湯殿山、沢尻山、大荒沢岳、朝日岳、モッコ岳、保呂羽山、八塩山、鳳来山、笙ヶ岳

湯殿山
沢尻山、大荒沢岳、朝日岳、モッコ岳
保呂羽山、八塩山
鳳来山
笙ヶ岳


【日時】 2010年5月30日(金) 前夜発5泊5日 各日帰り
【メンバー】 単独行 
【天候】 1日:曇り 2日:曇り 3日:晴 4日:雨 5日:晴

【山域】 月山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 湯殿山・ゆどのさん・1500m・なし・山形県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/湯殿山/湯殿山
【コース】 自然博物園より
【温泉】 志津温泉・月山の宿かしわ屋 500円

【山域】 和賀山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 沢尻岳・さわしりだけ・1260m・なし・岩手県、秋田県
 大荒沢岳・だいあらさわだけ・1313.4m・三等三角点・岩手県、秋田県
 朝日岳・あさひだけ・1376m・なし・秋田県
 モッコ岳・もっこだけ・1278.0m・二等三角点・岩手県、秋田県
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/鴬宿/北川舟、羽後朝日岳
【コース】 貝沢より
【ガイド】 分県登山ガイド「岩手県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 沢内バーデン 300円

【山域】 出羽山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 保呂羽山・ほろわさん・438.0m・二等三角点・秋田県
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/阿仁合/八沢木
【コース】 大木屋集落先登山口より
【ガイド】 分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)

【山域】 出羽山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 八塩山・やしおさん・713.4m・二等三角点・秋田県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新庄/矢島/矢島
【コース】 鳥居の沢登山口より
【ガイド】 分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 道の駅「黄桜の里」黄桜の湯 350円

【山域】 鳥海山 【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 鳳来山・ほうらいさん・858.2m・二等三角点・山形県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新庄/鳥海山/湯ノ台
【コース】 南工ヒュッテ登山口より
【ガイド】 山と高原地図「鳥海山・月山」(昭文社)
【温泉】 湯の台温泉。鳥海山荘 500円

【山域】 鳥海山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 笙ヶ岳・しょうがたけ・1635.3m・二等三角点・山形県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新庄/鳥海山/湯ノ台
【コース】 鉾立より
【ガイド】 山と高原地図「鳥海山・月山」(昭文社)

【時間記録】
4月30日(金) 15:00 新潟=(R.7、鶴岡、R.112、月山大橋 経由)=19:20 志津  (車中泊)
5月1日(土) 6:25 自然博物園―9:00 湯殿山〜9:05 発―10:20 自然博物園=(R.112、R.287、東根、R.13、横手、R.107、湯田 沢内 経由)=18:00 貝沢  (車中泊)
5月2日(日) 5:10 林道入口―5:45 大荒沢岳登山口―8:11 沢尻岳―8:46 大荒沢岳―9:26 朝日岳―10:06 大荒沢岳―10:38 沢尻岳〜11:00 発―11:53 モッコ岳〜12:05 発―12:43 沢尻岳―14:06 大荒沢岳登山口―14:45 林道入口=(沢内、湯田、R.107、横手、大雄大小屋 経由)=18:30 保呂羽山登山口  (車中泊)
5月3日(月) 7:25 保呂羽山登山口―7:37 下居堂―7:51 羽宇志別神社奥社―7:57 保呂羽山―8:21 保呂羽山登山口=(大小屋、東由利、八塩ダム 経由)=9:14 鳥居の沢登山口―9:58 八塩山―10:01 八塩神社―11:00 前平コース登山口―11:15 鳥居の沢登山口=(東由利、R.105、本庄、R.7、象潟、鳥海ブルーライン 経由)=15:00 鉾立  (車中泊)
5月4日(火) 9:00 鉾立=(鳥海ブルーライン、吹浦、R.345、遊佐 経由)=10:23 南工ヒュッテ登山口―11:33 鳳来山〜11:40 発―12:10 南工ヒュッテ―12:30 南工ヒュッテ登山口=(遊佐、R.345、吹浦、鳥海ブルーライン 経由)=15:00 鉾立  (車中泊)
5月5日(水) 5:10 鉾立―7:32 笙ヶ岳―8:20 御浜小屋〜8:45 発―9:50 鉾立=(鳥海ブルーライン、吹浦、R.7 経由)=14:10 新潟
 湯殿山は、出羽山と月山とともに、出羽三山に数えられる修験道の山岳信仰の山である。湯殿山の御神体は、山では無く、「語るなかれ、聞くなかれ」といわれてきた、北山麓の仙人沢にある温泉が湧き出る巨大な岩である。湯殿山には登山道が無いため、残雪を利用して登ることになる。

