四阿山、根子岳、三宝山、甲武信ヶ岳

四阿山、根子岳
三宝山、甲武信ヶ岳


【日時】 2009年5月30日(土)〜31日(日) 前夜発2泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 30日:曇り一時雨 31日:曇り後雨

【山域】 上信国境中部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 四阿山・あずまやさん・2354m・なし(2332.9m・二等三角点)・長野、群馬県
 根子岳・ねこだけ・2202m・なし(2127.9m・一等三角点本点)・長野県
【コース】 菅平牧場から周回
【地形図 20万/5万/2.5万】 長野/須坂/菅平、四阿山
【ガイド】 アルペンガイド「妙高・浅間・志賀」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「長野県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「志賀高原・草津」(昭文社)
【温泉】 遊楽里館 500円

【山域】 奥秩父
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 十文字峠・じゅうもんじとうげ・1920m・長野、埼玉県
 大山・おおやま・2225m・なし・長野、埼玉県
 三宝山・さんぽうざん・2483.3m・一等三角点本点・長野県、埼玉県
 甲武信ヶ岳・こぶしがだけ・2475m・なし・長野県、埼玉県、山梨県
【コース】 毛木平駐車場から周回
【地形図 20万/5万/2.5万】 甲府/金峰山/居倉、金峰山
【ガイド】 山と高原地図「金峰山・甲武信」(昭文社)

【時間記録】
5月29日(金) 9:30 新潟=(北陸自動車道、上信越自動車道 経由)
=0:30 小布施PA  (車中泊)
5月30日(土) 5:00 小布施PA=(上信越自動車道、須坂長野東IC、菅平 経由)=6:35 菅平牧場―9:04 四阿山〜9:16 発―10:01 十ヶ原―10:41 根子岳〜11:07 発―12:30 菅平牧場=(菅平、R.144、R.18、R.141、佐久、R.141、海ノ口、川上 経由)=16:40 毛木平駐車場 (車中泊)
5月31日(日) 5:00 毛木平駐車場―6:26 十文字峠〜6:42 発―7:25 大山―9:15 三宝山〜9:23 発―9:58 甲武信ヶ岳〜10:12 発―10:35 源流標―11:27 ナメ滝―12:39 毛木平駐車場=(川上、R.141、佐久IC、上信越自動車道、北陸自動車道 経由)=18:40 新潟
 四阿山は、上州と信州との国境線上にあり、古くから信仰の山として崇められてきて、その遺構が山中に残されている。かつては、根子岳、四阿山、浦倉山、奇妙山を外輪山とする富士山をしのぐ巨大な火山であったという。広大な裾野を持ち、菅平や嬬恋スキー場が開かれているが、自然は良く残されている。四阿山は日本百名山、根子岳は花の百名山に選ばれ、それぞれ人気の山になっている。

 甲武信ヶ岳は、甲斐・武州・信濃の3国の境にあり、信濃川、荒川、笛吹川の3つの川の源流になっている。特に信濃川は、遥か奥秩父から日本海まで日本で最長の距離を流れ下ってくることを考えると、信濃川の河口部の町、新潟に住むものにとって、その源を訪れることに特別な感慨を抱かずにはおられない。

