放山、空沢山、善光寺山、根知城山

放山、空沢山
善光寺山、根知城山


【日時】 2010年5月15日(土)〜16日 前夜発2泊二日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 15日:晴 16日:晴

【山域】 妙高連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 放山・はなれやま・1189.5m・二等三角点・新潟県
 空沢山・からさわやま・1420.9m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部、妙高山/槇、湯川内
【コース】 シャルマン火打スキー場より
【ガイド】 なし
【温泉】 柵口温泉センター 400円

【山域】 海谷山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 善光寺山・ぜんこうじやま・792m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/小滝/越後大野
【コース】 シーサイドバレースキー場より
【ガイド】 なし

【山域】 海谷山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 根知城跡・ねちじょうせき・370m・無し・新潟県
 城山・じょうやま・525.2m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/小滝/小滝、越後大野
【コース】 根小屋より栗山へ
【ガイド】 なし

【時間記録】
5月14日(金) 21:30 新潟=(北陸自動車道、能生IC、柵口 経由)
5月15日(土) =0:40 シャルマンスキー場  (車中泊)
5:35 シャルマンスキー場下―6:58 シャルマンスキー場上―8:00 放山―10:42 空沢山〜11:30 発―13:35 放山〜13:45 発―14:26 シャルマンスキー場上―15:02 シャルマンスキー場下=(柵口、能生、R.8、糸魚川、R.148、根小屋 経由)=18:00 杉之当  (車中泊)
5月16日(日) 7:05 杉之当―7:51 ゲレンデ上―8:16 善光寺山〜8:28 発―8:43 ゲレンデ上―9:20 杉之当=9:38 根小屋―10:03 山小屋―10:23 本丸―10:44 分岐―11:00 城山―11:10 分岐―11:56 栗山―12:08 根小屋=(R.148、糸魚川IC、北陸自動車道 経由)=14.50 新潟
 放山と空沢山は、火打山から北に延びる稜線の末端部近くに位置する山である。放山は、シャルマン火打スキー場のリフトの終点部からは、1時間程の歩きで到達できることから、オフビステのスキーヤーやボーダーに人気の山になっている。また、空沢山は、シャルマン火打スキー場から往復するか、笹倉温泉から火打山川を横断して登るコースが用いられている。これらの山頂からは、火打山から焼山、海谷山塊、鉾ヶ岳の遮るもののない展望が広がっている。

 善光寺山は、シーサイドバレースキー場の上部にある岩壁を抱いた山である。山頂からは、姫川を眼下に見下ろし、白馬連山や雨飾山や海谷山塊を眺めることができる。山頂近くの岩場には踏み跡があり、塩の道によって信州との交易が盛んであったことを考えると、長野の善光寺と関係が深いのかもしれない。

 根知城跡は、糸魚川の内陸部の、松本に至る大糸線脇の根小屋集落の背後にそびえる城山の中腹にある山城跡である。上杉謙信・景勝時代に、北信濃との国境警備の任務にあたっていた。一般的には紹介されていないが、根小屋と栗山から登山道が整備されている

