二股山、戸神山、白尾山、アヤメ平

二股山、戸神山
白尾山、アヤメ平


【日時】 2008年4月19日(土)〜20日(日)  前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 石原夫妻と合計3名
【天候】 19日:曇り 20日:曇り後晴

【山域】 安蘇山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 二股山・ふたまたやま・569.6m・三等三角点・栃木県
【地形図 20万/5万/2.5万】 宇都宮/鹿沼/鹿沼、文挟
【コース】 下久我登山口より
【ガイド】 分県登山ガイド「栃木県の山」(山と渓谷社)、栃木の山140(随想舎)

【山域】 上州武尊岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 戸神山・ふたまたやま・771.6m・四等三角点・群馬県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/追貝/後閑
【コース】 虚空蔵尊登山口より
【ガイド】 新・分県登山ガイド「群馬県の山」(山と渓谷社)、ぐんま百名山(上毛新聞社)、私が登った群馬300山(上毛新聞社)
【温泉】 望郷の湯 550円(2時間)

【山域】 尾瀬 【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
白尾山・しらおさん・2003m・なし・群馬県
アヤメ平・あやめだいら・1960m・なし・群馬県
【コース】 富士見下より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/燧ヶ岳、藤原/三平峠、至仏山
【ガイド】 山と高原地図「尾瀬」(昭文社)
【温泉】 寄居山温泉センター 500円

【時間記録】
4月18日(金) 17:00 十日町=(R.117、R.253、六日町IC、関越自動車道、赤城IC、R.353、桐生、R.50、佐野藤岡IC 経由)=佐野SA  (車中泊)
4月19日(土) 6:30 佐野藤岡IC=(東北自動車道、鹿沼IC、鹿沼 経由)=7:25 下久我〜7:40 発―8:03 林道終点―8:57 北峰〜9:09 発―9:36 南峰〜10:17 発―11:04 林道終点〜11:14 発―11:37 下久我=(鹿沼、R.50、太田桐生、北関東自動車道、高崎JCT、関越自動車道、沼田IC 経由)=15:15 虚空蔵登山口―15:30 鉱山跡コース分岐―16:01 戸神山〜16:13 発―16:30 林道終点―16:44 鉱山跡コース分岐―16:55 虚空蔵登山口=(R.120、鎌田 経由)=20:30 鎌田  (車中泊)
4月20日(日) 6:00 鎌田=(R.401、戸倉 経由)=6:45 富士見下―8:11 馬洗淵―9:44 富士見小屋―11:06 白尾山〜11:35 発―12:15 富士見小屋―12:38 アヤメ平〜13:40 発―14:05 富士見小屋―15:54 富士見下=(戸倉、R.401、R.120、沼田IC、関越自動車道 経由)=20:30 新潟

 二股山は、鹿沼の西に位置する岩山で、北峰と南峰の二つのピークを持つことから名前が付けられている。地元の信仰の山で、山頂には祠が置かれ、各方面からの登山道が開けれている。

 戸神山は、石尊山とも呼ばれ、沼田近くに聳える三角錘ピークである。低山ながら、山頂からは大展望が広がっている。さしずめ、沼田のマッターホルンとでも呼んだらよさそうな里山である。

 鳩待峠からアヤメ平、富士見峠、白尾山、皿伏山に至る東西に延びる稜線は、尾瀬ヶ原の南の縁を形作っている。新生代に尾瀬周辺の火山活動が活発になり、景鶴山、アヤメ平、皿伏山、荷鞍山の盾状火山が形成され、尾瀬ヶ原や尾瀬沼の盆地ができたという。その後、燧ヶ岳が噴火し、溶岩や火山灰によって只見川がせき止められて尾瀬ヶ原の元となる古尾瀬ヶ原湖が形成され、さらに、噴火末期には沼尻川もせき止められて尾瀬沼が作られた。その後、高層湿原化が進んで現在の尾瀬ヶ原が形成されたという。白尾山は、この尾瀬ヶ原の南に広がる稜線の最高峰であり、2000m超ピークになっている。

