夢見平、天狗山、青田難波山、籠町南葉山、鮫ヶ尾城址(城山)

夢見平、天狗山
青田難波山から籠町南葉山、鮫ヶ尾城址(城山)


【日時】 2009年5月23日(土)〜24日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 23日:曇り 24日:曇り

【山域】 妙高連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 夢見平・ゆめみだいら・1230m・なし・新潟県 
 天狗山・てんぐやま・1450.4m・三等三角点・新潟県
【コース】 乙見湖より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/妙高山
【ガイド】 夢見平:新潟ファミリー登山 天狗山:なし
【温泉】 杉ノ沢温泉苗名の湯 450円

【山域】 南葉山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 青田難波山・あおたなんばやま・949.3m・二等三角点・新潟県 
 籠町南葉山・かごまちなんばやま・909.1m・三等三角点・新潟県
【コース】 南葉高原キャンプ場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/重倉山
【ガイド】 無し

【山域】 南葉山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 城山・しろやま(鮫ヶ尾城趾・さめがおじょうし)・190m・なし・新潟県
【コース】 斐太県民休養地より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/重倉山
【ガイド】 新潟県ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【時間記録】
5月22日(金) 20:30 新潟=(北陸自動車道、上信越自動車道、妙高高原IC、杉ノ沢 経由)
5月23日(土) =0:40 乙見湖  (車中泊)
7:15 乙見湖―8:47 林道終点分岐―9:05 地蔵カツラ―9:25 林道終点分岐〜10:15 発―10:17 遊歩道分岐―11:30 夢見平〜11:50 発―12:29 地蔵山下―13:15 地蔵山―13:45 地蔵山下―13:35 乙見湖=(杉ノ沢、R.8、乙吉、青田 経由)=16:30 南葉高原キャンプ場  (車中泊)
5月24日(日) 6:55 南葉高原キャンプ場―7:25 六合目水場―7:40 七合目展望台―8:09 青田難波山―9:10 籠町南葉山山頂標識―9:25 籠町南葉山三角点―9:37 籠町南葉山山頂標識―10:36 青田難波山〜10:54 発―11:18 明神峠―11:14 明神沢―12:46 南葉高原キャンプ場=12:46 斐太県民休養地入口駐車場―13:15 鮫ヶ尾城趾―13:38 斐太県民休養地入口駐車場=(上越高田IC、上信越自動車道 経由)=15:40 新潟
 夢見平は、妙高笹ヶ峰の乙見湖南岸に広がる台地にある湿原である。かつての森林伐採のためのトロッコ起動敷を利用した遊歩道が整備されている。春には、ミズバショウの群落を見ることができる。天狗山は、乙見湖のダム堰堤脇に聳える山で、神道山から北に延びる尾根末端の山である。

 南葉山塊は、高田の町の背後に広がる山塊である。南葉山という地名には、南葉、難波、南波という字が用いられている。地図を見ても、山塊の南端の籠町南葉山、北端の青田難波山、さらにはその中間の稜線には南葉山と記載されており、少々ややこしい。青田難波山は、ハイキングの山として親しまれているが、籠町南葉山までの登山道が最近整備された。

 鮫ヶ尾城趾は、新井の北西部の南葉山塊の山裾にあり、地図には城山と記されている。鮫ヶ尾城趾は、上杉謙信没後の相続争いの御舘の乱の舞台となり、景虎自害の地として知られている。

