岩手山、八幡平、森吉山、太平山・中岳、経ヶ蔵山

岩手山
八幡平
森吉山
太平山・中岳
経ヶ蔵山


【日時】 2009年5月1日(金) 前夜発5泊5日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 2日:晴 3日:曇り 4日:晴 5日:晴 6日:曇り

【山域】 岩手山 【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 岩手山・いわてさん・2038.2m・一等三角点本点・岩手県
【コース】 馬返コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 盛岡、秋田/盛岡、沼宮内、八幡平/姥屋敷、大更、松川温泉
【ガイド】 新・分県登山ガイド「岩手県の山」(山と渓谷)、山と高原地図「岩手山・八幡平」(昭文社)
【温泉】 お山の湯 550円

【山域】 八幡平
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 茶臼岳 ちゃうすだけ・1578.3m・二等三角点・岩手県
 恵比寿森・えびすもり・1496m・なし・岩手県
 安比岳・あっぴだけ・1493m・なし・岩手県
 源太森・げんたもり・1595m・なし・岩手県
 八幡平・はちまんたい・1613.3m・二等三角点・岩手県
【コース】 黒谷地湿原口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/八幡平/茶臼岳、八幡平
【ガイド】 山と高原地図「岩手山・八幡平」(昭文社)
【温泉】 藤七温泉 500円

【山域】 森吉山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 森吉山・もりよしざん・1454.2m・一等三角点本点・秋田県
【コース】 阿仁スキー場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/阿仁合、森吉山/阿仁合、森吉山
【ガイド】 山と高原地図「岩手山・八幡平」(昭文社)
【温泉】 クウィンス森吉 300円

【山域】 太平連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 前岳・まえだけ・774・なし・秋田県
 中岳・なかだけ・951.7・二等三角点・秋田県
【コース】 太平山リゾート公園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/秋田、太平山/松原、太平山
【ガイド】 新・分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 お山の家 300円

【山域】 鳥海山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 経ヶ蔵山・きょうがくらやま・474m・山形県
【コース】 十二滝コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 新庄/大沢/升田、中野俣
【ガイド】 新・分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)

【時間記録】
5月1日(金) 16:00 新潟=(磐越自動車道、東北自動車道、滝沢IC 経由)
5月2日(土) =0:20 馬返登山口  (車中泊)
6:11 馬返し登山口―9:11 八合目避難小屋―10:09 岩手山〜10:25 発―11:08 八合目避難小屋―13:18 馬返登山口=(R.282、大更、八幡平アスピーテライン 経由)=16:00 八幡平  (車中泊)
5月3日(日) 8:18 黒谷地湿原口―9:05 茶臼岳―8:50 恵比寿森―10:35 黒谷地湿原―11:10 安比岳―12:23 源太森―12:40 八幡沼〜12:53 発―13:11 八幡平―13:30 八幡平山頂レストハウス―14:14 黒谷地湿原口=(八幡平アスピーテライン、R.341、田沢湖、R.105、)=17:00 阿仁スキー場  (車中泊)
5月4日(月) 6:48 阿仁スキー場―7:35 ブナ帯キャンプ場―8:36 ゴンドラ山頂駅―9:04 石森―9:17 阿仁避難小屋―9:49 森吉山―10:08 阿仁避難小屋―10:20 石森―10:31 ゴンドラ山頂駅―10:55 ブナ帯キャンプ場―11:23 阿仁スキー場=(R.105、米内沢、R.285、R.7、昭和 経由)=16:00 太平山リゾート公園
5月5日(火) 7:06 ザ・ブーン登山口―7:52 二手ノ又登山口―8:48 女人堂―9:01 前岳―9:30 三角井戸―9:47 中岳〜10:17 発―10:30 三角井戸―10:52 前岳下―11:06 女人堂―11:49 二手ノ又登山口―12:26 ザ・ブーン登山口=(R.7、吹浦、R.345、平田、北又 経由)=17:30 十二滝駐車場  (車中泊)
5月6日(水) 6:42 十二滝駐車場―7:05 十二滝コース登山口―7:43 尾根上―8:00 経ヶ蔵山―8:25 尾根上―8:53 十二滝コース登山口―9:02 十二滝遊歩道口〜9:16 発―9:27 十二滝駐車場=(R.345、R.7 経由)=14:30 新潟
 岩手山は、石川啄木によって「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」と歌われているように、盛岡の心の山であり、昔からの信仰の山である。岩手山は、南部富士という名で知られるように独立峰であるが、南部の片富士とも呼ばれるように、山頂部は爆発によって複雑な地形になっている。

