武能岳、茂倉岳、志賀山

武能岳、茂倉岳
志賀山


【日時】 2009年7月4日(土)〜5日(日) 前夜発2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 4日:雨後曇り 5日:晴

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 武能岳・ぶのうだけ・1759.6m・三等三角点・新潟県、群馬県
 茂倉岳・しげくらだけ・1977.9m・三等三角点・新潟県、群馬県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/茂倉岳
【コース】 茂倉新道登山口より
【ガイド】 山と高原地図「谷川岳・苗場山・武尊岳」(昭文社)
【温泉】 岩の湯 400円

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 裏志賀山・うらしがやま・2040m・無し・長野県
 志賀山・しがやま・2035.5m・三等三角点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岩菅山/岩菅山
【ガイド】 山と高原地図「志賀高原・草津」(昭文社)

【時間記録】
7月3日(金) 6:30 新潟=(関越自動車道、小出IC、R.17、越後湯沢、土樽 経由)=21:30 茂倉新道登山口  (車中泊)
7月4日(土) 4:37 茂倉新道登山口―5:10 蓬新道林道終点―5:45 東俣沢出合―7:40 蓬峠―8:50 武能岳〜9:00 発―12:00 茂倉岳〜12:21 発―13:35 矢場ノ頭―14:58 茂倉新道登山口=(土樽、越後湯沢、R.17、石打、R.353、越後田沢、R.117、飯山、R.292、中野 経由)=19:00 志賀高原  (車中泊)
7月5日(日) 6:04 硯川登山内―6:22 リフト山頂駅―6:47 志賀山分岐―7:07 四十八池―7:48 裏志賀山〜8:12 発―8:33 志賀山―9:04 志賀山分岐―9:25 リフト山頂駅―9:42 硯川登山内=(中野、信州中野IC、上信越自動車道、北陸自動車道 経由)=13:30 新潟
 茂倉岳は、谷川岳の北に一ノ倉岳を挟んで連なる山である。これら三山はほぼ同じ標高を持つが、この先の稜線は一気に高度を下げて武能岳に続く。

 志賀高原というと、スキー場によって開発しつくされた感があるが、多くの池や湿原が点在し、自然が残されている。その中でも、四十八池は、池塘に影を映す志賀山や裏志賀と合わせて訪れるハイカーも多い。

