三峰山、仙人ヶ岳、赤雪山、金山、茶臼山

三峰山
仙人ヶ岳から赤雪山、金山
茶臼山


【日時】 2008年2月29日(金)〜3月2日 前夜発3泊3日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 2月29日:晴 3月1日:曇り 2日:晴

【山域】 安蘇山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
三峰山・みつみねさん・605.0m・三等三角点・栃木県
【コース】 御嶽山神社より
【地形図 20万/5万/2.5万】 宇都宮/栃木/仙波
【ガイド】 分県登山ガイド「栃木県の山」(山と渓谷)、栃木の山140(随想舎)、栃木百名山ガイドブック(下野新聞社)
【山域】 安蘇山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
仙人ヶ岳山・せんにんがたけ・662.9m・三等三角点・栃木県、群馬県
赤雪山・あかゆきやま・620.6m・三等三角点・栃木県
【コース】 松田川ダムより
【地形図 20万/5万/2.5万】 宇都宮/桐生及足利/番場
【ガイド】 分県登山ガイド「栃木県の山」(山と渓谷)、、栃木の山140(随想舎)、栃木百名山ガイドブック(下野新聞社)
【山域】 安蘇山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
金山・かなやま・239m・なし・群馬県
【コース】 山頂駐車場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 宇都宮/深谷/上野境、足利南部
【ガイド】 分県登山ガイド「群馬県の山」(山と渓谷)、群馬百名山(上毛新聞社)
【温泉】 薮塚温泉 ホテルふせじま 1100円

【山域】 安蘇山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
茶臼山・ちゃうすやま・293.9m・三等三角点し・群馬県
【コース】 南公園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 宇都宮/桐生及足利/桐生
【ガイド】 分県登山ガイド「群馬県の山」(山と渓谷)、群馬百名山(上毛新聞社)

【時間記録】
2月28日(木) 21:00 新潟=(磐越自動車道、東北自動車道 経由)
2月29日(金) =0:30 上河内SA (車中泊)
7:00 上河内SA=(東北自動車道、栃木IC、星野 経由)=8:15 御嶽山神社〜8:35 発―9:39 稜線分岐―9:45 奥の院―9:51 稜線分岐―10:34 コル分岐―10:50 三峰山―11:04 コル分岐―11:23 浅間大神奪取―11:35 林道分岐―11;52 御嶽山神社=(R.293、田沼、下彦間、名草中町、藤坂峠 経由)=16:00 松田川ダム  (車中泊)
3月1日(土) 7:30 赤雪山登山口―8:22 林道終点―8:46 稜線上分岐―8:58 仙人ヶ岳―9:09 稜線上分岐―9:40 628mピーク―10:38 558mピーク―11:05 赤雪山〜11:18 発―11:53 赤雪山登山口=(大田 経由)=13:00 金山山頂駐車場―13:30 新田神社―13:51 金山山頂駐車場=(薮塚 経由)=16:00 南公園
3月2日(日) 7:04 南公園―7:15 籾山峠登山口―7:35 宝珠院口分岐―7:47 姥沢の頭―7:57 茶臼山―8:05 姥沢の頭―8:14 宝珠院口分岐―8:36 宝珠院口―8:53 南公園=(R.50、赤城、R.353、赤城IC、関越自動車道 経由)=14:00 新潟

 三峰山は、栃木市と粟野町との境界にあり、御嶽山信仰の山である。石灰岩質の山で、西面は砕石現場が広がっている。麓には、石灰質土壌を好むというセツブンソウの自生地である星野「四季の里」がある。

 仙人ヶ岳は、栃木県足利位置と群馬県桐生市の境界にある山である。東南の松田川ダムを取り巻くように稜線が赤雪山に続いている。二つの山は、一般的にはそれぞれ別に登られているが、松田川ダムを中心とした周回コースも整備されている。

 金山は、太田市街地の北にあり、山全体が新田氏ゆかりの戦国時代の山城になっており、国の史跡にも指定されている。

 茶臼山は、桐生市の渡良瀬川河畔にある里山である。山頂はアンテナ施設が占領しているが、市街地にある山として各方面から何本もの登山道が整備され地元のハイカーに親しまれている。

