桧原峠、相渡

桧原峠から相渡


【日時】 2009年4月29日(水) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 裏磐梯
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 桧原峠・ひばらとうげ・1100m・なし・福島県・山形県
 相渡・あいのわたり・1216.9m・三等三角点・福島県・山形県
【コース】 金山から旧米沢街道
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/吾妻山/桧原湖、白布温泉
【ガイド】 なし

【時間記録】
4月28日(火) 9:00 新潟=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.49。会津坂下、喜多方、R.459 経由)
4月29日(水) =0:40 道の駅「裏磐梯」  (車中泊)
6:30 道の駅「裏磐梯」=(桧原、金山、鷹ノ巣山林道)=7:10 迷沢分岐〜7:30 発―7:44 峠口―8:16 桧原峠―9:19 相渡〜9:58 発―10:44 桧原峠―11:14 峠口〜11:28 発―11:40 迷沢分岐=(往路を戻る)=15:30 新潟
 桧原峠は、裏磐梯の桧原と米沢を結ぶ米沢街道の国境峠である。裏磐梯を支配していた穴沢氏の米沢との交易のために開発されたが、伊達氏の会津攻略や上杉軍の往来など、歴史の舞台となった峠である。その後、喜多方から大峠を経由する街道が整備されて、この道は利用されなくなった。相渡は、桧原峠の西隣にある県境線上のピークである。登山道は無いことから、登る者はまれである。

 先週、雨の中でも歩けるハイキングコースということで、裏磐梯の堂場山と小谷山を登ったが、桧原周辺のことを調べるうちに、米沢街道が最近整備されたことを知った。
 米沢街道というと、越後と米沢、福島と米沢、会津と米沢を結ぶ街道のそれぞれが呼ばれるので、混乱を招く。しかも会津と米沢を結ぶ街道は、旧国道121号線の通っていた大峠経由の道と思っていたのだが、裏磐梯から桧原峠を経由する道が一番古いものだという。
 NHK大河ドラマの影響は大きい。「天地人」のドラマ後半、上杉家は会津に移封されるが、同時に直江兼続は米沢を領有することになる。当然、この米沢街道を使って行き来したものと思われる。実際に名前が出てくるかは判らないが、ドラマの舞台として桧原峠も福島県側が整備されて歩けるようになっている。山形側は急峻なため、整備はできなかったという。
 新潟と山形で「天地人」縁の山城巡りを行ってきたが、福島県関係は、領有した期間も短いことから、適当なハイキングコースは思いつかないでいた。この旧米沢街道歩きは面白そうということで出かけることにした。地図を見ると、桧原峠からさほど遠くない距離に相越というピークがある。藪山のようであるが、残雪歩きがぎりぎりでできそうなため、この山のピークハントも狙うことにした。
 先週訪れた裏磐梯の様子では、残雪も林道に残っている可能性があった。金山から街道の入口までは、4km近くはありそうなため、アプローチに時間がかかる可能性もあった。時間に余裕を持たせるため、前夜発とした。
 道の駅「裏磐梯」で夜を過ごし、朝になってから桧原湖湖畔の金山に向かった。金山の集落から長井川沿いに鷹ノ巣山林道が続いていた。舗装された林道で、車の走行にも問題の無い状態であった。
 地図で破線で記されている林道が東に分かれる地点の左側には、史跡鷹ノ巣一里塚という標柱が置かれた一里塚が残されていた。その先で、迷沢との分岐になり、右の谷に進むと、すぐ先で砂利道に変わった。先をうかがうと、林道上に残雪が残って通行不能になっており、迷沢分岐の空き地に車を止めて歩きだすことにした。
 900mほど歩くと、林道は右に大きくカーブする。その左手に「史跡旧米沢街道桧原峠別」という標柱が立っていた。幅3mほどのしっかりした道が沢沿いに続いていた。
 残雪も現れ、小さな沢が横切っているところもあり、山歩きの装備が必要な道であった。
 300mほど進むと、沢から離れて、山の斜面をつづら折りで登るようになった。残雪歩きと土の道が交互に現れるようになった。県境の峠であるが、意外に短い時間で檜原峠に到着した。
 桧原峠は、広場になっており、両脇に塚が置かれていた。これは米沢藩との藩境塚のようである。米沢側は一面の雪原になって落ち込んでいた。地図上では鞍部よりも少し西によっていたので、右手の塚の脇に登ってみたが、その先に道はなかった。
 気になる相越側の斜面であるが、ブナ林の下生えの笹藪が広がっていた。谷には残雪が広がっているので、少し登れば残雪歩きもできそうであった。
 しばらくは藪こぎを頑張ることになった。1149mピークに上がると、その先は残雪を拾えるようになった。北から北西にコースを変えると、稜線の右手に細い雪堤が続いていたが、所々で割れているところもあり、藪こぎも交えながらの登りになった。
 最後は、雪原の登りになって、相越の山頂に到着した。藪が出ていたので、三角点を捜したが、苔むした素姓の判らない石柱があったものの、結局見つからなかった。北に僅かに進むと、飯森山の眺めが広がった。
 下りは、雪の付き方が見通し易いので、スムーズに歩くことができた。
 林道は雪解けが進んでいたため、街道入口近くまで車で入ることができたが、その代わりに相越への藪こぎで少し苦労することになった。トータルで考えれば、まずまずの条件であったといえる。
 街道入口の反対側の萱場では、一面にミズバショウの花が広がっており、最後のお楽しみになった。

山行目次に戻る
表紙に戻る