大仏山、中山、要害山(大塩)、大曽根山、高つぶり山、思案岳

大仏山、中山
要害山(大塩)、大曽根山
高つぶり山、思案岳


【日時】 2009年11月21日(土)〜11月23日(月)2泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 21日:曇り時々雨 22日:雨後曇り 23日:雨後曇り

【山域】 北会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大仏山・だいぶつやま・708.2m・二等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/熱塩/熱塩
【コース】 在家登山口より
【ガイド】 ふくしまの低山50(歴史春秋社)

【山域】 北会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 中山・なかやま・453.1m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/熱塩/熱塩
【コース】 道の駅「喜多の郷」より
【ガイド】 なし
【温泉】 蔵の湯 500円

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 要害山(大塩中山城)・ようがいさん(おおしおなかやまじょう)・564.7m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/只見/会津横田
【コース】 宇奈多理神社より
【ガイド】 なし

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大曽根山・おおそねやま・613.2m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/只見/会津横田
【コース】 山中側送電線巡視路より
【ガイド】 なし
【温泉】 柳津つきみが丘町民センター 300円

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 高つぶり山・たかつぶりやま・933.1m・二等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/若松/上三寄
【コース】 広域基幹林道「一ノ渡戸・四ツ屋林道」より
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 思案岳・しあんだけ・874.2m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/若松/上三寄
【コース】 闇川口より
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)
【温泉】 芦ノ牧ドライブ温泉 400円(石鹸無し)

【時間記録】
11月21日(土) 6:30 新潟=(磐越自動車道、会津坂下IC、喜多方、R.121、二軒在家 経由)=11:08 大仏山登山口駐車場―11:51 大仏山〜11:56 発―12:18 林道―12:39 大仏山登山口駐車場=(二軒在家、R.121 経由)=13:13 喜多の里―14:03 中山―15:00 喜多の里=(喜多方、会津坂下IC、R.252 経由)=18:30 会津塩沢 (車中泊)
11月22日(日) 8:32 炭酸水井戸駐車場―8:48 杉林の取り付き〜9:02 発―9:39 大塩要害山〜9:45 発―10:18 杉林の取り付き―10:32 炭酸水井戸駐車場=11:05 巡視路入口―11:24 中間鉄塔―11:48 稜線上鉄塔―11:57 大曽根山―12:02 稜線上鉄塔―12:20 中間鉄塔―12:35 巡視路入口=(R.121、会津坂下IC、R.121 経由)=16:30 会津塩沢  (車中泊)
11月23日(月) 6:30 会津塩沢=(R.121、会津坂下IC、R.49、会津坂下、南原、黒森林道、一ノ渡戸・四ツ屋林道)=9:08 作業道入口―9:39 稜線上取り付き―9:57 高つぶり山―10:12 稜線上取り付き―10:35 作業道入口=(一ノ渡戸・四ツ屋林道 経由)=11:15 淀川橋―12:40 思案岳―13:37 淀川橋=(上三寄、南原、新鶴PA、磐越自動車道 経由)=17:00 新潟
 大仏山は、蔵とラーメンで観光地となった喜多方の北部、旧米沢街道沿いの山である。山頂には、小さな石の大仏像が置かれているが、新しいものであり、山名に合わせて置かれたもののようである。

 中山は、喜多方の道の駅「喜多の郷」の東に広がる丘陵地のピークである。麓には森林公園が広がっているが、山頂付近は藪に覆われている。

 只見地域には、横田の要害山(横田中丸城)と只見の要害山(水久保城)が、地図にも名前が載っているが、大塩にも中山城と呼ばれる要害山がある。これらは、山之内一族支配の山城であったという。

 大曽根山は、会津横田の南の只見川右岸にある山である。登山道は開かれてはいないが、送電線の巡視路を使って山頂近くまでアプローチできる。

 高つぶり山と思案岳は、会津盆地の南東の端に位置する山である。近くには、会津若松市の最高峰である大戸岳がある。この二つの山は、登山道は無いが、会津百名山に選ばれている。

