大岳、まないた山、土崩山

大岳
まないた山、土崩山


【日時】 2009年11月7日(土)〜11月8日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 7日:晴 8日:晴

【山域】 守門山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 網張山・あみはりやま・1023.5m・三等三角点・新潟県
 大岳・おおだけ・1432.4m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/守門岳/栃堀、穴沢
【コース】 吉ヶ平より
【ガイド】 なし
【温泉】 守門温泉SLランド青雲荘 600円

【山域】 権現堂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 まないた山・まないたやま・652m・なし・新潟県
 土崩山・つちくずれやま・934.1m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/須原
【コース】 松川川林道より
【ガイド】 なし

【時間記録】
11月7日(土) 5:10 新潟=(北陸自動車道、三条燕IC、R.289、八木 経由)=6:50 吉ヶ平〜7:10 発―7:50 尾根下―9:14 網張山―9:39 入塩川分岐―10:27 中津又岳―10:45 大岳〜11:15 発―11:30 中津又岳―12:13 入塩川分岐―12:36 網張山―13:40 尾根下―14:17 吉ヶ平=(遅場、上塩、入塩川、栃尾、R.290、渋川、R.252 経由)=17:00 道の駅いりひろせ  (車中泊)
11月8日(日) 6:30 道の駅いりひろせ=(R.252、松川 経由)=7:00 送電線巡視路口〜7:35 発―8:35 まないた山鞍部―9:05 まないた山―9:23 まないた山鞍部―9:41 鉄塔―9:50 横沢―10:07 鉄塔―10:25 稜線分岐―11:15 土崩山〜11:37 発―12:18 稜線分岐―12:33 鉄塔―12:47 横沢―12:52 鉄塔―13:07 まないた山鞍部―13:50 送電線巡視路口=(松川、七日市、小出IC、関越自動車道 経由)=16:00 新潟
 守門岳は、新潟県の中越の会津との国境近く、浅草岳と隣り合う独立峰である。裾野を大きく広げたコニーデ型火山で、大岳(前守門)、青雲岳(中守門)、主峰の袴岳(奥守門)と頂稜を連ねている。この山は200名山に挙げられ、大勢の登山者が訪れている。大岳の登山コースとしては、保及礼小屋からの西尾根が主に用いられているが、吉ヶ平から網張山を経由して登るコースが新しく整備された。

 小出近くの権現堂山は登山道が整備されて、一般登山者にも親しまれているが、その東の黒又川ダムとの間の山域は、山菜採りやキノコ狩りが入山するだけの登山者から忘れられた空白の領域になっている。まないた山は、松川川右岸にある山で、土崩山は横沢を挟んでまないた山と向かい合う山である。

 先週、烏帽子山を登るため、八十里越入口の吉ヶ平を訪れたところ、山荘前に守門岳への新しい標柱が立てられているのが目にとまった。守門川のすぐ上流で砂防ダムの工事が行われているため、従来からあった守門川沿いの登山道の取り付き部が変更になったのかと思った。その日の新潟日報で、新しい登山道が開かれたことを後で知ったが、この時は前夜発であったため、新聞は読んでいなかった。

吉ヶ平から守門岳 新登山ルート完成 三条市が整備
 三条市吉平から守門岳(袴岳)への新たな登山ルートがこのほど、完成した。網張山を経由し、長岡市栃尾地区からの既設登山道に合流、合計約6時間の道のりとなる。
 新ルートは、吉ヶ平山荘前からドンデ平を抜け、網張山を尾根伝いに登る。合流点までは4.3km。網張山三角点など、途中3ヵ所に木製ベンチを設置した。天候が良ければ、三条市内、粟ヶ岳、弥彦山のほか、日本海まで望める。また、網張山から合流点までは、ブナ林の中を通る。
 吉ヶ平からは、守門川沿いに登る登山道があったが、水害や地震などで道が荒れて危険になったことから、三条市が約500万を掛けて新ルートを整備した。
 問い合わせは、同市営業戦略室 0256(34)5511
(新潟日報 2009年10月31日)