 この週末は、新潟の雪山でテント泊をという計画を立てていたのだが、あいにくの天気予報が出て中止になった。日曜日には天気が回復しそうということで、尾瀬で今年最期のスノーシュー歩きをすることにして、土曜日は、ヒカゲツツジが見ごろになっているという栃木県鹿沼近くの二股山を登ることにした。
 金曜日の晩に出張先の十日町を出発する時、小雨も止んでいたが、東京方面は強風が吹いているというニュースが入ってきた。関越トンネルを過ぎて群馬県に入ると、雲が垂れ込めていたが、雨は小降りであった。時間の余裕があったため、赤城ICから一般国道を走り、桐生を通過した後、佐野藤岡ICから東北自動車道に乗った。一般道の走りはやはり時間がかかり、翌日の沼田への移動には、新しくできたインターチェンジの太田桐生ICから北関東自動車道に乗って、高崎経由で関越自動車道に出ることにした。あと少しで関越自動車道と東北自動車道がつながれば、栃木県の山にも登りやすくなる。
 高速に乗ってすぐの佐野SAで、石原夫妻と待ち合わせのために夜を過ごした。
 石原夫妻も深夜に到着しており、翌朝、無事に合流することができた。雨を覚悟していたのだが、曇り空ながらまずまずの天気であった。
 鹿沼で高速を下りて、目標の下久我岩の下バス停を目指した。林道岩淵線の入口に二股山の登山標識があり、空き地があったので、ここから歩き出すことにした。雨上がりということで、長靴を履くことにした。
 人家の間を抜けると、林道は杉林の中に続くようになった。車でも進入できる状態ではあったが、その途中には、ニリンソウやスミレ類も多く見かけられたので、入口から歩いて正解であった。林道の歩きを省略して時間の短縮を図らなければならないほどには、時間もかからない山である。
 林道終点は、伐採のための作業場であったのか、広場になっており、かたわらに案内図が置かれていた。最近、新しい登山道が整備されて、下久我登山口から周回できることを教わっていたが、この案内図を印刷してきた地形図と見比べた時、どう歩くのか、判りにくかった。おそらく、正面の沢沿いに進み、帰りは伐採地の上の尾根を下ってくるのだろうと見当ををつけた。伐採地を上がっていく作業道があるのは判ったが、この入口に登山口の標識が置かれていないのが、一抹の不安であった。
 登山標識に導かれるままに沢沿いの道に進むと、前夜の雨の影響なのか、水の流れの中を歩くような所も出てきた。この先で杉林の中のつづら折りの登りが始まり、この開始部にはNHKという標識が置かれていた。
 スミレの花を楽しみながらつづら折りの登りを続けた。ひと汗かいて尾根の上に出ると、その先は僅かな登りでNHKの中継基地の前に出た。ここでひと休みと思ったが、先をうかがうと、北峰の山頂はすぐそこであった。
 二股山の北峰には祠が置かれており、目の前には、南峰がそそり立っていた。鞍部に向かっては、岩場になっており、注意すれば下れそうであったが、手前に迂回路が設けられていたので、そちらを辿ることにした。
 ザックを下ろして風景を楽しんだ。眼下には、関東平野北端の眺めが広がっていたが、曇り空で遠くは霞んでいた。クリーム色の花を付けたヒカゲツツジにも出会うことができた。
 ひと休みの後に、迂回路から南峰へ向かった。少し下ったところに、下山に使う下久我登山口への案内標識が置かれていた。少し下って鞍部に到着してみると、南峰へは急登になっていた。もっとも、登り始めてみると、足場もしっかりしており、そう難しい登りではなかった。
 右手にトラバース気味に登っていくと、ヒカゲツツジに囲まれるようになった。南峰一帯は、ヒカゲツツジの木が広がっていた。また、アカヤシオの花も咲いており、曇り空の中でも鮮やかな濃いピンクの花が映えていた。
 南峰は台地状になっており、木に山頂標識が取り付けられていた。振り向き気味に眺めると、男体山をはじめとする日光の山をのぞむこともできた。
