金谷山、鮫ヶ尾城址、三頭山、臼山

金谷山、鮫ヶ尾城址
三頭山、臼山


【日時】 2010年4月17日(土)〜18日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行 
【天候】 17日:曇り晴 18日:晴

【山域】 難波山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 金谷山・かなやさん・145m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/高田西部
【コース】 金谷山スキー場より
【ガイド】 なし

【山域】 南葉山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 城山・しろやま(鮫ヶ尾城趾・さめがおじょうし)・190m・なし・新潟県
【コース】 斐太神社より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/重倉山
【ガイド】 新潟県ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【山域】 矢代山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 三頭山・さんとうざん・851.0m・三等三角点・新潟県
 臼山・うすやま・1085m・なし・新潟県
【コース】 日曹発電所より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/関山
【ガイド】 なし

【時間記録】
4月17日(土) 9:00 新潟=(北陸自動車道、上信越自動車道、上越高田IC 経由)=11:55 金谷山スキー場―12:33 金谷山―13:04 金谷山スキー場=13:50 斐太神社駐車場―14:30 鮫ヶ尾城趾―15:20 斐太神社駐車場=17:00 林道除雪終点 (車中泊)
4月18日(日) 5:40 林道除雪終点―6:16 日曹発電所―6:34 尾根上―6:47 取水小屋―8:08 三頭山―9:25 臼山〜9:35 発―10:28 三頭山〜10:45 発―11:38 日曹発電所―12:11 林道除雪終点=(新井PA、上信越自動車道、北陸自動車道 経由)=14:30 新潟
 金谷山は、高田の市街地の西のはずれにある山である。レルヒ少佐がこの金谷山スキー場でスキーを紹介したことから、日本におけるスキー発祥の地とされている。スキー場一帯は公園として整備されているが、山頂は奥に少し外れている。

 鮫ヶ尾城趾は、新井の北西部の南葉山塊の山裾にあり、地図には城山と記されている。鮫ヶ尾城趾は、上杉謙信没後の相続争いの御舘の乱で、景虎が亡くなったことでも知られている。