 秋田・岩手県境沿いに広がる和賀・朝日山塊において、羽後朝日岳は、登山の開かれていない秘峰である。沢登りによって登頂を果たすコースも用いられているが、登山道の開かれている南東に隣り合う大荒沢岳から残雪を利用して登頂するのが最も一般的であろう。

 保呂羽山は、秋田県南部に広がる出羽山地にある古くからの信仰の山である。山頂には、秋田県最高位の羽宇志別神社奥社が置かれている。

 八塩山は、出羽山地の中では比較的標高が高く、周囲から台地状の山頂が良く望まれる山である。

 鳳来山は、鳥海山の南山麓にある湯の台の北に位置するピークでだる。

 笙ヶ岳は、鳥海山の南西に延びる尾根の長坂道の上部に位置する山である。鳥海山の代表的登山ルートの鉾立から登り、御浜から尾根沿いに進むと、比較的容易に登ることができる。

 今年のゴールデンウィークは休みがまとまって、長期休暇が可能である。高速道の混み合いも相当なものになりそうなため、一般道だけを使っての東北旅行を計画した。本命の山は、和賀山塊の朝日岳として、それに組み合わせる山を考えることになった。初日の山としては、金曜日に新潟を出てその日のうちに登山口に到着できる湯殿山とした。その他は、現地で考えることにして、ガイドブックとともに、コンピューターとプリンターを持っていくことにした。
 鶴岡から月山に向かうと、道路脇に雪原が広がるようになった。道路の凍結が心配になったが、雨が降っており気温は高めのようであった。
 月山道路から分かれて志津に向かうと、温泉街の先でゲートがあり夜間通行止め、この先は冬用タイヤが必要という掲示が置かれていた。この警告文は、つづら折りで標高が一気に上がる月山スキー場のある姥沢までの道のことで、湯殿山の登山口の自然博物園は、すぐ先のため、問題は無いはずであった。時間も制限の7時を少し過ぎたところでもあり、ゲートも開いていたので先に進み、旧道の分岐の空き地に車を停めて寝た。
 翌朝、姥沢への道に進むと、左に除雪された道が分かれて、自然博物園の前まで車で入ることができた。建物の前の広場は、駐車禁止と書かれていたので、手前の路肩に車を停めた。
 下山後には、自然博物園の周囲は駐車した車で満杯になっていた。山スキーヤーは、ここに車を停めて路線バスで姥沢の月山スキー場に向かい、石跳川を滑り下りるというのが、定番のコースになっているようである。
 自然博物園の建物脇から、石跳川の左岸広川原に進んだ。昨日の雨は止んでいたが、そのためか雪がゆるんでいて足が潜る状態になっていた。高度を上げれば雪も締ってくるはずと、忍耐の歩きになった。車にわかんを置いてきてしまっていたが、スノーシューを持ってきていれば、楽に歩ける状態であった。
 湯殿山へは、右岸に移る必要がある。右手前方に崖が切り立ってきたところで、スノーブリッジがあり、右岸の尾根に上がりやすいところがあったので、右岸にコースを変えた。その先のピークを巻き、僅かに下るとカワクルミ沼から流れ出る沢に出た。一般的なコースは、このカワクルミ沼からの沢の合流点で石跳川を渡るようで、帰りはこのコースをとった。自然園の案内図を後で良くみると、カワクルミ沼まで遊歩道が整備されているようで、この合流点にも橋があるように思えた。
 石跳川の右岸に沿って広がる段丘の登りになった。太いブナが並んだ気持ちの良い雪原が広がっていた。ただ、沢が入り込んだりして地形は複雑で、コースを微妙に修正する必要があった。左手の谷間にカワクルミ沼があるはずであるが、雪に覆われた窪地が見えるだけであった。
 高度を上げていくと、姥ヶ岳とともに、姥沢の駐車場も見えるようになってきた。車もかなり停められており、スキー場はかなり賑わっているようであった。
