堂場山、小谷山

堂場山、小谷山


【日時】 2009年4月26日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雨

【山域】 裏磐梯
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
堂場山・どうばやま・899m・なし・福島県
【コース】 堂場山どんぐり遊歩道
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/吾妻山/桧原湖
【ガイド】 山と高原地図「磐梯・吾妻・安達太良山」(昭文社)

【山域】 裏磐梯
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
小谷山・こたにやま・954m・なし・福島県
【コース】 桧原歴史巡り探勝路
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/吾妻山/桧原湖
【ガイド】 山と高原地図「磐梯・吾妻・安達太良山」(昭文社)

【時間記録】 7:20 新潟=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.49、会津坂下、喜多方、R.459、桧原湖 経由)=10:15 堂場遊歩道入口〜10:30 発―10:59 岩山城自刃之館跡―11:09 堂場山―11:24 尾根末端―11:41 堂場山―11:50 岩山城自刃之館跡―12:16 堂場遊歩道入口=12:50 小谷山城跡金山登山口―13:10 小谷山城跡―13:27 早稲沢登山口―13:35 小谷山城跡金山登山口=(往路を戻る)=17:00 新潟
 堂場山は、裏磐梯桧原湖の西岸に突き出した尾根末端にある山である。磐梯山の噴火によって桧原湖が誕生する前は、桧木谷地の平野に突出した急峻な尾根になっており、穴沢一族が守る岩山城が置かれていた。

 小谷山は、桧原湖の北にあり、伊達正宗が会津に攻め入った時に岩山城を落とした後に、この山頂に山城を置いて守りを固めたという歴史を持っている。

 新潟は土曜日も引き続き雨のようであったが、会津は天気が回復しそうであった。標高の高い山は、無理そうなので、低山ハイクを考えることになった。
 裏磐梯周辺の山は、かなり歩いてきているが、登山道があるのに歩いていない山に堂場山があった。
 喜多方からR.459を走り道の駅「裏磐梯」を過ぎると、桧原湖の湖畔道路に出る。ここから西岸沿いの道は冬季閉鎖になる狭い道になる。途中で道幅拡張の工事も行われているが、冬季も通れるようになるのは、まだ先のようである。
 堂場山遊歩道入口は、看板が置かれていたが、駐車場はなく、路肩に寄せて車を停めた。周辺の林には、残雪が島状に残っていた。
 天気の回復は遅れているようで、小雨が降り続いており、雨具を着こんでの歩きになった。
 地図には、登山道を示す破線が記されているが、登山口は150mほど南であった。歩き始めると、小さな沢を渡り、尾根下のトラバースになり、再び沢を飛び越すことになった。 沢にはミズバショウのお花畑が広がり、写真撮影に足を止めることになった。どの花も咲き始めの美しい白い花を見せていた。雨も、幸い止んでいた。
 尾根の上に出ると、ブナやナラの大木が並ぶ林の中の緩やかに起伏する道が続いた。両側に桧原湖の水面が広がっているが、木の枝を通しての眺めであった。
 二つ目のピークに上がると、岩山城自刃之館跡という標柱が現れた。
 会津を治めていた蘆名氏は、米沢街道の守りのために配下の穴沢一族に岩山城を守らせていたが、伊達正宗の奇襲によって、檜原宿の風呂屋で飲食中のところを惨殺されて、一族すべてが討ち死にして落城したと言われている。ピーク周辺は台地状の地形が見られるものの、城跡のようなものはなく、ただ静かな木立が広がっていた。
 次のピークが堂場山の山頂であったが、山頂標識もなく、木立に囲まれて見晴らしもなかった。
 遊歩道は、さらに先に続いていたので、突端まで足を延ばすことにした。支尾根を下って湖面近くまで下りるが、また尾根の上に登り返しになった。緩やかに下っていくと突端に出たが、10mくらいの崖の上で、湖面までは下りられなかった。展望も開けないので、ここまで歩くのは、篤志家向きということになる。
 堂場山までの登り返しが、このコースで一番体力を要する個所であった。
 岩山城を訪れたとなると、今度は伊達が築いた小谷山城も訪れないわけにはいかない。湖畔を北に向かった。
 小谷山城跡への遊歩道口は、金山側と早稲沢側の両方にある。とりあえず、金山側から登り始めた。入口には、看板が置かれている。
 立派な遊歩道が整備されていた。大きな折り返しをしながら、緩やかに斜上していく道が続いた。湖面や金山の集落が下方に遠ざかっていった。標高差は120mほどなので、ひと汗かく頃には山頂に到着する。山頂直下には、空掘が取り巻いており、左に回り込んでから、ようやく山頂に上がることができた。山頂には、ベンチが置かれているものの、木立が広がっているだけで、石碑や看板のようなものはなかった。
 早稲沢口へと下ると、遊歩道に沿って溝が続いていた。かなり厳重に防備を固めた城のようであった。緩やかに下っていくと、早稲沢口に下り立って、あとは車道歩きで車に戻った。
 一旦青空が広がったのだが、本振りの雨が始まったので、歩きもこれで終わりになった。

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