 加園方面に通じる尾根沿いに少し下ると、雷電様と書かれた祠が置かれていた。その背後には形の整ったヒカゲツツジの木が花を付けていた。この木は、祠と一体になって守られてきたのかもしれない。
 ヒカゲツツジの花は、昨晩の強風のために痛んだもののあったが、きれいな花も多く残されおり楽しむことができた。
 下山は、南峰を注意して下った後に、新しい下久我への回遊コースに進んだ。木にビニールテープが沢山結んであり、造林用のものかと思ったが、登山道の印のようであった。すぐに加園への道が左の谷間に向かって分かれたが、道ははっきりしていなかった。谷間に下りると、道がはっきりしてくるのかもしれない。
 下久我へは尾根沿いであるが、途中右手の尾根に進む必要があるため、注意が必要である。この分岐には、木に矢印が取り付けてあるが、見落とさないように注意する必要がある。
 尾根を下っていくと、伐採地の上に出て、最期は駐車場脇に降り立って、周回が完了した。
 この山行では、ヒカゲツツジの他にも、エイザンスミレ、タチツボスミレ、アカネスミレ、ニョイスミレなども見られて、里山を楽しむことができた。
 時間が早かったため、昼食を取らずに下山してしまった。食べ残しては無駄になるので、車の脇で食べてから出発した。沼田に到着したところで、温泉に入ってから夕食をする予定にした。
 国道は混み合っていたが、高速道に乗ると、順調な走りになった。時間も早く、もうひと山という声もあがった。高速を途中で下りて、赤城や榛名に登ることも考えたが、登山口に着くまで時間がかかる。一旦は諦めたものの、沼田の到着時間がはっきりしてくると、戸神山が頭に浮かんできた。
 戸神山は、関越自動車道で沼田を通過する際に、三角形の姿が目に飛び込んできて、低山ながら気になる山である。以前から登ろうと思っていたものの、隣の高王山と結んで歩こうと欲張って考えているうちにきっかけを失っていた山である。幸い、持ってきていた「私が登った群馬300山」の本に紀行文が載っていた。時間的にも、ぎりぎりで登れるはずであった。
 沼田で高速を下りて、玉原への道に進んだ。以前、玉原高原に向かった時、戸神山の麓を通過することを確認してはいた。登山計画もせずに、いきなり概念図を頼りに登山口を捜したが、目標のバス停は見つからなかった。勘違いして、下発知の方に行き過ぎてしまった。戻って、戸神町の方に向かった。ここでもバス停が見つからず、どうしようかと思ったが、車を走らせていくうちに戸神山登山口の標識が現れてほっとした。
 車のすれ違いが困難な道に入り、坂を上がっていくと、墓地の駐車場に出た。この駐車場は、取り付き道と違って広かった。いそいで準備をして歩き出した。
 満開の桜が覆いかぶさる山門の前に登山の案内板が置かれていた。山門の先に石段が続いていたが、登山道は右に続く林道を示していた。ひと登りで、石段の中間部を横切ったので、歩き出しは、この石段を登れば良かった。
 簡易水道施設の脇を過ぎ、しばらくは林道歩きが続いた。タチツボスミレやアカネスミレの花を楽しみながらの歩きが続いた。途中で、山の斜面を真っ直ぐに上がる山道が右手に分かれたが、標識もなく、ショートカット道であろうということで先に進んだ。
 その先でカーブして方向を変えると、鉱山跡コースの入口になった。先の山道はここに上がってきていた。鉱山跡コースは、岩場のある急登のはずなので、このコースを登りに使い、林道終点コースへ下山することにした。
 鉱山跡コースに入ると、なごりなのか、石組の跡が周囲に見られ、祠も置かれていた。岩場の下に出ると、急な登りが始まった。足場はしっかりしているものの、手で岩を掴む必要のある所も出てきた。一気の登りで、息も切れた。鎖も一箇所かかっていた。