 前方に高まりが見えて、そこがとりあえずの目標地点となった。この高まりは、標高1290mで尾根が合流する地点で、樹林限界を超えて傾斜の増した雪原を登ると到着した。この先は、雪稜が続いていた。右手には姥ヶ岳が向かいあい、その間には石跳川の雪渓が続いていた。
 ここまでの登りでは、熱くなって山シャツだけになっていたが、風が冷たく、フリースに雨具の上着も着込むことになった。
 細い雪稜が続いていたが、キックステップがきく状態なので、そのまま登り続けた。石跳川側に落ちると危険だが、西側のブス沼方面にかけては、スキーの滑降にも適当な雪原が広がっていた。
 ひと登りして傾斜が緩やかになった所では、灌木が頭を出しており、その周囲には大穴が隠されていた。ヤマネらしき姿を見て、足を脇にそらしたとたん、腰まで穴に落ちてしまい、その後は用心して歩くことになった。
 前方に、幾つかのこぶが並んで見えていたので、もうひと頑張りと雪原を登っていくと、予想外に早く湯殿山の山頂に到着してしまった。山頂から先に続く尾根上のピークを山頂と見間違えていたようである。
 湯殿山の山頂は広大な雪原になっていた。姥ヶ岳の左奥には月山の山頂が見えているはずであったが、ガスに覆われていた。振り返ると、鍋森から赤見堂岳にかけてのなだらかな稜線を望むことができた。この方面も歩いてみたい山域である。
 風も冷たいので、眺めをひと通り楽しんだ後はすぐに下山に移った。雪の状態も滑落の心配は無い状態なので、大股で一気に下ることができた。ブナ林の歩きに戻る頃には、山スキーヤーのグループにも出会うようになった。この日の湯殿山の登山者は、5グループ程であったが、私以外は山スキー組であった。湯殿山は、歩きにも適した山なので、山スキーヤーだけのものにしておくのはもったいない。
 石跳川の川原歩きに戻ると、背後から10名以上のスキーヤーが滑ってきて追い抜いていった。驚いたことに、通常のゲレンデ用スキーで、食料や非常装備を入れたザックを背負っている者もいないようであった。
 湯殿山登山後には、志津で温泉に入った。車に戻ると、雨が降ってきた。湯殿山登山は、比較的短い時間で終わったが、良いタイミングで下山したことになる。
 翌日は、羽後朝日岳に登ることにして、東根から横手に向かった。この区間の国道13号線は、高速道が一部建設されて無料開放になっており、以前よりも走りやすくなっている。ラジオでニュースを聞くと、各地の高速道は大渋滞になっているようであった。
 湯田と盛岡を結ぶ県道1号線沿いの貝沢に高下岳登山口の標識が置かれている。ここから登る山は大荒沢岳で、高下岳はさらに奥の山なので、少し判りにくい。
 酒屋の脇から集落内に進み、幾つかの分岐を越して、登山口に至る林道の入り口に達するのは、少し判りにくい。民家の裏の畑の奥の杉林から林道が始まっている。林道は残雪で覆われており、車は進入できず、入口の空き地に車を置いて歩きだす状態になっていた。空き地は、ぬかるんで泥田状態になっていた。車の外に足を踏み出すのも容易でないため、一旦県道に戻り、近くにあったトイレも設けられた駐車場で夜を過ごすことにした。夕暮れの空に、真っ白な稜線が浮かんでいた。
 翌朝、登山の身支度をしてから、林道入口の空き地に車を移動させた。前日からの車が一台と、他に二台の車が置かれていた。
 大荒沢岳登山口の大木ヶ原までは、35分ほどの林道歩きになる。羽後朝日岳登頂の偵察のために、昨年の9月20日に大荒沢岳まで登ったが、先回も、残雪期を想定して、この林道は歩いておいた。杉林を抜けると牧草地となり、これから登る山の稜線の眺めが広がっていた。残雪も豊富なようであった。牧草地の先の三叉路は左へ進む。山に向かっていくと、分岐に出て、ここは右の道に進む。沢の徒渉地点となり、踏み石伝いに渡れる場所を探すが、春先とあって、水の量は多い。結局、浅瀬をねらって水に足を濡らして渡った。スパッツに雨具のズボンも履いているため、短時間なら靴に水は入り込まない。その先で、もう一回沢の徒渉になるが、こちらは水量も少なく、跨ぎ越すことができた。
