武尊山、枡形山

武尊山
枡形山


【日時】 2008年8月23日(土)〜24日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 23日:雨 24日:雨

【山域】 奥利根周辺
【山名・よみ・標高三角点・県名】 武尊山・ほたかやま・2158.0m・一等三角点補点・群馬
【コース】 武尊牧場コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/追貝/鎌田
【ガイド】 アルペンガイド「奥日光・足尾・那須」(山と渓谷社)、山と高原地図「谷川岳・苗場山・武尊山」
【温泉】 花咲の湯 500円

【山域】 東頚城丘陵 【山名・よみ・標高三角点・県名】 枡形山・ますがたやま・299.7m・四一等三角点・新潟
【コース】 枡形山キャンプ場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/柏崎/塚野山
【ガイド】 新潟ファミリーハイキング(新潟日報事業社)、緑に親しむ新潟県森林浴の森100選(新潟日報事業社)

【時間記録】
8月22日 18:00 六日町=(関越自動車道、沼田IC、R.120、追貝、花咲 経由)=19.30 武尊牧場  (車中泊)
8月23日 7;40 武尊牧場―8:43 東俣駐車場分岐―9:12 田代湿原分岐―9:36 避難小屋―10:36 岩場―10:57 中岳南の分岐―11:30 武尊山〜11:50 発―12:15 中岳南の分岐―12:35 岩場―13:31 避難小屋―13:49 田代湿原分岐―14;16 東俣駐車場分岐―15:05 武尊牧場=(花咲、川場 経由)=17:30 玉原  (車中泊)
8月24日 =(佐山、水上IC、関越自動車道、小千谷IC、R.291、R.404 経由)=9:10 枡形キャンプ場〜9:20 発―9:27 枡形山―9:32 枡形山キャンプ場=(大積、R.8、与板、国上、弥彦 経由)=23:40 新潟
 武尊山は、谷川連峰と尾瀬の山の間に位置する山であり、この山の名は日本武尊に由来するという。武尊山は、2000mを越す標高を持ち、古くから信仰の山として開かれてきた山である。現在では、日本百名山の山として知られるようになっている。