 三頭山は、火打山から流れ出る矢代川左岸に位置する山である。大毛無山とは臼山を経て稜線続きになっている。

 今年の春は、夏を思わせる陽気になったと思うと、その直後に冬並みの寒気が襲来するということが繰り返されている。この週末の土曜日には、東京で30年ぶりの遅い雪のタイ記録になって、箱根では本格的な積雪になった。とりあえず様子見ということで、朝のニュースで時ならぬ雪の様子を見ていたが、日曜日には晴れ間が訪れるようであった。
 日曜日の本命の山として、矢代山塊の臼山を目指すことにして、午後からの天気の回復を期待して高田付近の低山を考え、とりあえず金谷山を登ることにした。
 ゆっくりと家を出て、北陸道で高田を目指すと、風は強いものの、晴天が広がってきた。高田で高速を下りると、インター出口に、お花見用の臨時駐車場が設けられ、シャトルバスも運行されているようであった。高田は、夜桜で有名なので、駐車場にはまだ空きが多かった。夜には大混雑になるのであろう。
 金谷山スキー場は、インター出口から遠くないところにある。坂を登っていくと広場があり、その先の谷間からスキー場が広がっていた。広場の脇の小高いところに日本におけるスキー発祥の地を記念したレルヒ少佐の像が置かれていた。このスキー場は、名前は知られているが、ローカルなもののため、わざわざスキーをしに訪れることはまず無い。
 谷間に下って、そこの駐車場に車を停めた。リフトの上までは、そうれほどの高低差はない。子供用ソリ遊びのボブスレーコースがあり、その脇に遊歩道が整備されていたので、これを登った。ゲレンデ上部には、カタクリが一面に咲いていたが、この花を目当てに訪れている登山者はいなかった。
 山頂駅の手前から、尾根道に進んだ。幅広の道であったが、歩く者は少ないようで、藪がはびこりはじめていた。脇の斜面は一面にカタクリが咲いており、その中に白花のショウジョウバカマが点在していた。
 右手から、スキー場に隣接した公園から上がってくる道が合流した。帰りは、この道を使うことにして先に進んだ。
 カタクリが道の両脇に咲き乱れる中を進むと、金谷山の山頂部に到着した。山道の左手に、石碑が立つのが見えたので、踏み跡を辿って、藪の中の最高点に立った。金谷山の山頂は、山頂らしくからぬ、尾根上の高みにしかすぎなかった。
 少し戻って、枝尾根を下った。谷間付近にも、カタクリのお花畑が広がっていた。これが関東地方であったなら、カタクリのお花畑で有名になるところだが、ただの裏山に咲く花ということで、誰にも見られずに静かに咲いていた。
 時間は早かったので、鮫ヶ尾城址に向かい、カタクリのお花畑をもう少し楽しむことにした。高田の桜も満開のようなので迷ったが、混雑は御免こうむりたい気分であった。
斐太神社脇の駐車場は、車でほぼ埋まっていた。これまで三回訪れていたが、今回は一番の混み合いであった。車の中で昼食をとっていると、観光バスがとまって、三脚も持ったカメラマンの一団が下り立った。
 歩きだすと、先ほどの一団が、公園入り口手前の坂道脇でカタクリの写真を撮っていた。カタクリのお花畑は、先で広がっているはずなので、この一団は山のことは知らないようである。
 公園の芝生広場の手前から池に下りて大手道に進んだ。溜池では、釣り人が竿をたれていた。
 尾根上に出ると、一面のカタクリのお花畑が広がっていた。自然の雑木林よりも、公園のように整地された場所に咲く花の方が、写真うつりは良い。大手道では、数名のハイカーにしか出会わずに、静かに花を見ながら歩くことができた。
 鮫ヶ尾城址の山頂は、あいかわらず、天地人の旗に飾られていた。山頂一帯は、カタクリの花が広がっており、白花も見つけることができた。
 帰りは搦手道を下ったが、山頂下の谷間はまだ残雪に覆われていた。観光客は、この雪を見て引き返してしまうのかもしれない。
 管理棟周辺の芝地広場にも多くのカタクリが咲いており、一般観光客がカタクリを楽しむのなら、ここまででも十分であった。
 新井の道の駅で夕食をとった後に、臼山の登山口に向かった。
 臼山手前の三頭山は、2004年3月14日にスノーシュー歩きで目指したが、雪の状態が悪く、途中の細尾根で先に進めずに中退となっている。再挑戦しないままに思わぬ年数が過ぎていた。
 菅沼集落から、矢代川右岸沿いの林道に進む。集落付近の雪は僅かであったが、進むにつれて、一面の雪原が広がるようになった。除雪終点は、地図上で道幅が狭くなり、矢代川にある発電所に向かう道が分かれる地点である。路肩に車を停めて寝た。先回は、対岸のアライマウンテンスキー場のナイターの光が印象的であったが、スキー場は休業になっている。