 その先がカツラの大木の立つ大木ヶ原で、牧草地が広がっている。登山道入り口という大きな標識も置かれているが、その先は牧草地のため、登山道の続き具合は判りにくい。 牧草地を山に向かって進むと、左隅に尾根の末端があり、ここが登り口になる。登山道8.0km高下岳と書かれた標識も置かれている。
 尾根沿いの登りが始まる。始めは杉の植林地であるが、すぐにブナ林に変わる。郡界分岐が近付くと、残雪上の歩きが続くようになった。郡界分岐から先は、ブナの大木が並ぶ広尾根の登りが続くようになった。標高770mの郡界分岐から標高1100mの前山分岐まで急登が続き、一番の頑張り所になる。
 前山分岐を過ぎると、傾斜も緩やかになって、ひと息付くことができる。広尾根を進むと、熊の足跡が、尾根を横切っているのに出会った。まだ新しい足跡のようであった。これも奥深い山の証拠である。
 前方に沢尻岳が迫ってくると、矮小化したブナ林の通過になるが、雪が飛んだのか笹が露出していた。沢尻岳への登りにかかる所にテントが一張り置かれていた。
 沢尻岳へは、雪原の登りになった。前回は、最高点へは藪が邪魔をして立っていなかったが、今回は問題も無く達することができた。風で雪が飛ばされて、ガレ場になった地肌が出ていた。風が強いので、上着や帽子・手袋を身に付けることになった。  沢尻岳からは、目の前に大荒沢岳と朝日岳が並ぶ姿を眺めることができるが、朝日岳の山頂はガスに隠されていた。時間もまだ早いので、この先、ガスが消えてくることを期待した。
 沢尻岳からは標高差90mを下り、大荒沢岳に向かって標高差140mを登り返す。稜線を目で追うと、途中で急坂があるものの、雪付きは良いようであった。下っていくと、大荒沢岳から下ってくる三名グループとすれ違った。テント泊のグループであった。
 大荒沢岳への急斜面では、雪が硬ければアイゼンを履く必要があるかなと思っていたが、雪も軟らかく、キックステップで問題なく登ることができた。尾根を登りきって出た台地を右に曲がると、大荒沢岳の山頂に到着する。灌木に山頂標識が取り付けられていた。脇には、雪のブロックを積み上げた幕営跡が残されていた。
 いよいよこの先は、未踏の領域になる。大荒沢岳からは、標高差90mの下りで、朝日岳へは150mの登り返しになる。トレースを見ると、先ほどの三名グループの他にも最近歩いた者がおり、コース取りに迷う心配はなかった。急坂を下ると、その先の登りは比較的傾斜は緩やかであった。肩部に出た後に、少し進むとようやく朝日岳の山頂に到着した。生保内川源流地点平成21年5月と書かれた木の標柱が頭を出していた。ガスもようやく薄らいできて、通過してきた沢尻岳や大荒沢岳をはじめ、和賀岳といった周囲の山の展望も広がってきた。
 憧れの山頂ではあったが、風が冷たく、ゆっくりと腰を下して休む気分にはなれなかった。帰りの沢尻岳と大荒沢岳の登り返しが気になる。沢尻岳まで戻った所で大休止することにして、歩きだした。
 大荒沢岳から沢尻岳に戻る途中、郡界分岐手前で追い抜いた二人連れをはじめ、多くの登山者とすれ違うことになった。下山後の登山口周辺の車は10台以上あったことからすると、30名近くの登山者が登っていたようである。朝日岳は、秘峰という割には賑わっていた。
 足も草臥れてきたが、力を振り絞って沢尻岳に戻り、食事を取りながら大休止にした。青空も広がって、目の前に大荒沢岳と朝日岳の眺めが広がった。
