臥牛山、下渡山、大葉沢城跡

臥牛山、下渡山、大葉沢城跡


【日時】 2009年1月2日(木) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り時々雪

【山域】 村上周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 臥牛山・がぎゅうさん・135.0m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/村上/村上
【コース】 村上城跡登山口より
【ガイド】 新潟県ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【山域】 蒲萄山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 下渡山・げどやま・237.8m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/村上/村上
【コース】 東登山口より下渡登山口へ
【ガイド】 「新潟日帰りファミリー登山」(新潟日報事業者)

【山域】 村上周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大葉沢城跡・おおばさわじょうせき・90m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/塩野町/越後門前
【コース】 普済寺より雷神社へ
【ガイド】 なし

【時間記録】8:30 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、荒井浜、R.345、村上 経由)=10:05 村上城跡登山口〜10:17 発―10:37 天守台跡―10:58 村上城跡登山口=(下渡大橋 経由)=11:31 東登山口(姥化懐登山口)―11:44 テレビ中継塔―12:02 下渡山〜12:15 発―12:30 下渡集落林道登山口―12:43 東登山口=(下渡大橋、古渡路、大場沢 経由)=13:05 普済寺入口―13:16 尾根上分岐―13:22 東ごぼう峰―13:32 94mピーク―13:40 東ごぼう峰―13:44 尾根上分岐―13:55 雷神社―13:58 大葉沢城郭跡―14:00 雷神社―14:07 雷神社登山口―14:12 普済寺入口=(往路を戻る)=16:00 新潟
 村上市内にそびえる小高い岡が、臥牛山であり、地元ではお城山と呼ばれている。この山には、かつて、舞鶴城とも呼ばれた村上城が築かれていた。戦国時代、本庄繁長が城郭を構え、次いで村上義明が増築し、江戸時代初期の元和4年(1618)、藩主となった掘直竒によって天守閣が設けられ、さらに城下町も整備されて城としてとしての形が整えられた。寛文3年(1663)、松平直矩の時に作り替えられた三層の天守閣は、1667年落雷によって消失し、その後再建されなかった。享保5年(1720)年以降は内藤氏5万石が領したが、戊辰戦争の際に、村上を撤退した藩兵によって城に火が放たれて消失したという。現在は、苔蒸した石垣によって往時を偲ぶことができる。

 下渡山は、蒲萄山塊の最南端の三面川のほとりに、村上市街地に立つ臥牛山と向かい合う山である。この山に置かれた下渡か嶋城は、本庄氏家臣の矢羽畿氏の居城と言われており、永禄11年(1568年)の本庄繁長の謀反の際には、上杉謙信に、本庄城(後の村上城)とともに、攻められたという。下渡山は、登山道が整備され、手軽に展望の良い山頂を楽しめるようになっている。

 大葉沢城跡は、三面川左岸の大場沢集落の南の丘陵地に置かれた山城である。大葉沢城には、本庄氏庶子家鮎川氏が代々在城したが、本庄氏とは度々争いを起こし、この城を巡って城主を両者が入れ替えての攻防が起きている。土塁、曲輪、大規模な50条を越す畝形阻障が残され、それを見学する山道も整備されていることから、もっと知られて良い山城跡である。