 三連休であるが、天気予報は、全国的にぱっとしないものになった。その中でも少しは良さそうな会津の山に出かけることにした。藪こぎの季節なので、残り少なくなった会津百名山の山を登ることにした。
 初日の土曜日は雨のようなので、登山道のある山ということで喜多方の大仏山を訪れることにした。大仏山は1997年12月に登っているが、最近のガイドブックを見ると、登山道が整備しなおされたようである。
 喜多方の町を抜けて北に向い、旧米沢街道の二軒在家から、大仏山の案内標識に従って林道に進む。舗装されてはいるが、車の擦れ違いに注意が必要な細い道が続く。
 登山口は広場になっており、左手にトイレも設けられた管理棟が設けられていた。広場の大きさからすると、登山者も多いようである。案内図が置かれており、それを見ると、以前の登山道は直登であったのが、森林学習歩道として緩やかな道が整備されたようである。
 小雨が降っていたので、雨具の上下を着て、長靴を履いての歩きだしになった。広場の先から登山道が始まっていた。森林学習歩道という名前に納得のいく、幅広の道が設けられていた。
 しばらく林道と平行に進んだ後に、谷間の登りに変わる。左手の尾根に取り付くのかと思ったが、右に大きくトラバースする道に変わった。駐車場付近から延びる尾根に乗ってひと登りし、再びトラバースして山頂から南に延びる尾根にのった。急なところには丸太の段々が整備されていた。登山道の周囲には松の木が並び、展望は無いが、静かな歩きを楽しむことができた。
 ひと汗かいて到着した大仏山の山頂は、刈り払いの広場になっており、小さな大仏様が祀られていた。先回の訪問では、飯豊連峰や磐梯山の眺めを楽しんだのだが、今回は喜多方市街地を見下ろすことができただけであった。
 北に向かって最高点に進むと、あずまやが置かれていた。先回はここから引き返したので、この先は、まだ歩いていない区間となる。普通の整備状態の登山道になり、落ち葉が積もって滑りやすい尾根道の下りが続いた。前方に小ピークが迫ってきた鞍部に出ると、登山道は左の谷間に方向を変えた。ここにもあずまやが置かれていた。
 谷間を下っていくと杉の植林地に変わり、植林の作業道を下っていくと、駐車場の先へと延びる林道に飛び出した。後は、林道歩きで駐車場に戻った。
 大仏山登山を終えた後は、道の駅「喜多の郷」に向かった。雨は本降りになっていたので、そのまま道の駅付属の温泉に入るか、以前から気になっていたすぐ脇の中山に登るか、様子見をしてから考えることにした。道の駅の駐車場で昼食をとるうちに雨も上がったので、中山をめざすことになった。
 中山は、一般登山道のある山ではないが、地図を見ると、山頂まで破線が通じており、送電線も通過しているため、巡視路を使って登れるはずであった。
 道の駅の脇には八方堤と呼ばれる溜池があり、その先の中山の山麓部には、中山森林公園もりっ子の里が設けられている。遊歩道をひと登りすると、公園内を抜けていく林道に出た。公園上部でゲートがあり、その上部は杉の圃場になっていた。大きなカーブを描いて北に向かってトラバース気味に進むと、送電線の下に出た。林道は南にカーブして離れていったが、地図にある破線に沿った山道が直進方向に続いていた。
 平行に走る二本の送電線の中間部に出ると、下から登ってきた送電線巡視路と合流した。幅広の巡視路にそっての登りが続いた。所々に立つ、鉄塔への枝道の標識を見ると、北側の送電線は飯豊幹線、南は東北幹線と呼ばれるようであった。
 鉄塔141番手前で、巡視路は尾根から離れて下っていった。中山の山頂へは尾根通しに進む必要がある。見ると、かすかな踏み跡が続いていた。ここからは、藪こぎの開始になった。
 雨あがりの藪こぎは、あまりしたいものではない。最近は歩かれていないようで、枝がからみついて、抜けるのに苦労する所も出てきた。幸い、中山の山頂までは150mほどの距離で遠くはなかった。