 食事を取り終えると、元気も戻ってきた。地図を確認すると、モッコ岳へは、標高差100m下って110mの登り返し。ちょと丘に登るだけの標高差である。この機会を逸したならば、登る機会はなかなか巡ってきそうにない。時計を見ると、まだ昼前なので、モッコ岳に向かうことにした。
 沼尻岳からモッコ岳へは、ほぼ平坦な尾根が続いているように見えていたが、鞍部は隠されており、途中から、高度を一気に下げることになった。右手には、雪庇が大きく張り出しており、その縁が波状にうねっているのが、見事であった。鞍部付近では、雪堤が崩れて脇の藪に逃げる所もあったが、その先は一面に広がる雪原の登りが続いた。モッコ岳の山頂部は台地になっていたが、その中に高まりがあり、そこが山頂であった。モッコ岳の山頂からは、秋田駒ヶ岳の眺めが広がっていた。朝日岳も、少し違った姿を見せていた。
 再度、沼尻岳への登りに汗を流すことになったが、これを登り切れば、後は下る一方になるというのが、気分的な助けになった。
 沼尻岳の山頂部手前からトラバースし、下山コースに乗った。前岳分岐から先の急坂は、気持ちの良い、雪原の一気の下りになった。
 大木ヶ原に戻り、後は林道歩きが残されるだけである。脇の雑木林には、カタクリ、キクザキイチゲ、ミズバショウの花を見ることができ、春の訪れを感じることができた。
 朝日岳登山ではさすがに疲れ、翌日は秋田の低山巡りとした。秋田県に戻った横手から行きやすく、登山口で夜を過ごし易そうな山として、保呂羽山を選んだ。沢内で温泉に入り、食料を買い込んだ後、大木屋集落を目指した。集落入口に保呂羽山を示す標識が置かれていたので、県道から分かれて、集落内に進んだ。集落を抜けると、山奥へと続く林道になった。高度を一気に上げていき、少し不安に思う頃、草地の駐車スペースのある登山口に到着した。トイレも設けられており、夜を過ごすには良い所であった。
 翌朝は、ゆっくりと起きた。山菜採りの車が到着していた。
 広場の向かいから、電波塔への保守道があり、ここから歩き出すことになる。しばらくは林道の歩きが続いた。東に続く尾根上に出たところで、山頂に向かう登山道が分かれる。
 尾根沿いにひと登りすると、下居堂に出た。保呂羽山は、修験道の信仰の山で、かつては女子禁制で、このお堂が女人結界になっていたという。女人禁制が解除されたのは、昭和40年というので、遠い昔の話ではない。
 下居堂の先は、急坂になった。かつて奉納されたという鎖が岩場に垂れ下がっているが、その脇にステップの切られた登山道が続いているので、鎖に頼らずとも登ることができる。
 子守石や一夜盛、岩刻の木の説明板を読みながら登っていくと、杉木立の広がる羽宇志別神社奥社に出た。それなりの大きさの社殿であるが、昔から秋田の殿さまが参拝した秋田県で最高位の神社というにしては、普通の大きさである。
 ここが山頂かと思ったが、神社の裏手から登山道がさらに続いていた。なだらかな細尾根を辿ると、二等三角点の置かれた保呂羽山の山頂に到着した。三方からの尾根の合流点で、人が休む広場にはなっていなかった。一般には、奥社のある場所が山頂とされて、休みをとるのであろう。
 保呂羽山からは、西に向かう尾根を下ることになった。急なところには、ロープも付けられて良く整備されていた。保呂羽山の山麓には、少年自然の家があるので、この山は、林間学校の登山行事に使われているのかもしれない。
 尾根から外れると、東にトラバース気味に下るようになった。林道に飛び出すと、僅かな歩きで駐車場に戻ることができた。
