高頭山、大鷲山

高頭山
大鷲山


【日時】 2010年7月9日(金)〜11日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行 
【天候】 10日:曇り 11日:曇り時々雨

【山域】 富山県東部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 高頭山・たかずこやま・1203.3m・二等三角点・富山県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高山/五百石/千垣
【ガイド】 新・分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)
【コース】 河内より
【温泉】 ゆーランド 600円

【山域】 北アルプス北部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大鷲山・おおわしやま・817.0m・三等三角点・富山県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高山/泊/親不知
【ガイド】 新・分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)
【コース】 境橋より

【時間記録】
7月9日(金) 19:10 新潟=(北陸自動車道 経由)=23:10 有磯海SA  (車中泊)
7月10日(土) 4:30 有磯海SA=(立山IC、大山寺、熊野川ダム 経由)=5:30 河内登山口〜6:02 発―6:44 三枚滝分岐〜7:01 発―8:19 高頭山〜8:27 発―9:14 三枚滝分岐―9:44 河内登山口=(熊野川ダム、芦峅寺、R.8、魚津、平沢、魚津、R.8 経由)=17:30 道の駅「越後市振の里」 (車中泊)
7月11日(日) 5:35 境橋登山口―6:48 林道―7:46 大鷲山〜8:02 発―8:39 林道―9:35 境橋登山口=(親不知IC 経由)=12:30 新潟
 高頭山は、富山県中央部を流れる神通川の支流である熊野川右岸の山である。登山口の河内集落は、現在は廃村になっているが、槍ヶ岳開山で知られる播隆上人生誕の地である。

