明星山、焼山、南葉山

明星山
焼山
南葉山


【日時】 2008年9月13日(土)〜15日(月) 3泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 13日:雨 14日:曇り 15日:晴

【山域】 北アルプス周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 明星山・みょうじょうさん・118.5m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/小滝/小滝
【コース】 岡集落より往復
【ガイド】 新・にいがた花の山旅(新潟日報事業社)
【温泉】 塩の道温泉ホテルホワイトクリフ 400円

【山域】 頚城三山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 焼山・やけやま・2004.3m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/湯川内
【コース】 笹倉温泉口より往復
【ガイド】 山と高原地図「妙高・戸隠・雨飾」(昭文社)
【温泉】 笹倉温泉 800円

【山域】 南葉山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 青田南葉山・あおたなんばやま・949.3m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/重倉山
【コース】 南葉高原キャンプ場より明神沢コースを登り、木落坂コースを下山
【ガイド】 新・分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、新・にいがたファミリー登山(新潟日報事業社)、新・にいがた花の山旅(新潟日報事業社)

【時間記録】
9月13日(土) 6:20 清水倉=(R.8、糸魚川、R.148 経由)=8:03 岡集落登山口―9:14 登山道口―9:49 竜護の尾根分岐―10:45 明星山〜11:08 発―11:46 竜護の尾根分岐――12:20 登山道口―13:16 岡集落登山口=(R.148、糸魚川、R.8、梶屋敷、笹倉温泉 経由)=17:00 ゲート
9月14日(土) 3:27 ゲート―5:00 登山道口〜5:07 発―5:27 展望台―6:20 大曲〜6:28 ―6:59 大谷―7:26 地獄谷―7:41 坊々抱岩―8:23 富士見峠分岐―8:28 泊岩―9:40 焼山〜10:29 発―11:26 泊岩―11:35 富士見峠分岐―12:13 坊々抱岩―12:23 地獄谷―12:40 大谷―13:14 大曲―13:52 展望台―14:05 登山道口―15:23 ゲート=(笹倉温泉、梶屋敷、R.8、直江津 経由)=19:00 南葉高原キャンプ場  (車中泊)
9月15日(月) 6:52 南葉高原キャンプ場―7:39 明神沢―7:56 明神峠入口―8:11 明神峠―8:46 青田南葉山〜8:58 発―9:18 八合目展望台―9:28 七合目水場―10:00 南葉高原キャンプ場=(直江津、上越IC、北陸自動車道 経由)=13:30 新潟
 明星山は、糸魚川近くの、ひすいの原産地として知られる小滝川左岸に聳える岩山である。石灰石からなる岩山で、明星南壁として知られる大岩壁を屹立させている。

 焼山は、頚城三山として妙高山と火打山とともに数えられる山である。火山活動のために、1987年から長らく登山禁止になっていたが、2006年4月に解禁になり、登山道の整備が進められてきた。2008年の登山地図では、火打山からの縦走路及び笹倉温泉からの登山道は破線ではあるが赤線とコースタイムが記されるようになっており、さらに、笹ヶ峰から富士見峠、富士見峠から金山の間の登山道も刈り払いが進んでいるという。

 青田南葉山は、高田市街地の西にドーム状の山頂を持ち上げて、市民憩いの山になっている。南葉高原キャンプ場からは、明神沢コースと木落坂コースが整備されており、周回できる。