 八幡平は、オオシラビソの樹林帯の広がる中に湿原が点在する、高原状の山である。八幡平の最高点は、目立ったピークとはなっておらず、駐車場から遊歩道を通って観光客も簡単に訪れることができるが、茶臼岳や源太森、さらに裏岩手縦走路の入口の畚岳など、展望を楽しめるピークも多い。五月連休は、一面の雪原が広がり、手軽にスノートレッキングを楽しむことができる。

 森吉山は、秋田県中央部に位置する、コニーデ型の古い火山である。深いブナの原生林で覆われ、独自の言葉や習慣を発達させた阿仁マタギのふるさととして知られた秘境の山であった。現在、山麓一帯はスキー場やレクリエーション施設の開発が進んで、すっかり様変わりしている。

 太平連峰は、秋田市の東の海岸近くに、独立した山塊を形成している。馬場目岳から主峰である奧岳、中岳、前岳と、馬蹄形の稜線を連ねている。奥岳の山頂には、三吉神社の奧宮が置かれており、信仰の山になっている。

 経ヶ蔵山は、庄内平野の北部の鳥海山の山裾近くにある低山である。信仰の山であり、山頂に経を収めた経塚が残されている。

 今年は、例年にない少雪のため、恒例の残雪縦走もはなから諦め、代わりに、高速代1000円上限を利用して、山巡りを行うことにした。渋滞が予想されるため、それを避けるような計画を立てる必要がある。結局、東北自動車道を北上して岩手・秋田県の山を登った後は、日本海沿いに一般道を使って新潟に戻ることにした。5日間の日程があるため、岩手山、八幡平、森吉山、大平山・中岳までを予定し、最後は、状況を見て登る山を考えることにした。東北地方各県のガイドブックに、パソコン・プリンターを車に積み込み、計画変更の準備もした。
 金曜日の夕方に出発した。盛岡方面を目指すには、通常は山形まで一般道を走ってから高速に乗るのだが、高速代が同じというのなら、磐越自動車道から東北自動車道に走り込むことになる。途中のサービスエリアで道路情報を確認すると、宇都宮付近で早くも渋滞が起きているようであった。休日前夜にもかかわらずパーキグの駐車場は満杯に近い状態であった。
 途中で時間調整をしながら走り、0時を回ったところで高速を下りた。今回使う馬返登山口は滝沢ICから近いのはありがたい。20分程で馬返の広大な駐車場に到着し、ビールを飲んでから寝る余裕もあった。これからの山の計画では、高速のインターから登山口までの距離が重要になる。
 馬返から岩手山へは、1993年8月22日に歩いているが、時間が経って記憶は無くなっていた。明るくなってみると、駐車場には数台の車が止まっており、すでに歩きだした者もいるようであった。青空を背景に、岩手山の山頂が手に取るように見えていた。残雪も豊富であったが、雪が消えている部分も見えていた。
 キャンプ場の奥から登山道が始まっており、その入口に登山届のポストが置かれていた。落ち葉を踏みながらの歩きがしばらく続いた。0.5合目を経て1合目まではかなりの距離があるので、その先の行程が気になる。
 やがて残雪歩きが続くようになった。2.5合目で新道が右に分かれるが、踏み跡の続いている旧道に進んだ。急な雪原が現れたが、木立の中の登りなので、危険な気は起きなかった。その上で、雪が消えたガレ場の登りになった。夏道を辿ることになったが、雪解け後のためか、浮き石も多く、足元に注意が必要であった。雪原の登りから灌木帯の尾根に出るところもあり、コースに注意が必要なところも現れた。
 滑落の注意も必要な急な雪原を抜けると、傾斜も緩んで、山頂台地に出た。岩手山の山頂が、皿状の姿を現した。一面の雪原で距離間が失われて、まっすぐに山頂まで登れそうであるが、そう甘いものではないことは承知である。
