錫ヶ岳、稲包山

白根隠山、白檜岳、錫ヶ岳
稲包山


【日時】 2008年9月28日(日)〜29日(月) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 28日:晴 29日:曇り後雨

【山域】 奥日光
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 白根隠山・しらねかくしやま・2410m・なし・栃木県
 白檜岳・しろびだけ・2394m・なし・栃木県、群馬県
 錫ヶ岳・すずがたけ・2388.0m・三等三角点・栃木県、群馬県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/男体山/丸沼、男体山
【コース】 菅沼登山口より往復
【ガイド】 ぐんま百名山(上毛新聞社)、栃木百名山(下野新聞社)
【温泉】 シャレー丸沼 750円

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 西稲包山・にしいなづつみさん・1570m・なし・新潟県、群馬県
 稲包山・いなづつみさん・1597.7m・三等三角点・群馬県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/四万/三国峠、四万
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)
【温泉】  街道の湯 600円

【時間記録】
9月27日(土) 18:20 新潟=(関越自動車道、沼田IC、R.120 経由)=22:30 菅沼登山口  (車中泊)
9月28日(日) 4:11 菅沼登山口―6:12 弥陀ヶ池―6:55 避難小屋―7:07 稜線分岐―7:39 白根隠山―8:04 白檜山―9:03 水場―9:54 錫ヶ岳〜10:05 発―10:48 水場〜10:52 発―12:14 白檜山―12:37 火口原〜12:52 発―13:24 避難小屋―14:16 弥陀ヶ原―15:30 菅沼登山口=(R.120、沼田、R.17、苗場 経由)=20:00 三国スキー場  (車中泊)
9月29日(月) 7:45 三国スキー場―8:26 丸木橋―9:08 三坂峠―9:29 西稲包山―10:00 縦走路分岐―10:08 稲包山〜10:25 発―10:31 縦走路分岐―10:59 西稲包山―11:15 三坂峠―11:48 丸木橋―12:04 三国スキー場=(R.17、関越自動車道 経由)=15:30 新潟
 日光白根山の西にある前白根山から南西に延びる群馬・栃木県境は、白錫尾根と呼ばれ、遠く皇海山へと続いている。錫ヶ岳は、白根隠山から白檜山を経て西に県境稜線を辿ったところにあるピークである。群馬百名山及び栃木百名山に選ばれており、これらの百山の中では難易度の高い山になっている。