今回の三連休の本命は、焼山とした。ところが、三連休の天気予報は、曇り後雨、雨、晴というものになった。ここのところ週末ごとに悪天候にめぐりあう。金曜日は快晴だったため、午前中の曇りにかけて、笹倉温泉からの日帰りを行おうと思い、能生をめざした。しかし、日暮れとともに、早くも厚い雲が広がった。
 初日の焼山は諦めて、半日の曇りを使って青海黒姫山を登ることにし、清水倉の登山口に向かった。最近、青海黒姫山の従来使われてきた電化工場からのコースは閉鎖になっており、清水倉から登ることになる。
 清水倉の登山口で夜を過し、翌朝歩き出そうとすると、雨が早くも降ってきた。関西方面からの団体と単独行が先に歩きでしていたが、こちらは、あっさりと諦め、計画変更とした。今回は、登山口を確認しただけでも、後の役に立つ。
 少し頭を捻った後、コースタイムの短い明星山を登ることにした。先回登ったのは1992年9月19日なので、記憶も薄れ、再度登り直す必要がある。
 糸魚川から安曇野へ通じるR.148を走り、小滝から岡の集落に入ると、明星山の案内があるので、それに従って坂を上がっていく。
 登山口は、最終民家の脇で、林道入口には小さな標識が置かれていた。林道の入口には鎖がかかっていた。先回の記憶とは様子が違っていた。民家を過ぎた先の車道は充分の幅があったので、路肩に車を置いて歩き出した。
 雨具を着込んで、傘をさしての歩きになった。林道歩きの途中からは、明星山の眺めが広がった。ガスで霞んでいるものの、岩壁の一部も見えていた。明星山は、石灰石からなる山で、クライマーには明星南壁として知られる大岩壁を持っている。林道歩きの途中、藪蚊が多い所があり、何箇所も一気に刺された。
 1時間10分の登りで、登山道の入口に到着した。登山道は草が倒れこんでいて、少し判りにくくなっていたが、林道もここで終点といった感じになっていた。
 歩き出しは、伐採地の関係か、登山道に草がたおれこんでおり、この山を選んだことを後悔することになった。先回の記憶でも草が煩かった覚えはあるので、学習能力が無いともいえる。それでも、しばらく歩くと、落ち着いた山道になった。
 甘露の清水を過ぎて登りを続けると、竜護の尾根への分岐に出た。そちらのコースは、草が被り気味であったので、直接山頂を目指した。こちらも、少し薮っぽい道であった。危険はないものの、急坂が続いた。雨は上がったものの、露を乗せた草を掻き分けるためにずぶ濡れになってしまった。登山道入口から1時間半で山頂に到着した。
 明星山の山頂には大岩があり、その上には明王と書かれた石碑が置かれていた。崖の縁に進むと、雲が垂れ込めているものの、雨飾山、金山、ドーム状の焼山を眺めることができた。今回の山旅の目的の焼山は、またもや眺めるだけで終わりそうであった。反対側には、北アルプス北端の眺めが広がっていたが、個々のピークを見分けるのは難しかった。 ひと休みの後に下山に移った。雨が止んだので、登りの時に見つけていたギンリョウソウモドキの写真を撮った。ギンリョウソウが春に咲くのに対し、ギンリョウソウモドキは秋に咲き、アキノギンリョウソウとも呼ばれる。ギンリョウソウと比べて数は少ないようで、これが二度目の出会いであった。
 下山すると、天気も回復してきたが、近くの温泉に入ってから出ると、再び雨が降り始めまた。
 やはり二日目の焼山は無理だと思い、雨の中でもなんとかなりそうな上越市の青田南葉山を登ることにして、日本海沿いに車を走らせた。三日目に晴天がやってきても、焼山への長時間山行を最終日に行うと、後の仕事にさしつかえる。また、来週に延期するべきか、迷うことになった。
 能生のカニ市場をのぞいたりしながら時間をつぶしていると、日本海の上に青空が広がってきた。土曜の天気が早めに崩れたために、天気の回復も早まったようである。ラジオで天気予報を確認すると、曇り後晴、ところにより未明に雷雨というものであった。焼山登山の可能性が出てきたので、車をユーターンさせて、焼山に向かうことにした。
