磐梯山、西大巓、頭殿山

磐梯山
西大巓
頭殿山


【日時】 2010年6月11日(金)〜6月13日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行 
【天候】 11日:晴 12日:晴 13日:晴

【山域】 磐梯山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
磐梯山・ばんだいさん・1818.6m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/磐梯山/猪苗代、磐梯山
【ガイド】 山と高原地図「磐梯・吾妻・安達太良」(昭文社)
【コース】 渋谷登山口より
【温泉】 川上温泉二九八 500円 

【山域】 吾妻連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 矢筈山・やはずやま・1510m・なし・福島県、山形県
 西大巓・にしだいてん・1981.8・二等三角点・福島県、山形県
【コース】 白布峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/吾妻山/檜原湖、吾妻山
【ガイド】 山と高原地図「磐梯・吾妻・安達太良」(昭文社)

【山域】 朝日連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 頭殿山・とうどのさん・1203.0・等三角点・山形県
 尖山・とんがりやま・900.9m・山形県
【コース】 黒鴨より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/荒砥/荒砥
【ガイド】 新・分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)

【時間記録】 
6月10日(木) 18:30 新潟=(R.49、安田IC、磐越自動車道、猪苗代磐梯高原IC、R.115、R.459 経由)=21:30 磐梯国際スキー場入口  (車中泊)
6月11日(金) 5:50 磐梯国際スキー場入口―6:35 登山ポスト―6:56 渋谷登山口―8:25 沼ノ平分岐―9:20 弘法清水―9:44 磐梯山〜10:11 発―10:34 弘法清水―12:45 渋谷登山口―13:03 登山ポスト―13:40 磐梯国際スキー場入口=(R.459、桧原湖、早稲沢 経由)=15:30 白布峠 (車中泊)
6月12日(土) 6:40 白布峠―7:44 矢筈山―7:47 馬場谷地入口〜8:06 発―10:07 西大巓〜10:16 発―11:35 馬場谷地入口―11:40 矢筈山―12:33 白布山=(白布温泉、米沢、R.287、長井、鮎貝、黒鴨 経由)=15:00 林道入口  (車中泊)
6月13日(日) 4:45 林道入口―6:14 林道終点―6:22 鳥取場―6:22 新道分岐―7:10 水場―7:27 頭殿山〜7:57 発―8:13 水場―8:35 新道分岐―9:03 鳥取場―9:11 尖山―9:16 鳥取場―9:23 林道終点―10:33 林道入口=(黒鴨、鮎貝、手の子、R.113、大島、R.290、三日市、R.7 経由)=14:30 新潟
 磐梯山は、会津の中心部猪苗代湖の北側に位置する火山である。磐梯火山は、大磐梯山、櫛ヶ峰、赤埴山の三つから構成されており、方向によって姿が異なる。1888年の水蒸気爆発によって大磐梯山の北に位置していた小磐梯山は吹き飛び、流れ出た土砂は川をせき止め、裏磐梯の湖沼地帯が作られた。

 山形と福島との県境に広がる吾妻連峰は、東・中・西吾妻に分けられるが、西吾妻を代表するピークが西吾妻山と西大巓である。西吾妻山と西大巓は、福島と山形の県境線上にあるが、西の白布峠からこの県境線沿いに矢筈山を経て登山道が設けられている。

 頭殿山は、朝日連峰の代表的登山口である朝日鉱泉の南にある山で、山頂からは大朝日岳の眺めが広がっている。かつては、朝日鉱泉を経て朝日連峰に入るメインルートであったが、現在では車道の整備によって、朝日鉱泉への道は廃道になっている。