 雪原を進んでいくと、八合目の避難小屋に到着した。小屋の前から山頂方向に向かうトレースがあったのでこれに従ったが、実際には、不動平方向に進んでから登りに転ずるのが夏道ルートであった。ひと登りした後にトラバースして夏道に乗った。お鉢に向かって左右に道が分かれたが、山頂に近い左の道に進んだ。この分岐からお鉢の上への登りは、足にも来て、苦しいものになった。
 お鉢の上に出ると、残雪はほとんど消えて、砂礫の上の歩きになった。登山道脇には石仏が並んで、登山者を迎えてくれる。
 展望も開けて、秋田駒ヶ岳や裏岩手縦走路の眺めが広がっていた。八幡平も見えてきたが、雪もたっぷりのようで、明日の雪原歩きの期待も高まった。
 ようやく岩手山の山頂に到着した。これが三回目の登頂であるが、残雪期は初めてである。単独行が入れ違いに下っていき、独りきりの山頂になった。夏の賑わいとは大違いである。
 山頂は風が強かったため、一段下ったところで腰を下ろした。火口の荒々しい眺めを楽しみながらの昼食になった。お鉢を時計回りに下っていき、岩手山奥社の置かれた火口原を抜けて近道をした。
 不動平への下りにかかると、登山者にも多くすれ違うようになった。鬼ヶ城の荒々しい岩壁をバックに不動平避難小屋がたたずんでいるのが目にとまった。
 下りは、快調に足を運んでいくと、緑の森がしだいに近づいてきた。登山口近くまで戻ると、キクザキイチゲの花が出迎えてくれた。
 近くの温泉に入り、八幡平に向かった。八幡平アスピーテラインは、17:00〜8:30までの夜間閉鎖が続いており、前日のうちに上がっておく必要がある。
 里は緑豊かな春満開の状態であったが、高度を上げると、一気に雪が増えてきた。途中の見晴らし台では、岩手山の眺めと同時に、道路脇の雪壁が観光客の人気の的になっていた。
 その晩は、駐車スペースを見つけて夜を過ごした。夜中から風が強くなり、車も時折揺れる状態になった。様子を見る必要もあって、朝はゆっくりと起きることになった。それでも、歩く予定のコースは、風下になって影響は少なそうなので、歩きだすことにした。 黒谷地湿原入口から歩き出すことにした。先回は、茶臼岳登山口から八幡平まで歩いたが、1時間の車道歩きが大変だったので、少しでも下山後の車道歩きを短くすることにした。
 黒谷地湿原は一面の雪原が広がっていた。夏道は、湿原の奥に進んでから茶臼岳の山頂に向かうが、入口から直接茶臼岳の山頂に向かった。針葉樹林帯の中の登りで、コース判断が難しかったが、登りに関しては高みを目指せば良い。
 茶臼山の山頂は、密生したハイ松で囲まれており、夏道を見定めて辿る必要があった。藪を突破すると、地肌が現れた山頂広場に出た。展望ピークであるが、目の前に広がっているはずの岩手山は雲に隠されていた。この強風の中では岩手山には登れないはずなので、天気予報の読みが当たったことになる。
 少し戻って北斜面を見下ろすと、歩きやすそうな雪稜が続いてた。茶臼山荘も見下ろすことができた。少し遠くに見ていた避難小屋も、雪原を快調に下っていくと、すぐに到着した。茶臼山荘の前にはスキーが立て掛けられており、中で山スキーヤーが休んでいるようであった。茶臼岳の北東には広い雪原が広がっており、ここを基地にして滑降を楽しむのも良さそうである。  予定通りに、恵比寿森に向かった。樹林帯の中にスキーゲレンデの林間コースのような、ベルト状の切り開きが続いていた。木には、短い間隔でツアーコース用のナンバープレートが付けられていた。
 緩やかに下ってから再び緩やかに登り返すと恵比寿森の山頂に到着した。山頂は木立に囲まれて、地味な山頂であった。振り返ると、茶臼岳の山頂が高いところにあった。
 茶臼岳へ登り返す途中、避難小屋で休んでいたらしい山スキーの一団とすれ違った。大黒森から八幡平スキー場に下るのであろうか。