 まずは、笹倉温泉をめざし、旅館の玄関前をそのまま直進すると、車道は左にカーブし、ゆのかわうちキャンプ場が現れる。キャンプ場の敷地内を通り抜けて、橋を渡った先は左折する。ダムの堰堤脇を過ぎると、つづら折りの登りが続き、このまま登山口までかと期待したものの、ゲートが現れた。脇の退避場に車を停めて、翌日の準備をした。
 一台の車が下ってきて、ゲートを開けて通った後に、再び閉めていた。言葉を交わして、明日は焼山へというと、そう不思議な顔もしないで、気をつけてと言われた。このコースを歩く登山者もめずらしくはないようである。
 このルートの一番の問題は、このゲートの位置であった。すでに市販の登山地図にも登山コースを示す赤線とコースタイムが記されているが、笹倉温泉が基点になっている。このゲートは、地図上でつづら折りが密になる、650m標高の位置であった。キャンプ場からは、標高差100mほどはかせげたので良いことにしよう。
 この位置からなら、登山口までは1時間半ほどと予想した。登山口に5時に到着するよう、3時半発とした。
 未明に出発。幸い曇り空で、周囲の山の稜線も見えていた。今回は、未明の林道歩きに備えて、強力なヘッドランプを用意してあった。暗い中の歩きは、緊張感も漂うが、それも心地よい。まずは、つづら折りの急坂ではあるが、足は快調であった。林道は、途中で枝分かれするので、暗い中でのコース確認が必要であるが、GPSのおかげで不安無く歩くことができる。途中で、谷で行われている工事現場への道が分かれた。アマナ平で左の林道に進むが、ここには焼山登山道の標識が置かれていた。予定通りに、1時間半の林道歩きで、登山口に到着した。周囲も、明るくなっていた。標高差470mの登りであったので、ここまでで、ひと汗かいた。
 登山口には、コンクリート製のシェルターが設けられていた。吹き抜けだが、場合によっては、この中で仮眠というのも良いかもしれない。このシェルターの先に、登山口があった。焼山登山道入口と書かれた標柱があり、湯川内青年会とも書かれていた。
 入口は草が深いように見えたが、しっかりと整備された登山道が続いていた。
 ひと登りで、展望台に到着した。広場になっており、焼山の山頂が目に入ってきた。左の大きな鞍部は、胴抜切戸のようであった。簡単に登れるとはいえないものの、なんとかなりそうな距離と高さであった。
 「展望台 標高1200m 大曲 60分 登山道入口 15分」と書かれた案内板も木に下げられていた。この先の要所には、同じような様式の案内板が置かれており、次のポイントまでの時間も書いてあり、歩きの助けになった。整備をした地元の熱意が伝わってくる標識である。
 展望台から大曲の間は、林道跡かと思われる幅広の道の緩やかな登りになった。歩き易い道なので、ここまで戻ればほぼ下山ということなって、時間的な余裕ができたことになる。
 大曲の標識の左手には広場があり、焼山の山頂を眺めながら、ひと休みすることができた。
 大曲から先は、トラバース道が続いた。看板によれば、一ノ谷と呼ばれるらしい浅い谷を越すと、やがて深い谷が現れた。トラバース部の行き止まり部に出て谷をのぞきこむと、ザレ場の崖にロープが垂れ下がっていた。木の枝も利用しながら、谷に下った。谷は、岩がごろごろとしていた。谷の反対側の登り口を捜すと、少し下流部にロープが下がっていた。登り返しも、足場が悪く、いやな登りになった。一般的な岩場なら梯子でも掛けられるところだが、遅い時期まで雪渓が残り、その後に現れるザレた崖なので、ロープを垂らすのが精一杯であろう。
 大谷を越して、あらくなった息がようやく落ち着いたところで、今度は地獄谷に出た。ここの下りは、そう難しくはなかったが、登り返しは難しかった。ここは、谷に下ったところから少し上流部に登り口があった。一本の長いロープが下がっているため、グループの場合には、通過に時間がかかることを想定しておく必要がある。
