三岩岳、坂戸山

三岩岳
坂戸山


【日時】 2008年7月20日(日)〜21日(月) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 20日:晴 21日:晴 

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 三岩岳・みついわだけ・2065.0m・三等三角点・福島県
 窓明山・まどあけやま・1842.3m・三等三角点・福島県
 巽沢山・たつみさわやま・1162.1m・三等三角点・福島県
【コース】 小豆温泉登山口より保太橋登山口へ
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/檜枝岐/檜枝岐、内川
【ガイド】 アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、新・分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、南会津・鬼怒の山50(随想舎)
【温泉】 古町温泉赤岩荘 600円

【山域】 巻機山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 坂戸山・さかどやま・633.9m・二等三角点・新潟県
【コース】 薬師尾根から城坂遊歩道へ
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/六日町
【ガイド】 新潟の里山(新潟日報社)、新潟県ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【時間記録】
7月19日(土) 16:00 新潟=(R.49、安田IC、磐越道、会津坂下IC、R.49、会津坂下、会津本郷、芦ノ牧温泉、R.118、湯野上、R.121、会津田島、R.289、南郷、内川、R.352 経由)=21:00 小豆温泉  (車中泊)
7月20日(日) 4:55 小豆温泉―5:20 徒渉点―6:40 旧道分岐―8:14 避難小屋―8:59 三岩岳―9:25 最高点〜10:45 発―11:07 三岩岳―11:42 避難小屋―13:18 窓明山〜13:26 発―14:35 家向山の肩―15:21 巽沢山―15:55 保太橋登山口―16:10 小豆温泉=(檜枝岐、R.352、R.401、R.289、只見、R.252、R.290 経由)=20:00 小出  (車中泊)
7月21日(月) 5:30 小出=(R.7 経由)=6:40 坂戸山登山口〜7;20 発―8:06 寺ヶ鼻遊歩道分岐―8:21 坂戸山―8:40 大城〜8:51 発―9:05 坂戸山―9:19 桃ノ木平―9:49 一本杉―10:10 坂戸山登山口=(R.7、小出IC、関越自動車道 経由)=14:30 新潟
 南会津には、会津駒ヶ岳から三岩岳、窓明山、坪入山、高幽山、丸山岳を経て会津朝日岳に至る長大な脊梁山脈が横たわっている。会津駒ヶ岳は日本百名山として、また会津朝日岳は二百名山として、登山者の人気も高いが、他の山は忘れられた存在になっている。その中でも、三岩岳は、一般登山道が整備されており、比較的多くのガイドブックに取り上げられているが、1995年秋の福島国体山岳縦走コースとして、窓明山から家向山を経て下山する周遊コースが整備されている。

 坂戸山は、巻機山から金城山を経て西に延びてきた尾根が、魚野川に落ち込む末端にある山である。上杉長尾氏の山城が置かれた史跡の山として知られている。地元では、健康登山の山として親しまれ、最近では、カタクリの山として人気も高くなっている。来年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続の育った城として注目をあびるようになっている。