 奥秩父・十文字峠のシャクナゲがこの週末に盛りになるという情報が入った。甲武信ヶ岳は、1993年5月22日に日本百名山巡りとして登ったが、その際に十文字峠からの周回を考えていたものの、確実な源流コースの往復にしてしまい、そのままになっていた。
 甲武信ヶ岳を日曜日に登るとして、土曜日に登る山を考える必要があった。週末の天気は全国的に悪いようだが、長野県だけは、土曜日は曇り、日曜日は曇り後雨というものであった。甲武信ヶ岳に向かう途中ということで、四阿山を登ることにした。
 四阿山と根子岳を両方登るのに都合良いコースとして、菅平牧場から歩き出すことにした。2002年8月4日に歩いており、様子が判っているので気軽である。
 出発が遅かったため、小布施のパーキングで夜を過ごし、朝になってから高速を下りた。妙高方面の上空には青空が広がっていたが、目指す四阿山方面は雲が垂れこめていた。山の選択を誤ったかなとは思ってものの、予定通りに向かうことにした。
 菅平牧場の駐車場では、200円が徴収されるが、シーズンオフのためか、帰りに払うことになった。上下三段ほどの広い駐車場が設けられているが、早朝とあって、五台の車が停められているだけであった。
 四阿山と根子岳のどちらを先に登るか迷ったが、先回は根子岳を先に登ったので、今回は四阿山を先に登ることにした。先行した3組の登山者も、四阿山に向かっていた。
 トイレの前から牧場を横切る林道をしばらく歩くと、400mほどで登山口にでる。しばらく牧柵に沿っての登ると、大明神沢を回りこむ道になる。尾根に行く当たると、緩やかな登りが始まる。周辺は白樺林が広がり、美しい新緑を見せていた。
 痩せた尾根上に出ると、雨が降り出し、上下の雨具を着込むことになった。覚悟していたことなのでしかたがない。根子岳の山頂は見えるものの、四阿山の山頂は黒雲に覆われていた。
 仲四阿と呼ばれる小ピークを越えた先の鞍部からは、四阿山への最後の登りになる。視界は閉ざされていたが、ミネザクラが美しいピンクの花を咲かせていた。
 傾斜が緩んでからしばらく台地を進むと、根子岳との分岐に出た。ここは右折して、四阿山に向かう。途中のガレ場には、幅広の木の階段が設けられていた。
 山頂には、前後二つの祠が置かれている。手前は上州社(本社は、中之条町の吾嬬神社)、奥は信州社(本社は、真田町の山家神社)である。山頂標識は、奥の信州社前に置かれている。
 山頂の三角点を捜しに先に進んだ。鎖の掛かる岩尾根を下り、150mほど進んだところにあった。広場とか小ピークというわけでもない、尾根の途中に置かれているのは意外である。
 山頂に戻って、根子岳に向かった。通り過ぎてきた分岐を直進すると、すぐに急な下りが始まった。針葉樹に囲まれて、晴れていても展望の無いところであるが、ガスが垂れこめて、さらに残雪歩きになった。登山道には笹が倒れこんでいて、コースが判りにくくなっていた。
 ようやく急坂を下りきると、笹原の広がる十ヶ原に出た。心が休まる原である。根子岳への登りの途中で振り返ると、ガスの切れ目から、笹原の眺めが広がっていた。天気も回復してきて、根子岳の山頂も見えてきた。四阿山の山頂は雲に覆われたままであった。
 巨岩の下を抜けると、崩壊地の縁に出た。根子岳は穏やかな山に見えるが、ここだけは荒々しい姿を見せている。
 ようやくガスが上がって開けてきた風景を眺めながらひと登りすると、禰子岳神社の祠の置かれた根子岳山頂に到着した。風あたりの弱い所に腰を下ろして大休止にした。
 下りは、牧場を見下ろしながらの一気の下りになった。ガレ場から白樺林の中の下りに変わり、やがて牧場の柵の脇に出た。フデリンドウやアズマギクの花を見ることができた。
 駐車場に戻ると、上段はほぼ埋まっていたが、登山者よりも牧場を訪れた観光客の方が多いようであった。ぱっとしない天候のためか、夏山シーズン前のためか、静かな百名山を楽しむことができた。
 上田に向かう途中で温泉に入り、さっぱりした。続いて佐久付近で夕食と翌日の食料の買出しと思ったが、夕時前の中途半端な時間であったため、コンビニにはおにぎりやパンなどが並べられておらず、何軒も寄り道することになった。
 川上村に近づくと、激しい雨が降り始め、明日の登山が危ぶまれた。天気が悪ければ、十文字峠まででも良いかなと思い、毛木平の駐車場に向かった。
 甲武信ヶ岳には、1993年5月22日に登っているが、毛木平の記憶も無くなっている。未舗装に変わると、さほど長くはない距離で毛木平の駐車場に到着した。舗装されて、駐車場所のラインも引いてある立派な駐車場であった。60台の駐車場は、三分の一ほどの車が停められていた。十文字小屋と甲武信小屋の泊り客は、それなりにいるようであった。
 雨は夜まで降り続いたが、朝になって目を覚ますと、曇り空に変わっていた。いそいで歩きだす準備をした。
 十文字峠から甲武信への周回は、登山地図のコースタイムでは、9時間半ほどかかるようである。5時に歩きだすことができたので、まずは順調な出だしになった。林道を500mほど進むと、左に十字峠への道が分かれた。千曲川源流を木の橋で渡り、尾根の末端部を左に回り込むと、沢沿いの登りが始まった。沢の右岸沿いに登っていき、かなり高度を上げてから左岸尾根に登りついた。実際の登山道は、地図の破線道や登山地図よりも沢の上流部に続いている。