 今年は5月に入っても寒い日が続いて、雪融けが遅れている。今年の冬にコースを考えたもののそのままになっていた山を、今年最後のチャンスとして見直すことになった.
焼山北方台地を見下す空沢山は、笹倉温泉から登るつもりでいたが、火打山川の徒渉があり、時期を見計らっているうちに、春も終わりになってしまった。雪融け水で増水した沢の徒渉は無理で、放山からの往復が確実に思われた。シャルマン火打スキー場も営業が終わって、静かな山を楽しめるはずであった。
 空沢山まで往復するには時間もかかるため、前夜のうちに登山口に入ることにした。高速を下りる能生は、海岸部の町である。シャルマン火打スキー場は、海岸部から直線距離では13kmほどしかない。残雪があるのか半信半疑であったが、柵口を過ぎて標高を上げ始めると、路肩に残雪が現れた。
 朝になってスキー場を見ると、コースに沿って白いベルトが続いていた。このスキー場は、500mから1000mの標高に広がり、高山にあるわけではない。ここの大雪は、火打山や焼山に雪雲が当たって大雪が降るという、特異な地形によってもたらされているのであろう。
 営業を終えたスキー場は、入口で柵が置かれて駐車場には入れないため、路肩に車を寄せてとめた。
 放山は、2004年3月13日の積雪期と、2008年9月9日の夏山シーズンの二度登っている。ゲレンデ上までは、向かって左手のコースを登るのが、比較的傾斜が楽である。まずはリフト一本分を登り、667m点に出た。その上からは、ゲレンデの作業道は大きなジグザグを描いて登っていくが、白い雪に覆われたゲレンデが上部に向かって真っすぐに延びていた。ゲレンデを直登することにした。
 ゲレンデ歩きは、展望を遮るものが無く、距離感が無くなるのかペースが掴みづらい。始めは息が切れたが、そのうちに呼吸も整って、足も自然に出るようになってきた。汗を拭うために足を停めて背後を振り返ると、権現岳が岩壁を落とし込んだ険しい姿を見せていた。
 ゲレンデ上部までは、1時間25分ほどの時間がかかった。リフトに乗れば必要の無い努力であるが、そのぶん静かな山を楽しむことができる。
 リフト山頂駅背後のレストハウスの右脇から登山道が始まっている。尾根沿いの雪が消えて登山道が現れていたので、しばらくは登山道歩きになった。積雪期には、大池がある西側の窪地に下りてから高みをめざすことになる。
 木立の間から、朝日に輝く火打山を眺めることができた。放山に登るなら、大展望を楽しむために晴の日に限るという第一関門はクリアしたようだ。尾根は広がり、ブナ林の中の気持良い歩きが続くようになった。
 東から尾根が合わさり、この尾根沿いに登った。山頂手前でこの尾根の傾斜は少しきつくなるので、雪の状態によっては、尾根の下を巻いて窪地を横断して、山頂から北東に延びる尾根に回り込んでも良い。
 尾根をひと登りすると、放山の山頂に到着した。山頂標識と三角点が現れていた。放山の山頂一帯は、幅広の雪稜となり、火打山や焼山の展望を楽しむことができる。放山は、リフト山頂からは1時間ほどの登りなので、山スキーヤーには人気の山になっているが、屈指の展望を楽しめる山として、登山の対象としても素晴らしい山である。
 今日の目的地は空沢山とあっては、放山の山頂でのんびりしているわけにはいかない。尾根の先をうかがうと、台形の山頂を持つ山が空沢山のようであった。まだ、距離はだいぶあり、途中の尾根の藪の状態が気になった。ただ、放山という一山を確保しているので、空沢山に登れなくとも、気は楽であった。
 放山の山頂から先も、しばらくは幅広の雪堤が続いた。雪堤は、進行方向左手に広がっていた。緩やかに下っていき僅かな高まりを越すようになると、尾根が痩せて藪が出ていた。意を決して藪に突入したが、細い灌木とつるが絡まって、一歩を進むのも容易ではなかった。尾根沿いに進むのを諦めた。左手は切り落ちており、迂回することはできない。右手も藪が広がっていたが、さらにその下に回り込むと、雪原が広がっていた。
 藪尾根を見上げながら、雪原のトラバースを続けた。枝尾根の張り出し部を巻いて、小ピークを越えてきた藪尾根の下に出た。