 ホソバヒナウスユキソウは、至仏山と谷川連峰だけに咲く花である。至仏山は、残雪期登山禁止期間があけたばかりで混雑しているはずで、静かに楽しめる場所として、笠ヶ岳と茂倉岳を考えた。週末の天気はぱっとしないため、以前にも歩いたことのある茂倉岳に出かけることにした。
 ホソバヒナウスユキソウは、茂倉岳と武能岳の間にあるようなので、蓬峠から武能岳を経て茂倉岳に登り、茂倉新道を下ることにした。どちら回りでも良さそうなものだが、茂倉新道の一気の登りはきつそうだし、蓬峠まで上がってしまえばその後は花を見ながらの稜線歩きになるはずなので、武能岳のアップダウンは気にならないはずであった。
 土樽の奥の茂倉新道の登山口に到着すると、小雨が降る中、一台の車もなかった。ここは、関越道の関越トンネルの残土置き場で、公称100台駐車可能とされているが、多い時でも数台の車があるだけである。
 蓬新道の登山口までの歩きが加わるため、早発とした。小雨が時折風とともに流れてきたが、天気は回復してきているようであった。
 茂倉新道の登山口から坂を下り、沢沿いの林道に進んだ。林道は未舗装で、路面はそう悪くはないものの、長く続いているため、どこまで車を進めてよいか不安になりそうである。蓬峠は、環状縦走か、土合から土樽への縦走の途中でしか訪れておらず、この林道に車を進めたことはない。蓬沢沿いになり、前方に大きな砂防ダムが見えてくると、林道は突如終わりになった。方向転換もできない終点なので、砂防ダムへの道が分かれる広場に車を止める必要がある。
 登山道は、夏草が茂る川岸の歩きがしばらく続く。刈り払いの手も加えられていだが、歩いていてもあまり面白くはない道であった。
 東俣沢出合で、沢をまたぎ越すと、尾根の登りが始まる。尾根をからみながらのジグザグの急登となり、標高差25mほどは、ひたすらの登りが続く。標高1220m付近からトラバース道がはじまり、足の負担も軽くなってくる。雨は止んだが、稜線は厚い雲に覆われたままであった。
 枝沢の横断が現れてきたので、水を飲んで元気を取り戻した。一旦尾根の直登に変わった後に沢の横断になると、その先の湧水がペットオトルが何本か置かれている蓬峠の水場に到着した。蓬峠に泊まった時は、ここまで下りてくる必要があるので、水の確保も大変である。
 水場を過ぎてもうひと頑張りと登っていくと、蓬峠小屋が霧の中から突然姿を現した。笹原が高みに向かって広がっているので、もう少し登るのかと思っていたので、拍子抜けであった。登る途中では、武能岳に続く斜面が見えていたようである。
 霧の流れる中、蓬峠小屋は静かに佇んでいた。小屋の脇がテン場であるが、水たまりができていた。一段登った所で小屋の写真を撮ろうと思っているうちに峠は通り過ぎて、武能岳への登りにとりかかっていた。ニッコウキスゲが咲き始めており、霧による乳白色の風景の中、鮮やかな黄色を見せていた。ガクウラジロヨウラクやベニサラサドウダンなどの花も咲いていた。花を見ながらの歩きになった。
 ガスが流れて武能岳の山頂は隠されていた。急斜面を登り詰めて山頂到着かと思ったが、緩やかな稜線をしばらく辿った先であった。これからの茂倉山への登りにそなえて、朝食をとりながらひと休みした。
 一旦下った先は、笹平と呼ばれる笹原の広がる稜線である。左手の群馬県側の谷間はガスが切れて土合付近の谷川の流れが見えていた。堅炭尾根であろうか、急峻な岩尾根に登山道らしき道が延びているのが見えた。
 茂倉岳への登りにかかると、ユキワリソウが現れた。写真を撮ってから良く眺めると、幅広の葉で、ホソバウスユキソウというにはおかしいことに気がついた。ミネウスユキソウであった。
 花を眺めながら登っていき、山頂も近くなったところで、左手にガレ場が広がり、その斜面にホソバウスユキソウが一面に咲いていた。実物を見れば、細い葉が根本にまとまって伸び、柄は細く銀色のため、すぐに見分けがつく。花は、盛を少し過ぎており、雄蕊の花粉が無くなっているものが多かった。それでも目的の花に出会えて、カメラを構えて、しばらく時間を過ごした。
 茂倉山の山頂には、コースタイムを大幅に超過して到着した。誰もおらず、ガスに囲まれて静かな山頂であった。谷川岳方面から縦走の大荷物の女性二人連れや、茂倉新道に下っていく単独行が現れて、ようやくここで登山者に出会うことになった。
 茂倉新道は、これまで下りにばかり使っており、登ったことはまだない。しばらくは登山道周辺の草原に花が見られたため、お花見モードのゆっくりとした歩きになった。矢場ノ頭を過ぎると、木の根を乗り越したり、伝い歩いたりの歩き辛い道になる。下りに専念することになった。