 保呂羽山は短時間で終えることができたので、もうひと山登ることにして、近くの八塩山に向かった。登り口近くの八塩ダムまでは車のナビにまかせてスムーズに進んだが、その先が判らなくなった。ダムの右岸沿いから道なりに進むと、八塩山の北山麓にある鳥居の沢登山口に到着した。路肩のスペースには、何台もの車が停められており、山菜採りもいるかもしれないが、人気の山であることが判った。
 登山道に進むと、北西に延びる尾根に向かって斜上する道になった。八塩山はまだ残雪も多く、登山道をデブリが覆っているところもあった。カタクリとキクザキイチゲのお花畑が広がっていた。北西尾根に出てからは、尾根通しの道になった。
 分岐に出て、右に風ピラコースが分かれたが、直進する鳥居長根コースに進んだ。急な登りが続いたが、登山道脇にイワナシの花が多く見られて、楽しむことができた。
 傾斜が緩むと風ぴらコースと深山林道からの登山道が合わさり、あずまやも置かれていた。台地をさらに進んだ先が山頂であったが、ブナ林が広がる中を残雪が覆っている状態であった。
 台地を南に進むと、休憩所と八塩神社が置かれていた。神社の前から前平コースが始まっていたので、これを下ることにした。最近は、誰も下った様子は無かったが、急坂に備えてロープを通すためのものか、金属製のポールが連続的に立てられていた。残雪に足を滑らせないように注意しながら急な尾根を下った。ひと下りすると、登山道の続きが判らなくなった。右手に明瞭な尾根が下っているので、そちらに移りかえるのかと思って、雪原をトラバースすると、予想通りにそちらの尾根に登山道が続いていた。
 登山道は、尾根をからみながら細かいカーブを繰り返して下っていった。標高490m地点で、尾根を左に外して沢の源頭部に出ると、その先が判らなくなった。沢に沿って下るのか、谷を横断した先の杉林を下るのか、しばらく右往左往することになった。ここまでの下りでは、登山道は地図にある破線と大きく違っているので、登山道を探すのには山感に頼るしかない。登山道の無い山の方が、登山道を見失う心配はないのでかえって楽である。今回の一連の山行の中でも、一番行き詰った場面になった。
 結局、残置テープから、杉林の中を下ることが判った。杉の落ち葉と残雪で、登山道は見分けが付きにくくなっていた。杉林を下っていくと、トタン張りの小屋があり、林業の作業小屋かと思って近づくと、御林堂八塩神社であった。尾根沿いに下ると、見晴らしに出て、眼下には牧場地の眺めが広がった。
 残雪も消えて、その先は問題は無いと思ったが、杉林の中で登山道を再び見失った。GPSから林道はすぐ先であることが判ったので、そのまま直進して林道に下り立った。後は、林道歩きで車に戻った。
 前平登山口の位置について釈然としないものが残ったので、車を走らせて、今歩いてきた林道を戻った。結局、登山口は林道に下り立った場所より100mほど南にずれた場所にあり、立派な標識と、駐車スペースが置かれていた。ガイドブックには、地図の破線がそのまま記載されており、実際の登山道とずれているので注意が必要である。
 二山登ったので、この日の山は終わりということにして、近くの道の駅で温泉に入った。
 翌日は、鳥海山関連の登山を行いたく、まずは、稲倉岳の登山口の偵察を行うことにした。横岡の集落から林道に入るまでは判りづらく、偵察の必要があった。見上げる鳥海には豊富な残雪に覆われていたが、集落付近には雪の気配がなく、今回は時期が遅いようということで、次回にということにした。
 車道脇に鳥海ブルーラインの開通の旗が並んでいたので、鉾立から笙ヶ岳に登ることにした。春の鳥海山はまだ訪れたことがない。
 鳥海ブルーラインは、17:00から8:00まで夜間閉鎖になるというので、象潟で食料を買い込んで、山に向かった。
