楽であったが、車が並ぶと難しくなりそうであった。翌日の歩きで判ったことだが、林道を少し先に進むと、路肩が広くなっている場所があった。
 誰もいなくなった登山口で、静かに夜を過ごすことができた。日向山のコースタイムは短いため、ゆっくり起きれば良いと思っていたが、翌朝は、到着した車の物音で目を覚ますことになった。この山は、登山口の駐車スペースが少ないことから、早めに到着する登山者が多いのかもしれない。
 朝食を取りながら様子を見ていると、矢立石の登山口から登りだすものが多いようであった。ガイドブックに従って、錦滝から登って矢立石に下りてくることにした。
 林道を歩きだすと、すぐ先で林道のゲートがあった。その先は、落石や倒木で、車の通行はできない状態になっていた。林道の歩きは、前日の歩きで足に疲れも出ており、朝の足慣らしのために良かった。所々で、左手の谷奥に甲斐駒ヶ岳を望むことができた。尾白川を挟んで向かい合う尾根が、甲斐駒ヶ岳へ直接上り詰める黒戸尾根のようであった。歩きたいコースである。
 ひと汗かいて錦滝の登山口に到着した。あずまやが設けてあり、そこから滝への踏み跡と日向山への登山道が始まっていた。あずまやの手前には、パイプから流れ出る水場も整備されていた。
 木の枝や鎖を頼りに登る急な登りが始まった。足を滑らせれば滑落の危険も高い道であった。登りの途中で息が切れて、立ち休みをする必要も出てきた。標高差250mほどでこの急登も終わるはずと思って頑張ることになった。この急坂を下りには使うのは、確かに勧められない。
 ようやく傾斜が緩んで尾根に乗ったところで、ザックを下してひと息ついた。その先で右手に方向を変えると、大岩山への登山道が高みに向かって分かれた。小さな谷に入ると、真っ白な砂で覆われるようになった。足元も不安定で、登りの体力も余計に必要になった。尾根上に出ると、白砂の上に岩が並ぶ眺めが広がった。日向山の山頂はすぐ上のようであったが、岩の眺めを楽しみながらの写真撮影モードの登りになった。白砂の斜面を登りながら振り返ると、岩塔の眺めも変わってきて、その背後に甲斐駒ヶ岳が大きく聳えていた。雁ヶ原は、日向山の山頂を越した先の北から西斜面にかけて広がっているので、先行の登山者も、日向山の山頂を越して、一段下まで風景を楽しみに下りてきていた。雁ヶ原は、燕岳の山頂部を規模縮小したといった感じであった。
 雁ヶ原の眺めを楽しんだ後、矢立石への下りにとりかかった。こちらの道は、難所も無く歩きやすものであった。家族連れも含めて、大勢の登山者にすれ違った。初心者は、矢立石からの往復が、無難のようである。
 矢立石に下山してみると、登山口周辺は満杯状態で、路肩駐車の車も登山口の手前に続いていた。
 下山時間は早かったが、これで充分という気持ちになって、早めに家に戻ることにした。

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