 この週末は、セツブンソウの花を楽しめそうという情報をインターネットを通して手に入れた。急遽、セツブンソウ見物に出かけることにした。それに合わせて登る山は、おのずから北関東の山ということになった。先週の大雪からの命からがらの脱出で、雪を見るのがいやになったこともある。
 まずは、星野「四季の里」に合わせて三峰山を登ることにした。栃木ICの近くということで、東北自動車道経由で向かい、帰りは関越自動車道を利用して、高速代を、少しは安くするようにした。一年間の期間限定というものの、夜間割引が四割というのはありがたい。
 栃木ICで高速を下りて、国道293号線を横切って直進して星野に向かった。道路地図とは違って、新しい道路ができているようであった。
 前方に、ドーム状の三峰山が見えてきた。星野「四季の里」は、大きな看板が置かれており、すぐに判ることができた。セツブンソウは下山後に楽しむことにして、まずは三峰山に向かった。
 少し先の御嶽山入口で県道から分かれると、「御嶽山ノ口」という石柱が立てられていた。その先の山裾に御嶽山神社があり、左脇に登山者用の駐車場が設けられていた。
 まずは、朝食をとってひと休みした。青空のもとの登山はひさしぶりである。
 御嶽山神社の境内に入ると、「北辰ヶ岳御嶽山」という案内図が置かれていた。この山は、北辰様とか星宮様とも言われて敬われてきたようである。本殿の手前から鳥居をくぐって山に向かう道に進んだ。ひと登りで、祖霊殿があり、その脇から杉林の中に進んだ。暗い沢沿いの道が続いた。清滝不動に出ると、左手の沢に滝行のための落ち口があったが、水は樋からちょろちょろと流れ落ちている状態であった。
 この先は、無数の石祠が並ぶ石段状の急坂になった。汗を流しながら登っていくと、鎖のかかる岩場下に出た。ここが御嶽大神御岩戸のようであった。ここには、ベンチも置かれていた。右にひと登りすると、尾根の乗り越しとなって、日光連山の眺めが広がった。眺めは良かったが、足元が切り落ちており、気が抜けない場所であった。
 谷間が広がるようになると、じきに稜線上に出た。奥の院へは、この分岐を右に向かう。小ピークを巻いて下り気味に進むと、尾根上の僅かな高まりの奥の院に到着した。
 鳥居が立ち、三体の像が並んでいた。日光方面の展望を楽しみにしていたのだが、ここからの眺めは、木立に邪魔されていた。
 分岐に戻り、今度は三峰山に向かった。少し進むと、砕石所の立ち入り禁止の看板が現れた。この先は、右手に砕石所の敷地が広がり、山頂まで立ち入り禁止のロープが張り巡らされていた。小さなアップダウンが続いた。杉木立に囲まれて、展望は開けないままであった。
 地図では、三峰山の手前は台地状になっているのだが、登山道は一旦下りになった。その鞍部が、御嶽山神社へ戻る登山道が分かれる分岐になっていた。稜線をそのまま辿った方が楽なのだが、砕石所の敷地との関係で、このようなコースになっているようである。  分岐からは、三峰山への登りが始まった。残雪が硬く凍っており、足元に注意が必要になった。
 ひと登りで三峰山の山頂に到着した。ひとグループがアイゼンを履いて下山を開始するところであった。山頂は、笹薮に囲まれて、石の祠と三角点が置かれていた。踏み跡を先に進むと、砕石所の上に出て、日光連山の展望が広がった。眺めは良かったが、足元に砕石所が広がっているのが、目障りであった。
 三峰山は、あまり落ち着かない山頂であったので、写真を撮ったなり、下山にうつることにした。鞍部までの下りは、凍結路には強いスパイク長靴を履いており、薮に足を踏み入れて下れるため、そう問題ではなかった。ところが、鞍部からは、手がかりの少ない急斜面で、足元のステップを確かめながら下りる必要があった。通常の登山口であったならば、ワンポイントの軽アイゼンが必要になったところである。
 倶利伽羅不動尊まで下ると、その先は、問題のない歩きになった。途中、浅間大神からの下りで、梯子がかかり、足元が定まらない砂地の下りも現れたが、難所はここまでであった。その先で林道に飛び出した。最後は、駐車場の脇に飛び出して、三峰山登山は終わった。
 お待ちかねの、セツブンソウ見物のために、星野の「四季の里」へと移動した。セツブンソウも咲きそろったところで、小さいが印象的な白い花が広がっていた。フクジュソウも咲いており、いち早い春の訪れになっていた。ここには、観光バスも停めることのできる大きな駐車場が設けられており、週末はかなり賑わいそうであった。