 シルクロードの旅に出かけたため、二週続けて山はお休みになった。毎週山に行っていないと、季節の移り変わりと、足の状態に不安が残る。仕事の関係で金曜日も含めた三日間の休みになったが、日帰りの山を続けることにし、高速道の週末割引が使えないため、100km圏内の磐梯山に出かけることにした。
 木曜日の夕方に出発をして、安田Cから高速に乗った。高速を走る車が少なく、途中のスペースに工事車両が何台も停まっているのを見ながら、なにかおかしいなと思いながら車を走らせた。西会津PAでトイレに入ると、津川から西会津の間で、工事のために夜間通行止めが行われており、丁度この日がそれに当たっていた。通行止めになる8時の直前に津川を通過したため、車が少なかったことが判った。通行止めを知らないでのんびりと家を出てきたので、危ういところであった。
 磐梯山は、これまで三回、裏磐梯スキー場と猪苗代スキー場から登っている。今回は、まだ歩いていない渋谷コースを歩くことにした。磐梯山の山麓には、多くのスキー場が設けられているが、渋谷コースも磐梯国際スキー場から歩き出すことになる。スキー場下の広場に車を停めて寝たが、夜明けと同時に山菜採りの車が通り過ぎて目を覚ました。おかげで、予定より早い出発になった。
 ゲレンデ入口で、林道は通行止めになっており、歩きだすことになった。ゲレンデ下部のリフト一本分を登ると、ゲレンデから離れての林道歩きに変わった。朝の涼しいうちはゲレンデ歩きも苦にはならないが、下山の頃には日差しを遮るものがなく熱さが堪えるようになるので、木陰が続く林道歩きの方が助かる。
 廃止になったリフト乗り場を過ぎると、登山届のポストが現れた。その先は、琵琶沢の左岸に沿った林道歩きが続いた。地形図では、969.7m点を経て尾根沿いに登山道が続くように書かれているが、このコースは廃道のようで、実際の登山道は異なっている。
 林道歩きを続け、砂防ダムの堰堤下を過ぎると、渋谷登山口の標識があり、ここから登山道が始まった。ひと登りすると林道を横断することになった。数回の林道の横断があり、先の登山道の入り口が少し離れているところもあった。最後の部分は、林道を少し歩いてから登山道に入ることになった。
 しばらくは緩やかな登りが続くが、次第に傾斜はきつくなって汗がしたたり落ちるようになった。登山道の周囲に笹原が広がって、刈り払いの笹の切り口で歩き辛いところも出てきた。
 1220点を過ぎると、琵琶沢へ落ち込む斜面のトラバース道になった。登山道の周囲をイワハタザオの白い花が埋めつくしているのに出会った。イワハタザオの花は触ると落ちやすいので、登山道を進んで花を落とす前に写真撮影を行うことになった。登山者がほとんどいない道のために、花ものびのびと咲いているようである。
 消え残りの残雪を見せる沢が近付いてくると、その向こうに磐梯山の山頂が姿を現した。その先で、櫛ヶ峰と磐梯山の間に広がる沼ノ平の一郭に出た。地図に記されている琵琶沢源頭の池は水が無くなって、砂礫の火口原になっていた。火口原と磐梯山の山頂の組み合わさった眺めが素晴らしかった。
 櫛ヶ峰の麓の小さな池の脇からは、稜線を直接目指せば近いようであったが、トラバース気味の登山道に従って、猪苗代スキー場からの登山道の合流点を目指した。
 猪苗代スキー場からの登山道の合流点から先は、これまで二回歩いている。稜線直下には残雪も見られ、今年の雪融けの遅さが実感できた。今回の目的のひとつに、バンダイクワガタを見ることがあった。先回の6月14日の山行で見ることができたのだが、今回は、探しながら歩いたが、見つけることはできなかった。そのかわり、先回は見なかったアズマギクを見ることができた。
 櫛ヶ峰との鞍部に出ると、裏磐梯側に荒々しい爆裂火口壁が落ちこむ姿を眺めることができる。少しもやっていたが、銅沼や桧原湖が眼下に広がっていた。天狗岩を仰ぎ見ながらの登りが続いた。
 ガレ場を登って台地に出ると、草原が広がり、ミヤマキンバイが群落状態に咲いているのに出会った。水場で喉を潤し、ひと息ついた。
 もうひと登りすると、弘法清水に到着した。時間も早く、二軒ある小屋は閉まっていた。磐梯山への山頂へは、もうひと頑張りする必要がある。休日だと登山者で混み合う道であるが、平日の早朝とあって、二人連れを追い越すと、その後はトップになって、誰もいない磐梯山の山頂に到着した。沼ノ平に到着した時には、青空が広がっていたが、早くもガスがでてきて、展望は閉ざされてしまった。
 ひと休みの後に下山を開始すると、多くの登山者が登ってくるのとすれ違うようになった。もっとも楽な八方台から登ってきた者が大部分のようであったが、それでもかなり草臥れている者もいた。
 沼ノ平を過ぎると、歩きに専念するようになったが、最後の林道歩きはいささか長く感じられた。