 稲包山は、谷川連峰の西端の三国山と白砂山の間に続く上越国境から、わずか南に外れた群馬よりにある山である。ピラミダルな山頂を持ち、里人の信仰の山として開かれてきた。四万温泉と法師温泉を結ぶ赤沢林道を経由して登るのが普通であるが、稲包山の東面の送電線巡視路を下山路にとるコースも利用されている。最近、三国峠から三国スキー場に至る県境稜線縦走路が整備され、その途中で稲包山を登ることができるようになった。
 この9月の目標は、焼山と錫ヶ岳であった。どちらも、12時間歩行のロングコースになるので、夏の暑さがひと段落し、しかも日没がそれほど遅くならない9月が狙い目と考えた。しかし、今年は、週末毎に悪天候となり、のばしのばしになっていた。
 ようやく問題のない天候が巡ってくるようなので、錫ヶ岳へ向かうことができた。金曜日の夕方に、鳥海山は初冠雪の情報が入ってきたので、毛糸の帽子や手袋、非常用の冬用下着など、寒さ対策の装備も持った。
 コースは、もっともオーソドックスな菅沼登山口からの往復とした。未明4時の出発として、時間的余裕を持たせることにした。日の出も遅くなっており、ヘッドランプでの歩きの時間も長くなるが、日光白根山へのメインルートなので、なんとかなるはずであった。
 以前にも夜を過したことのある、菅沼登山口の少し手前の路肩広場で夜を過し、朝になったところで、車を移動させた。さすがに日本百名山というべきか、すでに10台以上の車が停められていた。日光白根山は日帰り可能な山であるが、遠くからの日本百名山ピークハンターや、山中泊まりのカメラマンが集まっているようである。
 ヘッドランプを頼りに歩き出した。このコースは、日光白根山を始めて登った1992年7月24日に歩いたきりなので、時間も経っており、記憶は無くなっている。
 林道を少し進むと分岐となり、右の道に進む。すぐに急坂のつづら折りの登りが始まる。岩を踏み越えていくようなところもあり、足場を確かめながら登るために、ペースは上がらない。しかし、速度が遅いため、体力の消耗も抑えることができる。
 途中、一人の登山者に出会って驚かされた。カメラを構えて、日の出を待っていた。先を急いで登り続けていると、東の空が真っ赤に染まった。木立の間からの眺めであったので、展望が開けないかと歩き続けると、この赤く染まっ空は、僅かな時間しか続かず、写真を撮りそこなった。空は晴れているようだが、天気は下り坂のようであった。
 傾斜がゆるんで座禅山のトラバースに入ると、針葉樹の葉を霧氷が白く覆うのに出会った。寒さ対策はしていたが、このような霧氷に出会うとは思ってもいなかった。ようやく明るくなってきており、カメラを取り出して撮影することになった。
 弥陀ヶ池の縁に敷かれた木道に出ると、正面に白根山の山頂が聳えているのが目に入ったが、一面の霧氷で白銀に染まっていた。池の周囲の木々は、紅葉が始まったところで、まだ緑も多かった。三段紅葉とはきくが、三色が入り混じっていた。
 時間を確認すると、コースタイムを少し短縮していた。これより早くては、この絶景を眺めることはできなかったので、丁度良い時間配分であったことになる。
 カメラを首から下げて、写真を撮りながらの歩きになってしまった。弥陀ヶ池の畔から五色沼への下りにかかる付近の紅葉はひときわ見事であった。
 五色沼へは、標高差100mほどの下りになる。帰りには、この登り返しが大変になりそうであった。
 五色沼の畔に出て、半周したところで沢沿いの道に進むと、ひと登りで避難小屋に出た。錫ヶ岳へは、この避難小屋に泊まって1泊2日で歩く者も多いようなので、ようやくスタート地点に立ったところといえようか。
 小屋の脇から、五色沼の外輪山である前白根山への道に進む。ひと登りで稜線上に出て、前白根山とは逆に右に進む。ここからいよいよ登山道の無い区間になるが、はっきりした道が付いており、周囲の木立は間隔が開いて下生えもないので、歩くのにはまったく支障はない。
 すぐ先で、左手の笹原に壊れかかったバラックが現れた。ガイドブックによって説明が、雨量観測あるいは地震観測小屋跡と違っている。サラキンの電話番号が書かれたブリキ板が付けられているが、登山道でもないところに宣伝効果はないであろうから、廃物利用ということで補修に使ったものであろう。
 その先からは、尾根上の笹原も消えて、僅かな草が生えたザレ場になった。前方に白根隠山の山頂が姿を現してきた。稜線一帯の草は茶色に染まっていたが、北西の右斜面に生えた木々は霧氷に白く彩られていた。白根山もさえぎるもののない姿を見せており、展望を楽しみながらの歩きになった。振り返ると、燧ヶ岳が双耳峰の姿を見せていた。山頂部は白く染まっていた。中禅寺湖の湖畔には男体山が聳え、その左には女峰山がよりそっていた。白根隠山に向かって登っていくと、コバルトブルーの湖面を広げる五色沼の眺めが背後に広がってきた。
 素晴らしい眺めであったが、写真撮影に足が度々止まることが問題であった。霧氷に彩られたこのような風景はめったにしか見られないものである。この風景も、太陽がもう少し昇ってきた時が一番美しく輝きそうである。目的を写真撮影に変えてしまおうかと迷ったが、ピークハントの誘惑が打ち勝って、先を急ぐことにした。