 山頂と思われる場所は、木立が切れて草の茂る空間が広がっていた。測量のために木が切られたような雰囲気であった。三角点探しを始め、しばらく行ったり来たりしたが、土に埋まり気味の三角点を見つけることができた。登山標識の無い藪山では、三角点を見つけないと、登頂という満足感が味わえない。
 山頂からは先に進み、大沢入から上がってくる林道に出ることにした。この先も同じような藪が続いた。尾根通しに少し大周りして送電線の鉄塔の立つ鞍部に近づくと、伐採地が広がったので、谷間に下った。
 谷間には、草に覆われていたものの、植林の作業道が延びていた。これに沿って下っていくと、急な所はコンクリート舗装を行っているようなしっかりした林道に変わった。田圃が広がる谷間に出ると、大沢入の集落となり、後は車道歩きで道の駅に戻ることになった。
 大仏山と中山と登って、この日の山歩きは終わりとし、道の駅付属の日帰り温泉に入った。二日目の山としては、只見の笠倉山を考えていた。雨が夕方まで続いていたので、本格的な藪こぎ山行になる笠倉山は難しくなったが、アプローチの林道の偵察を行うためにも、とりあえず只見に向かうことにした。
 笠倉山登山口の会津塩沢手前の道路脇の駐車スペースで車を止めて夜を過ごした。雨は朝には止んだとはいえ、道路は濡れた状態であった。藪こぎは無理なので他の山に向かうとして、とりあえず林道の入り口付近を偵察しておくことにした。塩沢橋手前から只見線の線路を渡り、民家の脇をかすめると、林道が谷奥に向かって伸びていることが判った。道幅は狭く、対向車に注意が必要な道であった。
 笠倉山は諦めて、大塩の要害山を登ることにした。只見線沿線には、横田の要害山(横田中丸城)と只見の要害山(水久保城)が、地図にも名前が載っていて、登山者にも知られている。この大塩要害山は、中山城と呼ばれ、山之内一族支配の山城であったという。
 「摺上原の戦」で蘆名義広を破って会津を制圧した伊達政宗は、奥会津に侵攻を開始する。横田中丸城主山之内氏勝は、水久保城に籠城して伊達軍に抵抗し、大塩中山城には菅家善高を入れて伊達軍に抵抗を続ける。横田中丸城は落城するも、氏勝は上杉景勝と久川城主河原田盛次の支援を受け水久保城に籠城し徹底抗戦する。翌年の豊臣秀吉による終戦処理の「奥州仕置」の際に、山ノ内氏は蘆名氏の配下として扱われ所領は没収されてしまう。
 横田と只見の要害山は、すでに登っているが、この大塩の要害山にも登っておかなければならない。
 2007年10月に、大塩の集落から袖山に登っており、その際に袖山方面から要害山方面への破線道は消えていることを確かめていた。南西の大手口と南東の搦手口の二つがあるようであったが、登り口が宇奈多理神社とはっきりしている搦手口から登ることにした。
 東側から国道と平行に走る山側の道に進むと、「会津awa心水」の工場があり、その脇に駐車スペースが設けられていた。駐車場前の杉林に進むと、井戸があり、水汲みのためにロープを付けられてやかんが置かれていた。やかんを放り込んで水を汲んで飲んでみると、酸っぱい炭酸水であった。以前、テレビでこの天然炭酸水のことを取り上げていたのを思い出した。
 この炭酸水は、明治38年に「芸者印タンサン・ミネラル・ウォーター」の名前でヨーロッパにも輸出され、国内では「万歳炭酸水」の商標で売り出されていたという。ただ、山奥の金山町からの輸送コストがかかったため、休業になったという。
 炭酸水とあっては、登山用に持っていくわけにもいかず、味見だけにしておくことになった。この付近は、何度も行き来しているわけだが、この炭酸水の井戸は、今回ようやく知った。次に通り過ぎる時は、寄ってみることにしよう。
 井戸の入口のすぐ先が、宇奈多理神社の入口になる。石段を登っていくと、お堂が置かれた広場に出た。お堂の背後から山に向かう道が始まっていた。尾根沿いに良い道が続くので、安心して歩いていくと、緩やかな下りになり、沢の手前の杉林で道は消えてしまった。