 新聞記事によれば、網張山を経由するコースという。網張山は、2003年10月に入塩川コースの雨晴清水から藪こぎで訪れているが、新しい登山コースとあっては、歩いてみたい。この季節は、日中の行動時間が短くなっているので、大岳を目的地に出かけることにした。一週おいての吉ヶ平訪問になった。
 今回は、明るくなってからの出発で充分である。山荘前の登山標識から登山道に進むと、放棄された耕作地を抜けていく道が続いた。吉ヶ平は、源氏の落人が移り住んだと言われ、昭和45年の集団離村で800年の歴史を閉じている。
 雑木林を抜けると、ドンデ平に出て、前方に網張山から延びる尾根と、その後方の入塩川からの登山道の走る尾根の眺めが広がった。
 ドンデ平という名前から思い浮かぶのは、佐渡のドンデン山である。ドンデン山の由来は、タタラ峰の名前になっているように製鉄施設があり、フイゴを踏む音や槌の音がドンデンと聞こえたことによるといわれている。この吉ヶ平は、八十里越街道の拠点であったことから、ここで馬具や農機具の作成が行われたか、あるいは鉱山があって精錬が行われていたのかもしれない。
 ススキやよし原の中に、刈り払いみちが続いていた。小さな沢を越すと、林道に飛び出した。アバラシ沢の下流方向から延びてきたもののようである。尾根を巻くと、前方にアバラシ沢の右岸尾根の末端が見えてきた。
 尾根の取り付きには、ベンチが置かれて、丸太階段が上方に延びていた。立派な整備状況であったので、この先は楽勝と思ったのは誤算であった。
 階段をひと登りすると、痩せ尾根の上に出た。急な尾根で、途中、手も使わないと登れない崖状の場所も出てきた。ストックを仕舞い込んで、木の枝と根を支えに登ることになった。濡れた木の根は滑る可能性もあって、気が抜けず、下りのことも気になった。実際には、バックステップで足場を探りながら下りることになった。一般登山道というにはきびしいコースであった。今シーズンは終わりに近いことから、来年になったらロープを設置することになるのだろうか。このままの状態では、一般登山者向けのコースとは言い難い。
 傾斜が緩むと、ブナ林も広がって、ようやく晩秋の山を楽しむ余裕も出てきた。標高900m地点では、ベンチが置かれた見晴らしになっており、粟ヶ岳方面の眺めを楽しむことができた。
 尾根が広がると、雪も現れてきた。藪の中の刈り払い道を進んでいくと、網張山に到着した。下からはピークに見えるが、周辺は台地状の地形が広がっている。先回は、藪の中で探すのに手間取った三角点も広場の片隅に頭を出していた。網張山は、藪こぎで訪れてこそ達成感のある山頂である。
 網張山からは、先回の藪こぎルートと同じように、雨晴清水へとトラバースするのかと思ったが、そのまま尾根沿いの登りが続いた。この区間は、美しいブナ林が広がっていた。
 1170m標高で、入塩川コースと合流した。この先は、何度か訪れたことのある道である。登山道も、連続して雪が覆うようになった。途中、傾斜がきつくなる所もあったが、足場が良く掘り込まれているので、問題なく登ることができた。
 中津又岳まで登ると大岳の山頂も目の前で、守門岳の岩壁の見えてくるが、展望は山頂でのお楽しみと、先を急いだ。
 大岳に到着すると入れ違いに先行の二人連れが下っていき、誰もいない山頂になった。少し先の下り口まで進んで、展望を楽しみながら大休止にした。うっすらと雪をかぶった守門岳が、冬を目前にした静かな姿を見せていた。先週登ってきたばかりの烏帽子山も、目の前に見えていた。
 下りは、久しぶりの雪の感触を味わいながらの歩きになった。最後の痩せ尾根の通過には神経を使った。
 今回新しく開設された吉ヶ平コースは、初心者やグループには不適なコースであるとしかいえない。いろいろある登山コースのうち、もし入塩川コースを歩いていないのなら、そちらを先に歩くことを勧める。
