根知城跡

根知城跡


【日時】 2009年3月28日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 海谷山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 根知城跡・ねちじょうせき・370m・無し・新潟県
【コース】 根小屋登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/小滝/小滝
【ガイド】 なし
【温泉】 塩の道温泉ホテルホワイトクリフ 400円

【時間記録】 7:10 新潟=(北陸自動車道、糸魚川IC、R.148、根知谷入口 経由)=10:30 根小屋登山口〜10:50 発―12:23 根知城跡―13:15 根小屋登山口=(往路を戻る)=17:00 新潟
 根知城跡は、糸魚川の内陸部の、松本に至る大糸線脇の根小屋集落の背後にそびえる城山の中腹にある山城跡である。城山山頂も含めて、幾つかの登山口からの道が整備されている。栗山集落入口にある看板には、次のように書かれている。
「史跡 根知城跡
 根知城は、栗山城、根小屋城、上城山城を総称して呼び、上杉氏が勢力維持と防備の拠点とした春日山支城の一つである。
 上城山を詰城、栗山城を館城、根小屋城を最大の要害としてそれぞれの役割をもち、根小屋・栗山集落は武士の館地であったとも考えられている。
 上城山の南北は急峻な崖であり、東西を削平地・堅掘で固めている。ウツグラ(内蔵)の地は、村上義清が永禄八年根知城に入った際、修築し館城にしたと見られ、土塁、泥田掘が残る。義清と伝えられる墓は根小屋の不動山安福寺にある。
 歴代の城主には、村上義、仁科盛信、西方房家、桜井晴吉、堀左門、堀隼人佐などの名が見られ、上杉謙信・景勝時代の北信濃との国境警備の任務にあたった。
 慶長三年上杉景勝の会津移封、堀秀治の春日山入封に伴い、堀左門が根知城に入ったが、上杉遺民一揆にあい、同六年清崎城に移り廃城となった。」
 
 この週末から高速道が、1000円で乗り放題になった。せっかくなので、利用することにして、なかなか行きにくい上越方面に出かけることにした。前日から寒気が入り込んでおり、妙高方面はまとまった雪になっていると聞いたので、低山を考える必要があった。
 NHKの大河ドラマの影響は大きく、天地人の関連本が多く出されて、山城に関する情報も多くなってきている。糸魚川から駒ヶ岳や雨飾山に向かう途中で、その下を通るので気になっていた城山も、根知城が置かれて、登山道も整備されていることを知った。ただ、登山ガイドではないので、コースの具合は不明であった。登り口は判ったので、詳細は現地で確かめることにして出かけた。
 高速道は、高速道割引のおかげで、いつもより混んでいた。途中で眺める米山や周辺の山は真っ白になっており、道路脇にも積雪が現れるようになった。
 糸魚川から松本方面に向い、根知谷入口でR.148から分かれて根小屋集落内に入った。山に向かう車道を捜しながら進むと、角に根知城跡登山口の標識が置かれているのが目にとまった。その前には、タイヤ交換の駐車スペースがあり、車を止めることができた。
 前夜から積もった雪ならそれほどの深さではないだろうと思い、長靴を履き、念のためにワカンを持っていくことにした。
 歩き出すと、すぐに右手に勝蓮寺が現れ、その先で、案内標識も立つ登山口になった。杉林の中のつづら折りの登りが始まった。梢からは、雪解けのしずくが落ち、晴れにもかかわらず、雨降りの状態になっていた。傘を出そうかと迷ったが、尾根上に出るまでの辛抱と、そのまま歩き続けた。
 登りついた尾根上は杉林の広がる台地状になっていた。その先で灌木帯の尾根に変わると、雪も深くなってきた。尾根の途中で、三角屋根の山小屋が現れた。「古城 地蔵の館」と看板も取り付けられていた。扉は打ちつけられており、冬の間に登る登山者はいないようであった。
 ここでつぼ足は諦めて、わかんを履いた。最近ではわかんを履くことはめったになく、スノーシューを持ってくるべきだったと後悔した。
 尾根を進むと、すぐ先で、深い堀切が現れた。登山道は、尾根の右手から下りて、そのまま尾根の一段下を沿うように続いていた。雪が深くなって、登山道の入り具合を見分けるのも難しくなった。尾根の右手斜面をカーブを交えながら登っていくように続いていた。途中で尾根の上に出ると、曲輪跡のような台地が切られ、その背後は崖状の土塁が築かれおり、それを越すのにラッセルを苦労することになった。
 ようやく台地に出ると、その奥の松の木に根知城跡と書かれた標識が取り付けられていた。ピークから一旦下った先に、城山の山頂へと続く尾根が延びていた。道はあるようであるが、山頂まではまだ距離があった。スノーシューならばもうひと頑張りできたかもしれないが、ここまでのわかん歩きで疲れて、今回はこれで充分という気持ちになった。
 下山後に、温泉に向かう途中、栗山の集落入口に根知城跡の案内板があるのに出会った。登山道がいろいろ整備されているようなので、いずれまた出かける必要がある。

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