 地図を確認すると、破線は、杉林の手前の尾根沿いに続いていた。戻って道を捜したが、藪が広がっているだけであった。杉林から上部を見ると、尾根が見えていたので、杉林から登るように道が変わったのかと思った。杉林を登って尾根上に出たが、やはり踏み跡のようなものは見当たらなかった。ここから山頂までは、藪こぎで歩けない距離でもないので、そのまま先に進んだ。
 おおむね歩きやすい尾根ではあったが、途中で枝が密生しており通過に苦労する所もあった。傾斜が緩んで袖山方面からの尾根が合流すると、その先が要害山の山頂であった。 山頂部は、3m程の段差の帯郭で囲まれ、その上は人工的に均されたと思われる台地になっていた。城跡の名残ははっきりしているが、ここまでの道が無くなっているのは惜しい気がした。三角点も藪の中に見つけることができ、すっきりした気分で下山することができた。
 続いて大塩集落の南の只見川対岸にある大曽根山に向かった。大曽根山は、一般登山道のある山ではないが、送電線の巡視路を使って登れることが、インターネット上の報告から知ることができた。四季彩橋で只見川を渡り、山中の集落に向かう。坂を登っていくと送電線が頭上を通過し、この地点が大曽根山の取り付きになる。
 路肩に車を止めて、谷向こうの斜面に送電線が延びていく様子を眺めた。斜面の途中に一本、稜線上にもう一本の鉄塔が立つのが見えた。その脇の高まりが大曽根山の山頂のようであった。
 谷間に向かう巡視路を下った。沢の右岸沿いに幅広の作業道があり、下流方向に50mほど下った所の対岸に巡視路が続いていた。ここには、目印のために、頭が黄色く塗られた金属パイプが立てられていた。沢の徒渉は、水量も少なく、石を伝って渡るのも問題はなかった。
 その先は、尾根沿いの幅広の道が続いた。周辺は、間隔があいて開放的な雑木林で、ハイキングコースを歩いているといっても良い状態であった。ひと登りすると、斜面の中間部に立つ鉄塔の下にでた。展望も開けて、白く染まった会越国境方面の山も眺めることができた。
 その先は、再び沢に向い、細い流れを渡ると、杉林の中の登りになった。つづら折りの登りになったが、落ち葉で覆われた道を外さないように注意が必要であった。最後にトラバース気味に進むと、稜線上に立つ鉄塔の下に出た。
 巡視路はここまでで、藪こぎの開始になったが、かすかではあるが踏み跡もあり、杉林との境界線を辿ることができて、楽な歩きになった。
 三角点は、わらびの枯れ葉で覆われた広場の中に頭を出しており、すぐに見つけることができた。二山を登ったので、この日の山は終わりにした。
 三日目は、高つぶり山と思案岳を登る予定で、柳津まで戻った。柳津の温泉に入った後、ロビーに置いてあったパソコンで天気予報を確認すると、南会津は曇りという予報が出た。夕食を買い込んで、笠倉山のために再度会津塩沢に戻った。
 まだ明るいうちに塩沢に到着したので、林道に走り込んだ。舗装道路が、細いながらしばらく続いたが、谷奥に広がる田圃を過ぎると、未舗装の道に変わった。広場が現れたので、車を停めて夜を過ごした。取り付きまでは、林道歩きが少し必要になるが、時間的には余裕がある。
 翌朝薄暗いうちに起きだして、出発の準備をしていると、雨が降り出した。新潟は時々雨という予報が出ていたので、その影響が出ているようであった。笠倉山は諦めて、とりあえず、柳津まで戻ることにした。行ったり来たりであるが、山では諦めも大切である。 柳津まで戻ると雨も止んできたので、第二案の高つぶり山と思案岳に向かうことにした。
 会津坂下から会津本郷をかすめ、芦ノ牧温泉駅手前でR.118に出るのは、会津田島方面に出かける時の定番コースになっている。国道に出た南原の交差点のすぐ先から黒森への道に進む。民家の軒先をかすめる細い道で、その先は、谷沿いの道が長く続いた。舗装道路が右手にカーブし、直進方向には未舗装の林道が続くT字路に出た。右手に進めば黒森の集落のようであるが、直進する黒森林道に進む。
 黒森林道を進むと、すぐに分岐になって、広域基幹林道「一ノ渡戸・四ツ屋林道」が右に分れた。ここで、車の距離計を0にセットした。林道を2.3km進んだ地点が取り付きという情報が入っていた。林道は、砂利道であるが、走り易い状態であった。沢を二回越し、尾根の張り出し部を越して下り気味に進むと、頭上に高つぶり山の山頂が聳えるようになって、左に作業道の分かれる登山口に到着した。すぐ手前には路肩の駐車帯も設けられていた。