 翌日は、権現堂山塊のまないた山と土崩山を登ることにした。毛猛山塊は、藪山として全国的に名前が知られるようになっているが、その西の権現堂山と黒又川に挟まれた一帯の山は、登山者にとっての空白地帯になっている。2003年頃に高鼻山や唐松山を松川川沿いの林道から登って、まないた山の取り付き部を確認していたが、中越地震もあってそのままになっていた。土崩山に三角点測量のために刈り払いの手が入ったことを聞き、おおよそのコースを推測することができた。
 大岳から下山後に温泉に入り、小出で買い物をすると日も暮れてしまった。しばらく松川川沿いの林道に入っていないので、その夜は、近くの道の駅いりひろせで過ごすことにした。六十里越の国道は、早くも夜間通行止めになっていた。
 朝になってから、松川の集落から林道に進んだ。1.5車線幅の舗装道路で、車の走行には問題はない。
 まないた山の取り付きは、上たかのす沢を過ぎた俎板沢の手前になる。地形図でも510.2m三角点に向かう破線が尾根沿いに記されているが、この尾根末端部の道は無くなっている。車のナビで、林道のカーブ地点から位置を推測して目的地をインプットしていたので、現地には問題なく到着できた。車のナビは、長い距離を走った先の林道奥地の登山口に辿りつくのに役に立つ。送電線の巡視路になっている登山口には、ピンクのテープが取り付けられていた。入口に置かれた杭には、「15入口」と書かれていた。この入口を過ぎた先で路肩が広くなっていたので、車を停めた。
 巡視路に進むと、一般登山道と同じレベルに整備された道が続いた。しばらく北に向かってトラバース気味に進んだ後に、つづら折の登りが始まった。破線の記されている尾根の南隣の枝尾根を登っていた。谷間では、まだ紅葉が残っており、美しい紅葉を見せていた。
 510.2三角点手前でトラバース気味の道に変わると、送電線鉄塔への道が左に別れた。さらに谷を巻いていく道が続いた。傾斜した一枚岩を踏み越えるような所も出てきたが、足場も切られ、ロープが張られているところもあって、普通の登山道並みの道が続いた。 前方の高見に稜線が横たわるのが見えていたが、これは土崩山に続く稜線で、まないた山から南に延びる稜線の鞍部には、思ったよりも短い時間で到着できた。まないた山の南の鞍部では、木にスノーダンプとスコップがくくりつけられており、横沢源流部になる谷間を見下ろすと、ブルーシートの小屋掛けが建てられていた。鞍部から南に稜線を辿った先には送電線の鉄塔が立ち、送電線は横沢の谷越しに土崩山側の稜線の上に続いているのが見えた。
 土崩山へのルートが気になったが、まずはまないた山を目指すことにした。ここまで辿り着くことができれば、後は藪こぎを頑張りさえすれば良い。距離も400mほどのものである。まないた山への稜線は、灌木帯になっていたが、かすかな踏み跡やナタメが見られ、赤布も所々に残されていた。ゆっくりとした速度ではあったが、前進するのにさほど苦労はしないレベルであった。
 ザレ場に出て見通しが利くようになると、前方にピークが見えたが、まだ遠い感じであった。山頂に到着して判ったことだが、目立つのは、まないた山北峰というべき北隣のピークで、本峰は台地状の目立たないピークであった。山頂に向かって緩やかな登りを続けていくと、荒い刈り払いが行われ、ビニールテープが木に付けられているまないた山の山頂に到着した。鞍部からは30分の藪こぎで到着したので、そう難しい藪こぎではない。木立が邪魔して、周囲の眺めは良くなかった。登頂だけに喜びを見出すような山頂であったので、すぐに来た道を戻った。