 今年は、例年に無い少雪のため、花の時期の見極めが難しくなっている。夢見平はミズバショウの時期に訪れたかったので、そろそろかなと思って出かけることにした。高速を日付が変わったところで下りて、笹ヶ峰に向かった。乙見湖のダムサイトには、休憩所とトイレが設けられており、夜も過ごしやすい。朝になって目を覚ますと、車が三台到着していた。
 神道の門というゲートをくぐって、ダムの堰堤に下りていく。堰堤の上からは、白く雪をかぶった焼山の眺めが広がっていた。金山には少し雲がかかり、火打山は三田原山から落ち込む尾根に一部が隠されていた。曇りの天気予報としては、意外に良い天気であった。
 堰堤を渡った先からは、急な階段の登りになる。以前、残雪期に様子を見に訪れたことがあったが、急な雪の斜面になっており、登るのを諦めたことがある。
 ひと登りすると、天狗山の山裾となり、すぐ先で、夢見平への周回コースの道が左に分かれる。この道は帰りに歩くことにして先に進んだ。
 昔はトロッコ道であったようで、水平の道が続いた。遊歩道として良く整備されており、周囲の新緑を楽しみながら歩くことができた。蓑池という小さな池が現れた。融雪期に奥の山からカエルが下りてきて卵を生み、成長すると山に帰っていくと言われているようで、石造りのカエルの置物が置かれていた。池には、サンショウウオの卵が浮いていた。その先では、二本のミズナラの御神木に守られた稲罹神社が現れた。広場にはクリンソウの真紅の花が数株咲いていたが、これは人工的に植えたもののようで、この後に現れた看板脇にも見ることができた。
 その後は、涙川、夫婦清水といった看板も現れて、それを読むのに足を止めるのが良い休みになった。登山道の周囲にはミズバショウの花を見ることができたが、ほとんど終わりかけであった。
 遊歩道分岐となり、短い周回コースのうさぎコースはここで左に進んで夢見平をめざすことになる。ここでは、長い周回コースのキツネコースに進んだ。山道になり、つづら折りの登りが始まった。杉林の下生えに、エンレイソウが数多く咲いていたが、注意してみていると、シロバナノエンレイソウを発見することができた。シロバナノエンレイソウは、以前に、赤尾岳でも見たことがあったので、妙高山系では多いのかも知れない。
 緩やかに下っていくと、未舗装の林道に飛び出した。分岐にあった絵看板に従って、地蔵桂を見るため、林道を右手に進んだ。600mほど先で、標識に従って、右手に分かれる林道に進む。
 300mほど先の林道右手に、桂の大木がたたずんでいた。根本部分は、何条もの幹が合わさって円錐状になって地面に立っていた。力強さを感じさせる木であった。周囲の草むらには、森の王に従うように、ツクバネソウやイチリンソウが群落になって咲いていた。
 ここでコースミスをしてしまった。ガイドブックを見て、地蔵桂から引き返すことは判っていたが、分岐にあった絵看板で、林道を戸隠方面に進んだ先から引き返すと思いこんでしまった。地図にもそのような破線が記されている。氷沢川を渡り、佐渡山の北側の大きなカーブを連ねるところまで進んだが分かれる道は見つからなかった。引き返すことになったが、もう少しこの道を進めば、黒姫山の西登山口に出るようである。偵察という意味では、役に立つかもしれない。
 分岐に戻って、遊歩道に進んだ。緩やかに下っていき、方向が左に曲がるところで、製材所跡に出た。コンクリートの土台やトロッコのレールに車輪が残されており、森の奥に不思議な空間を作っていた。
 その先で、氷沢神社、炭焼窯跡を見ると、長いトラバース道が続くようになった。ガスがかかってきて、周囲は白いベールに覆われた風景に変わった。登山道沿いには、ニリンソウの群落が目立った。
 遊歩道左手に、ハルニレの大木が現れた。樹齢200から300年で、氷沢地積の王者として崇められてきたという。地蔵桂とは違って、すべすべした幹を持ち、女性的な雰囲気を持っていた。
 歩きにも疲れてきて、その先の六美展望台で昼食と思って歩いたのだが、到着してみると、木立に囲まれて展望はなかった。さらに歩き続けることになった。
 遊歩道の分岐に出て、この先はウサギコースになる。緩やかに下って台地に出ると、夢見平に到着した。場所は地図上では判り辛いが、1246m点の南である。
 湿原が広がり、その向こうに三田原山が姿を見せていた。ミズバショウの花も盛りで、所々にリュウキンカの黄色い花が広がっていた。小さめながら、尾瀬を思わせる美しい眺めであった。ベンチも置かれて、眺めを楽しみながらお弁当を広げるには良いところであった。
 夢見平から先に進むと、しょうぶ池に出た。ここのミズバショウは終わりかけであったが、リュウキンカの群落が広がっていた。
 白樺通り、ズミトンネルを通って、沢をまたいでひと登りすると、行きに歩いた遊歩道に出て一周が終わった。
 夢見平の遊歩道は楽しかったが、やはりピークを踏まないと少し物足りないので、天狗山を登ることにした。遊歩道分岐には、天狗山から東に延びる尾根が落ち込んでいる。ダム方向に少し戻ったところの藪が薄かったので、尾根上に向かって登った。尾根上には踏み跡はなかったが、藪は薄かったので先に進んだ。北東からの尾根が合わさると、はっきりした踏み跡が現れた。この先は、踏み跡を見失わないように注意が必要なところもあったが、藪こぎからは解放された。
 ダムの湖面に落ち込む崖の縁を注意して通り過ぎると、尾根も広がった。シラネアオイの一群があり、花を楽しむことができた。