 海の日を含む三連休は、夏山開始となってどこの山も混み合う。例年だと飯豊にテント泊で入っているが、今年は仕事が入って二日の休みになった。ここのところヒナザクラばかり見ているが、ハクサンコザクラを見たくなった。ハクサンコザクラの咲く静かな山を考えていく、三岩岳を思いついた。先回登ってからは、10年が経っている。そろそろ再訪する時期であろう。
 夕刻家を出て、途中で夕食と温泉入浴、買い物を済ませて小豆温泉にはそう遅くない時間に到着した。登山口の駐車場は、車の出入りで落ち着いて眠れない可能性があるので、少し離れたところに車を停めて寝た。
 夜中の間も行き交う車は多かった。窓明山への周回で歩こうとすると、コースタイムも長くなるため、早朝発とした。先回、暑さのために登りに苦労したため、少しでも早い時間にと思ったが、後で記録を確かめると、さほど変わらない時間であった。
 スノーシェッドの途中から小豆温泉への道に曲がると、出口に登山者用の駐車場がある。10台ほどの車がすでに停められていた。もっとも、山中で出会った登山者から考えると、登山者の車は数台のようであった。
 檜枝岐と反対側のスノーシェッドの切れ目が登山口で、まずはその上に登る。スノーシェッドの屋根を歩いていくと、右手に登山道が始まる。
 ブナの原生林の中の谷沿いの道がしばらく続く。黒檜沢の徒渉点は、以前は壊れかかった鉄の橋だったと思うが、コンクリートブロックの踏み石に変わっていた。増水時には、ここの徒渉はできず、尾根沿いの旧道を通るようにと、ガイドブックにも書かれている。水量も少なく、そのような事態は想像するのが難しいのだが、沢の増水には注意する必要がある。
 徒渉点をすぎてもしばらく沢沿いの道が続くが、ようやく本格的な登りが始まった。この日も暑く、オーバーペースにならないように注意が必要になった。尾根沿いの登りになると、谷向こうに旧登山口の通っている尾根が見えるようになった。三岩岳付近の稜線も木立の間からうかがえたが、その高みまではまだまだ登り続けなければならなかった。
 トラバースにうつると、水場が現れた。これ幸いと水を充分飲んでいくことにした。この後も数ヶ所水場が現れ、夏の暑い盛りの登山には有りがたかった。
 旧道の合わさる尾根に出て、ひと息入れた。分岐には、立派な登山案内図が置かれていた。参考になる標識であるが、登山口にあったのだろうか。見落としたかもしれないが見ていない。
 この先も、一本調子の登りが続いた。GPSのトラックデーターでは、標高50mおきにポイントをうってあるので、それをひとつずつ追っていく登りが続いた。目標物が無い状態の登りは、体力を余計に消耗するので、こういった使い方は、GPSの効用といってよい。
 避難小屋まであと少しというところで、池塘も広げた小さな湿原が現れ、ハクサンコザクラの花も広がっていた。写真撮影のために、足が止まってしまった。この後のハクサンコザクラの期待が高まったのだが、実際は、三岩岳までに現れる湿原では、ハクサンコザクラは見当たらなかった。時期的には少し遅いため、残雪との関係で、ここだけ花が残ったのかもしれない。
 ここからはひと登りで、避難小屋に到着した。小屋の前に、パイプを差し込んだ水場が設けられていた。その上が、窓明山への分岐になる。まずは、三岩岳の山頂を目指した。 この先は、幾つかの小湿原が点在する。山名の由来の三岩や会津駒ヶ岳に連なる稜線を眺めることができた。ただ、気温が上がったためか、遠くの山は霞んでいた。
 三岩岳の山頂は、三角点脇に山頂標識が置かれ、その下に数名が腰を下ろすだけのスペースが設けられている。三っつの岩が連なる尾根を見下ろす眺めは良いものの、ここまでの登りの苦労を考えると、少し物足りない感じがする山頂である。
 三岩岳の山頂は、三角点の置かれた場所とされているが、最高点はさらに奥にある。1998年5月31日に会津駒ヶ岳から三岩岳への縦走を行っている。この時は、残雪縦走のはずが、雪融けが進んで、三岩岳への登りでヤブコギに苦労した。薮を突破して三岩岳の最高点を越すと、湿原が現れて、地獄から天国に出たような思いがした。三岩岳の再訪の際には、この湿原を再び訪れたいと思っていた。時間的にも問題ないようなので、先に進んだ。
 本格的なヤブコギが始まった。木の枝を掻き分けるのに、その場からしばらく動けないような遅々とした歩きになった。先回は、この付近は人が通った跡もあり、比較的歩きやすい印象があったのだが、歩く者はまったくいないようであった。
 笹薮を辿って南の斜面にでると、その先で草原に出ることができた。先回と比べれば短いヤブコギであったが、天国に出た感じがやはりした。
 池塘が点在し、ワタスゲの白い穂が揺れていた。イワイチョウの葉が絨毯のように広がっており、ハクサンコザクラも咲いていた。草原の向こうに、三岩岳の最高点が高まりを見せており、まずは最高点を目指すことにした。