 残雪を拾って藪尾根の上に戻ったが、相変わらず進むのが困難な藪が広がっていた。尾根沿いの雪で埋もれた谷を下ってみたが、方向が違って尾根からは逸れていった。GPSで位置を確認すると、1194m点への登り返しになる鞍部はすぐ近くのようであった。鞍部付近からは、尾根も広がって雪堤が続いているはずであった。藪を登って尾根上に出て、つるに絡まれながらも進んだ。
 結果的には、50m程のヤブコギで、雪堤に飛び出した。一時は、敗退かと思うまでに追い込まれたが、この先は迂回のためのコースを考える必要があったとはいえ、ヤブコギはここだけであった。
 1194m点を越すと、空沢山への登りが目の前に迫ってきた。鞍部から先の尾根通しは藪が出ていたため、左手の谷を登り、その上の小ピークは巻いた。気温が上がって、雪も軟らかくなっており、足が取られて体力を消耗する代わりに、滑落の心配は無くなっていた。日差しがきつく、日焼けで顔がほてってきた。
 左手の尾根に取り付いて登りを続けると、谷が右手に沿うようになってきた。山頂が近付くと、一面の雪原が広がるようになった。空沢山の山頂部は、雪庇が張り出していたため、コースを考える必要があった。谷も僅かな窪地に変わったので、左岸尾根に移って山頂を目指した。
 空沢山の山頂部は台地状で、三角点は藪の中であった。三角点を探したが、雪も残っており、見つけることはできなかった。尾根の先に火打山を良く眺めることができたが、焼山の眺めは藪に邪魔されていた。雪原を回りこんで、三角点の南西に隣り合う高まりに進むと、そのガレ場からは焼山の遮るもののない展望が広がっていた。焼山の北方台地が眼下に広がり、火打山川や焼山川によって削られた深い溝が印象的であった。笹倉温泉から夏道を歩いた時を思い出しながら、そのコースを目で追った。焼山の山頂から噴気が上がるのもはっきり見えていた。高松山と昼闇山も目の前にそびえており、登れそうなルートを探しながら眺めた。
 放山の登山道を開いた時の話では、将来は火打山まで登山道を伸ばしたいということであった。火打山までの雪稜を目で追うと、途中で大きく雪が割れている所があり、地図を見ても崖マークが尾根に迫っており、空沢山まで来ることができてもその先は難しそうであった。放山から空沢山の間に出ていた藪を見ても、ナタメのようなものは無かった。登山道を開く作業は進んでいないようである。
 展望を充分楽しんでから下山を開始した。鞍部までの下りは、気持ちの良い雪原歩きである。鞍部から放山の山頂までは、標高差も70mほどで、比較的楽であった。途中の難所の藪は、尾根の脇に雪原が広がっていることが判っていた。藪尾根を横切ってから木の枝を掴んで3mほどの段差を下って雪原に下り立った。
 放山に戻って振り返ると、雲が出てきて、火打山の山頂にかかってきていた。山頂には、朝付けた自分の足跡しかなく、このような晴天にもかかわらず、他の登山者はいなかった。
 ゲレンデ上に戻ってからの歩きは、登りと違って一気の下りになった。
 柵口で温泉に入った後、翌日の山を考えた。当初の予定では、残雪歩きのために笹ヶ峰に行こうかと思っていたが、空沢山までの歩きで、足も草臥れていた。無理をしないことにして、糸魚川周辺の善光寺山と城山を登ることにした。
 糸魚川で夕食を取り、買い物を済ましてから善光寺山の登山口のシーサイドバレースキー場に向かった。スキー場の駐車場で夜を過ごすつもりでいたのだが、地図を見ると、少し先の別所からゲレンデ中間部の杉之当まで車道が続いているようであった。まだ明るかったので、この道を確かめることにした。
 別所から舗装された農道山口線を進むと、かなり高度を上げた所に、民家が点在していた。ゲレンデに突き当たったところで、舗装道路は終わり、ゲレンデ上に向かって管理道が続いていた。駐車スペースもあったので、明日はここから歩きだすことにして、夜を過ごした。
 善光寺山へは、ゲレンデ歩きで始まった。見た目よりも傾斜は急で息が上がったが、下から歩きだすよりは楽をすることができた。ひと登りすると、レストハウスもある中央広場に出た。左手のリフト終点の720mピークは、背後に回り込むので、その肩へと延びるゲレンデへ進んだ。