 傾斜が少し緩むと、林道終点コースとの分岐に出た。この先、傾斜は緩んだものの、もう少し登りを頑張る必要があった。
 戸神山の山頂は、小広場になって、三基の石の灯篭が並んでいた。背後には上州武尊山がまだ白い姿を見せていた。振り返ると、子持山や十二ヶ岳、小野子山を眺めることができた。三峰山は、目の前にテーブルマウンテン状の姿を見せていた。南には赤城山。時折雨粒が落ちてくる天気のため、谷川連峰はガスに隠されていたが、それを除いても、素晴らしい展望であった。
 時間も遅くなっていたので、写真を一通り撮ったなら下山に移る必要があった。分岐に戻り、林道終点コースに進んだ。こちらは、気楽に歩ける普通の登山道であった。
 林道に戻り、後は、花を眺めながらの下りになった。
 戸神山は、ちょっぴりスリリングな岩場を通過して、大展望の山頂に立つという、時間はそうかからないものの楽しめる山であった。いずれ、高王山方面から登ってみることにしよう。
 この後は温泉ということで、道の駅併設の望郷の湯に向かった。食堂もあったため、ここで夕食を取ってゆっくりした。  富士見下に到着してもトイレがないため、鎌田のトイレのある駐車場で夜を過した。
 今回の白尾山・アヤメ平山行の目的は、石原夫妻が、冬のシーズンも終わった頃にスノーシューを買ったため、その履き始めに協力するというものである。幸いというか、今年の雪は、春になっても締まらずに、つぼ足歩きは難しい状態が続いていた。豪雪地ならスノーシュー歩きはできる状態だが、薮の少ないコースを考える必要がある。そこで思いついたのは、尾瀬のアヤメ平であった。このようなスノーシュー歩きのコースを佐渡の山行で一緒になった時に話したのだが、この週末の計画が変更になったことから浮上してきた。
 富士見下への林道は、場合によっては、戸倉スキー場から歩く必要があるかと思っていたが、ブルが入って通行可能になっていた。奥に進むと、みるみると雪が多くなり、雪原の中を走る状態になった。
 富士見下のゲート前の駐車スペースは除雪されており、一台の車がすでに停められていた。ゲートから先の林道は雪に埋もれており、スノーシュー歩きには良い状態であった。 朝とあって雪は締まっており、つぼ足で歩き出した。カーブしながら続く林道を進んでいくと、カモシカに出会った。ザックを下ろして、急いでカメラを取り出し、写真を何枚か撮る間に、カモシカは去っていった。ザックを下ろしたついでにということで、スノーシューを履くことにした。今日のテーマは、スノーシュー歩きである。
 北東に向けてのトラバースが始まるようになると、左から沢が入り込む。この沢は、田代原から流れ出ており、ここか次の沢を通れれば林道経由より近道になる。見ると、雪も厚く覆っており、歩くことができるようであった。中央部には乗らないように注意して進んだ。
 沢を抜けると、小雪原に出て、前方は急であったので、右手の尾根を登った。その先で、広い雪原になった田代原に出た。この先で林道に出るのだが、平らのように見えるものの窪地もあったりして、コース取りは難しい。
 林道に乗ってしばらく進むと、右手の窪地に馬洗淵と呼ばれる池が現れる。雪が融けて、コバルトブルーの湖面が一部現れていた。スノーモービルの跡が池の右手に回りこんでいたので、これを進んでみたが、冬路沢の方に下っていった。これまで冬路沢コースは歩いたことが無かったので、林道を辿ることにして、スノーモービルの跡から分かれた。
 今回は、アヤメ平から大行山に通じる尾根を下降しようと思っていたので、その下り口を確認しておく必要があった。雪もほどほどに柔らかく、少々の急坂でも、つぼ足で下れる状態であった。その場合、1786m小ピーク手前の鞍部から林道に降りるのが良い。
 この先は、いささか長く感じられる林道歩きが続いた。天気も悪くなってきて、防寒のために雨具の上を着こむ必要も出てきた。