 尾根上に出る直前にはブルーシートに覆われて薪が積まれており、十文字小屋へ運ぶよう協力をお願いしてあった。そのため、尾根上に出れば、小屋はすぐ先かと思ったが、まだ1kmほどの距離があった。幸い、ほぼ水平な道のため、体力的には楽な道であった。
 谷間では咲いているシャクナゲもあったが、尾根上に出てからは固い蕾で、咲くのはまだ先のようであった。花を見られるのか不安に思いながらの歩きになった。
 十文字山を巻いて、緩やかに下っていくと十文字峠に到着した。まず、シャクナゲの花が飛び込んできた。小屋はシャクナゲに埋もれていた。鹿の食害防止のためか、緑のネットで周囲が囲まれているのが、少し目障りであったが、シャクナゲ見物には支障はなかった。シャクナゲ園といった感じであり、しばし、シャクナゲの撮影タイムになった。赤見の濃い蕾も多かったが、ほぼ満開といった感じであった。シャクナゲの花は、咲き終わると、茶色に変色して見苦しくなるが、そのような花は無かった。朝の早いうちで光が充分でなかったが、縦走も行おうとしているので、これは仕方がない。カメラを構えているのも、他に二人いるだけであったが、時間が遅くなれば、花の前に立つのに自由が利かないほどに混雑するのであろう。
 ここで、時間の確認になった。十文字峠までかかった時間は、登山地図よりも大幅に短縮していた。甘めのコースタイムのようなので、問題なく歩けそうであった。天気ももっていてくれたので、先に進むことにした。
 大山に向かっては、急な登りが続いた。傾斜が緩んだ後に山頂が近付くと、鎖場が現れた。足掛りは豊富であり、鎖は補助程度で済んだが、息が上がっており、息を整えながら登る必要があった。大山の山頂は、針葉樹林帯の上に頭を出して、展望が広がっていた。大山山頂のシャクナゲは、日当たりが良いためか咲いており、山々の良い前景になっていた。三宝山が横に広がった姿を見せており、甲武信ヶ岳はその背後になっているようであった。
 大山からの下りには鎖場はなく、僅かに下った後に、緩やかな稜線歩きが続くようになった。小さなピークは、脇を巻いていくので、歩きやすい道であった。
 十文字小屋から先行していた登山者を追い越し、甲武信小屋からの登山者にもすれ違うようになった。甲武信小屋からと思われる団体にも出会い、小屋は繁盛しているようであった。
 武信白岩山は、針葉樹林帯の上に頭を出した岩峰であるが、現在は登山禁止になっているのでそのまま通過する。その先にも岩峰があり、登山道はその上を越している。登りは鎖をたより、下りは梯子がかかっている。
 ここからは、標高差100mほどを一気に下り、その後三宝山への登りが始まる。標高差300mの登りであるが、疲れも出てきており、長く感じられた。山頂が近付くと、残雪が現れ、完全に雪道に変わった。この日は、雨を予想してスパイク長靴を履いていたため、雪で足を滑らせる心配はなかったが、雪道に慣れない登山者は不安に思うかもしれない。
 ようやく到着した三宝山の山頂は、広場になっていた。脇にもう小さな刈り払いがあり、一等三角点が頭を出していた。今回の山行は、この三角点に出会うことも目的の一つであった。
 朝から食べていなかったので、軽く腹ごしらえをした。甲武信ヶ岳で大休止になるが、ここまでたどり着けば、後僅かである。
 夫婦連れが、甲武信ヶ岳方面から登ってきた。言葉を交わすと、毛木平の駐車場からの逆回りの周回であった。どちら周りが良いかは、考え方にもよるが、この日の後半は雨になることを考えれば、稜線歩きをほぼ終えた私の方が有利ということになる。
 地図を良く見ていなかったせいもあるのだが、三宝山がこのコース中の最高点であった。緩やかに稜線を辿った後に、ひと登りすると甲武信ヶ岳の山頂に到着した。山頂の中央には、日本百名山甲武信ヶ岳と書かれた標柱が、石垣の上に高々と立てられていた。その一段下には、山梨百名山の標柱も置かれていた。さほど広くない山頂を標柱が占めているのは、見苦しい。
 サックを下ろして大休止と思ったところで、本降りの雨が始まり、雨具の上下を着込むことになった。雨の中で食事も早々に終えて、下山に移ることになった。先回の山行で、富士山をはじめとする展望は楽しんだので、この日の展望は諦めている。
 下る予定の道の標識には、国師ヶ岳・金峰山とだけ書かれているため、登山地図を出して確認する必要があった。
 しばらく下った後に、縦走路から分かれて、信濃川源流へ下る道が分かれた。じぐざぐ道を下っていくと、沢に行き当たるが、ここが日本最長の信濃川の源流である。これから山を下って、河口部の新潟に戻ることになる。水の流れは、どれほどの時間をかけて日本海に辿りつくのだろうか。
 その後は、長く感じられる歩きが続いた。水の流れもあっという間に増えて、激しい流れに変わった。沢沿いの道の途中には、ナメ滝や新緑の林など、晴れていれば写真を撮りながらの歩きになるところだが、黙々と先を急ぐことになった。
 駐車場に戻って、着替えをした後、湯を沸かして熱い飲み物でひと休みした。駐車場を見渡していると、雨の中、下山してくる登山者も多かった。十文字峠は、この日も、登山者でにぎわったようである。

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