 結局、本コースでは、この二つの谷の通過が一番の難所であった。
 再び、トラバース気味の道をいくと、大小の岩が寄り添った坊々抱岩が谷向いの尾根上に現れた。
 この先は、沢沿いの道になり、夏草がややうるさくなった。沢沿いにもかかわらず、水は無くなっていた。途中の枝沢を含め、コース中に水場は無くなっていた。前日の雨のことも考えると、残雪の残る初夏以外は水は得られないと思った方が良さそうである。
 一旦沢の中を歩くが、少し先で左の尾根に上がって、沢に沿った登りになった。
 富士見峠の手前で、焼山方面への分岐に出た。ここには、木製の標識が置かれていた。富士見峠方面の道の様子は、道形はあるものの、夏草がややうるさい状態であった。
 分岐からは10分弱で泊岩にでた。予想と違って、避難小屋の形になっていた。ここでは、1974年、泊岩の外で幕営していた千葉大生3名が火山弾の直撃を受けて死亡した事故が起きている。泊岩の内部は、床がくさって抜けて、非常用にしか使えない状態であった。せめて、土間になっていれば良いのだが。今後、焼山の登山者が多くなるはずなので、泊岩の整備は是非行って欲しい。焼山への登山道と泊岩の整備のためというなら、入山に際しての協力費はおしまない。
 泊岩の先は、少し薮っぽい潅木帯の歩きになり、ここを抜けると、ザレ場の登りになった。疲れが足にきて、辛い登りになった。ガスも切れ始めて、登るにつれて山頂部の岩も見えてきた。背後には、金山越しに雨飾山の眺めが広がってきた。
 ザレ場と草地の混じった急斜面は、踏み跡が乱れており、下りはコースとりに要注意であった。このザレを登り切ると、西にある火口の縁に出た。火口原をつっきって、向かいの稜線上に出る。
 ここで、ようやく火口を取り巻く外輪山に出た。火口の向かいの外輪山の上に岩が乗って小高くなっているのが、山頂のようであった。赤ペンキに従い、右手の岩場に向かう。ロープと鎖の助けをかりて、中央の岩の間の窪地に登った。
 外輪山を辿ると、手前のピークの上に出た。一旦下って登り返すと、ようやく焼山に到着した。金属製の山頂標識が出迎えてくれた。三角点は、最高点になる岩の少し先に置かれていた。
 焼山は、長らく登山禁止の時期が続き、火打山や金山から憧れの目で見ていのだが、ようやく登頂することができた。かなり以前から、200名山ねらいの登山者は、火打山経由で登っていたが、地元の山ということで、解禁になる日を待っていた。
 この日の登頂者は、途中で追い抜いていった笹倉温泉コースからの単独行二人と、高谷池からの8名グループ、岩場ですれ違った雨飾温泉へと縦走する5名グループであった。笹倉温泉コースからの単独行は、話を聞いていると、ゲートをあけて、登山道入口まで車で入ったようであった。
 風が冷たいため、岩陰で腰を下ろして休んだ。ガスも切れて、影火打と火打山も見えてきた。右下には、高谷池の湿原も見えていたが、遠かった。高谷池へと同じコースを戻るのは大変そうである。高谷池からのグループもバラバラに到着しており、疲れが見えているものもいた。高谷池にもう1泊して下山のようである。焼山のピークハントだけが目的なら、笹倉温泉コースの方が日帰りで済み、楽そうである。高谷池で1泊し、焼山からは杉野沢橋に下山というのが、理想的なようであるが、それには、偵察も兼ねて杉野沢橋コースから焼山を登っておく必要がある。
 振り返ると、金山と雨飾山も見えていた。こちらも次の目標である。焼山の登頂は、新たな挑戦の幕開けである。
 火打山ルートと違って、こちらは下るだけで、時間的にも順調なため、ビールも飲んで、50分ほどのんびりしてから下山にうつった。