 一年の初めの山となると、それなりの理由をつける必要がある。丑年にちなんだ山を考えて、今どきに登れるとなると、臥牛山が思い浮かんだ。これだけでは少し物足りないので、三面川対岸に向かい合う下渡山を登ることにした。
 臥牛山には村上城が置かれており、地元では城山として親しまれているが、登山口は、民家の奥にあって少し判りにくい。また、駐車場も車数台がやっとで、観光バスは入ることができない。城跡を観光資源として考えるなら、もう少し考える必要がある。
 みぞれ混じりの雨が降っており、歩きだす前に車の中で少し様子見をすることになった。
 城の登り口には、村上城跡の石柱の他に、一文字門跡と書かれた石碑も置かれている。登城口といった感じの幅広の石段道が続いている。良い道なので、靴を履きかえないで歩き出したが、これは失敗であった。
 七曲がりと呼ばれるつづら折りの道が続く。登るにつれて、村上市街地が眼下に遠ざかっていった。
 ようやく石垣が近付いてくる。四ツ御門跡で、山頂台地の一画に出る。左手は、三の丸の台地で、本丸へは右に登る。
 ここで現れた看板を見ると、中世遺構散策コースというものが新たに整備されていた。おそらく本庄氏が築いた最初の山城の遺構を巡るもののようであった。入口からのぞくと、南斜面に下るように山道が続いていたが、雨あがりの泥んこ道で、靴を履き替えていないと無理そうであった。この道は別の機会ということで、本丸を目指すことにした。このような看板は、登山口に立てておいて欲しいものである。
 この先は、大規模な石垣が残されているが、修復作業中で迂回路が付けられているところもあった。
 御鐘門跡の石垣の間を抜けると、本丸の台地に到着した。昔あったお城の威容が想像できるような、広い台地が開かれている。かたわらに天守跡の標柱があり、その傍らには三角点が埋められている。展望図も置かれて、展望が開けている。村上市街地が眼下に広がり、三面川の対岸には、下渡山や蒲萄山塊の眺めが広がっている。
 展望を楽しんだ後に、山を下った。登り下りの間にも地元の人にすれ違い、この山は体力作りの場として親しまれているようである。
 下渡山は、1998年9月5日に登ったが、それからは10年の年月が過ぎている。市販のガイドブックにも取り上げられて、この山も知られるようになっている。
 下渡大橋の上からは、下渡山を良く眺めることができる。右手に立つアンテナの脇が東登山口で、左手の尾根を下ることになる。
 橋を渡ったら、右に曲がり、折り返すように下渡集落に通じる林道に進む。落ち葉に覆われているが、車の走行には問題のない道である。
 アンテナ施設が右手に現れると、その脇が登山口である。「下渡山東登山道入口 姥ヶ壊コース」と書かれた標柱が置かれている。
 良い道が続くが、中腹にはテレビ中継基地があるので、その保守道も兼ねているのであろう。
 中継基地からは、登山道になるが、丸太の段々も設けられて、歩きやすいように良く整備されていた。登るにつれて、登山道上にも雪が現れてきた。標高差は200mほどなので、ひと汗かくと山頂に到着する。
 山頂手前に短いが急な斜面が現れたが、城跡の土塁跡のようであった。最近は、城跡巡りが多くなっているので、土塁や曲輪跡が目につくようになってきた。
 下渡山の山頂は、広場になって展望が開けている。驚いたことに、ポールに日の丸が掲げられていた。登り30分ほどの里山ではあるが、休日ごとに日の丸を掲揚して、また片付けるとなると、大変そうである。
 ベンチも置かれているので、腰を下ろしてひと休みした。臥牛山も下に遠ざかって、山頂部を手に取るように見ることができた。村上城の守りのためにも、下渡山は重要なようである。
 三面川の河口部から、瀬波温泉にかけての日本海の海岸線を良く眺めることができた。三面川の上流部には、鷲ヶ巣山や朝日連峰が白い峰を持ち上げているはずであったが、雪雲に覆われていた。朴坂山塊や高坪山、櫛形山塊は見えていたので、山の眺めを楽しむには充分であった。
 下りは、下渡集落に続く南西尾根に進む。泥の急斜面で、ステップが切ってあるといっても、足元に注意が必要であった。一気に高度を下げていくが、東登山道よりは少し距離は長い。
 簡易水道施設が現れると、その先で林道に飛び出す。ここには、下渡山登山道入口の標柱が立てられている。少し下ると、集落を横断する車道に出て、あとは車道歩きで車に戻った。
 時間もまだ早く、天候も回復してきた。以前から気になっていた大葉沢城跡を訪れてみることにした。村上から鷲ヶ巣山の登山口でもある三面ダムに向かう途中の大場沢集落に大葉沢城跡の案内板が置かれていることに、以前の山行の際に気がついていた。この城跡を紹介してある本は知らないが、インターネットで調べると、かなり大規模な遺構が残されており、道も整備されていることが判った。
 県道439号線で大場沢集落が近付いてくると、城跡があるらしい丘陵が目に入ってきた。集落入口には、「畝形阻塞の遺構 大葉沢城跡 戦国時代からつづく長い伝統と文化の村」という看板が立てられていた。
 普済寺入口に大葉沢城跡の案内板が置かれている。コースが書かれているので、歩きだす前に良く見ておく必要がある。右手の雷神社のある一帯が宮山で、左の普済寺の背後が寺山といい、二つを結ぶように道が開かれている。駐車場は、普済寺の下にあるようであるが、雷神社への道は、すぐ先で別れるため、県道脇の路肩に車を停めて歩きだした。
 まずは普済寺を目指した。車道を登っていき、本堂の右手に出ると、大葉沢城跡への案内標識も現れた。砂利が敷かれた道を登っていくと、墓地の中に出て、この先は山道に変わった。
 ひと登りで尾根の上に出て、右は雷神社へ続く道になった。まずは左の道に進んだ。ひと登りで小ピークに出ると、東ごぼう峰という標識が置かれていた。このピークの東は、土塁状の崖と縦堀に囲まれていた。地図を見ると、94m点の手前であった。山道は、来た道の一段下を引き返していた。
 尾根の東方向をうかがうと、赤布も付けられており、藪も薄そうなので進んでみた。土塁を注意してくだり、尾根を辿った。今年最初の藪こぎになった。赤布は、境界見出標の目印であった。結局、94m点は、藪尾根の通過地点といった感じで、標識や城跡らしきものはなかった。
 東ごぼう峰に引き返し、一段下の道を進むと、これは普済寺の本堂の左手に下りる道のようであった。ショートカット道で、尾根沿いの道に戻った。ここには「絶景眺めどこ」という看板が置かれていたが、杉の植林で眺めは閉ざされていた。
 尾根沿いに進むと、空堀で、大きく尾根が切られていた。その先の空堀の先は、急斜面で進めず、左の尾根下を迂回することになった。ここには、縦堀が、何本も連続して掘りこまれていた。これが、畝形阻塞の遺構というものであった。ごぼう峰という看板が置かれていたが、ピークではなく、この遺構を示しているもののようである。50条の縦堀が作られているというが、当時は、相当な要塞の姿を見せていたのであろう。
 尾根上にお堂が見えてきたので、尾根に上がり、来た方向に尾根を辿った。石段を上がって鳥居をくぐると雷神社のお堂の前に出た。
 脇を通り過ぎてきた尾根の上の方が高かったので、神社の後ろに進んだ。曲輪跡のような台地に出ると、大葉沢城廓跡という標識が置かれていた。ここが山城の本丸のようであった。
 雷神社に戻ると、北斜面に道が続いていた。つづら折りの道を下ると祠があり、中には狐の瀬戸の置物が置かれていた。その先で鳥居の建てられた登り口に出た。
 ここから車を置いた普済寺入口までは、短い距離であった。
 臥牛山に登って、昔の山城に思いをはせるのなら、この大葉沢城跡も訪れてみるのも一興であろう。

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