焼山、羽黒山、大日山

焼山、羽黒山、大日山


【日時】 2009年11月29日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 山古志
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 焼山・やけやま・444m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小平尾
【コース】 焼山スキー場より
【ガイド】 なし

【山域】 山古志
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 羽黒山・はぐろさん・444m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小平尾
【コース】 大久保入口より
【ガイド】 なし

【山域】 山古志
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大日山・だいにちやま・390.5m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小平尾
【コース】 塩谷より
【ガイド】 なし

【時間記録】 8:00 新潟=(北陸自動車道、R.17、ひ生、R.291、竹沢 経由)=10:12 焼山スキー場下―10:30 焼山―10:46 焼山スキー場下=(羽黒トンネル 経由)=10:55 大久保入口―11:18 羽黒山―11:50 大久保入口=12:20 林道入口―12:38 大日山―12:51 林道入口=(塩谷、岩間木、R.291、横渡、R.17、中之島見附IC、北陸自動車道 経由)=14:30 新潟
 焼山は、山古志中心部にあり、古志高原スキー場が設けられて、リフトが山頂まで延びている。

 羽黒山は、山古志中心部の桂谷と大久保集落の間にある山で、羽黒トンネルが通過している。

 大日山は、山古志の塩谷集落の東に位置する山である。

 前日土曜日の大堂峰では、下山時に雨が本降りになって、早めに山を終えることになった。予備の山として、山古志の山の計画も行っていたので、日曜日には、続けて同じ方面に出かけることになった。
 中越地震の際に土砂崩れによって車が埋もれ、奇跡的に男の子が救助された妙見堰の現場近くから山古志の中心部の竹沢に向かう。2004年10月23日に起きた中越地震によって、山古志は大きな被害を受けて道路は寸断されて、集落が孤立した。5年が経過し、山古志を通過する道路は完全に復旧し、快適なドライブを楽しむことができる。
 旧山古志村役場のある竹沢から古志高原スキー場に向かう。スキー場下の空き地に車を止めて歩きだした。このスキー場は、ペアリフト一基のローカルスキー場で、焼山の山頂がリフトの終点になっている。山頂までは、管理道が続いており、その歩きになる。大きくカーブを描いてゲレンデの中間部に出ると、展望が広がり、山古志の山里の眺めが広がった。
 山頂までゲレンデが続いているが、急な登りを避けるため、一旦左に迂回してから、折り返すように山頂に向かった。初心者用の迂回コースになっているのかもしれない。最近は、若者のスキー離れが顕著になって閉鎖するスキー場も多いが、このような地方限定の小さなスキー場は、駐車場料金もかからないことから、子供連れファミリーの雪遊びのための需要があるようである。
 ひと汗かいた焼山の山頂は、リフトの山頂駅に占領されていたが、脇には、古峯神社の石碑が置かれていた。脇は崖になっており、金倉山の眺めが広がっていた。山頂からは、ゲレンデをそのまま下ったが、白く筋を引いた守門岳や毛猛山塊の眺めを楽しむことができた。
 焼山に続いては、羽黒山に向かった。羽黒山の西斜面には、桂谷の集落が広がっており、民家の間を歩いていくのも不審がられるので、羽黒トンネルを抜けた東側から歩きだすことにした。羽黒トンネルは、片道一車線ずつの二本のトンネルが通じているが、これも地震によって被害を受けて、整備されたもののはずである。
 トンネルを抜けた先の大久保集落入口の広場に車を停めた。「子守地蔵の里大久保集落へ」という案内図を見ると、集落から羽黒山へウォーキングコースが整備されているように書かれていた。予定では、桂谷集落へ通じる林道を登り、峠部から尾根伝いに山頂へ向かうつもりであった。山頂から大久保集落に下山する周回コースとして歩くことにした。
 トンネル入口から始まる林道脇の沢では、大規模な砂防工事が施されていた。地震の際に起きた地滑りは、現在でも大きな爪痕を残している。ひと汗かいて峠部まで登ると、簡易舗装の道が尾根沿いに通じていた。道路脇には畑もあったので、農道として設けられたようである。
 車も通れる道であったが、前方に羽黒山の山頂が迫ったところで、この先は急斜面のため、一般車は登れないという標識が現れた。
 ひと登りで羽黒山の山頂に到着したが、「2004年中越大震災復興 羽黒山」と彫られた石碑が置かれていた。石碑の周りは、砂利が敷かれて公園風になっていた。
 山頂の一段下は、グランド状に整地された広場になっていた。石の祠が置かれ、木組の展望台が西の崖の縁に設けられ、そこからは竹沢方面の山里の眺めが広がっていた。東の縁からは、守門岳、浅草岳、毛猛山塊、越後三山のさえぎるものの無い眺めが広がっていた。曇り空で、展望を楽しむには良くない状態であったのは残念であった。
 広場の下には、地滑り対策の工事が行われていた。急斜面であったが、擬木の階段が設けられていたので下ると、中段でその先の階段が無くなってしまった。下には、林道が見えているので、脇の泥斜面を少し下った後に、工事用の通路を辿って下った。林道まで下ると、道路脇には八海山の石碑が置かれていたが、中央部で割れてコンクリートで補修されていた。地震の際に壊れたものであろうか。
 地形図にこの林道は書かれていなかったが、下っていくと大久保集落に出ることができた。トンネル方向からの車道との角にはお堂があり、これが子守地蔵のようであった。ここからは、車道を少し歩くと羽黒山のトンネル口に戻ることができた。山頂直下の登山道が無くなっているのは理由が判らないが、工事によって一時的に無くなっているものだろうか。羽黒山は、整備されれば、周回コースとして、簡単なハイキングを楽しめる山になる。
 時間も早いので、もう一山登ることにして大日山に向かった。一旦古志高原スキー場に戻り、焼山の下を通過する県道を通って塩谷に向かった。尾根を越して下っていくと、集落直前で、左に林道が分かれ、これが取り付きとなる。林道入口から歩き出した。
 林道の奥には畑が点在していた。林道のすぐ上の高まりが大日山の山頂で、どこから取りつくか考えながらの歩きになった。集落に近い北西側には踏み跡はないので、とりあえず東方向からのアプローチを探ってみることにした。
 東尾根の乗り越し部には、農機具置き場のような小屋があり、尾根を回り込むと、反対側に農道が始まっていた。これを辿ると、農道の終点となり、その先には山道が続いていた。
 山道をひと登りすると、頂上部に到着した。ピンクのリボンが付けられており、山道脇の藪に上がると、三角点を見つけることができた。三角点周囲の木立ちの切られた跡も古いものではなく、地震後に測量が行われた跡のようであった。三角点脇にはテレビの共同アンテナが立てられており、この保守のために山道が維持されているようであった。
 大日岳という名前から、宗教的な遺構でもあるかと思って、山道の先の杉木立に進んだみたが、石碑のようなものは見当たらなかった。
 小さな山ではあるが、三山を登って、この日の山歩きは充分ということで家路についた。

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