 麓は春の装いであったが、一気に高度を上げると、一面の銀世界に変わった。鉾立の駐車場は、観光客で賑わっており、下山してきた山スキーヤーも多く見られた。観光客に交じって、鳥海山の眺めを楽しんだ。駐車場脇には、6m程の雪壁ができており、観光客が入れ替わり記念写真を撮っていた。
 夕方が近づくと強風に加えて雨も降りだした。夜中には、車が風で揺さぶられる状態になった。翌朝は、雨は止んでくれたが、濃霧となった。笙ヶ岳ならば時間もそうかからないので、登山開始のタイムリミットは9時として、天気の回復を待った。出発していくスキーヤーや登山者もいたが、天気はこれ以上良くはならないと判断して、別な山を考えることにした。
 登山地図を見ていくと、鳥海山の南山麓の湯ノ台の北側に鳳来山という小山があるのに目が停まった。1時間ほどで登れるのならば、悪天候の中での歩きには手頃である。
 鉾立から吹浦に向かって鳥海ブルーラインを下った。車のフロントガラスに顔をくっつけて凝視しなければならないような、濃霧の中の下りになった。麓では小雨が降っていた。
 鳥海山の南山麓を巻いて、湯ノ台に向かった。鳥海山荘の手前で、南工ヒュッテを示す登山標識があり、脇に駐車スペースも設けられていた。雨もほぼ止んでいたので、歩きだした。
 登山道に進むと、丸太橋が現れた。三本の丸太が並べられていたが、それぞれ高さが違うため、一本に足を置くしかなく、滑って沢に落ちないか少々怖い橋になっていた。
 緩やかな尾根を登っていき、左に尾根を外すと、残雪に覆われた沢に出た。登山道の続きと南工ヒュッテは見当たらなかった。登山道は、沢の右岸沿いの尾根に続いているようであった。しばらく残雪を利用して沢を遡り、尾根上に出た。尾根上に続く登山道に戻ることができた。
 残雪と登山道を交互に辿る登りが続いた。周囲には、ブナの原生林が広がり、霧が流れて幽玄な雰囲気を醸し出していた。
 登山道は、鳳来山の山頂の西側を巻いている。山頂が近付いたところで、登山道から離れて尾根通しに進んだ。始めは下生えも少ないガレ場状で登りやすかったが、山頂近くで藪に阻まれた。幸い、すぐに雪堤に出ることができ、後は、最高点を目指せば良かった。 鳳来山の山頂には、三角点が置かれている。残雪も豊富なので、三角点は雪の下かと思ったが、藪との境に標識杭が倒れているのが見えた。その根元の土を掘ると、三角点が頭を出した。予想に反して、鳳来山を登る者は少ないようであった。
 当初の予定では、山頂の北から東に下る道を歩こうと思っていたが、トラバースが多いため、残雪によって登山道を辿ることは難しそうであった。小雨が再び振り出したこともあって、安全のために来た道を戻ることにした。
 今回は、登山道をそのまま下っていくと、南工ヒュッテの前に出ることができた。その先は、沢に下り立ったが、登ってきて沢に出た地点よりは下流部であった。登りの時に南工ヒュッテへの道が判らなかったことが、改めて納得できた。
 鳳来山の登山口のすぐ先の鳥海山荘で温泉に入った。ロビーに無料のネット接続コンピューターが置いてあったので、翌日の天気予報を確認した。晴時々曇りの予報がでていた。天気が回復しないのなら、このまま新潟に戻ろうという気分になっていたのだが、再び登山の意欲を掻き立てることになった。
 食料を買い込み、再び鉾立へと、自動車を走らせた。途中から、再び濃霧の中に入ってしまった。その中でも、吹浦口周辺に車を停めてスキーを行っている者が沢山いるようだったのには驚かされた。
 鉾立では、駐車場の端が見通せないような濃霧が続いた。夜中に車の外に出ると、星が出ており、明日の山の期待が高まった。
 連休の最終日なので、渋滞を避けて早めに家に戻りたかった。早起きして鳥海山の山頂部を望むと、新山の山頂部には雲がかかっていたが、残雪に白く染まった御浜付近の稜線部を望むことができた。
