高峰山、千国城山、大地山、宮崎城山

高峰山、千国城山
大地山、宮崎城山


【日時】 2009年5月9日(土)〜10日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 9日:晴 10日:晴

【山域】 北アルプス北部周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 高峰山・たかみねやま・957.7m・二等三角点・富山県
【コース】 鳥越峠より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高山/五百石/大岩
【ガイド】 新・分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)

【山域】 北アルプス北部周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 千国城山・せんごくじょうやま・757.3m・三等三角点・富山県
【コース】 ふるさと剱親自然公園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高山、富山/五百石、魚津/大岩、越中大浦
【ガイド】 新・分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 アルプスの湯 600円

【山域】 北アルプス北部周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 鍋倉山・なべくらやま・796.2m・三等三角点・富山県
 大地山・おおちやま・1167m・なし・富山県
【コース】 夢想塾登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/泊/舟見、小川温泉
【ガイド】 新・分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)

【山域】 北アルプス北部周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 城山・しろやま・248.8m・三等三角点・富山県
【コース】 城山公園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/泊/泊
【ガイド】 分県登山ガイド「富山県の山」(山と渓谷社)

【時間記録】
5月8日(金) 21:40 新潟=(北陸自動車道 経由)=23:50 名立谷浜PA  (車中泊)
5月9日(土) 5:30 名立谷浜PA=(北陸自動車道、立山IC、七姫平、少年自然の家 経由)=8:40 鳥越峠―9:15 高峰山〜9:23 発―9:55 鳥越峠=(少年自然の家、上市、上市川第二ダム 経由)=11:18 展望台広場―11:47 分岐―12:08 千国城山〜12:40 発―12:58 分岐―13:05 車道―13:46 展望台広場=(上市、R.8、入善 経由)=16:30 朝日小川ダム (車中泊)
5月10日(日) 7:08 夢想塾登山口―7:56 ベンチ―8:11 尾根上ピーク―8:42 鍋倉山―10:21 大地山〜10:42 発―12:03 鍋倉山―12:25 尾根上ピーク―12:34 ベンチ―13:00 夢想塾登山口=(泊 経由)=13:34 城山公園駐車場―13:45 城山―14:01 城山公園駐車場=(R.8、親不知IC、北陸自動車道 経由)=17:00 新潟
 高峰山は、北アルプス北部の大日岳から西に延びる尾根が大辻山を経て富山平野に終わるところにあるピークである。

 千国城山は、大日岳より早乙女岳、大熊山を経て西に延びる尾根の末端にある山である。現在は上市第二ダムの湖底に沈んだ千国の集落の背後にあることから千国城山と呼ばれている。

 大地山は、朝日岳から北に延びる富山・新潟県境線上の犬ヶ岳から初雪山を経て西に延びる尾根の末端近くにある山である。登山道が開かれたのも最近になっての山である。

 城山は、富山平野の北の新潟県境近くの日本海に接する所にあるピークである。富山県内でも古い山城の宮崎城が置かれていた。山頂近くまで車道が上がり、一帯は公園として整備されている。