 再び密薮のヤブコギになった。最高点に到着したが、人工物のようなものは見当たらなかった。越後駒ヶ岳方面の眺めを得るため、下り斜面に進んだ。薮の丈の低いところから写真を撮った。下った先の鞍部には草原が広がっているが、その間の薮は、残雪の助けをかりないと突破できない。駒ヶ岳から中門岳に至る稜線は、まだ豊富な残雪を抱いていた。
 ヤブコギをして草原に戻り、大休止とした。各地の山は大混雑であろうが、独り占めの湿原でビールを飲む気分は最高であった。ハクサンコザクラの花の写真を撮った後に、三岩岳に戻ることにした。この湿原を訪れる登山者は、残雪期を除けば、まずいないのであろう。ここまで登山道を延ばせば、三岩岳の価値も高まると思うが、薮の試練を突破できる者だけが眺めることのできる宝物ということで良いのかもしれない。山頂から湿原までは100mの距離であるが、15分ほどのヤブコギになる。
 三岩岳の山頂に戻り、下っていくと、他の登山者にもすれ違うようになった。三岩岳は、それなりに人気のある山になっている。
 避難小屋に戻り、そこの水場で水分を補給した後、窓明山に向かった。しばらく下降が続くが、沢水が流れ込んでいたりして、歩きにくかった。急坂を折りきると、吊尾根の歩きになって、展望も開けるとともに歩きやすくなった。
 窓明山が、前方に大きな姿を見せているが、歩いてみると、登り返しはそれほどきつくはない。三岩岳は、ここを歩かないと、充分に味わったとはいえない。
 小さな草原を越して最後の登りに汗を流すと、窓明山の山頂に登りつく。山頂手前に湿原が広がり、キンコウカとトキソウの花が咲いており、また足を止めることになった。そのすぐ上で保太橋登山口への下降点となり、その先が窓明山の山頂になる。東斜面が刈り払われて展望が広がっている。これから歩く尾根が長々と続いていた。
 ひと休みの後、下りに専念することにした。道はしっかりしており、登山者は少ないためか落ち葉のクッションもきいて歩きやすかった。このコースの難所は、家向山の肩に向かっての登り返しである。それもなんとかこなして、下りを続けた。最後には、かなり足にきて、保太橋登山口に下り立った。ここの登山口には、登山標識はなく、山開きの旗が目印になっているだけである。
 車に戻り、小豆温泉に入ろうとしたが、850円と高いため、他の温泉に向かった。登山の後の温泉ではなくなっている。
 三岩岳の歩きはかなり体に堪えて、翌日の山は、簡単に済ます必要があった。坂戸山を登ろうと思い、六十里峠を越して小出に入り、そこで夜を過した。
 早朝に坂戸山の駐車場に到着して驚いたことは、駐車場がすでに満杯状態であることであった。朝食をとりながら見ていると、下山してくる登山者と歩き始める登山者が幾人もいた。ザックを背負うものはまれで、ペットボトル片手の軽装の者が多かった。坂戸山は、早朝登山の山として地元民に親しまれているようである。
 すでに気温が上がっており、辛い登りになりそうであった。麦わら帽子を被って、暑さ対策をした。まずは、薬師尾根を登ることにした。登山道は充分に整備されているが、一本調子の登りが続き、見た目よりも体力を必要とする。西斜面のため、日差しは和らいでいるはずであるが、山の向こうから差し込む日差しが、強烈な暑さを与えてくれた。汗がしたたり落ちるようになった。いつもの登山装備をいれたままのザックを背負ってきたこともあるが、軽装の地元登山者には追い抜かれる状態になった。
 ようやく寺ヶ鼻遊歩道との分岐に出て、ここは左折。山頂までは、まだ頑張る必要がある。鎖も掛けられた岩場を乗り越すと、ようやく山頂到着になる。今回は、まだ歩いていなかった支城の大城に足を延ばすことにした。大城に向かっては、展望の良い細尾根が続く。途中で、横掘の跡も見られ、山城であったことが判る。
 小城は木立の中で、それと知らずに通過し、大城に到着する。草原の台地となり、その中に二ヶ所ほど、高台になった曲輪跡と思われる遺構が見られた。その上に立つと、八海山の展望が大きく広がっていた。台地の縁に立つと、坂戸山の山頂を良く眺めることができた。
 坂戸山の山頂に戻り、お堂を見ると、戸が開け放たれて、中では横になって寝ている者がいた。山頂からは、六日町の市街地を見下ろすことができ、標高以上に高度感のある眺めが広がっている。
 下山は、桃之木平経由で下ることにした。曲輪跡を抜けて、裏坂戸遊歩道に道から分かれて、左に杉林の中を下っていくと、草原が広がる桃之木平に出る。その先は、つづら折りの下りが続くようになる。良く整備された登山道が続いているが、暑さにうだるようになってきた。砂防ダムの堰堤を過ぎると一本杉に出て、この先は右に林道を辿る。
 迷い込んだような普通の身なりの観光客が坂戸山への道を聞いてきた。この日の猛烈な暑さでは、登頂は無理と思えた。家に帰ってからニュースを聞くと、魚沼地方は、35度の猛暑になっていたようである。
 スキーゲレンデを横切った後、杉林の中をショーットカットすると、石垣だけが残る御館跡に出て、すぐ先で駐車場に戻る。
 時間も早かったため、雲洞庵を見学してから家に戻った。

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