 大鷲山は、富山と新潟の県境になる境川左岸の山である。新しく登山道が開かれた山で、地形図にも山名は記載されていない。

 梅雨も終盤に近付いているが、局地的豪雨が各地で起きている。早池峰山へ花を見に出かけようと思って準備をしていたが、東北方面は寒気の入り込みで雨に見舞われるようであった。天気の良さそうな方面を見ていくと、富山方面が、少しは希望が持てそうであった。アメダスのデーターを確認すると、北陸方面では各地で局地的な豪雨になっているようであったが、天気予報を信じて富山に出かけることにした。
 登る山は、ブログで最近話題になった播隆上人の生地から登る高頭山と付近の低山にした。
 高速の割引の関係で、有磯海SAにて夜を過ごすつもりであったので、のんびりと車を走らせた。親不知を通過する頃から、前を見るのが困難な豪雨に出合った。なんとか有磯海SAに到着したところで、ドライブはここまでとした。
 翌朝は、幸い雨は止んでいた。立山ICで高速を下りて、岩峅寺から熊野川ダムに通じる県道184号線に進んだ。ダムサイトを過ぎてしばらくは良い道が続いたが、急に細い道に変わった。ガードレールの無い崖際の道で、小さなカーブが連続した。対向車が来ないことを祈りながら車を進めた。
 杉林が周囲に広がるようになると、河内に到着した。廃村になったというが、住宅ではない建物が一軒あるだけであった。
 まずは、播隆上人のお墓が現れた。播隆上人の生家である中村家の代々の墓で、中央には新しい墓石が立てられており、右手の頭が尖った丸い古い墓石が、播隆上人のお墓のようであった。さらに、河内神社を過ぎると、生誕地の石碑と顕頌の記が置かれた広場が右手に現れた。播隆上人の生誕の地は、廃村になったことが理解できる谷奥であった。
 その先で熊野川を渡ると、林道は鎖が掛けられて進入禁止になっており、その前の広場に車を停めた。車が一台停められており、釣り人が川に下りていった。
 広場の脇から登山道が始まっていた。雨あがりで草が濡れていたため、長靴を履いての登山になった。
 細尾根の急な登りであるが、階段状に整備されていた。ひと登りすると、左手から山道が合わさった。発電所の施設を見下すことができた。地図の破線は、発電所から登ってくるように書かれているので、登山者用に新しい道が切り開かれたようである。
 急登が収まると、その先で、導水管の脇を歩くようになった。コンクリートで固められた通路が設けられ、急な所には階段が設けられていた。急な個所を迂回する道も付けられていたが、階段登りで一気に高度を上げていった。
 導水管は一旦左に方向を変え、登りを続けていくと、取水の建物が見えてきた。その手前で導水管の右手に移ると、その先で三枚滝に至る水平道に出た。
 三枚滝に至る水平道を進むと、左の尾根上に向かう道が分かれた。両矢印の登山標識が水平に置かれていたので、そのまま先に進んだが、尾根上は次第に遠ざかっていき、やはり違うと引き返しになった。
 見送った山道が、やはり正しい道であった。尾根沿いの急な登りが続いた。少し我慢すると、傾斜も少し和らいだ。ブナ林が周囲に広がるようになった。
 山頂手前のこぶを巻くと、高頭山の山頂も迫ってきた。高頭山の山頂は台地状で、三角点は藪の中の刈り払い部に頭を出していた。その先の広場に、山頂標識が置かれていた。ブナ林に囲まれて見晴らしは無い山頂であった。高頭山は、さほど特徴のある山ではなかったが、播隆上人の生誕の地の山ということで、登る価値が出てくる。
 下山後、車で細い谷沿いの道を引き返すのに緊張した。熊野川ダムの堰堤に出ると、高頭山が湖面の向こうに頭を持ち上げているのを眺めることができた。
 時間も早かったが、山は終わりにして、立山博物館を見学することにした。以前にも訪れたことがあるが、ここには剱岳の山頂で発見された錫状の頭と銅剣や立山曼陀羅が展示されている。新田次郎原作の「劔岳 点の記」が映画化されて話題を呼んだが、立山博物館は、合わせて是非見学したいものである。
 翌日は、一等三角点ピークの濁谷山のために、魚津経由で片貝川沿いの道に進んだ。平沢から林道に進むと、沌滝の入口の先で林道が閉鎖になっていた。登山口まではかなりの距離があるため、濁谷山は断念することになった。
 計画変更として、新潟との県境近くにある大鷲山を登ることにした。国道脇から登るので、アクセスに関しては問題はない。
 国道8号線に戻り、新潟側へ県境を越えた市振の道の駅で夜を過ごした。
 大鷲山は、登山道が最近開かれた山である。岳人だったかに紹介されていたが、分県登山ガイド「富山県の山」の改訂版に新たに収録されている。
 登山口は、境橋のたもとの廃業されているドライブイン脇からになる。国道脇にラジオのチャンネルが書かれた青い看板があるのが目印になる。ドライブインは廃業になっているが、営業している施設もあるようであった。車を置いてよいのか判らないので、川沿いの道に入って発電所入口のスペースに車を停めた。
 大鷲山登山口の標柱に従って登山道に進んだ。ひと登りすると、尾根を横切っている用水堀に突き当たった。左に少し進むと、用水堀にコンクリート板が置かれていた。用水堀を渡り、尾根に取り付いた。送電線の鉄塔下を通り過ぎると、杉林の中の急な登りが始まった。続いて小ピークの上に立つ鉄塔の下を通過した。
 鉄塔の立つ小ピークを僅かに下ってからは、ひたすらの急な登りが続いた。大鷲山は、800mほどの標高しかないが、登山口が海岸脇なので、体力が必要な山である。
 最初の目標地点は、470mピークである。ピーク手前で、木立が刈り払われて、海岸部の眺めが広がっていた。時折り雨がぱらついたものの、ザックカバーをかぶせるだけですんでいた。
 470mピークからは、標高差50mほどの急な下りになった。帰りが思いやられた。
 その先で、林道に飛び出した。右に少し回り込んだ所にベンチの置かれた園地があり、その前から登山道が始まった。
 再び、尾根の急な登りが始まった。曇り空といっても、大汗をかいての登りになった。展望も花も無い山であるが、体力維持のための運動と思えば良い山である。
 ようやく急登を終えると、尾根は右手に方向を変えた。傾斜も緩んで山頂到着かと思ったが、山頂は、谷を巻いた先であった。もうひと頑張りの登りが必要であった。
 大鷲山の山頂は、幅広い刈り払いが行われており、富山平野と日本海の眺めと、栂海新道沿いの犬ヶ岳付近の眺めが広がっていた。展望を楽しめる山であった。
 帰りは、急坂のため、一気の下りになった。新潟県境を僅かに越えた富山県の山ではあるが、親不知沿いの山として、新潟県の登山者も登るべき山である。

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