 下りは、二つの谷の横断が難所であったが、順調に歩き続けることができた。大曲から先は、登山道の状態も良いので、小走りの下りになった。最後の林道歩きはいささか疲れたが、3時半近くの順調な下山になった。
 時間の余裕もあったので、笹倉温泉に入ることもできた。800円と少し高かったが、登山口の温泉とあっては入らないわけにはいかない。地元の整備へのお礼の意味もある。
 三日目は、疲れも出ていることから、早めに山歩きを終えるよう、高田の青田南葉山を登ることにした。
 青田南葉山は、以前に登っているといっても、籠町南葉山からの縦走での下山という形であった。この時は、重倉山の偵察に出かけたのだが、そちらの山道は見つからなかったが、代わりに籠町南葉山への山道があり、これを辿って、結局青田南葉山から下山し、タクシーで登山口に戻った。
 高田を過ぎると、南葉高原キャンプ場への看板が現れるので、これに従って林道を進む。良く整備された舗装道路であるが、かなりの距離がある。日も暮れており、少々不安に思う頃、南葉高原キャンプ場に到着した。十五夜の夜であったためか家族連れが騒いでいたので、入口の広場に戻って夜を過した。満月が明るく輝いていた。
 キャンプ場の駐車場脇に、登山案内標識が置かれているので、コースを確認する。以前のガイドブックでは、時期によっては草が被っていると書かれていた明神沢コースも、案内板にも書かれており、歩くのに心配は無さそうであった。
 山頂への直登になる木落し坂コースは急斜面で辛そうなので、下りに使うことにして、明神沢コースを登りに使うことにした。
 キャンプ場の中を登っていくと、両コースの分岐に出た。明神沢コースは、尾根沿いに進む。キャンプ場付属の遊歩道が左に数ヶ所分かれるが、案内標識も置かれており、迷う心配はない。
 尾根沿いから右手に逸れて、トラバース道が始まる。刈り払いも行われており、歩く上では心配はないが、長くてどこに向かっているか判らなくなるような道であった。
 ようやく大きな谷に出ると、少し上部に回りこんだところで、細い木が何本か置かれた橋に出た。稜線からの距離もないため、水量も僅かであった。
 その先の台地は、美しいブナ林が広がっており、カメラを構えて、しばらく足が止まった。台地を少し進んだところで明神峠入口という標識が現れた。
 ここからようやく登りが始まったが、ひと登りで稜線上に出た。ここで、ゆったり村からの登山道が合わさった。このコースもいずれ歩いてみる必要がある。
 明神峠からは稜線伝いの登りになったが、足は重かった。コースタイムには約30分と書かれていたが、それよりも若干多い35分で山頂に到着した。やはり足には疲れがきているようである。
 青田南葉山の山頂は、広場になっており、その中央の山頂標識の周りに丸石が積まれている。少し以前になるが、山小屋の基礎のためにボランティアがこの石を持ち上げたのだが、そのままになっているようである。その奥には、南葉神社の石の祠が置かれている。鳥居も置かれているが、その前は潅木である。北を向いているので、くわどりゆったり村方面の村の信仰の対象になっていたのかもしれない。
 その脇に、「籠町南葉山 往復約2時間 一般向きです」という標柱が置かれていた。先回も、山道はあったが、青田南葉山の山頂部は薮で、入口が隠されていた。どのような登山道が整備されたのか興味があったが、早めに登山を切り上げたかったので、次回の課題にすることにした。
 下りは、木落し坂コースに向かった。しばらく台地をいくと、急坂が始まった。赤土の斜面で滑りやすく、スパイク長靴なので良かったものの、それでも一回尻餅をついた。八合目の展望台は、登山道から脇に入ったところにある広場であった。雲が垂れ込めて展望は閉ざされていた。七合目の水場で水を飲んで、元気を取り戻した。
 急坂を折りきると、キャンプ場に戻ることができた。
 天候には振り回されたが、三日間山登りを続けることができ、満足と疲労を抱いて、帰宅の途についた。

山行目次に戻る
表紙に戻る