 ゲレンデの上に出ると、管理道に合わさり、左手にこれを辿った。谷を越した向かいに見えるのが善光寺山にようであったが、登る予定の左手の尾根に岩場を見せているのが気になった。地図でも岩場マークが記載されている。
 720mピークを巻き終わった所で、高みに続くゲレンデに進んだ。このゲレンデのリフト終点から、善光寺山を目指すことになる。山道のようなものがあるかと探したが、藪の中に入っていく踏み跡のようなものが見られるだけであった。ゲレンデ脇の笹藪を抜けると、その先は、ブナ林が広がり、歩きやすい状態であった。
 すぐ上の小ピークの肩に出たあと、尾根沿いに山頂を目指した。ヤブコギといっても、歩きやすい尾根であった。
 鞍部に出ると、右手からはっきりした踏み跡が合わさり、その先、山頂に向かって続いていた。ひと登りで岩場の下に出た。踏み跡に従い、一旦斜上し、折り返して、尾根上に出た。この折り返し部は、下山時に直進して崖の上に出そうになったので、場所をよく確認しておく必要がある。
 細尾根上の踏み跡を辿ると、岩場の小広場に出て、行き止まりになった。岩の窪みに、日本酒の五合瓶が捨ててあった。普通の登山者なら、日本酒の瓶は捨てていかないことから、この踏み跡は、地元の参拝者が付けたもののように思えた。信州方面の交易の歴史が深いことから、この山は長野の善光寺の信仰と関係があるのかもしれない。
 足元は、姫川に向かって一気に切れ落ちており、遮るものの無い白馬岳の眺めが広がっていた。明星山の岩場も良く眺めることができた。ドーム型をした戸倉山が隣りに聳えていた。戸倉山は、最近では展望の山として人気が高いが、この岩場を持った善光寺山も、少しは関心が持たれても良いと思う。
 岩場を注意して下り、鞍部から踏み跡を辿ってみた。すぐに見失い、ブナ林の中をトラバースしてゲレンデに戻ることになった。
 時間も少し早かったことから、根知城跡こと城山を登ることにした。2009年3月28日に登ろうとしたが、時ならぬ大雪に見舞われ、ワカンを履いてようやく根知城跡の本丸までは辿りついたが、その先の城山山頂までは登れなかった。
 根小屋集落内に進み、勝蓮寺入口のタイヤ交換スペースが、歩きだしになる。駐車スペースは車で満杯状態で、ようやく車を滑り込ませることができた。お寺で葬儀が行われているようであった。
 勝蓮寺の前を過ぎると、根知城跡登山口の標識が現れる。しばらくは、杉林の中のつづら折りの登りになった。尾根上に出ると、その先で、曲輪跡のような台地に出る。再び尾根沿いの登りになると、「古城 地蔵の館」と書かれた山小屋に出る。
 横掘の脇を抜けると、斜面の横腹を折り返しながらの登りが続くようになる。先回の雪の時期には、登山道の続きを追うのに苦労したところである。
 登山道脇にイカリソウが現れたが、赤と白の花が混在し、ピンクの花も見られた。新潟周辺ではあまりお目にかかれない色の花であった。
 広場に出ると、ここが根知城跡の本丸跡である。奥の松の木に標識が取り付けられている。城山の山頂も見えるが、そこまではまだ距離がある。
 ここからが、今日の目的の歩きになる。本丸広場からは、短いが急な下りになった。山城跡の土塁のようであった。その先は、道ははっきりしているものの、左右から木の枝が張り出すようになった。歩く者は少ないようであった。尾根は緩やかに左に弧を描き、山頂はその先であった。
 展望が開けないまま、尾根を進むことになった。山頂への登りにかかるところで、左から山道が合わさった。栗山からの道のようであった。帰りは、この道を下ることにして、城山への登りにとりかかった。
 ひと汗かくと、城山の山頂に到着した。山頂は、台地状で、草が最近刈られていた。
海岸方面の展望は開けていたが、白馬岳方面の眺めは木立に隠されていた。草の上に腰を下してひと休みした。
 鞍部に戻ってから、栗山への道に進んだ。ブナ林の中の下りになり、杉林が現れると、荒れた林道の歩きになった。咲き残りのカタクリも見られ、春の花は多そうであった。道ははっきりしているが、逆コースを辿るのは、難しそうであった。
 栗山から根小屋へは、車道歩きもそう長くない時間で戻ることができた。

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