村杉岳、赤崩山

村杉岳、赤崩山


【日時】 2008年5月3日(土)〜5日 2泊3日及び日帰り
【メンバー】 6名グループ
【天候】 3日:晴 4日:晴 5日:曇り

【山域】 奥只見
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 村杉岳・むらすぎだけ・1534.6m・三等三角点・福島県
【コース】 奥只見丸山スキー場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/八海山、須原、小林/奥只見湖、未丈ヶ岳、会津朝日岳
【ガイド】 なし

【時間記録】 5月3日(土) 5:30 新潟=(関越自動車道、小出IC、R.352、シルバーライン 経由)=10:45 奥只見丸山スキー場―13:15 1125mピーク  (テント泊)
5月4日(日) 4:29 1125mピーク―4:44 1070.9mピーク―5:10 送電線鉄塔―5:35 上大鳥橋―9:44 1395mピーク―10:26 村杉岳〜11:02 発―11:21 1395mピーク―13:41 上大鳥橋―14:43 送電線鉄塔―16:16 1070.9mピーク―16:40 1125mピーク  (テント泊)
5月5日(月) 6:07 1125mピーク―8:04 奥只見丸山スキー場=(シルバーライン 経由)=8:52 石抱橋―10:33 赤崩山〜10:52 発―11:33 石抱橋=(往路を戻る)=15:30 新潟
 村杉岳は、只見川と白戸沢に挟まれ、田子倉ダムに半島のように突き出た「村杉半島」と呼ばれる山塊の最高峰である。奥只見ダムから大鳥ダムへの電源開発道路が、西山麓を通過しているが、雪の季節には、雪崩と急斜面のトラバースの危険性があるため、容易に人を寄せ付けない。

 今年の五月連休の山は、村杉岳を目指すことになった。村杉岳へのアプローチに使われる電源開発道路は、雪崩と川まで落ち込む急斜面のトラバースが続き、予測できない危険が伴う。この林道歩きを避けるコースが見つかったと室井さんが話を持ち出したのは、昨年の春であった。奥只見丸山スキー場から北に尾根を辿り、1070.9mピークから北東に尾根を下り、上大鳥橋を渡って村杉岳に取り付くというプランであった。この計画に賛同したが、この山行のための時間が取れずに、そのままになっていた。とりあえず、雪の無い時であったが、丸山に登って、スキー場の様子を確かめておいた。
 当初の予定は、1日目に上大鳥橋まで下降して、広河原でテント泊。2日目に空身で村杉岳を往復した後、テントを撤収して1125mピークまで引き返し。3日目は、日向倉山、赤崩山を経て石抱橋に下山というものであった。雪の付き方、疲労の具合、天候によって、この計画は大きく変わったが、オリジナルコースで村杉岳登頂という目的は果たすことができた。
 登山口と下山口が異なるため、石抱橋脇の駐車スペースに車を置いて、宇都宮からの一行を待った。快晴の朝になって、石抱橋の上に立つと、北ノ又川の上流には越後駒ヶ岳が真っ白な姿を見せていた。里では、すっかり新緑の季節になっているが、ここ奥只見では、厚い残雪に覆われている。
 室井さんの車に乗って、只見丸山スキー場向かった。シルバーラインを走る車は多かったが、丸山スキー場に到着してみると、スキー場下の駐車場は満杯になっており、ダムの下の観光客用駐車場に誘導された。この駐車場も相当な広さであるが、奥まで入り込んでようやく車を停めることができた。この駐車場からスキーゲレンデまではかなりの距離があるため、無料のシャトルバスが運行されていた。リフトを利用しない登山者でも乗せてくれるのかなと思ったが、何も言われずに乗ることができた。連休の奥只見丸山スキー場がこれほどの込み具合になるとは知らなかった。
 今年最初になる泊まり装備を入れたザックは重たく感じられた。その上、熱気が押し寄せてきた。かなりの気温になっているようであった。