 ここの見物を終えてもまだ時間があったので、近くの「花之江の郷」という山野草園を訪れてみた。こちらは、500円の入場料が必要になる。園内の花としては、セツブンソウ、フクジュソウ、ザゼンソウに加えてアカマンサクの花が咲いていた。  翌日は仙人ヶ岳から赤雪山を周回するため、松田川ダムに向かった。
 松田川ダムに到着して、まずは翌日の山の登山口を偵察を行うことにした。赤雪山の登山口は、ダム沿いと、高台の駐車場からの二本がある。車道歩きを短くするため、ダムサイトからの登山道を使うことにした。仙人ヶ岳へは、ダムの北端から林道野山線を終点まで進むことになる。舗装道路が続いており、車で少し入ってみたが、先は長いようなので、戻ることにした。
 ダムサイトの小パークで夜を過ごした。ひさしぶりの雪の無い山とあって、夜中も暖かかった。
 周回コースとあって、どちらの山から登りだすか迷うところだが、道がはっきりしていなそうな仙人ヶ岳を最初に登ることにした。
 ダムサイトから林道野山線に進んだ。途中で、林道脇に石の祠も置かれていた。昔は、桐生方面に抜ける山道が通っていたのであろうか。長く感じられる林道歩きであった。林道終点までは、標高差200mを上がってしまう。その分、登山道に入ってからは、楽ができる。
 途中から、林道に残雪が現れるようになった。車の轍が付いていたが、凍結しているところで、先に進むのを諦めた気配があった。
 林道終点は、突如という感じで終わっていた。登山道の続き具合を見定める必要があったが、谷沿いに続いていた。枝沢にかかる木の橋を渡ると、その先の岩に小さな案内板が掛けられていた。「仙人ヶ岳へ 山頂へ20分」と書かれていた。登山道の確認には役立ったが、20分という時間は、地図を見ても眉唾ものであった。
 沢に水は無く、一段上をへつるように山道が続いていた。谷が狭まり、右上の稜線に空が見えるようになると、山道を見失った。落ち葉によって山道は判りにくくなっていた。右上だろうと見当をつけると、境界見出し標の赤杭が打たれており、山道も見つかった。杉林の広がる急斜面の登りになった。ジグザグの登りで、稜線の上に出ることができた。杉の植林のための作業道がいり込んでおり、道を辿るのに注意が必要であった。
 稜線上の分岐には、「松田川ダムへ 野山林道へ20分」と書かれた標識が置かれていた。林道終点から24分かかって登ってきたが、山頂はまだ先のようである。
 この分岐からは、ピークに向かっての急坂になった。手がかりの少ない土が露出した斜面で、しかも凍った残雪が残っていた。登りはともかく、下りが問題であった。
 登りついた小ピークには、「ここは山頂ではありません」と書かれた標識も置かれていた。その後は、雑木林が広がる緩やかな尾根を辿ると、仙人ヶ岳の山頂に到着した。
 仙人ヶ岳の山頂には、大きな山頂標識が置かれ、その背後には白く染まった日光連山が広がっていた。誰もいない静かな山頂であった。この先も長いため、赤雪山への縦走に進むことにした。
 最初の問題は、前ピークからの下りであった。足元が凍って滑りやすい上に、手がかりも少なかった。一歩ずつ足場を確かめる必要があった。スパイク長靴でも微妙な足場であった。グループであったなら、ロープを垂らす必要があったであろう。  縦走路は、しっかりした登山道が整備されており、尾根の屈曲点には、立派な標識が設けられていた。おしいのは、仙人ヶ岳への登山道開始部の林道野山線終点に、しっかりした標識が設けられていないことである。
 標識によれば、仙人ヶ岳から赤雪山へは、4.2kmあるようである。赤雪山の山頂をうかがうと、谷を右手に大きく巻いていった先であった。頑張って歩く必要があった。
 小さなピークを乗り越えていくと、623mへのひと汗かく必要のある登りになった。このピークから縦走路は東に方向を変える。
 その先の小岩峰の上には、石の祠が置かれていた。宗教的関係でも歩かれていたのであろうか。縦走路から分かれる尾根にも植林のための作業道なのか踏み跡が続いていた。
 585mピークは台地状で、潅木帝の中を登山道が通過しており、葉が茂っている季節は見通しが利かなくなりそうであった。この先は、赤雪山への登りが始まるので、疲れてきた足に力をこめることになった。
 到着した赤雪山の山頂は、あずまややベンチが置かれて、人気のある山であることがうかがわれた。入れ違いに夫婦連れも下山していき、一人だけの山頂になった。天気が急に悪くなり、雪も舞うようになったが、赤雪山という名前に相応しくも思えるので、我慢することにした。しかし、白雪ならともかく、赤雪という名前は、どのようにして生まれたのであろうか。