 その先は急な登りになった。ザレ場の縁をかすめるようなところでは、足元に注意が必要であった。飛び出した岩を足掛かりにして短いが急な斜面を乗り越えると、天狗山の山頂に到着した。三角点の周りが刈り払われていた。火打山から焼山にかけての稜線や黒姫山の眺めを楽しむことができた。
 気になる刈り払い道であるが、神道山方面に向かっては、うっすらとした踏み跡が見られた。GPSのコース設定もしていなかったので、神道山を目指すのは諦めたが、途中で急斜面があるが、このコースで歩けるのだろうか。今後の課題になった。
 来た道を引き返し、踏み跡に従って、北東尾根を下った。遊歩道が近くなった所で、斜面を右にトラバースするようになり、踏み跡は消えていた。遊歩道から取り付く時は、尾根を目指して、トラバース気味に登れば、尾根沿いの踏み跡に乗ることができるということになる。
 最後にダムサイトからの焼山の眺めを楽しんだ後に駐車場に戻った。駐車場は、団体もいて大賑わいになっていた。
 二日目は、青田難波山から籠町南葉山を往復することにした。昨年の9月15日に登った際に、籠町南葉山への一般登山道が整備されていることを知って、宿題になっていたコースである。
 1999年6月6日に重倉山の偵察のために登った際に、重倉山への道は見つからなかったが、山菜採りの山道が籠町南葉山から青田難波山に続いていたことから歩いた道であるが、登山道として整備されたのなら、歩いてみる必要がある。
 南葉高原キャンプ場の駐車場で夜を過ごした。早朝から、山菜採りの車が集まってきていた。
 まずは、木落坂コースから登った。滑りやすい急斜面が続くが、朝の元気なうちなので頑張ることができる。六合目の水場は、急斜面の中間地点になる。七合目の展望台は、登山道から右手に僅かに入るが、高田の市街地の眺めが広がっている。この先で傾斜は緩やかになって山頂到着かと思われるが、山頂までの水平距離は、意外に長い。
 誰もおらずに静かな青田難波山の山頂広場に到着した。広場の奥に、「籠町南葉山へ 往復約2時間一般向けです」という標柱が置かれている。
 籠町南葉山への登山道は、入口は、刈り払いが少し荒いが、これは以前には隠し道となって藪が広がっていたものを、整備しなおしたものである。すぐに良く踏まれた道に変わる。
 標高差100m程の一気の下りになる。細尾根の歩きになると、右手斜面にはブナ林が広がるようになった。木立に囲まれて展望の利かない道が続いた。901mピークの下りでは、急な滑りやすい斜面が現れたが、ロープも固定されていた。小さなピークも含めて、登り下りで疲れる道であった。
 ようやく籠町南葉山への登りに変わり、重倉山方面からの尾根が合わさる三叉路に出ると、ここの小ピークに籠町南葉山の山頂標識が置かれていた。木が三脚状に組まれて守られた下には石があり、「四つの石は山のご神体です。触れないでください」と書かれていた。
 地図で、三角点が置かれているのは、東に280mほど尾根を進んだ地点である。先回は、三角点は見つからなかったので、再度訪れてみることにした。50m程は藪であったが、その先にははっきりした踏み跡が続いていた。登山道整備中で、入口が隠されているような雰囲気であった。踏み跡を辿ると、小広場に出て、その中央に三角点が頭を出していた。先回は、5名で手分けをしても見つからなかったが、今回はGPSも利用できるので、見つけることができるかと期待していたのだが、あっけない結果になった。先回は、左手に斜面を見てその内側を捜していたので、北に寄りすぎていたのかもしれない。
 来た道を引き返すのには、体力が必要になった。青田難波山に戻ったところで昼食とした。休んでいると団体が到着したので、入れ違いに、明神沢コースに向かって下山を開始した。
 明神峠までのブナ林の新緑は美しかった。その後の沢までの下りの途中では、サンカヨウの花が多いようであったが、花はほとんど終わっていた。沢まで下ってからキャンプ場に戻るまでは、小さなアップダウンがあり、結構疲れる道であった。
 籠町南葉山を登り終えた後、鮫ヶ尾城址に、ササユリを見るために寄っていくことにした。林道を町中に下りた所から、鮫ヶ尾城址の登山口の斐太県民休養地は近い。
 斐太県民休養地入口の芝生広場の手前から池に下りる道がある。池には、釣り客が竿を立てていた。尾根に登った所が城跡に続く大手道であるが、ここがササユリの生息地になっている。
 ササユリの蕾は沢山あったものの、まだ固かった。日当たりの良い所なら咲いているものもあるかと思って登っていくと、ようやく一輪開きかけの花を見ることができた。ササユリは、中部以西に咲くユリで、新潟県の糸魚川付近が北限といわれている。この鮫ヶ尾城址のササユリが本来の自生地かどうかは判らないが、手軽に花を楽しめる場所として貴重である。ササユリと同じ薄ピンクの花であるが、雄シベが赤な点が違っている。花の時期は、ヒメサユリよりも遅いというので、6月に入ってからが花の時期になるようである。
 鮫ヶ城址の本丸まで登ったが、誰もいなかった。天地人でここも知られるようになっても、山頂まで汗をかいて登る者は少ないようである。
 下山は、管理棟への道を下ったが、こちらにはササユリはなかった。
 一輪とはいえササユリに会えたことに満足し、家に戻ることになった。

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