 翌朝起きて出発の準備をしていると、軽トラックが到着し、軽装の地元民が下りてきた。話を交わすと、山菜
採りとのことであった。  朝の締った雪に助けられて、林道を気持ちよく歩きだした。除雪終点部には、スノーモービルや雪上車が置かれて、そのトレースも続いていたが、林道沿いの方が距離は短かった。雪原の向こうには朝日に輝く妙高山が美しい姿を見せていた。
 日曹発電所への下り口に到着すると、その先は除雪されて路面が出ていた。矢代川に向かって標高差50mを下る必要があるため、この除雪は歩きやすく助かった。
 坂道の途中からは、三頭山に至る尾根を良く眺めることができた。雪解けが進んでおり、藪がかなり出ていた。先回の反省のもとにコースは幾通りか考えてきたが、枝尾根は雪が消えていたため、まずは導水管の通っている尾根に上がって、その先はヤブコギ覚悟で進むことにした。尾根上へと残雪が続いているコースを目で追って、頭に入れた。
 揺れるつり橋を渡った所で雪原に上がり、アイゼンを付けた。ピッケルとワカンも持ってきていたが、今回の山行では結局、アイゼンと二本ストックで歩き通すことになった。 急な斜面をひと登りすると、導水管の脇に出た。その後は、導水管脇の刈り払い部を登ることになった。
 導水管の終点部の取水施設からは、左に回り込んで尾根に乗った。少し進むと、尾根は痩せ、残雪は消えてヤブコギになってしまった。木の枝が密生したところもあり、根気よく藪をかき分けて進む必要があった。地図で見るよりも痩せた尾根であり、急斜面も現れた。
 先回はその手前で撤退した690mの小ピークを越えると、三頭山との鞍部から先はきれいな雪原が広がっていた。鞍部から落ち込む谷間には、矢代川左岸の台地まで雪原が広がっているようであった。尾根の雪は落ちているが、谷間の残雪を利用すれば楽ができそうであった。帰りには、690m小ピーク付近のヤブコギを回避するために、この谷間を下ることにした。
 この先は、雪原の登りが続いた。右手の谷越しには、大毛無山がピラミッド型の山頂を見せていた。
 三頭山の山頂一帯は、ブナやナラの林が広がっていたが、ナラの立ち枯れが目立っていた。先回は、三頭山が目標地であったが、今回はさらに奥の臼山を目指している。尾根の先をうかがうと、台形をしたピークが見えて、これが臼山のようであった。山の形から名前が取られているようであった。
 三頭山の先は、一旦下りになり、再び藪コギになった。幸い、うっすらとした踏み跡があり、690m小ピーク付近の藪よりは楽に通過することができた。
 途切れ途切れの雪堤を辿っていくと、やがて雪原が続くようになった。傾斜も少し増す所も出てきたが、雪も緩んでステップが切れるようになったため、滑落の心配もなく登り続けることができた。
 傾斜が緩んで、ようやく山頂と思ったが、GPSはまだ先を示していた。その先の藪が出た高まりも、まだ山頂ではない。さらに先の尾根が曲がるピークが山頂であった。
 大毛無山への尾根は、小エンドウ川を巻いて、まだ長く続いていた。妙高山の素晴らしい展望が広がっていた。火打山は、大毛無山から続く尾根に隠されて、ピラミッド型の山頂だけを見せていた。
 時間も早かったので、三頭山まで戻ったところで昼食をとることにして、展望を一通り楽しんだ後に下山を開始した。
 雪原は快調に下り、ヤブコギで三頭山に戻ったところで、大休止にした。三頭山からは、容雅山を良く眺めることができたが、登るのは難しそうであった。
 三頭山下の鞍部からは、谷間を下ることにした。藪を避けてコースを左右に変える必要はあったが、雪原を下って台地に下り立つことができた。台地を北東に進むと、左手に沢が沿うようになった。台地のはずれからは、右手に下ると、川岸に下り立つことができた。三頭山へのコースとしては、鞍部をねらうこのコースが楽であることが判ったが、再び訪れることはあるであろうか。
 発電所施設の脇でアイゼンを外していると、二人連れが下ってきた。ヘルメット姿で、スキー装備であったが、小エンドウ川沿いにある取水施設の点検に行ってきたようである。脱いだスキーを見ると、細くて短い距離用スキーの底に、荒縄がしばりつけてあった。仕事上で雪山のプロであるが、登山装備としては粗末なものを使っているのが興味深い。
 川を渡って登り返すと、雪原にはスノーモービルと雪上車が停められていた。暖かい日差しのもとで緩んだ雪に足を取られながら、車へと戻った。

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