 ひと休みの後、ダムサイトへの下降を開始した。急な所は、階段状に整備されており、どんどんと下ることができた。杉林が広がるようになると傾斜も増して、つづら折りの下りになった。
 最後に尾根を左にはずすと、ダムサイトの登山口に下り立ち、周回も完了した。
 時間もまだ昼であったので、近くの金山に向かうことにした。群馬百名山にも取り上げられている山である。麓から歩くコースも設けられているが、山頂付近まで車道が通じているので、安直に車で上がってしまうことにした。
 車道終点には、立派な駐車場が設けられていた。少し戻ったところから、金山城跡の遊歩道が始まっていた。コンクリートで固められた道であった。途中には、旧通路や堀切といった旧跡の説明が事細かに書かれていた。復元された石垣も現れて、大規模な山城であることが改め知ることができた。
 途中の物見台には展望台が置かれ、その上に登ると太田付近の市街地を見下ろすことができた。その先に三角点が置かれていたが、最高点はまだ先であった。
 馬場曲輪を過ぎると、月ノ池に出た。丸く形の井戸跡のような池であった。その先は、時代劇の舞台に相応しいような石垣がめぐらされた大手虎口になった。
 石段を登っていくと、日ノ池が現れた。月ノ池よりもひと周り大きな池であった。脇には井戸も設けられて、水の確保は充分な山城であったようである。
 その先の高みに登っていくと、新田神社に出た。事前の予習が足りなく、金山城が新田氏縁の山城であることを知らなかった。金山城は、新田氏によって築かれたが、新田義貞一族の滅亡とともに廃城になった。その約百年後に新田家純が再築したが、北條氏の手に渡り、北條氏の滅亡と共に廃城になったという。
 昔に思いを馳せることのできる城跡であった。昔風の造りになった休憩所とトイレのある本丸跡に戻ると、山城のパノラマ像が置かれており、「日本百名城」という看板があるのに気が付いた。「日本百名山」ならぬ「日本百名城」というものがあるのも初耳であった。帰宅後にネットで調べると、リストを見ることができた。姫路城や松本城は当然として、新潟県では春日城と新発田城が選ばれているのが面白い。
 金山の歩きは登山とはいえないものであったが、古城見物として楽しむことができた。この付近に来た時に、寄ってみる価値のある山城跡であった。
 翌日は、桐生の茶臼山を軽く歩いて、早めに家に帰ることにした。
 茶臼山近くの薮塚温泉に入った。観光旅館で料金は高かったが、他の温泉を探しに移動するのも面倒なのでしかたがなかった。
 ガイドブックにも歩き始めの地点として紹介されている南公園で夜を過ごした。真夜中に、警官の不審尋問に引っかかったが、町中での野宿とあってはしかたがない。
 朝になると、散歩なのか、公園の駐車場にも人が集まってきた。まずは、車道歩きで、薮塚温泉方面に進む。籾山峠の少し手前に登山口があり、丸太の段々登りで登山道は始まる。ひと登りで峠の上に出ると、舗装道路が延びてきて、崖に突き当たって途切れていた。峠道が切り通しで、ショートカットされたようである。
 ここからは、雑木林の中の山道になった。道は良く整備されていたが、最初にピークの乗り越しがあり、汗が吹き出てきた。地図には書かれていないが、東毛少年自然の家からの道が左から何箇所も延びてきていた。古井戸跡のような山城の跡も残されていたが、前日の金山のように整備された遺構は残されていなかった。
 小さなアップダウンを繰り返していくと、尾根が判れる小ピークに出た。ここには、姥沢の頭という小さな標識が取り付けられていた。目の前にアンテナ施設が建つ茶臼山の山頂も迫ってきた。
 登りをひと頑張りすると、茶臼山の山頂に到着した。三基の石の祠が並べられて置かれていた。桐生市街地や、赤城山、谷川連峰方面の眺めが開けていた。案内板にも書かれている富士山は、春霞のせいか見えなかった。早い時間であったが、合わせて五名ほどの登山者が登ってきていた。早朝登山のために登ってくる者が多いようである。
 下山は、来た道を戻り、途中から宝珠院へ通じる尾根を下った。分岐からひと登りした小ピークからは、茶臼山の眺めが広がっていた。気持ちの良い尾根道が続き、最後は宝珠院の墓地の奥に下り立ち、その先で車道に出た。後は、20分弱の車道歩きで南公園に戻った。
 これで登山は終わりにしたが、帰宅途中、赤城山麓の群馬県富士見町の沼の窪でザゼンソウを見物した。通常の黒褐色の花に加えて、黄色がかった花を見ることができた。北関東の山への遠征は、春を先取りして、花を楽しむことができた。
 
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