 茶臼山荘までは登り返さず、その手前でトラバースして黒谷地湿原への道に移った。このようなシュートカットは、GPSがあってのことである。
 黒谷地湿原への道も、幅広の切り開きが直線的に付けられていた。なだらかに盛り上がった源太森から北東に下る尾根の先には、安比岳の山頂が見えていた。
 広大な雪原になった黒谷地湿原を横断し、尾根の末端をひと登りして、安比岳との間の鞍部への下降点を捜しながら進んだ。樹林帯の中、下降点は判りにくくなっていた。
 安比岳へは針葉樹林帯の細尾根になっているが、その右手には雪堤が続いており、歩きやすくなっていた。鞍部からは急な登りになったが、雪もほどほどに柔らかく、キックステップで充分であった。
 急斜面を突破して小ピークに上がり、山頂到着と思ってGPSを確認すると、もう少し先であった。緩やかな登りで、安比岳の山頂に到着したが、ここも木立に囲まれていた。
 来た道を戻っての登り返しは、足にも疲れが出てきた。下降点からは、源太森に向かう尾根に進んだ。この先は、山スキヤーや登山者にも人気のコースのようで、人にも出会うようになった。
 源太森へは広大な雪原が広がっていたが、視界が急に悪くなってきた。山頂はどこかと探しながら進んでいくと、目の前にこんもりした高まりが現れ、その上が源太森の山頂であった。この山頂も地肌が出て、展望盤や山頂標識が現れていた。
 この先は、一気にホワイトアウト状態に変わり、GPS頼りの歩きになった。夏道とは違って、八幡沼へ斜めに緩やかに下っていくように、トレースは続いていた。八幡沼周辺は湿原で木立ちもないため、ただ真っ白な空間が広がっていた。ホワイトアウトになるまでの時間はあっという間のことで、このようなことがあるので、GPSが無いと怖くて歩けない。
 突然という感じで、目の前に綾雲荘が現れた。この先は、標識が立てられており、辿りやすくなった。ひと登りすると、八幡平の周回遊歩道に出た。晴れていれば、雪の上であっても、スニーカーの観光客が歩いているのだろうが、この天候では人は見られなかった。ガスの中に静かにたたずむ八幡平山頂に出てから八幡平レストハウスに向かった。
 八幡平レストハウスからは車道歩きになるが、この日は、車道脇の雪壁見物の楽しみがあった。5m以上の雪壁が続いていた。ただ、車の往来も多いので、車のすれ違いには注意が必要であった。
 日本百名山のうちでも簡単に登れると評判の悪い八幡平であるが、五月連休の八幡平は、たっぷりとした残雪歩きを楽しむことができ、山の印象も変わることは確かである。
 車に戻り、藤八温泉に向かった。硫黄プンプンの温泉らしい温泉である。八幡平は、他にも蒸ノ湯や御所掛温泉など、東北地方らしい鄙びた温泉が多いところも魅力である。
 三日目は森吉山に登ることにした。東北自動車道を戻るには、連休のユーターン客で渋滞の心配があるため、日本海側の一般道を走って新潟へ戻ることにした。森吉山から秋田に出るつもりであった。
 森吉山には幾つもの登山道があるが、こめつが山荘からは以前登ったことがあったため、今度は、森吉山阿仁スキー場から登ることにした。
 一旦北上してから玉川温泉経由で田沢湖に出た。渋滞も無く、快適なドライブが続いた。夕方、スキー場に到着してみると、ゲレンデ下部に雪はなかった。
 翌朝、キャンプ場までの林道を進めるところまで入ってみることにした。ひと登りすると、牧場地が広がっていた。林道が左手に大きくカーブするところで残雪のために車では進めなくなった。見ると、牧場を横切れば、その先の林道にショートッカットして出ることができそうであった。標高差もかせいでいるので、ここから歩き出すことにした。
 牧場の縁にめぐらされている有刺鉄線もまだ張られておらず、牧場を横断して林道にでることができた。少し進むと、ゲレンデ下部を見下ろすことができた。標高差で70mほど楽ができた。