 傾斜が緩んでブナ林が広がるようになると、関越トンネルから飛び出してくる車の走行音が聞こえるようになる。最後に急な斜面を下ると、登山口の広場に戻ることができて
周回は終わる。いつもながらのことだが、茂倉新道の下りは、最後は辛い歩きになった。 翌日は、軽い歩きですませるため、志賀高原の四十八池を訪れることにした。翌日は早めに家に帰る必要があったが、上信越自動車道を使えば、志賀高原は新潟から近い。高速道の上限1000円のおかげである。
 志賀高原にも何度か訪れて、静かな野宿場所も判っている。夕方からの雨も上がって、翌朝は晴れ間が広がった。硯川の登山口に到着してみると、カメラを下げた高齢者グループがうろうろしていた。リフトが動き出すと大混雑になるので、早めに出発した。
 四十八池は、以前、大沼池から歩いており、この硯川からは初めてである。前山リフトが、夏には登山用に動いている。この前山リフト沿いの斜面は、最大斜度30度の急斜面であり、ここを登るのかと思っていたが、右手に緩やかなゲレンデが広がっており、ここに登山道が通じていた。
 大きく回り込むと、ワタスゲが揺れる湿原が現れて、その奥がリフトの山頂駅であった。遊歩道を進むと、渋池に出た。誰もいない静かな池の風景を楽しんだ。池の畔には湿原が広がり、アヤメも咲いていた。
 渋池を過ぎると、樹林帯の遊歩道の歩きがしばらく続く。遊歩道の工事中で、ブルのキャタピラによって遊歩道が掘り返されており、昨晩の雨の影響もあって泥田状態になっていた。先回、志賀山に登った時に登山道の状態が悪かったのを思い出して、スパッツを付けていたのは正解であった。
 途中、志賀山との分岐に出るが、混雑が始まる前ということで、四十八池を先に訪れることにした。その先の遊歩道の状態は、さらに悪くなった。四十八池の入口でもトイレの工事が行われていた。
 四十八池は、広さはそれほどでもないが、幾つもの池塘が点在し、その奥に裏志賀山が頭を持ち上げて、まとまった美しさを見せている。思ってもいなかったことだが、湿原には誰もおらず、一人占めの四十八池であった。変化に富んだ池塘の眺めを楽しみながら木道に進んだ。ヒメシャクナゲが盛りで、池塘に点在する島をピンクに埋め尽くしているところもあった。
 木道を通り抜けると、休憩用のテラスがあり、湿原は終わる。大沼池と志賀山との分岐に出て、左に曲がる。志賀山神社という額が掲げられた鳥居をくぐると、急な登りが始まるが、岩も露出しており、ハイキング気分では辛い登山道である。
 ピークの乗り越しに出て、右手に分かれる登山道に進むと、すぐに裏志賀山の山頂に到着する。ベンチが置かれて、四十八池を見下ろすことができ、大沼池も一部姿を現している。草地の広がる稜線を辿った先の木立ちの中に、志賀山神社の祠が置かれている。その先の斜面の下り口に進むと、大沼池と赤石山の眺めが広がっている。裏志賀山は、展望を楽しめるピークである。
 分岐に戻り、志賀山に進んだ。志賀山へは一旦下った後に、ピラミッドピークに向かっての急登に変わる。鞍部脇には、志賀小池と呼ばれるらしい小さな池がひっそりと水をたたえていた。
 志賀山の山頂は、木立に囲まれて展望はなかった。少し進むと、展望盤が置かれていたが、ここも木立の中であった。以前は、展望が開けていたのか、疑問がわいてきた。
 志賀山からの下りは、岩が露出した急坂の下りで歩きにくい道である。先回、子供連れファミリーが歩くのに苦労していたことが思い出された。この下りで、ようやく登山者にもすれ違うようになった。
 遊歩道に戻ると、登山者にも多くすれ違うようになった。泥だらけの遊歩道のことは、リフト乗り場で警告されてはいないようで、スパッツをつけているものはまれで、スニーカーのものもいた。泥道のため歩けなくなっている家族連れもいた。
 渋池に戻ると、一眼レフを付けた三脚の列が並んでいた。光線の具合が変わったせいなのか、人ごみのせいなのか、朝の神秘的な風景は失われていた。白塗りの高級望遠レンズが目立ったが、カメラに金をかけるなら、リフトの始発を待たずに登ってくるだけの努力が必要である。
 登山口に戻ると、団体の乗ったバスも到着しており、混雑はさらにひどくなりそうであった。朝の静かなうちに登山を行えたことに満足して家路についた。

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