 アヤメ平の崖下に出て、方向を東に向きを変えるところで、谷からスノーモービルの跡が上がってきているのに出会った。これまで富士見峠を訪れた時は、もう少し遅く、冬路沢コースの時期は終わっていたため、このコースを歩いたことはなかった。このコースを下っても良いなと思って、頭にインプットしておいた。
 富士見小屋までもうひと頑張りというところで、スノーモービル三台が追い抜いていった。
 谷が広がると、ガスの中から富士見小屋が現れた。二階だけが雪の上に出ていた。
 時間を確認すると、ここまでは順調な歩きであった。予定通りに白尾山に向かうことにした。ひと登りして富士見峠に出ると、この先は、幅広尾根が続くようになる。視界も悪くなってきて、GPS頼りの歩きになった。GPSが無かったなら、白尾山は諦めたことであろう。
 針葉樹林帯を抜けていくと、ガスの中からマイクロウェーブのアンテナが姿を現した。ここまで林道が通じているのだが、その気配すら感じられなかった。
 その先の小ピークは左を巻き、白尾山への最期の登りに取り掛かった。視界はさらに悪くなってきた。木には、前夜に氷雨になったようで、エビの尻尾状に氷の結晶がついていた。
 白尾山の山頂は、なだらかで、ここまで歩いてきた幅広稜線の高まりといった感じである。小さな山頂標識があったと思ったが、探してみたが見つからなかった。風当たりの弱い木陰に腰を下ろしてひと休みした。
 戻りは、スノーシューのトレースもはっきりしており、迷うこともなく歩くことができた。富士見小屋に戻ると、アヤメ平の縁がガスの中から現れてきた。二人連れの山スキーヤーが登ってくるのに出会った。白尾山に向かって進んでいった。
 富士見小屋からアヤメ平へは、スノーモービルの跡が付けられており、迷う心配はなかった。富士見田代を過ぎると、崖の縁を歩くようになり、ここは雪庇の崩壊に注意する必要がある。
 この先で、広大な雪原が広がり、アヤメ平に到着する。スノーモービルがユーターンして戻っており、その部分を見ると、アヤメ平の標柱の頭が雪の上に出ていた。雪の厚さは2m程のものであろうか。春はまだまだのようである。
 ガスがかかっており、周囲は広大な雪原のため、写真の撮りようもなかった。風も冷たかったため、富士見小屋付近まで戻って昼食にしようかと話し合っていると、ガスも薄らいできた。これは期待できるかもしれないということで、風当たりの弱い木陰にもぐりこんで、昼食を取りながら粘ることにした。
 1時間ほど待つと、ガスも消えて、まずまずの展望が広がった。アヤメ平の雪原の向こうには至仏山や燧ヶ岳の山頂も姿を見せるようになった。高い山は天気の回復も遅れるようで、これらの山の山頂部の雲は最期まで消えなかったが、これ以上は高望みといって良い。尾瀬ヶ原をはさんで向かい合う景鶴山も良く眺めることができた。しばらく写真撮りを楽しんだ後に下山に移った。先ほど登った白尾山やその隣の荷鞍山も良く見えるようになっていた。
 下山は、冬路沢コースを辿ることにした。ほどほどの傾斜で、気持ちの良い下りが続いた。沢まで下りるのではなく、右岸の段丘を辿るようにトレースは続いていた。最後にひと登りすると、馬洗淵に出て、この先は登りに歩いたコースを辿ることになった。
 田代原まで戻ると、後はそう遠くはない。雪原の真ん中に腰を下ろして、最後の休みをとった。
 車に持ったところで、石原夫妻とは別れた。
 アヤメ平へのコースはスノーシュー歩きとして良いコースなので、来年以降も訪れたい。林道が開く時期が問題になるが、戸倉スキー場が閉鎖になる時期を注意する必要がある。おそらく4月中旬になれば、富士見下まで車で入れるのではないだろうか。

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