雷山

雷山


【日時】 2010年1月2日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 雷山・いかづちやま・377.9m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津、加茂/村松、越後白山
【コース】 永谷寺より
【ガイド】 なし

【時間記録】 8:00 新潟=(R.49、R.403、新津、五泉、村松 経由)=9:10 川内郵便局前〜9:35 発―9:55 登山口―10:27 見晴し台―10:50 雷山〜11:00 発―11:15 見晴し台―11:27 登山口―11:48 川内郵便局前=(往路を戻る)=13:00 新潟
 雷山は、早出川と仙見川に挟まれ、菅名山塊の不動堂山と白山に向かいあう、川内山群の入口にある山である。この山頂には雷城と呼ばれる山城が築かれ、早出川の対岸の福連寺山の福連寺城との間の争いにまつわる、「東光院物語」という、若君と姫君の悲恋の伝説が残されている。この伝説の舞台となっている麓の永谷寺(ようこくじ)には、「おぼと石」という伝説のまつわる史跡も残されている。最近、登山道が整備され、登山者も多くなってきている。

 年も改まり、山行回数も0にリセットされての開始になる。山行回数は60回、日数は100日が一応の目標になる。
 例年、元日は初詣などの家族サービスについやし、2日が初登山の日になる。元日から強風が吹いて、登る山を決めるにも頭を悩ませることになった。新潟市周辺の積雪は、僅かのようであるが、早朝は路面の凍結が心配である。近場の山ですますことにして村松の奥の雷山を登ることにした。
 村松公園を過ぎると、雷山や権現山、不動堂山、菅名山塊の眺めが広がる。厚い雲が垂れこめて川内山塊の主稜線は隠されているが、低い山の山頂部は姿を見せていた。カメラを持って車の外に出ると、冷たい風に吹かれた。吹雪になっていないだけ、良かったと思うべきであろう。
 永谷寺まで車道が続いているが、いつものように川内集落の郵便局前の広い道路に路肩駐車した。登山の支度をして歩きだしたが、道路は凍ってツルツルになっていた。登山道ならともかく、道路で転倒して怪我でもしたらシャレにもならない。永谷寺までの道は狭く、初詣の参拝者の車が通り過ぎるのを、脇に避けるのも数回に及んだ。
 スノーシューを背負ってきていたものの、雪は少なく、永谷寺から先の林道にも車の轍が続いていた。林道は谷間に続いており、風の影響はないため、汗をかくと共に暖かくなってきた。
 林道の分岐に出ると、ここから登山道が始まる。二台の車がここまで入ってきていた。林業関係の車ではないはずなので、登山者が入っているようである。登山口から先の雪には踏み跡が続いていた。スノーシューを履いてのラッセルを覚悟していたのだが、楽な雪道の歩きになった。
 はじめ、窪地に広がる杉林の中をジグザグに登った後に、右手の尾根に移る。この後は、尾根沿いの登りが続く。集落の中にも雷山への案内標識が付けられていたが、登山道沿いにも合目標識が整備されていた。といっても、山頂までそう遠くない距離なので、合目標識をいちいち確認しながら登る必要もない。
 六合目が見晴らしで、木立が切られてベンチも設けられている。新潟の平野部や菅名山塊の眺めが広がっていた。その後も尾根の一本登りが続く。二人連れが下りてくるのとすれ違った。挨拶をすると、山頂の小屋には三名が休んでいるとのことであった。
 山頂台地の手前で傾斜が増すが、ロープも張ってあり、問題なく通過できる。雷山は、山城の名残なのか、杉林の広がる台地状の地形が数段にわたって重なっている。
 山頂直下の曲輪跡に出ると、アルミ鍋がクマ避け鐘の代わりにつるされていた。最後の坂を登ると、台地になった雷山の山頂に到着する。山頂には杉木立が広がっているが、東の縁まで進むと、川内山塊の遮るものの無い展望が広がっている。川内山塊の主稜線は雲に覆われていたが、権現山や神戸山を眼の前に眺めることができた。
 新しい標識があり、「かやの木山10分」とあった。南に隣り合う370mピークがかやの木山のようである。下り口が急斜面であったの進まなかったが、新しい登山道が開かれているのなら、雪が消えた時期に訪れる必要がある。雷山へは、尾根コースの他に沢コースが開かれているが、これもまだ歩いていない。
 山頂下にはブルーシート掛けの小屋が設けられて、中でストーブが焚かれて煙が上がっていた。雷山は、以前は登る者はまれな山であったが、この様子だと、冬でもトレースが期待できる山に変わってしまったようである。
 雪道の下りは快調で、あっという間に登山口に戻ってしまった。
 時間はかからない山ではあったが、山頂の展望は楽しむことができたし、新しい発見もあり、満足できる山であった。

山行目次に戻る
表紙に戻る