明神峠

明神峠


【日時】 2010年6月20日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行 
【天候】 曇り

【山域】 越後三山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
明神峠・みょうじんとうげ・1236.0m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/八海山/八海山
【ガイド】 新潟日帰りファミリー登山(新潟日報事業社)、山と高原地図「越後三山・平ヶ岳・巻機山」(昭文社)
【コース】 銀の道

【時間記録】 7:00 新潟=(関越自動車道、小出IC、R.352 経由)=9:00 駒ノ湯入口〜9;14 発―10:20 五合目―11:43 明神峠〜11:58 発―13:00 五合目―13:43 駒ノ湯入口=(往路を戻る)=16:00 新潟
 江戸時代に、只見川上流の銀山平に銀鉱が発見され、鉱山関係者によって町もでき、遊女も訪れるといった賑わいを見せたという。しかし出水や落盤によって多数の死者を出し、江戸時代末期には閉山したという。小出から銀山平に入るには、現在ではシルバーラインあるいは、枝折峠経由の国道352号線が用いられているが、かつての鉱山道も「銀の道」という名前で保存維持されている。

 新潟も梅雨入りとなり、土曜日は雨のために山に出かける意欲を失って家に閉じこもっていた。日曜日は、曇り空のようなので、山に出かけることにしたが、登る山に頭を悩ますことになった。結局、歩かず仕舞いになっていた「銀の道」を歩くことにした。
 2007年9月15日に、銀山平の石抱橋から越後駒ヶ岳を登り、下山の際に明神峠から銀の道を歩いた。銀の道の銀山平側は歩いたが、小出側は歩いていないことになる。
 駒ノ湯入口の駐車場に車を停めた。望む越後駒ヶ岳の山頂部は雲に隠されていた。すでに、車は二台停められていた。コーヒーを入れて朝食のパンを食べてゆっくりと出発した。
 林道の入り口には登山ポストが置かれており、駒ヶ岳への登山道は、右手に入って橋を渡るが、そのまま直進する。林道を200mほど進むと、左手に一合目坂本宿という標識が現れた。坂本宿というのは、銀山への人の出入りを監視する口留番屋の置かれた場所である。この後は、十合目の明神峠まで、各合目に標識が置かれていた。
 緩やかに登る山道が続いた。高度を上げる所も、大きなカーブを描くので、足にやさしい。ブナ林を登っていき、二合目目覚し、三合目楢の木、四合目水函を通過した。このコースに水場はないので、雨水を溜めるはこが置かれていたのであろうか。
 尾根上が近付くと、五合目半腹石に到着した。道半ばということで、腹ごしらえでもしたのであろう。この先で、ようやく尾根上に出た。六合目中ノ水を過ぎた先で、単独行を追い抜いた。出発の時にのんびりしていたので、先行者に出会うとは思っていなかった。かなりペースが遅いようである。気温は上がって、汗がしたたり落ちるようになった。  七合目千体仏、八合目仏堂を過ぎたが、石仏のようなかつての峠道を偲ばせるような遺構がないのは残念であった。傾斜が少し増すと、九合目日本坂であった。もうひと頑張りで傾斜もゆるくなり、主稜線も近づいてきた。
 枝折峠からの登山道に飛び出すと、すぐ上にお堂が設けられており、十合目大明神になる。お堂の中は、枝折大明神が祀られている。お堂からひと登りすると、三等三角点の置かれたピークに出て、ここの標識には明神峠と書かれている。三角点の点名は「枝折峠」になっている。かつては、このピークが大明神山で、明神峠は、かつては枝折峠と呼ばれていたという。
 ピークの周囲はガスに囲まれて、展望は閉ざされていた。汗をぬぐいながらひと休みした後に下山した。
 道も良いため、足早に下山できたが、途中で汗がしたたりおちるようになった。日差しは弱いが、蒸し暑さがきいているようであった。銀の道は、ほど良い運動になった。

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