 一山を登ることができ、余裕をもって土崩山へのルートを考えることができるようになった。土崩山へのルートとしては、送電線の巡視路と三角点の刈り払い道を利用するということが判っていた。もう一つの参考としては、県別マップルの道路地図に記載してある破線である。この詳細地図には、道路の他に山道を示す破線が記されているが、情報は古く、国土地理院の地形図とは異なっていることも多い。逆に、現在では使われなくなった道として、参考になることもある。地形図では、破線はこのまないた山の鞍部で終わっているが、県別マップルの道路地図では、横沢の源流部を遡った後に高鼻山から延びてくる稜線に乗って土崩山へと向い、土崩山の山頂手前で東を巻いて、黒又川第一ダム下流の一の切橋付近まで稜線沿いに破線が続いている。目の前の谷間にゼンマイ小屋があるように、この破線はかつて利用されたゼンマイ道のようである。
 まずは、鞍部から谷間に下りる道を探した。草に覆われていたが、踏み跡が下っているのが見つかったが、最近歩いたような気配は無く、測量隊の目印のピンクのテープも見当たらなかった。ここから谷間に下りるのではなさそうであった。
 そうなると、目の前の高見に立つ送電線鉄塔に進んでみる必要がある。鉄塔付近から谷間に下るのか、高鼻山方面の稜線沿いに進むのか、二つの可能性がある。
 鞍部からは、砂岩に足場が掘り込まれた急坂になった。鎖が取り付けられており、上部では新しいロープも取り付けられていた。この鎖やロープのおかげで安全に登り降りすることができた。細尾根を辿ると、鉄塔下に到着した。
 尾根沿いにも刈り払い道が続いていたが、それよりもはっきりした道が谷に向かって続いていた。谷に向かう道に進んだ。トラバース気味に下っていくと、一部ではあるが、コンクリートの階段が設けられていた。崖に挟まれて細くなった沢に下り立ち、流れをまたいで越した。対岸の尾根のつづら折の登りが始まった。ここでも、足場の悪い所にコンクリートで固めた道が設けられていた。
 ひと登りすると、尾根中間部の鉄塔下に到着した。続く鉄塔は沢向こうの高見に立てられていたが、そこまでは行かないようである。通常の登山道並みの歩きやすい道を辿っていくと、866m点の南で稜線上に出た。
 良く整備された送電線巡視路は、さらに南の稜線にむかって続いていた。目的の土崩山方面であるが、ピンクのテープが入口に付けられて、新しい刈り払いが行われていた。ここまでの予想は当たっていたことにひと安心した。東に広がる毛猛山塊の眺めを楽しみながらひと息いれた。
 土崩山に向かう尾根は、密生した藪に覆われており、刈り払いが行われていなければ、歩くのも容易ではない状態であった。のこや鉈による切り跡からも、刈り払いの大変さがうかがわれる。土崩山までは1000m程の距離があるので、完全な藪こぎでは、到達はかなり難しいであろう。足元の切り株や落ちた枝によって、歩く速度も上がらなかった。土崩山の山頂は、途中からは見え続けており、次第に近づいてきた。
 山頂手前からは、刈り払いも少し荒くなって、藪をかき分ける手間もかかるようになってきた。結局、この刈り払い区間は50分の歩きで、土崩山の山頂に到着した。
 土崩山の山頂は、三角点を中心に藪が刈り払われ、守門岳、浅草岳、毛猛山塊、唐松山、上権現堂山、下権現堂山といった山々が周囲を取り囲む眺めが広がっていた。素晴らしい眺めの山頂であった。せっかくの刈り払いであるので、これを機会に、登る者が多くなって、道が維持されると良いのだが。今年いっぱいは、藪が復活してきたといっても歩くことは可能であろうから、鉈を持って再び登りにこようか。
 秘峰というべき土崩山に登れたことに満足して、来た道を引き返した。送電線巡視路まで戻ると、後は、名残りの紅葉を眺め、落ち葉を踏みしめながらの下りになった。

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