 ザレ場となった白根隠山の台地状の山頂に立つと、なだらかな山頂を持つ白檜岳とその左の肩越しに錫ヶ岳が姿を現した。山頂の先は、崖状で切り落ちていた。ここを下りるのかと、一瞬躊躇したが、よく見ると、左にトラバースするように道が続いており、僅かな下りで、尾根沿いの下りにのることができた。
 白檜山の山頂直下は、笹原が広がっていた。踏み跡は明瞭なものの、笹の葉に隠されて、ようやくヤブコギ山行らしくなった。白檜山の山頂は、木立に囲まれた台地状で、山名プレートが木に取り付けられていた。
 めざす錫ヶ岳への稜線は、左に方向を変えて続いていたが、踏み跡も明瞭で、コースに迷う心配はなかった。笹原の下りが始まった。膝下の笹原で、歩くのに支障はなかった。連続的にプレートが木に取り付けられており、残置テープも多く、コースは判りやすかった。尾根沿いの下りになると、北西斜面の樹林帯の中を辿るようになったが、下生えもなく、時折現れる倒木以外は歩き易い状態であった。
 樹林帯の広がる2296mピークを越えると、長い下りが続いた。小広場が現れると、錫の水場に到着した。この位置は、2170m点の北側の沢の源流部である。テントも張れるスペースがあった。水場1分という標識も立てられていた。帰りに水場に下ってみると、パイプから水が流れ出ていた。夏はわからないが、秋の長雨といったシーズンなら水は確保できそうである。白檜岳からは1時間の下りであったので、ここで泊まって錫ヶ岳を往復するのも良さそうであった。
 広場の片隅にザックが置いてあった。水場に出かけているかと思ったが、人の気配はなかった。
 水場から先は、踏み跡は、不明瞭なところも出てきた。空身の単独行が下ってくるのとすれ違った。時間的に、避難小屋泊まりで、重たくなった荷物を置いたということなのだろうが、水場から錫ヶ岳の間は、装備なしに往復するのは、少々危険である。
 錫ヶ岳への最後の登りが始まるところでは、笹原の急斜面が広がっていた。踏み跡部は、泥が露出しており、滑りやすくなっていた。笹を掴んで、体を支える必要もあった。傾斜が緩んで樹林帯の中を辿るようになると、踏み跡は薮に行き当たってしまった。山頂部は左手に少し登ったところなのだがと、周囲を見回す必要があった。笹原になった窪地に一旦下った先に、踏み跡は続いていた。皆が間違って、おかしな方向への踏み跡が付けられてしまっているようであった。
 ひと登りすると、錫ヶ岳の山頂に到着した。木立に囲まれた中に小広場ができていた。幾つもの山頂標識が木に取り付けられていた。小広場に頭を出しているのは、国土地理院の三角点ではなく,「御料局標石」であった。登って来た方向から見て、右手の笹原の中に三等三角点を見つけることができた。
 山頂の縁が切り開かれており、展望も得られるようではあったが、ガスがかかってなにも見えなかった。踏み跡はさらに、先の笹原に続いていた。皇海山までこの稜線は続いており、いつか歩いてみたいものではあるが、アクセスと日程の問題がある。
 登頂を祝ってビールといきたかったが、ガスが流れて寒かった。登り返しのこともあり、白檜岳に戻ったところで、大休止にすることにして、簡単に腹ごしらえをしてから下山に移った。
 笹原の下りは、踏み跡を辿るよりは、笹を枝ごと倒して歩くほうが楽であった。少し下ると、ガスも切れて、白根山や白檜岳の山頂も姿を現した。かなり高いところにあり、帰りもそれなりに体力が必要になりそうであった。
 水場を越えたところで、単独行とすれ違った。結局、この日の錫ヶ岳の登山者は三名であった。薮山としては、人数は多いといってよい。やはり、ご当地百名山に選ばれたことが関係しているのであろう。
 順調な歩きを続けたが、白檜岳への最後の登りは、やはり足も疲れてきた。白檜岳に到着して、この先の歩きを考えた。白根隠山への稜線歩きは、登り返しもある。展望が開けていれば稜線歩きは楽しいのだが、ガスが流れてきていた。白檜岳へは、避難小屋から火口原を抜けて、白根山との鞍部から登ってくるというショートカットコースが、報告されている。赤布を付けながらの往復と違って、一方通行の下りは難易度が増すが、GPSにもコースを入力してあったので、歩けるはずであった。時間に追われているわけでもないので、いざとなったら引き返すだけの時間的・体力的余裕もある。火口原へ下降することにした。
 山頂から始まっている尾根は、北西に逸れていき、目的の尾根ではない。錫ヶ岳から登ってきて、そのまま直進する方向の、北に向かう。笹原を下っていくと、尾根もはっきりしてくる。所々赤布も残されているが、系統的に付けられてはおらず、役にはたたない。尾根沿いは、木立が広がって、倒木を避けてコースを細かく変更しながら歩く必要があった。急斜面であったが、土はほどほどに柔らかく、足元も安定して、順調に下ることができた。火口原から延びる沢形が見えてきたので、鞍部には下りず、右手に方向を変えて、笹原を下った。
