若宮山、国上山

若宮山
国上山


【日時】 2010年1月9日(土)〜10日(日)各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 9日:雪 10日:雪

【山域】 山古志
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 若宮山・わかみややま・333m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小千谷
【コース】 蘭木トンネル入口より
【ガイド】 なし

【山域】 弥彦・角田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 国上山・くがみやま・313.2m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/三条、弥彦/寺泊、弥彦
【コース】 国上寺西参道
【ガイド】 新・新潟ファミリー登山(新潟日報社)、新花の山旅(新潟日報社)、新潟県のふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【時間記録】
1月9日(土) 8:00 新潟=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.17、横渡、R.291、蘭木大橋 経由)=9:50 蘭木トンネル入口〜10:22 発―10:53 峠―12:01 若宮山―12:34 峠―12:50 蘭木トンネル入口=(蘭木大橋、R.291、横渡、R.17 経由)=14:00 小出  (車中泊
1月10日(日) 8:00 小出=(R.17、中之島、中野西、R.403、五千石、渡部 経由)=9:35 下堤〜9:55 発―10:39 国上寺―11:04 国上山―11:50 国上山駐車場―12:18 下堤=(県道新潟・寺泊線、R.116、新潟西バイパス、新新バイパス 経由)=14:00 新潟
 若宮山は、山古志の南部、小千谷市に属する蘭木(うとぎ)集落近くにある山である。戊辰戦争の古戦場である朝日山とは、東隣に位置している。

 国上山は、角田山から弥彦山に連なる丘陵の西端にあって、その西の麓には信濃川から日本海に向かって大河津分水が切り開かれている。国上山には、良寛ゆかりの国上寺(こくじょうじ)があり、史跡巡りの観光で訪れる人も多い。また、酒呑童子はこの国上寺の稚児であったという伝説も残されている。低山ながら展望に優れ、ハイキングコースも良く整備されている。