 下山後は、お馴染みの川上温泉で入浴し、桧原湖交差点のコンビニで買い物をして、翌日の山のために白布峠に向かった。
 白布峠には、トイレも設けられた大きな駐車場が設けられていた。舗装面をみると、スリップさせたタイヤの跡が付けられていた。夜中にローリング族が出没する可能性があるため、山形側に少し下ったところの駐車場で夜を過ごした。
 白布峠からは、道路の法面上に沿った歩きがしばらく続いた。一旦緩やかに下っていくと、登山道の入り口に到着した。
 登山道は、ブナやナラの雑木林の中を、小さなアップダウンを繰り返しながら続いた。山に登っているとは感じられない道であった。
 最初の目標値は矢筈山であるが、僅かな高まりで、地図を良く確認していないとそのまま通過してしまうような山であった。山頂標識も設けられてはいなかった。
 矢筈山から下っていくと、馬場谷地の分岐に出た。馬場谷地を通過していた旧道は、湿原保護のために迂回する新道に変更されている。
 旧道をのぞくと、最近の刈り払いが行われているのが見えた。湿原の入口まで進んでみることにした。笹原の刈り払い道を緩やかに下っていくと、湿原の入口に到着した。湿原には、輪切り丸太を埋め込んだ歩道が整備されていた。入口の小さめの湿原の奥に進むと、広い湿原に出た。湿原からは、西大巓や矢筈山の眺めも広がっていた。湿原の脇には、ミズバショウの花が咲いていた。
 遊歩道の終点に進むと、その先の旧道は、笹藪の中に完全に消えていたので、来た道を戻った。馬場谷地への刈り払いは、昨年末あたりに行われたように思われ、湿原保護のための立ち入り禁止との関係が判らなくなった。刈り払いを行わずに放置すれば、そうとうな密藪のため、湿原に入ろうとしても入れなくなるのは確実である。
 新道は、馬場谷地の南を大きく迂回し、小さな沢を横切るのに短い階段を登り降りする必要もあって、余計な体力が必要になっていた。回り込んだところの一か所だけだが、馬場谷地の眺めが得られる所があった。
 馬場谷地を過ぎると、西大巓への登りが始まった。標高差500mほどなので楽勝と思っていたが、思わぬ苦戦を強いられることになった。中段で傾斜が増すと、沢で土が流されて岩が露出した沢状の登山道の登りになった。残雪も現れて、雪融け水が流れるなかの登りになった。吾妻連峰の登山道は、ぬかるんでいることが多いため、この日はスパイク長靴を履いてきていたのが、助けになった。普通の登山靴では、足がずぶ濡れになるのは免れないところであった。
 ようやく傾斜が緩むと、一面に残雪が広がるようになった。といっても、残雪期の山とは違って、藪と残雪が交互に広がっているため、登山道を忠実に辿る必要があった。先行者が独りいるようであったが、そのトレースは登山道を忠実に辿っているとはいえないところもあった。登山道沿いには、赤いテープが付けられていたが、その間隔は開いており、あまり助けにはならなかった。黄色いビニールテープは、完全な残雪期のもののようで、まっすぐに高みを目指していた。GPSでコースを記録しているので、来た道を戻ることはできるはずであったが、自分でも要所にテープを付けながら登った。
 1900m付近で、完全に登山道を見失った。残雪と藪の境を登山道を探しながら辿った。残雪が高みに延びた所で、藪の先に赤テープが木に付けられているのが見えた。ヤブコギで前進すると、登山道に再び飛び出した。下山時に登山道を辿って判ったことだが、正解は山に向かって左手に曲がってから登るように続いていた。その先も、登山道が曲がる所もあったが、迷うことはなかった。
 西大巓の山頂に到着すると、グランデコスキー場からの二人連れと、先行の単独行が話し込んでいた。耳に入ってきた話では、単独行は、途中から道が判らなくなって、ひたすら高い方を目指してきたという。下山の自信はなく、グランデコスキー場からの登山道の状態はそう迷う心配もないことを確認していた。
 西大巓の山頂からは、鞍部越しに、西吾妻山の山頂が大きく横たわるのを眺めることができる。グランデコスキー場からの二人連れは、西吾妻山に向かって進んでいき、単独行は下山していった。当初の予定では、西吾妻山まで足を延ばすつもりであったが、下りが気になって、西大巓から引き返すことにした。記憶が新しいうちに歩いた方が安全である。
 下りにとりかかると、残雪の上のトレースから、先行の単独行は歩いていないことが判った。グランデコスキー場に下ってしまったようである。安全のためには、賢明な選択であろうが、白布峠に置いた車の回収は大変なものになりそうである。
 登りの時に登山道を見失った場所に戻ると、夫婦連れが迷っているのに出会った。コースを逆の右手に逸れていた。正しい方向を教えて別れた。このような状態では、GPSを持っていないと怖くて歩けない。