 夏の暑さもひと段落し、体力の消耗も少なくなったということで、長時間山行でのピークハントを計画した。ところが、あいにくの雨の予報。先週末も雨であったので、ここのところ天候に関しては運が無くなっている。
 それでも、状況をみてということで、関越トンネルを越すと、霧雨がはじまった。新潟側は晴れていたので、群馬側に越境しなければ良かったと後悔したが、いまさら引き返すわけにはいかない。
 本命の錫ヶ山は無理ということで、第二案の武尊山をめざすことにした。武尊山は、日本百名山巡りを目的に、1993年6月13日に裏見の滝駐車場からの周回で歩いているだけである。武尊山には、何本もの登山道が開かれているので、再度登る必要がある。新潟からもそう遠くない武尊山が、これまで一度しか登っていなかったのも、谷川連峰と尾瀬に挟まれていることから、他の山に行ってしまうことが原因になっている。また、山裾の広い独立峰で、アプローチの登りが長いことも、敬遠のもとになっている。
 今回は、武尊牧場奥の東俣駐車場から登ることにした。沼田から追貝に向かい、蒲田の手前で花咲の湯の標識に従って、県道に入った。花咲の集落は、民宿が並んで、山奥にもかかわらず賑わった感じであった。
 走りやすい舗装道路を進んでいくと、武尊牧場の入口となる。東俣駐車場には、谷沿いの林道へと直進するのだが、土砂崩れのために通行不能ということで、ゲートが閉じられていた。
 東俣駐車場に入れないのなら、武尊牧場から歩き出すしかない。登山地図を見ると、1時間50分ほど余計に歩くことになるようである。夏山リフトも運行しているようだが、小雨では運行するか判らないので、運転開始時間まで待つことなく、歩いて登ることにした。
 武尊牧場は、スキー場だけあって、広い駐車場が設けられており、一段下に車を置くことができた。念のためにとリフトの開始時間を確かめようとしたが、どこにも掲示されていなかった。リフトに乗るつもりはなかったため、リフトの時間は調べていなかった。帰宅後調べると、8時半始発のようであった。
 霧雨が降る天気で、いつまでも薄暗く、雨具を着込んで歩き出す時には、7時40分になっていた。停めてある車を見ると、先行者が一名、かなり早立ちをしているようであった。到着して、そのまま引き返していく車もした。
 スキー客用の、屋根のついた階段を登ると、花壇で飾られた武尊牧場の看板前に出た。登山道の標識に従って、牧場の有刺鉄線の柵脇を登ると、迂回してきた車道に飛び出した。この先は、この舗装道路歩きがしばらく続いた。大きくカーブしながら登っていく道は、なかなかきびしく、息が上がってきた。リフトも試運転で動き出してきて、運行開始まで待つべきであったかと後悔した。
 夏山シフトの下をくぐると、ショートカットの登山道の登りになった。「次は終点です。セイフティーバーを上げてください」というアナウンスが、霧雨が静かに降り注ぐ山に繰り返し響いていた。左手の柵向こうには、牛が草を食べていた。
 リフト一本を登りつめた台地には、ロッジ牧場という食堂があったが、夏は休業のようであった。夏山リフトはもう一本乗り継ぐようだが、霧がかかって、どのように続いているかは見えなかった。そのまま直進して、コンクリート舗装の道を登り続けた。傾斜が緩んで、リフトの終点部となる三合平に近づくと、ヤナギランが群生していたが、すでに花は終わりかかっていた。
 三合平に到着して恐れていたのは、リフトを使って登ってきた登山者に出会うことだったが、人影は無かった。夏山リフトは、スキーの時よりもスピードは遅いので、リフト二本分となると、30分以上はかかるはずである。やはり歩いて登った方が早いということであった。
 三合平一帯は、レンゲツツジの花でも有名であるが、夏の終わで時期外れである。白樺の木が、ガスが流れる中、美しい風景を作っていた。
 コンクリート舗装の道を緩やかに登っていくと、東俣駐車場からの道が合わさり、ここから登山道が始まった。始めは木道が敷かれていたが、古びて滑りやすそうになっていた。
 ブナ林の中に続く登山道を歩いていくと、映画「眠る男」のロケ地に出た。コンクリート作りのサークルが映画の撮影に使われた泉のようであった。群馬県人口200万人到達の記念碑、「精神的モニュメント」として製作された小栗康平監督の映画であるが、キャンプファイヤーのサークルの残骸としか見えない。周囲のブナ林にはそぐわず、映画の撮影が終わったなら、撤去しておいて欲しいしろものものである。
 登山道は、その先も緩やかな登りが続いた。このコースは標高をかせぐというよりは、距離をかせぐ歩きが続く。登山道には、泥田状態の水溜りが各所でできており、長靴での歩きは正解であった。
 田代湿原への道を右に分けて、もうひと登りすると、避難小屋に到着した。三角屋根のしっかりした作りの小屋であったが、上の窓が破れ、扉が閉まらずに開けっ放しになっていた。武尊山自体は、日帰り可能な山であるが、山岳人口の多い群馬県の避難小屋は、管理が行き届いていないようなのは残念である。そのすぐ上で、もう一本の田代湿原への道が分かれた。