 五月連休では東北の山を回ったので、今度は富山県の山に出かけることにした。富山は、新潟の隣接県であるが、高速代もかかるため、一般登山道がある山でも登っていない山がかなり残っている。
 最初に、立山駅から称名の滝に向かったところにある七姫山を登ろうとしたが、林道の崩壊と、ススキの藪が濃く、登山道整備を中止したという地元山岳会の掲示があった。新・分県登山ガイドに新しく登山道が開かれた山として紹介されていたのだが、早くも登れなくなってしまっていた。
 諦めて他の山に行くことにした。時間の制約もあり、近くの山ということで、登っていない高峰山を選んた。
 岩峅寺から国立少年自然の家に進む。前を通り過ぎて先に進むと、大辻山の登山口となり、さらに進むと鳥越峠に到着する。
 この峠から高峰山への登山道が始まっている。脇を林道によって削られた痩せ尾根をひと登りすると、新緑に彩られた尾根歩きが続くようになる。
 杉の植林地脇にでると、毛勝三山の眺めが広がったが、山頂からの眺めを楽しみに先に進んだ。峠からは35分の歩きで高峰山の山頂に到着した。
 山頂は広場になっており、毛勝三山と剱岳の眺めが広がっていた。今年は、映画の関係で剱岳がブームになるだろうか。  ミツバツツジ、オオイワカガミ、チゴユリ、ユキツバキ、イワウチワの花を眺めながら峠に戻った。
 高峰山に続いて、千石城山を目指した。鳥越峠から登山口の上市川ダムへの林道は、峠で通行止めになっていたため、一旦戻ってから迂回して向かった。
 上市川第二ダムに到着すると、ダム湖の背後に千石城山が聳えるのが見えた。ふるさと剱親自然公園のキャンプ場からアジサイ園や薬草園をかすめて、林道をひと登りすると展望台のある広場に到着した。登山口はこの付近と思って歩きだすと、すぐ先が登山口であった。
 登山道は、送電線の保守道も兼ねており、急な所は階段状に整備され歩きやすい道が続いていた。周囲の木立ちは緑が深く、チゴユリの他にキランソウやハルリンドウ、ヒメカンアオイの花を見ることができた。
 枝尾根を登り詰めたところは、ベンチの置かれた小広場になっていた。ここは、左に曲進む。山頂手前には、空掘のような遺構も見られた。
 山頂は広場になっており、展望が広がっていた。この山は、ダム湖底に沈んだ千国集落の背後にあり、南北朝の頃にはじまり土肥一族によって築城された山城があったことから、千国城山と呼ばれているようである。
 早月川左岸に位置することから、谷奥には剱岳の眺めが広がっていた。春霞がかかってぼんやりしているので、初冬に眺めてみたい風景であった。最近では、剱岳の展望台として馬場島の中山の人気が高まっている。この千国城山は、早月川の少し下流部にあるため、間近に見上げる迫力には一歩譲るとしても、山全体を眺めるにはこの山の方が良い。
剱岳の右手には大日岳の眺めが広がっていた。
 下山は、ベンチまで戻ったところで、稜線をそのまま直進する。踏み跡状になるが、すぐに林道に出た。ここの取り付き部にも登山口の標識が置かれていた。ここまで車で上がって来られるので、この登山口からだと、体力的にも楽な山になっている。
 ここからは、少し長く感じられる林道歩きが続いた。林道の途中からは、城山の山頂を振り返ることができた。
 上市の日帰り温泉に入り、翌日の大地山の登山口に向かった。大地山の登山口は、白馬朝日岳の富山県側の登山口の小川温泉に向かう途中の朝日小川ダムをまずめざす。発電所前に渡る橋から先は、狭い林道になるので、夜は朝日小川ダムの広場で過ごした。
 朝になってから狭い林道を進むと、夢創塾という野外活動施設に到着する。施設の広場手前奥に登山道があった。カモやヤギが放し飼いにしてあり、車を停めて良いのか判らなかったので、少し戻ったところの砂利の敷いてある広場から歩きだすことにした。
 登山口からは、杉林の中の急登が始まった。道はしっかりしており、ロープも張ってあったが、辛い登りであった。50分ほどの頑張りで傾斜が緩むと標高500mで、ベンチの置かれた見晴らしに出た。眼下には、富山平野の眺めが広がっていた。
 その先も急登が続いた。体力のいる山である。尾根の突き上げの638m小ピークに到着して、コースは右に方向を変えた。  登山道は、正面に広がる斜面を右手に巻いてから尾根に復帰するようなところもあり、残雪期のコース取りには注意が必要であった。
 大汗をかいて、796.m三角点ピークの鍋倉山の山頂に到着した。登山道の右わきに三角点があり、刈り払われた小広場になっていた。
 名前のあるピークに到着してひと安心したものの、この先も長い稜線歩きが続いた。並行する稜線を乗り換えるような所もあり、地図で見るよりもコースは複雑であった。周囲にはブナ林が広がるようになってきた。 山頂が近付いてくると残雪の上を歩くことも多くなってきた。 ようやく迫ったきた大地山は、浅皿状の山頂を持っていた。
 雪原を越えてひと登りすると、大地山に到着した。山頂は、藪が広がる台地になっていた。「台地」が名前の由来なのかもしれない。
 東斜面まで進むと、初雪山の展望が広がった。左奥は犬ヶ岳が見えていた。 初雪山は、夏道の無い山で、この大地山からがルートの一つになっている。初雪山に向かって、雪稜が続いていたが、途切れているところもあるようで、時期はちょっと遅くなったようである。 今回は、大地山までの偵察ということで、初雪山はいつか機会を得てということになる。初雪山の右手には、朝日岳も良く眺めることができた。
 残雪の山の眺めを楽しんだ後に下山に移り、再び新緑の世界に戻ると、カタクリ 、イワウチワ 、ショウジョウバカマ 、ミツバツツジ 等の春の花が咲き誇っていた。
 富山の端山は、北アルプスの眺めが良いことが魅力である。
 新潟の家に戻るために北陸自動車道に乗るには、朝日ICが近いが、その近くの新潟との県境近くに城山がある。この山は、北側の集落から宮崎城山とも呼ばれる。旧分県登山ガイド「富山県の山」に紹介されていたが、山頂近くまで車道が上がっているためか、新版では除かれてしまっている。ついでに寄っていくことにした。
 南から車道を進んだが、狭い道で走行に注意が必要であった。山頂部は城山公園になっており、広い駐車場が設けられていた。車止めの先は、幅広の遊歩道が続いていた。テレビ中継基地の下を過ぎていくと、石垣で囲まれた台地になっている本丸に到着した。階段を登ると、広場になった山頂に出た。説明板には、以下のようにかかれていた。

富山県指定史跡 宮崎城跡
 寿永元年(1182年)京都を脱出された北陸宮は、木曾義仲に属する豪族宮崎太郎長康に護られて宮崎に居住し、八幡山(この城山)に御所を造営せられた。
 これが宮崎城のはじまりで、この後皇位継承の望みを断たれた北陸宮の入洛後は、承久の変(1221)の戦場になり、戦国末期は上杉方、佐々方の武将も居城し、安土桃山時代には前田家が家臣の高畠、小塚などの武士を配していた。江戸時代に入り、境関所の整備に伴い廃墟になったが、宮崎城跡は県下最古の山城の一つに数えられている。

 古い山城という割には立派な石垣が残されている。この山は、第二次大戦に入ってから日本陸軍よって、能登から佐渡を結ぶ線の北方からの電波を管理し本土空襲の護りに備えた電波研究所が設置されたという。その際に城跡の整備が進められたのであろうか。
 山頂広場からは、日本海の海岸線や親不知を眺めることができた。展望を楽しみに車で上がってきた観光客も多かった。
 遊歩道は、海岸線沿いの登山口まで続いているが、山頂を訪れただけで済ますことにした。
 日本海側に下った後に海岸線をドライブし、親不知ICから高速に乗って家路についた

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