 ゴンドラの下を通過したところで林道から分かれて、滑降コースに進んだ。最初は急であったが、すぐに緩やかな登りに変わった。コース脇にブナ林が広がるようになると、バンガローの立ち並ぶブナ帯キャンプ場が現れた。夏山としては、ここからが歩きだしになるようである。ここまでは50分の歩きであったので、残雪期の余分な歩きとしては、そう多いものではない。  スキーが止りそうな緩やかな道を登っていくと、正面に急な壁が現れた。その上にはゴンドラの山頂駅も見えていた。ここが、本コースで一番の急斜面の登りになる。標高差300m程の一気の登りである。時折足を止めて、背後に広がる風景を楽しんだ。名前の知らない山々が広がっていた。目指す高みには青空が広がって、ゴールはなかなか見えてこなかった。
 ようやくゴンドラの山頂駅に到着して、ひと息ついた。ここから登山道の開始となるが、ゆるやかな雪稜が続いていた。
 ひと登りすると、左から合わさってくる尾根上に森吉神社と避難小屋、右手にはなだらかな山頂を持つ森吉山も見えてきた。
 尾根の合流点となる石森に到着すると、森吉山に至る稜線を眼で追うことができるようになった。
 先回は、ガスのためにコースを間違えて、ゴンドラ山頂駅の方に下ってしまったことを思い出した。森吉山の山頂付近は、なだらかな地形のために、ガスに巻かれると、判りにくくなる。スキーツアー用のものか、赤布を付けた竹竿も短い間隔で立てられていた。
 緩やかに下っていってひと登りすると、阿仁避難小屋が現れた。二階部分が雪の上に出て見えていた。
 僅かに下った後に、山頂に向かっての最後の登りになった。男女二名の登山者にここですれ違った。この日の登山者は、私を含めて三名だけということになる。連休中の快晴の日に、これだけしか登山者がいないというのも不思議である。森吉山は、決して難しい山ではない。
 まばらに立つ針葉樹の間を登っていくと、浅皿状の山頂が迫ってきた。風で雪が飛ばされたのか、岩と土が露出した森吉山の山頂に到着した。周囲の山々や、、阿仁避難小屋、ゴンドラ山頂駅、森吉神社と避難小屋を見下ろすことができた。
 快晴であったが、腰を下ろして休むには、風は冷たかった。広大な雪原の眺めを楽しみながらの下りに移った。
 石森へはわずかな登り返しを終えると、後は下り一方になる。急斜面の雪原を一気に駆け下り、あとはだらだらの道の歩きになった。
 牧場に戻ると、真っ青なククザキイチゲが出迎えてくれて、森吉山の登山は終わった。  森吉山は、花が美しいとか、見事な滝を山懐に抱いているといった魅力を持っているが、これらをまだ見ていないので、再び訪れることになろう。
 森吉山を終えてから秋田に出て、太平山リゾート公園をめざした。麓一帯は、太平山リゾート公園として整備されており、スキー場やプールを備えた温泉施設も建てられていた。
 ガイドブックに紹介されていたスキー場上部の二手ノ又登山口までの林道をのぞいたところ、未舗装で狭そうなため、クワドーム・ザ・ブーン前の仁別登山口から歩き出すことにした。
 穏やかに晴れた朝になった。仁別登山口からは、雑木林の尾根沿いの緩やかな登りが続いた。途中には、男女一対の石仏が置かれていた。女性の姿の石仏には太平山と書かれており、これを見ると太平山の神様は女性のように見える。ただ、太平山は、昔は女人禁制の山だったということなので、なにか謂れがあるのかもしれない。
 二手ノ又登山口には、50分の歩きで到着した。何台もの車が入っており、山菜採りの車もかなり混じっているようであった。林道の状態はさほど悪くないのかもしれないが、道の心配をするならば歩いた方が気持ちが良い。
 ここからは、すぐに急坂の登りになった。傾斜は急であったが、大きなジグザグが切られており、歩きやすくなっていた。雪が遅くまで残っていたのか、カタクリの花を見ることができた。傾斜が緩むと新緑のブナ林が広がるようになった。