 樹林相も針葉樹に変わり、さらに登るにつれて背も低くなっていった。左手に草原が広がるようなって登りついたところが、登山地図にあるセビオス岳のようであるが、現地には標識はなかった。
 ようやく前方にピークが立ちはだかるようになると、岩場が現れた。垂直に近い岩場であるが、石柱状の岩が積み重なっているので、足場は豊富であった。といっても雨で岩が濡れているので、鎖を掴んで慎重に登る必要があった。右手の岩溝に沿って登るが、足場の段差が大きいところがあり、少し苦労した。中間部で左手に移動し、潅木帯の脇を登ると、第一の岩場を通過できた。その先でもう一箇所の岩場が現れたが、こちらは、ステップが階段状にできていたので、鎖にはそれほど頼らずに通過できた。武尊牧場からのコースは初心者用ということであるが、ここの岩場の通過は、ハイキングレベルの登山者には難しいかもしれない。
 中ノ岳のピークを左に巻きながら進むと、前岳からのコースと合わさった。その先に、笹清水の水場があった。パイプから水が流れ出ていたが、山頂まではそれほどの距離はなく、雨の中のために水量が増しているものの、盛夏には涸れている可能性もあった。菩薩界の水という標識も吊るされており、この山の信仰集団からは、別な名前で呼ばれているようである。二重山稜の地形に出ると、三段に分かれた池が現れ、これが三ツ池であった。その上に、もうひとつ小さな水溜りがあり、登山道を水浸しにしていた。行きは脇をうまく通過したが、帰りは、足を滑らして水に落ちて、長靴の中に水を入れてしまった。ガレ場のトラバースもあり、山頂まではもうひと頑張りする必要があった。
 最後にひと登りして到着した武尊山の山頂では、二人連れが、風を避けて休んでいた。山頂標識や石碑の写真を撮っていると、どこから登ってきたかと尋ねられた。牧場からと答えたが、休んでいる間に下っていくのを見ると、剣ヶ峰山との分岐で、ガイドブックを出して、コースを確かめていた。裏見の滝から手小屋沢避難小屋経由で登ってきて周回するために、コースを確かめたかったようである。誰もいなくなった山頂で、静かにビールを飲みながら休んだ。霧雨は、断続的に続いているが、歩くには支障のない状態であった。大粒の雨が降り注ぐ本降りであったなら、標高も高いこともあり、樹林限界を超した最後の登りは難しくなったかもしれない。
 登りの途中、三ツ池で単独行が下ってくるのにすれ違っていたが、下りの途中、ガレ場のトラバース付近で十数名の団体、その後に単独行、前岳分岐で腰を下ろして昼食をとっている十数名の団体とすれ違った。
 カメラを取りだしても、レンズが曇ってしまうので、風景や花の写真は諦めて下りに専念することにした。鎖場を過ぎれば難所はないといっても、次第に足も草臥れてきた。
 東俣駐車場からのお気軽登山を想定していたのだが、下山は3時になっていた。駐車場には、小型の観光バスが一台停まっており、「武尊山・皇海山ツアー」と書かれていた。武尊山からの下山も遅くなりそうなうえに、雨の中を明日も皇海山に登るのだろうか。不動沢のコルからだろうが、林道の落石が一番怖い。
 以前から看板だけ見ていた花咲の湯に入り、濡れて冷えてきた体を温めた。翌日の天気予報は、雨で、今日よりも悪くなりそうであった。山の計画も考えていなかったのだが、とりあえず、玉原に入って夜を過すことにした。玉原の駐車場なら静かに寝ることができる。玉原湿原から鹿俣山を登って、軽く登山を終えるつもりであった。
 夜中から本降りの雨になって、登山の戦意も喪失となった。朝になっても、車の外に出るのも嫌になるような雨であった。登山は諦めて、新潟に引き返すことにした。
 水上から高速に乗ると、ETCの割引のきく100km圏内は小千谷になる。小千谷で高速を下りた後に寄り道をするとして、枡形山を思いついた。
 関越トンネルを越えて新潟県側に入っても、本降りの雨であった。枡形山へは、ハイキングコースも設けられているが、山頂直下のキャンプ場まで車で上がってしまうことにした。
 山の南側を通る県道72号線に進むと、枡形山への林道が分かれる。始めは未舗装であるが、すぐに舗装道路に変わる。急勾配のヘアピンカーブが連続し、車の運転には注意が必要である。対向車が来ると、すれ違いも難しいが、幸い、雨の中とあっては、登っている者はいるはずがない。山頂手前には、立派な駐車場が設けられて、キャンプ場の管理棟が建てられている。
 雨具を着て、傘をさして歩き出した。登り口付近は、炊事棟も設けられたキャンプ場になっている。曲輪跡のような地形が広がっており、ひと登りで山頂に到着する。奥に長い山頂で、芝地になっている。晴れていれば、信濃川の流れも見下ろすことのできる山頂であるが、ガスがかかって展望は閉ざされていた。
 この枡形山も上杉家縁の山城で、宇佐美駿河守とや甘粕近江守が城主であったという。 とりあえず、山登りを成立させたものの、この後も雨は弱くならず、山登りの意欲もなくなり、家にそのまま戻ってしまった。

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