 気になる雪の状態を見ると、稜線部は白いままであるが、谷間に近いところの雪は消えていた。レストハウスの売店の人から、釣り人や登山者が電源開発道路経由で入っているという話も聞いた。電源開発道路を歩こうかという話も出たが、それでは三日目の予定が立たない。しかし、尾根を下降した場合、道路近くではヤブコギになるのは必至で、泊まり装備では、二日目に登り返せない。
 結局、1日目は1125mピークまでとし、二日目に軽装で村杉岳を往復するという計画になった。これならば、定着テントになって、テント設営や撤収の手間が省ける。  スキーコースは、スキヤーやボーダーで賑わっていたので、右手の尾根に取り付いた。ひと登りで、スキーコースに出てしまったので、コース沿いに歩くことになった。不思議なのは、スキーコース上よりも、脇の自然のままの雪原の方が、締まっていることであった。台地状地形に広がるブナ林の中を歩いた。
 ゲレンデ中央部のレストハウスを過ぎたところで、ゲレンデから離れると思っていたのだが、1125mピークの鞍部に向かってスキーコースは続いていた。結局、鞍部まで上がった所で、ゲレンデから分かれることになった。
 ブナ林の斜面を登り、ピークを越した所をテン場にした。時間はまだ1時であったが、その先に進んでも、意味がなくなる。
 テント設営を終えてから、周囲の展望を楽しんだ。西の大鳥沢越しに未丈ヶ岳、南東の奥只見湖越しに会津駒ヶ岳から坪入山への稜線、只見川を挟む東に梵天岳と会津丸山岳を望むことができた。散歩がてらに北へ稜線を辿ると、翌日の目標の山、村杉岳が雪を頂いた丸い山頂を見せていた。
 雪融けが進んで現れた薮の中には、イワウチワが花盛りになっており、タムシバも雪に負けない白い花を広げていた。
 時間は早かったが、食事をゆっくりしていると夜になった。翌朝は、4時起床であったが、充分な睡眠時間は確保できた。
 朝起きたら、朝食をとらずにそのまま出発。途中、行動食で食事をとることになるが、朝はほとんど食べないので、さほど問題はない。薄暗い中を出発した。
 幅広の稜線を緩やかに下っていくと、1070.9mピークに到着した。下降点は山頂の少し手前であるが、残雪の具合を偵察するために山頂に進んだ。村杉岳の山頂は目の前で、登る予定の尾根も良く見ることができた。雪融けは進んでおり、雪原歩きの前にかなりのヤブコギを強いられそうであった。室井さんが、崖際の薮に、三角点を見つけた。点名「枯松」の三等三角点である。久しぶりに人の目に触れた三角点であろうが、崖にせり出すようになっており、近いうちに雪庇の崩落とともに失われそうである。
 いよいよ上大鳥橋への標高差500mの下りである。雪もほどほどに柔らかく、かかとを蹴りいれながらのダウンヒルなった。途中で尾根の方向が微妙に変わるが、GPSの助けも借りて問題なく下ることができた。
 鉄塔の先の744mピークを越えると、急斜面となり、薮が広がった。地図には鉄塔から橋に向かって破線が記されているので、巡視路があるかと期待したのだが、そのような道は見当たらなかった。密薮の中央突破になった。
 橋が眼下に見えて、到着と安心したものの、道路脇の切り通し状の崖の上に出た。下り口を捜す必要があったが、木の枝につかまって道路に下り立つことができた。
 橋の袂で、三名の釣り人に出会った。道路の状態を尋ねると、切り落ちているところもあるが、踏み跡が付いているので、通過はそう難しくはないとのことであった。五月の連休ともなると、釣り人も多く入るので、道路を使っても良いのかもしれない。
 上大鳥橋は、青く塗られた立派な鉄橋であった。右岸は河岸の広場になっており、テン場にも良いところであった。小さな沢が落ち込んでおり、良い水場になっていた。これで、引き返しの際の水の心配はなくなった。朝食を取りながらひと休みした。
 気になる村杉岳の取り付きである。登りに使う白滝沢右岸尾根には、檜枝岐村と只見町の境界線が走っているが、その末端部は切通しになっているようであった。白滝沢もすぐに谷が深くなっていくので、取り付きには使えない。572m点を過ぎた先で、小さな沢が残雪に埋もれた状態で落ち込んでいた。残雪の上をひと登りして、右手の尾根に取り付いた。尾根の中央部に進むと、驚いたことに、林道跡が現れた。これを辿ると、台地に出た。目指す尾根は左手なので、薮に取り付いたが、ひと登りで再びこの林道跡に出た。林道跡は、大きくカーブして登ってきたようであった。