 火口原の縁に出たところで腰を下ろして大休止にした。この後は問題なく一般道に戻ることができるはずである。火口原の窪地越しには、白根隠山の荒々しい斜面を見上げることができた。
 火口壁の縁には、踏み跡が続いていたので、これを辿ったが、山に向かって上がっていった。どうやら、鹿による獣道のようである。火口原に下りて、北東に向かって進んだ。火口原の中は、岩の転がる砂地となって、どこでも歩ける状態であった。火口原は二段に分かれており、僅かな登り返しが現れたが、これが結構辛かった。
 左手から白根山山頂からの登山道が合わさると、その先で、避難小屋に戻ることができた。火口原コースは時間的には短縮できるが、展望が広がっているならば、白根隠山経由のコースを歩いた方が楽しいであろう。錫ヶ岳の登頂を目指さなくとも、この火口原コースを使って、白檜岳の周回コースを歩くのも楽しそうである。
 朝とは違った紅葉の風景を楽しみながら、五色沼を経て弥陀ヶ池に戻った。弥陀ヶ池への登り返しは、今回の歩きの中で、一番辛い区間になった。
 弥陀ヶ原でカメラもしまい、下りに専念することになった。途中で、白根山登山のグループを何組も追い抜くことになった。
 結局、11時間半の行動時間ですみ、体力の消耗も、庚申山から皇海山への周回よりは楽であった。踏み跡も思ったよりもしっかりしており、枝を掻き分けるようなヤブコギというものもなかった。以前とは、状況も変わってきているようで、少し山慣れた登山者には、歩いてもらいたいコースである。
 体が冷えて、丸沼の温泉をまず目指すことになった。  このまま家に戻るのももったいないが、さすがに足も草臥れてきている。谷川連峰の稲含山に、三国スキー場から登ることにした。登山口での泊まりも、ここならゆっくりと眠ることができる。
 沼田から月夜野に出て、三国トンネル越えをして苗場に入った。苗場プリンスホテルの脇から三国スキー場への道が始まるが、これは国道353号線ということになっている。この国道は、群馬県側では四万温泉から中之条に続いている。新潟・群馬の県境線で途切れているが、この国道がつながることはないであろう。
 三国スキー場に到着して、入口の広場に車を停めて寝た。
 朝になってみると、スキー場は廃止になって、施設の撤去が行われていた。重機が入っており、ゲレンデ内は泥田状態になっていた。登山者用には、誘導用のロープが張られていた。三国スキー場は、交通の便が悪く、以前から休業が続いていたので、廃止は不思議はない。
 登山道の印に従って、草が生えた林道跡の歩きが始まる。しばらくは、渓谷の沢音を聞きながらの歩きとなり、枝沢の黄蓮沢の標識を過ぎて、なお沢沿いの歩きが続く。
 沢に下り立つと、徒渉となる。標識にも丸木橋と書かれているが、橋は流されて岩に引っかかった状態になっており、役には立たない。幸い、水量も少なく、飛び石伝いに渡ることができる。対岸で枝沢を横断すると、その先で、急な登りが始まる。登山道は、最近刈り払いが行われたようで、笹の枝が落ちていた。
 幸い急登もそう長くはなく、尾根上に出ると、緩やかな登りが続くようになった。県境線上の小ピーク手前では、美しいブナ林が広がっている。小ピークを左に巻くと、県境稜線上に到着する。僅かに下っていくと、三坂峠に出る。三坂峠は、三国峠よりも古く、ここが、上野、越後、信濃の三国の境界であったようである。新潟側は、登山道として復活したが、群馬県側は、旧街道の痕跡も見当たらない。この三坂峠の位置は、地図上では、1449m点のすぐ脇の鞍部である。
 この後は、緩やかに起伏する稜線歩きになる。周囲の木立も、紅葉が始まっていた。緩やかに登っていくと、西稲包山の山頂に到着した。西稲包山の山頂からは、岩とシャクナゲの木の根を足がかりにする急な下りになる。西稲包山までは刈り払いが行われていたが、ここからは笹が足元を隠す状態になっていた。この状態は、次の小稲包山への登りにかかるところまで続いた。刈り払いの作業が、全部終わっていないよいうである。この笹薮の状態だと、刈り払い前は、歩くのもかなり大変そうであった。少なくとも一般登山としては、きびしい状態であったようである。刈り払いは、毎年行われているわけでもないようなので、今年は、狙い目といって良いであろう。
 晴れていれば、小稲包山の山頂からは、目の前に稲包山を眺めることができるのだが、視界は閉ざされていた。その先で、三国峠への縦走路から分かれて、左への道に進む。
 ひと登りで、稲包山の山頂に到着した。石の祠も置かれており、地元の信仰の山であることが判る。月曜日とあって、登山者はだれもいなかった。
 下山の途中、雨が降り始め、林道跡に戻ったところで、傘をさすことになった。
 稲包山は展望ピークなので、晴れた日に登れなかったことは残念であるが、登山道の状態が判ったことは収穫であった。
 また、県境稜線に出たところで、西に向かって荒い刈り払いが行われていたことは、興味のあるところである。白い梱包用テープが付けられているのは、測量関係者がつける、ピンクのビニールテープとは違っている。この先しばらくは目ぼしいピークもないことから登山道の開発とも思えないが、情報に注意していく必要がある。

山行目次に戻る
表紙に戻る