猿倉岳、萱峠

猿倉岳、萱峠


【日時】 2009年2月8日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り時々雪

【山域】 長岡東山連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 猿倉岳・さるくらだけ・679m・なし(651.2m・四等三角点)・新潟県
 萱峠・かやとうげ・670m・なし・新潟県
【コース】 あまやち会館下より
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/半蔵金
【ガイド】 なし
【温泉】 あまやち会館 500円(沸かし湯)

【時間記録】 8:20 新潟発=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.17、横枕、虫倉、南平、種苧原)=9:55 あまやち会館下〜10:15 発―10:44 尾根下―11:05 稜線分岐―11:39 猿倉岳―11:54 稜線分岐―12:07 萱峠―12:28 718.6mピーク―(12:35〜12:50 昼食)―12:55 萱峠―13:10 稜線分岐―13:20 尾根下―13:50 あまやち会館下=(往路を戻る)=16:10 新潟
 長岡の東には、鋸山を盟主とする、東山連峰と呼ばれる稜線が連なっている。この東山連峰の範囲は定かではないが、一般には、北の森立峠から、八方台、鋸山、花立峠、萱峠を経て猿倉岳あたりまでと考えられているようである。北部の八方台や鋸山は、ハイキングの山として親しまれているのに対し、萱峠や猿倉岳は、稜線部を車道が通過しており、登山の対象からは外れた感がある。しかし、豪雪地にあるため、冬にはスノーシュー歩きの絶好のフィールドになる。

 土曜日に用があったため、晴天の山を見逃し、またまた雪の日に山に出かけることになった。2月に入って雪が増えるどころか、融けて減ってきている。雪の豊富な山を選ぶ必要があり、再び山古志の猿倉岳へ出かけることにした。
 猿倉岳は、2002年3月10日に初めて登り、その後、隣の萱峠へ2003年2月16日に登ったが、悪天候でグループで足並みが揃わなかったことから、この時は断念した。その後、中越地震が襲ったため、しばらく山古志に入ることができなかった。昨年、復興の工事もほぼ終わったことから久しぶりに登ろうとしたが、底無沼状態の新雪で、100mほど歩いただけで、これは無理と諦めてしまった。今回は、久しぶりの訪問となる。
 一週間ぶりの山古志であるが、雪融けはさらに進んでいた。さすがの金倉岳も山肌を覆う灌木が目立っていた。それでも、谷をもう一つ奥に入った種苧原に入ると、一面の銀世界に変わった。この付近は、豪雪地中の豪雪地といってよい。
 いつものように、あまやち会館入り口の除雪終点部に車を停めた。車道脇の雪壁の高さは、1.5mほどで、例年よりは少なかった。壁を登って雪原に立つのにスコップで足場を作る必要もなかった。
 雪に埋もれた尼谷池(あまやち)を回り込んで左手の谷の縁にでると、猿倉岳が目の前に向かい合っている。山頂は、アンテナ施設の脇の高まりである。近くに見えるが、谷を大きく回り込む必要があるため、歩く距離は長い。
 先回は、歩き始め100mほどで諦めた深雪であったが、今回はクラストした表面のため、体力のいらないスノーシュー歩きになった。ここのところ雪も降っていないのか、古いワカンの跡が見られた。
 北に向かう林道を進むが、途中で分かれる道もあるので注意が必要である。雪が多い時は、林道は雪に埋もれてトラバースが難しいため、尾根沿いに進むのだが、今回は藪は出ていたので、そのまま林道を歩くことになった。
 林道が左に大きく巻くところで、直進するように道が続いているのに気が付いた。これまで、この道には気づいていなかった。この道に進むと、527m点の右下を巻いて、その北側で西を巻いてきた道に戻った。どちらの道を通るかは、その時の雪次第ということになろうか。
 山裾に杉木立があり、ここから尾根が立ち上がっている。右上に斜上する道があるので、これに進み、尾根の末端部のこぶを巻いたところで、尾根に取り付く。今回のコース中で一番の急斜面であるが、雪もほどよく締まっており、キックステップもきいて、順調に高度を上げることができた。
登りの途中には、杉の大木が何本かあり、それを辿ることになる。
 傾斜が緩むと、窪地に入り、ひと登りすると稜線上に到着する。猿倉岳から萱峠付近の稜線は、その標高から想像できない大雪原になっている。
 予想していなかったことだが、スノーモービルの滑走跡が残されていた。山中で出会うスノーモービルは不快に思うが、ここは本来は車道であることを考えれば、登山者だけのものというわけにはいかない。新雪が積もっていないばかりに、跡が残っているのは残念である。
 左上には、コンクリート製の展望台がある。先回は、グループで登って、この一階部で、吹雪をさけて宴会をした。その奧にもロッジ風の建物があるが、先回は気が付かなかった。見落としたものか、地震後にできたのだろうか。
 猿倉岳に向かって、幅広の稜線を進んだ。時折吹雪が強くなった。GPSを使っていないと、稜線上に出た所には、目印の赤布を付けておく必要があるであろう。
 雪原の向こうに山頂らしき高まりが見えてきたが、その取り付き部は、法面になっており、登るのが難しかった。上がれるところを探しながら、そのまま先に進んだ。雪も止んで、山古志の里や守門岳の山裾の眺めが開けた。山古志の雪景色を眺めるには良いピークであるが、知名度は無いといって良い。アンテナ施設に向かって登る道があり、稜線上に出たところで、折り返すように、ひと登りすると、猿倉岳の山頂に到着する。山頂は、雑木林に囲まれて展望はない。展望を楽しむなら林道上の方が良い。
 そのまま稜線上を辿って引き返した。小さな雪庇もできていた。雪付きの良い場所を選んで、法面を下って林道に戻った。
 雪の状態も良いので、萱峠に向かうことにした。雪原の中に牧場の施設が見えている。展望台の西側を通って、萱峠に向かった。スキーゲレンデといっても良い雪原が広がっている。牧場施設だったらしい建物は、屋根が半分落ちていて、使われなくなったようである。小ピークを乗り越した先が萱峠のようである。冬しか来たことがないので、雪の無い時期がどのようなものかは知らない。その先の小ピークを越した先まで雪原が広がっている。
 その先の718.6m三角点ピークまで足を延ばすことにした。灌木帯の尾根を雪庇に注意しながら先に進んだ。ピークの上は、灌木に囲まれて展望はなかった。萱峠を登る際には、雪原の末端部までで充分気がする。
 雪原に戻り、杉の大木の下の窪地に入り込み、風を避けて昼食とした。
 大雪原の歩きを楽しんだ後は、急斜面の一気の下りで林道に戻った。後は、林道歩きをもうひと頑張りすれば良い。
 猿倉岳で良いのは、下山後に、あまやち会館で風呂に入ることができる点である。地震後には初めての入浴になったが、復興ができて良かったと思った。

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