 ひと汗かいて最初の目的地の女人堂に到着した。登りの途中で、早くも下山してくる登山者にすれ違ったので、この女人堂までを目的地にして登ってくる者もいるようである。 鳥居をくぐると祠の置かれた広場になっていた。石仏も置かれており、昔からの信仰の山であることがうかがわれた。鳥居の下にはベンチが置かれており、秋田市周辺の海岸線を望むことができた。  前岳に向かって進むと、すぐ先には、石仏が円を描いて置かれている小広場もあった。 前岳は、トラバース道尾根を乗り越すところから踏み跡をたどって登った。標識や祠なども無い山頂であった。
 ブナ林に囲まれた尾根を緩やかに登っていくと、周辺には残雪が現れてきた。前方に奥岳山頂への急坂が迫ってくると、鞍部に三角井戸と呼ばれる水場が現れた。水を飲んで最後の頑張りに備えた。
 急坂の途中、残雪を踏むところも出てきたが、歩きの支障になるほどではなかった。この急斜面を登り切ると、中岳の山頂に到着した。残雪の中に木曾吉山神社の祠がたたずんでいた。
 祠の背後に進むと、奥岳に至る稜線を一望することができた。誘うかのような眺めで、この稜線はいつか歩いてみたいものである。山頂からは、秋田平野の眺めも広がっていた。
 下りは、キクザキイチゲやカタクリといった春の花を楽しみながら歩いた。ブナ林の新緑も輝きを増していた。
 温泉に入ってさっぱりした後、最終日の計画を考えた。なかなか来ることのできない秋田県の山をもう少し登りたかったが、道の渋滞が気になる。山形県内の山を考えた。酒田近くの経ヶ蔵山を登ることにした。ここまで戻っていれば、家に帰るのも楽である。
 道路も順調に走れたが、途中の道の駅は大混雑になっていた。
 経ヶ蔵山の登山口は南面の円能寺からと、北面の十二滝からの二つがある。最初、円能寺登山口に入ったが、細い林道の奥の杉林に囲まれた陰気な場所で、夜をすごすのにも気持ちが良くない。十二滝登山口も遠くないので、こちらに移動した。トイレも備えた広い駐車場があり、快適に夜を過ごすことができた。
 まずは、登山口をめざしての車道歩きがはじまった。十二滝遊歩道入口を過ぎると未舗装の林道に変わった。新緑の谷間を眺めながら進んでいくと、経ヶ蔵山の登山口に到着した。車は少し頑張れば、ここまで進んでこられる状態で、一般には、。十二滝遊歩道入口手前の橋のたもとの広場から歩き出せばよいようであった。
 鉄製の橋を渡ると、急な登りが始まった。登山道は、急な所は階段状に整備されており、つづら折り状のところもあって、歩きやすくなっていた。
 登山道周囲の緑は濃く、ニリンソウやトキワイカリソウ、ヒトリシズカ、チゴユリといった花も多いコースであった。
 息の切れる急登でしあったが、花を見ながら登ることができた。急坂が終わると、山頂のいっかくとなり、ブナ林に囲まれた緩やかな登りが続くようになった。
 山頂が近付くと、大岩の脇を通り過ぎるようになった。このような大岩が、信仰の対象になったのであろう。
 経ヶ蔵山の山頂には、展望台が置かれている。上がってまず目が行くのは、鳥海山であった。残雪も豊富に残されていた。その反対側は、以前に登った胎蔵山がなだらかな山頂を見せていた。庄内平野の海岸線も望むことができた。
 下山後に、十二滝を見物した。谷の下までは、遊歩道を少し下る必要があった。河原に下りると、河原滝と芯の滝を眺めることができた。対岸に渡った先の遊歩道は土砂崩れのために閉鎖になっていたため、滝全体を見ることはできなかった。
 これにて、連休五連続の山も終えて、後は家へとドライブを頑張ることになった。

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