 この林道跡を辿ると、尾根に近づいたが、再び右手の谷にトラバース気味に逸れていった。折り返すように続いていることを期待して辿ってみたが、そのうちに緩やかに下っていくようになったので、引き返した。白滝沢左岸にも、林道跡のようなものの入口があったので、林道跡は、白滝沢を大きく巻くように続いているのかもしれない。少しだけでも、歩きの助けになったことに感謝した。
 ここから、いよいよ、ヤブコギの開始になった。尾根の頂稜部は薮が濃かったので、右に少し外して登り続けることになった。潅木が主体で、手ごわい薮であった。それでも、島状の残雪が現れてきて、そのうちに雪原歩きが始まるだろうという期待も高まってきた。
 結局、860m標高で薮から開放された。その先は、ブナの巨木が並ぶ原生林が広がっていた。薮が出ている所もあって、コースを細かく変える必要はあったが、雪原歩きなので、歩いていても気分は良い。  1395mピークから南に落ち込む尾根に出る手前が急斜面になっている。その手前のブナ林にテントが張ってあるのが目にとまった。持ち主は、山に出かけているようで、無人であった。確かに、ブナ林の中の良いテン場であるが、ここまで登るとなると、途中のヤブコギの苦労も大きくなる。
 急斜面の雪は消えており、再びヤブコギを頑張ることになった。右手に迂回した室井さんは、雪原を拾えたというが、尾根上に出たのは同時であった。
 この先は、幅広の雪稜が続いており、村杉岳の登頂もほぼ確実なものになった。振り返ると、青い湖面を広げた奥只見湖を見下ろし、その向こうには、平ヶ岳から燧ヶ岳に至る尾瀬の山並みが広がっていた。村杉岳頂上からの眺めを楽しみに、登りの足に力を込めた。
 1395mピークで、下山してきたテント泊の三名グループとすれ違った。1395mピークからは360度の展望が広がっていた。一通りの写真を撮ったが、やはり気になるのは、村杉岳であった。僅かに下った先に、丸みを帯びた山頂を持ち上げていた。山頂手前は傾斜が増すようだが、この日の柔らかい雪の状態なら、キックステップで問題なく登れるはずである。
 山頂に引き寄せられるように、村杉岳への最後の登りに取り掛かった。雪原の登りが続き、息も上がってきたが、気分は爽快であった。
 村杉岳の山頂は、台地状で、最高点部は薮が出ていた。ザックを置いて薮に入り込むと、三角点を見つけることができた。その上には、青く塗られた金属プレートが置かれていた。GWVと書かれていたので、群大ワンダーフォーゲルのものであろうか。
 ゆっくりと周囲の眺めを楽しむことにした。快晴のもと、白く輝く雪原と群青色の空が広がっていた。未丈ヶ岳も少し下になり、その向こうには、越後駒ヶ岳と中ノ岳が並んでいた。その左の日向倉山越しには、荒沢岳が大鷲が翼を広げたような姿を見せていた。越してきた1395mピークの先には、平ヶ岳が平らな山頂を見せ、それと対照的なピラミッドの山頂は、燧ヶ岳である。至仏山や景鶴山、日光白根山の山頂も見分けることができた。会津駒ヶ岳から坪入山を経て、長々と稜線は続き、秘峰の会津丸山岳は目の前に聳えていた。その先は、会津朝日岳の鋸刃の稜線が続いていた。北には、猿倉山が雪を落とした黒々とした岩壁をめぐらしてそそり立っていた。さらに、その左手には鬼ヶ面山を従えた浅草岳。その左には守門岳も並んでいた。毛猛山塊もすぐ近くに見えていた。昨年苦労した山であるが、雪融けもすっかり進んでいるようであった。村杉岳は、会津と越後の山を同時に見渡せるピークであった。以前話題になった、雑誌「岳人」の特集のマイナー10名山の毛猛岳と会津丸山岳の中間に位置することからも、この村杉岳の秘境度が判るというものである。