 三連休ではあるが、遠出はやめて新潟周辺の山を登ることにした。天気はあいかわらず良くなさそうなため、低山のピークハントと偵察を目的に魚沼方面に出かけることにした。
 家を出た時は曇り空であったが、長岡が近付くと、雪が激しく降り出した。小出から六日町付近の山を第一候補にしていたが、無理そうであった。予備の山として考えていた、山古志の若宮山に向かうことにした。山古志地域には、かなりの数の山が点在しているが、残りも僅かになってきた。
 中之島見附で高速をおり、国道17号線を走った後に横渡で山古志に向かうのも慣れた道になっている。朝日山の登山口を通り過ぎ、岩間木から荷頃に向かう。道路も雪に覆われるようになってきた。
 蘭木大橋を渡った先が蘭木トンネルの入口で、ここから峠越えの旧道を登る予定であった。トンネル入口には、駐車可能な広場が設けられていた。その前には、ビニール張りの養鯉施設が並んでいた。
 旧道の入口は、沢水が流されて雪が消えていたが、すぐ先で雪に埋もれていた。スノーシューを履いたが、腰程の段差になっており、雪の上に立つのにまずひと汗かいた。新雪状態で、一歩ずつスノーシューが膝下まで潜る状態であった。吹き溜まり状態の林道は体力を使うため、ヘアピンカーブをショートカットすることにした。通常は、登りは距離が長くとも林道を歩き、下りはショートカットするのが普通であるが、この日は、距離を短くすることの方が得策であった。
 雪にもがきながら登り続けていくと迂回してきた林道に飛び出した。驚いたことに、峠の蘭木集落側は除雪されていた。蘭木側からでは距離が長くなるため、蘭木大橋側から歩き出したのだが、裏目に出たようである。
 峠部から若宮山に向う林道が分かれている。ここも段差になっており、雪の上に立つのに、雪を手で掻いてステップを作る必要があった。
 雪に埋もれて消えかかっていたが、わかんの跡があった。少し先で簡易水道施設があり、その保守のために峠まで除雪されていることが判った。
 林道歩きといっても、雪に覆われているため、道の続きを確かめるため、時折目を凝らしてみる必要があった。一人ラッセルのため、スピードは上がらず、時間の感覚も失われていった。稜線沿いに林道が続いているため、地形には特徴がなく、現在地の確認もGPS頼みになった。雪は本降りとなっていたが、ガスの切れ間から白く雪をまとった木々が並ぶ谷間の眺めが広がっていた。
 若宮山の山頂の手前の、西に尾根が張り出した所を越した所で、林道を見失った。地図によれば、稜線の一段下を走っているようだが、杉林の中に道のような空間は見当たらなかった。林道を辿るのは諦めて、稜線伝いに進むことにした。
 帰宅後に地図を良くみると、若宮山の山頂の西を巻く所から先は、実線が破線に変わっており、少し先で再び実線に戻っている。地震によって、林道は途切れているのかもしれない。
 山頂への登りは、雪も深くて苦労したが、幸い、僅かな距離であった。若宮山の山頂は、雑木林に囲まれて、展望も無かった。木立に付いた雪が白い世界を作っていた。
 峠から若宮山の山頂までは1km程の距離ではあるが、1時間ほどかかっている。汗を流した分だけ、山の価値を高まったと思う事にしよう。
 下山は、行きに自分が付けた足跡があるだけで、ずいぶんと楽になった。峠にまで戻れば、後は新雪を蹴ちらかしてのダウンヒルになる。スノーシュー歩きの醍醐味である。
 車に戻った時は、雪も本降りで、衣類も濡れ切っていた。気温が高いので、みぞれに近いような雪になっていた。この日の山歩きは終わりにして、着替えをしてから、魚沼方面に車を走らせた。
 小千谷、堀之内、小出と走るうちに、雪の量は一気に多くなっていった。道路脇には2mを越えるような雪壁ができていた。僅かな距離で、積雪量が大きく違うことには驚かされた。六日町方面まで進む予定ではあったが、小出の道の駅で夜を過ごして様子をみることにした。
 朝になっても、びしょびしょ雪は降り続いていた。大力山でもと思ってはいたが、無理と諦めて、長岡方面に戻ることにした。移動の途中の小千谷では、道の駅から山寺山と思ったものの、本降りの雪のためにこれも断念。
 最後の選択として、国上山を登ることにした。弥彦山や角田山は、悪天候の時でも混み合っているので敬遠。西参道からの国上山なら、比較的静かに歩くことができる。
 国上山は、一般には中腹の国上寺の駐車場から歩き出すが、これでは登山の面白みは少ない。大河津分水側から西参道が整備されているが、麓から歩く者はほとんどいない。
 いつもは溜池の脇に車を置いて歩きだすのだが、工事を行っていたので、幅広の車道の路肩に車を置いて歩きだした。道路の雪は無いものの、杉木立の上から雪が解けた雫が落ちてきて、雨降り状態になっていた。昔は国上寺の分院であったのかと思われる土蔵を備えた古い家が並んだ中を歩いていく。車道から分かれて山道に進むと、雪のために笹が倒れこんできており、掻き分けて通過する所も出てきた。階段状の坂が現れるが、ここは良寛月見坂と呼ばれている。
 一旦車道に飛び出し、その先はお寺の間を抜ける石畳の道に変わる。ひと登りで良寛が住んだ五合庵前に出る。雪景色の中の五合庵の撮影のためのカメラマンがいる時もあったが、今日はだれもいなかった。
 山の様子を確かめるため、千眼堂吊り橋に進んだ。雪も止んで、白く染まった国上山の眺めが広がっていた。吊り橋を渡った先の朝日山展望台を抜けると、国上寺の大駐車場に出る。お寺に近い所に十台程の車が停められているだけで、観光地にもかかわらず閑散としていた。
 国上寺の境内に進み、雪を被ったお堂や石仏を眺めた後に、登山道に進んだ。国上山への登山道は、階段状に良く整備さえている。雪は積もっているとはいっても、トレースはできているため、気楽に歩くことができる。ひと登りした五合目の赤谷見晴らしからは、剣ヶ峰や弥彦山を良く眺めることができた。
 山頂が近付くと、木々には雪が付いて、真っ白なトンネルを抜けるようになった。悪天候の日ではあるが、山を歩きさえすれば、なにかしらの楽しみに出会うことができる。
 国上山の山頂広場に到着してみると、誰もおらず、聞こえるのは日本海の潮騒だけであった。ここまでの登りで、登山者とは何人もすれ違っていたが、風が強いため、山頂に到着してすぐに引き返しているようである。
 雪も止んでいたので、蛇崩経由で稚児道を使って国上寺に戻ることにした。白く染まった木々のトンネルを下って蛇崩に向かった。蛇崩からは、剣ヶ峰、弥彦山、角田山の眺めを楽しむことができた。国上山に登ったなら、蛇崩からの展望は欠かせない。
 稚児道経由で駐車場に戻る道は、山腹を半周するため、意外に時間がかかるが、足慣らしには良いであろう。
 雪に追われて流れ着いた国上山ではあるが、山歩きを楽しむことはできた。

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