 作業道を歩き始めると、ほぼ水平に山麓を巻いて南に進んだ。作業道の分岐となり、左の道に進んだ。この先は、植林の伐採地を抜ける急な道に変わった。大きなカーブを描いて高度を上げた後に、トラバース気味の登りに変わり、最後は、高つぶり山の東の肩に到着した。作業道は、そのまま尾根を南東方面に向かって延びていた。
 ここからは藪こぎの開始ということになるのだが、尾根沿いにははっきりした踏み跡がついていた。枝をかき分ける必要はあったものの、歩くのが大変というほどのことはなかった。
 高つぶり山の山頂一帯は台地状であるが、踏み跡を辿ると、南東の小ピークに導かれた。三角点ピークはまだ先なのだがと、踏み跡の続きを捜したが、はっきりしなかった。藪こぎを開始してピークに向かうと、はっきりした踏み跡に再び乗ることができた。帰りにこの踏み跡を辿ってみたが、途中で途絶えているのか見失った。
 ひと登りで高つぶり山の山頂に到着すると小広場の真ん中に三角点が頭を出していた。 下りは、踏み跡が一旦途絶える以外は、問題の無い歩きになった。高つぶり山は、登山道の無い山ではあるが、作業道が南東の肩部まで延びていることを知れば、歩き自体は難しくはない。登山口まで辿りつくのが、一番のポイントであろうか。
 続いて、思案岳を登るため、林道を先に進んだ。曲がりくねった道であるが、車の走行には問題の無い道であった。地形図では林道の印は一旦途絶えるが、思案岳の山麓を巻く林道へとつながっている。谷には立派な橋がかかり、トンネルを抜けると、思案岳の北東の肩に出た。「会津百名山ガイダンス」では、ここからの作業道から取り付くように書かれているが、このルートははっきりしないようである。闇川方面から登ることにして、坂を下った。思案岳の南山麓に下りて、登山口かなと思われる地点に到着したが、確証がないため先に進むと、すぐ先で淀川橋に出て現在地を確認することができた。橋のたもとは林道の分岐になって幅が広くなっていたので、ここに車を停めた。
 橋から高つぶり山方向に戻ると、林道脇のブロック面に階段が設けられており、ここが取り付きになる。階段を上がると、杉林の中に出て、左手にはっきりした踏み跡が続いていた。この踏み跡を辿る登りが続いた。すぐに雑木林の中の登りに変わったが、林床の草木は少なく、どこでも歩きやすい状態であったが、できるだけ踏み跡を辿ることにした。
 急斜面の登りが続き、少しでも楽をするため、左手の尾根に移った。この尾根もすぐにはっきりしなくなり、急な山腹の登りになった。左に大岩が現れると、前方の傾斜はさらにきつくなってきた。しばらく我慢の登りを続けたが、左手の岩尾根に乗った。岩尾根にはかすかではあるが、踏み跡が続いており、岩を左右に巻くようなところでは、これを忠実に辿ることになった。
 傾斜がようやく緩んでくると思案岳の山頂に到着した。藪を抜けていくと、三角点の置かれた広場に到着した。見晴らしは無い山頂であった。
 下りでは、岩尾根で滑落しないように注意が必要であった。ステップには落ち葉が積もって滑りやすくなっていた。三分のニほどは岩尾根を注意しながら下ったが、左手の斜面は急ながらも下ることができそうなため、そちらに方向を変えた。岩尾根で足を滑らすと転落になるが、斜面の方ならば落ち葉とともに滑落となって、すぐに止まるはずであった。枝を掴むため、藪を辿りながら急斜面を下った。大岩の脇を通過すると、登りの際に辿った踏み跡にも出会うようになったが、下りは歩きやすいところを一気に下った。
 今回の山行では、本命の笠倉山は登れなかったが、高つぶり山と思案岳を登ることができた。残りの会津百名山も残り僅かとなり、終了のめどもついてきた。

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