 雪原に腰を下ろして、昼食とした。行動二日目とあって、菓子パンの粗末な食事だが、この展望が一番のご馳走である。昼寝でもしていたいのどかな山頂であるが、帰りのことを考えると、そう長居はできない。
 決められた休み時間は過ぎ、再び訪れることは無いであろう山頂を後にした。
 下りの足は速く、あっという間に、中腹のブナ林に戻ってしまった。登りの時と違って、新緑が太陽に照らされて輝いていた。コースから反れて、しばらくブナ林の中を散策した。人が入る山では、大木であるほど悪戯書きが目立つが、ここのブナには、人工的な傷は全く見られなかった。
 雪原も終わっていよいよ薮に突入という所で、ひとグループが登ってくるのと出会った。先頭者の顔を見ると、所属する峡彩ランタン会の一行であった。五月の連休は、めいめいのグループ山行でということで、年間計画には出ていない。例会で報告されていただけのはずなので、この山行については知らなかった。この日の入山は、三組で、そのうち二つは峡彩ランタン会関係というのは、面白い。
 薮も、下りはずいぶんと楽である。下方に雪原を見つけて、それを辿ることができるのも良い。
 車道に降り立って、さっそく水を飲もうとして沢に向かうと、増水して濁っていた。朝に水を汲んだ小さな沢も、濁っており、結局、側溝の水を汲んで飲むことになった。休んでいる間にも、小さな沢の流れは、コーヒー色にまで濁ってきた。上流で土砂の流出が起きたようである。
 橋を渡ってから、車道脇の崖を登るのに少し苦労した。その後しばらくは、ヤブコギ。雪原に出て、歩きは楽になったが、体力は限界に近くなってきた。1070.9mピークにようやく戻ったものの、その後の緩やかな登りが苦しくなった。テントにようやく帰り着いた時は、しばらく体が動かなくなった。
 結局、村杉岳へは、12時間の往復であった。
 この日の歩きで、体力の限界まで追い込まれ、翌日の山行にも不安が出てきた。未丈ヶ岳方面の雪融けの具合も気になった。行けるところまででもいいやということで歩くことにした。
 翌朝は、真っ赤な朝焼けになった。天気の崩れが予想された。テントを撤収して歩き出し、丸山スキー場の上部を目指していくと、スノーモービルに乗ったパトロールがやってきた。言葉を交わすと、昼過ぎから雨になると教えてくれた。日向倉山経由で下山するには、夕方になるはずである。雨の中のヤブコギは辛いということで、あっさりと諦めて下山することにした。体力の限界も感じており、山行中止のきっかけを求めていたということもある。下山後、一応赤崩山に登るということで、相談はまとまった。
 この日の奥只見丸山スキー場は、天気の関係か、初日に比べると空いていた。  銀山平の石抱橋に戻り、最低限の荷物を持って、再び登山の開始。河畔を歩き、小さな沢を渡った先の尾根が登りに使う尾根である。この尾根は、右手に雪堤が残りやすいようである。
 沢を越すときに、スノーブリッジを踏み抜いて、片足が落ち込んだ。危険な沢ではないが、注意が必要である。
 尾根の末端部は薮が出ており、しばらくはヤブコギが続いた。人がそれなりに通るのか、比較的歩きやすい薮である。そのうち、雪堤歩きが続くようになる。
 高度が上がると、背後に荒沢山の山頂が次第に姿を現してきた。
 登りは問題はないんだが、二ヶ所で枝尾根と合流するので、下りは注意が必要である。1時間40分ほどで、赤崩山の肩に到着。ここからは、北ノ又川の上流部に、越後駒ヶ岳と中ノ岳が並ぶ姿を眺めることができる。お気に入りの眺めである。曇り空ながら、展望は利いていた。
 ひと休みの後、赤崩山への最後の登りに取り掛かった。赤崩山は、雪原となって、周囲の展望が開けている。気になる日向倉山への稜線であるが、数箇所で薮が出ていた。未丈ヶ岳も山頂付近が黒々としていた。只見丸山スキー場からの縦走は無理なようであったと、改めて確認し、納得することができた。
 周囲の展望を楽しんだ後、次は温泉と、山を下った。家に戻る途中 雨が降り出し、天気予報もあたっていた。

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