 下山中には、他に二組の登山者と出会ったが、白布峠からの登山者は、天元台やグランデコスキー場からのコースに比べると、格段に少ない。
 順調に歩いて白布峠に戻り、下山後の楽しみである白布温泉に向かった。昔ながらの藁ぶきの建物が残る西屋で入浴した。熱い湯が惜しみなく流れ出ており、温泉らしい温泉であった。
 三日目は、朝日連峰の頭殿山を登ることにした。ガイドブックを読むと、アプローチの林道が悪路のようで、登りたいと思っていたが、後回しになっていた山である。地図を見ると、林道は歩けない距離でもない。林道入口から歩き出す決心で、頭殿山を目指すことした。
 登山口の黒鴨の手前には、昨年の朝日軍道歩きの後に車を走らせて悪路に懲りた黒鴨林道の入り口がある。朝日岳表登山口の石碑が置かれてはいるが、ここから歩いて入山するのは距離が長く無理である。むしろ頭殿山を越えて愛染峠に出る方が、まだ歩くのは可能である。
 黒鴨の集落に到着し、実淵川を渡る。橋を渡って右折すれば黒鴨温泉であるが、左折する。100mほどで右に道が分かれるので、この道に進む。大きくカーブしながら高台に進むと、再び分岐となる。左に分かれる山に向かう林道が、頭殿山に続く道のようであった。 この分岐の下に、車を停めるのに良い広場があったので、ここで夜を過ごし、明日はここから歩き出すことにした。夏日になって気温が上がっており、木陰を選んで車を停めた。
 翌朝も、早くから通過する山菜採りの車で目が覚めた。暑くなりそうな日であったため、涼しいうちにできるだけ歩いておくことにした。
 一番の関心の林道の状態であったが、急な所や部分的に荒れている所があり、四駆でなければ登れない状態であった。路面の状態を心配しながら車を進めるよりは、最初から歩いてしまった方が気持ちが良い。
 杉林の中を歩いていくと、尾根の乗り越し部では、山神塔という石碑が現れた。文政五年と書かれていたが、これは1822年に相当し、江戸時代の天保の前である。石碑はそう古いものにも見えなかったが、この道が古くから利用されてきたことはうかがえる。
 その先のY字路は左に進む。分岐には、頭殿山を示す標識が立てられており、迷う心配は無かった。分岐のすぐ先の右手には、「光明海上人墳墓」があった。湯殿山行者で、即身仏になったもので、「百年の後に掘ってみよ」という遺言に従って昭和五十三年に発掘調査を行ったところ、墳墓の中から遺骸と副葬品が出土したという。古くからの道のため、林道も歩いてみれば、見るものは多かった。
 茎ノ峯峠への道を右に分けて、左の道に進むと、軽井沢キャンプ場に到着した。コンクリート製の小屋があるものの、荒れはれていた。このような悪路をわざわざここまでキャンプをしに入ってくるものもいないであろう。
 キャンプ場から先は、さらに林道は荒れた状態になった。ここまでの林道は、分岐ごとに荒れた状態が増してくる。
 ようやく林道の終点に到着して、ひと息ついた。登山口に到着して、難所が終わったような気分になっていた。
 広場の右手から山道が始まっていた。唐松林の中を登っていくと、稜線上の分岐である鳥取場に到着した。T字路を右に行けば尖山であるが、時間も早かったので、まず頭殿山に向かった。しばらくは、登山道の周囲には杉林が広がっていたが、ブナ林の中の歩きに変わった。登山道は、稜線の北斜面の一段下に続き、アップダウンもほとんどなかった。 920m小ピークの下を通過すると、標識が現れて、稜線上にコースが変わった。トラバース道は荒れて廃道になっているようであった。ガイドブックでは、トラバース道を進んだ後に、1024点付近から尾根沿いの登りになるように書かれているが、実際とは違っていた。
 しばらく稜線を辿った後に、本格的な登りが始まった。急斜面の中ほどで、右手に沢形が沿うようになって、水場が設けられていた。水はしたたり状態で、砂が入るため、汲むのが難しい状態であった。
 急斜面を登りきると手前の小ピークで、頭殿山の山頂へは、緩やかな道をもう少し歩く必要があった。
 頭殿山の山頂は広場になって、石の祠が置かれていた。その背後には、大朝日岳の眺めが広がっていた。北には、月山も望むことができた。気温が高くなっており、汗を拭きながら眺めを楽しんだ。
 来た道を戻り、鳥取場の分岐から尖山を目指した。急斜面もそう長くはなく、尖山の山頂に到着した。頭殿山の山頂は良く眺めることができたものの、大朝日岳は隠されていた。
 林道終点の広場に戻ると、登山者をのせた車が上ってきた。悪路をよくぞ頑張ったという感じである。林道の戻りは、下り坂のため、順調に歩くことができた。

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