 登山道入り口のすぐ上には、ネットが張られて、スキーヤーが車道に転落するのを防いでいた。雪原をひと登りすると、コンクリートで固められた登山道が現れた。ひと登りした先の展望台のテラスも雪が消えて、地肌が出ていた。稲倉岳との間に延びる奈曽谷の眺めが広がっており、御浜下の台地から落ち込む白糸の滝が時折り轟音を立てながら流れ落ちているのが印象的であった。
 展望台からは、左手が崖になった尾根沿いの登りが続く。所々で雪が消えて夏道が出ていた。前方に見えていた岩峰を巻くと、雪原の登りに変わった。前を行く単独行が、御浜に向かっての登りにかかって小さく見えていた。
 左手の浅い谷間が、賽の河原のようであったが、一段高い尾根通しに進むことになった。1577m点を左に巻いて谷沿いに進んだ。右手から、連続的にポールが立てられた吹浦コースが合わさり、これを横断しさらに高みを目指した。右手の尾根に登り、これを最高点の手前で横断すると、笙ヶ岳から登ってくる長坂道の尾根に出た。稜線上は風の通り道になっているためか、残雪の表面が氷に変わっているところがあった。靴底が滑るので、アイゼンを付けることにした。
 目の前に、小山が立ちはだかり、笙ヶ岳はその奥であった。目の前のピークは三峰で、その奥が二峰。笙ヶ岳は御浜方面からでは三つ目のピークになる。
 三峰への登りは、かなりの急斜面に見えたが、実際に登り始めると、それほどでも無かった。南折川側に落ちなければ、鞍部に落ちるだけなので、気も楽である。二峰はそう大きくないピークで越すのは問題はなかった。雪源に深いクレパスができており、慎重に避けながら歩く必要があった。
 雪原をひと登りすると笙ヶ岳に到着した。山頂部は土が出て、三角点が露出していた。笙ヶ岳の山頂からは、鍋森を前景とした鳥海山の山頂部の眺めが広がっていた。雪原の縁に近づくと、白い台地になった千畳ヶ原を見下すことができた。素晴らしい展望であったが、一つ足りないものは、鳥海湖の眺めであった。湖を縁取る尾根が邪魔をして、ここからでは湖は隠されていた。
 鳥海湖を眺めるために、御浜まで登り返してから下山することにした。眺めを楽しみながら来た道を戻った。鳥海湖を取り巻く外輪山に出ると、白い雪原に変わった鳥海湖の眺めが目に入ってきた。雪原をそのまま下って湖面も横断することもできそうであったが、神秘的な湖面にトレースを刻むことがはばかれた。
 鳥海山を眺めながら緩やかな稜線を進むと御浜に到着した。屋根だけが出た小屋の手前で、眺めを楽しみながら大休止にした。雪も緩んできていたのでアイゼンも外した。
 休んでいると、二人連れの山スキーヤーが登ってきた。この日は、登山者は少なく、ほとんどが山スキヤーであった。この時期の、新山までの登山は難しいが、笙ヶ岳なら適当な目的地になるので、残雪の山としてもっと歩かれても良いと思う。
 御浜からの下りは、賽ノ河原までトラバースしながら下ることになる。賽ノ河原から登ってきた尾根へは、登り返しが大きかったため、谷を少し下り、尾根の高さが近付いてきたところで、尾根沿いに戻った。
 下りの途中、夏道が所々で出ているため、スキーをかついで登っている山スキーヤーにも多くすれ違った。夏道にこだわらず、尾根の西の雪原を登った方が楽に思えるが、道路脇は、高い雪壁になっているため、道路から雪原に上がれる場所は限られている。雪原をそのまま下るには、車道の下り口部をあらかじめ確認しておく必要がある。
 比較的早い時間に下山でき、新潟までのドライブも順調にこなすことができた。
 この連休は天候には恵まれなかったが、その中でも懸案であった朝日岳をはじめ、湯殿山や笙ヶ岳の残雪歩きを行うことができ、実り多いものになった。

山行目次に戻る
表紙に戻る