大峰山

大峰山


【日時】 2008年2月10日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 長岡東山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 大峰山・おおみねやま・566.4m(573m)・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/片貝、半蔵金
【ガイド】 なし

【時間記録】 8:20 新潟発=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.8、横枕 経由)=9:50 竹之高地〜10:05 発―12:02 大峰山〜12:22 発―13:11 竹之高地=(往路を戻る)=14:50 新潟
 長岡市の東に南北に連なる東山連峰は、鋸山を中心とした700m級の峰の連なりである。その主稜線の前衛となる幾つかのピークがあり、山塊に奥行きを与えている。大峰山は、東山の南西部に位置する前衛峰である。地形図には、登山道の破線が記載されているが、現在ではとぎれとぎれのかすかな踏み跡になっている。現在では、竹之高地側から登山道が開かれているようである。

 山古志の山は、棚田と無数に点在する養鯉池が独特の景観を作っている。多くのピークがあるが、かなりの山を登ってきた。ところが、2004年10月23日の新潟中越地震によって山古志は壊滅的な被害を被ってしまった。最近になって、ようやく道路の修復も終わって、山古志の山にも出かけることができるようになった。山古志の山は、再度登り直しが必要になっている。
 連休二日目の山として大峰山に出かけることにした。2000年4月8日に登ったきりなので、かなり時間が経ってしまっている。先回は、長岡側の西尾根を登ったが、冬のさなかのスノーシュー歩きには距離が長い。東の竹之高地側の方が近く、なんとかなりそうであった。
 蓬平温泉までは入ったことがあったが、その先に進んだことはなかった。高龍神社下のトンネルを過ぎると、雪壁の間を道路が通じていた。路面には沢水が流されて、雪が無くなっているのがありがたかった。
 竹之高地の集落入口に不動社があり、その前に広い駐車場が設けられていた。集落内に入ると、車の置き場所が見つかるか判らなかったので、ここから歩き出すことにした。
 車道が沢を渡ると集落内に入る。地震の影響なのか、雪に閉ざされた無人の家がほとんどであった。歩く予定の林道の入口が判らなかった。車道の周囲は2m近い雪の壁になっている。なんとか上がれるところを見つけて、スノーシューを履いて雪上に出た。雪原になんとか林道の形を見分けることができた。
 スノーシューを履いても、膝下まで潜る状態であったが、底無し沼状態ではなかった。ただし、足を一歩出すと、一旦雪を固めないと、次の足が出せない状態であった。林道歩きの距離をできるだけ短くする必要があった。
 東尾根の末端部を南に回りこんでから、小ピークの鞍部をねらって登るのが、傾斜的には楽であるが、林道歩きが長くなりすぎる。カーブをまじえながら登っていき、トラバース道に入ったところで、枝尾根に取り付いた。法面なのか、短いが急な雪の斜面になっており、ステップを切りながら登った。その上で、林道らしきものが横切って、再び急斜面を登ることになった。山古志は棚田が発達しているので、思わぬところで道が現れたり段々があったりする。
 東尾根に出ると、木立の間隔も開いた幅広尾根の歩きになった。竹之高地の集落や南蛮山方面の眺めも広がった。
 南蛮山から続いてくる稜線がようやく近づいてくると、真っ白な雪原の登りが現れた。この風景だけを見れば、600mしかない山とは思えない。歩き続けてはいたものの、体力的には、かなりきつくなってきた。
 南蛮山からの尾根が合わさるジャンクションピークからは、僅かに下ることになった。ここは、ガスでもかかると、下り口が判りにくくなりそうであった。
 最後のひと登りで、ようやく大峰山の山頂に到着した。ここまで見えなかった。長岡の市街地を見下ろすことができた。大峰山では、最高点から少し下った山頂台地のはじに三角点が置かれているが、雪のために三角点は隠されているので、最高点で腰を下ろした。登りの途中で雲が出てきてしまったが、休んでいると、南蛮山や鋸山の眺めが広がった。 下山は、一気の下りになった。重い雪も、急斜面の下りには役立ってくれた。
 車に戻って不動社をのぞくと、以前の社殿は地震で被害をうけたのか、コンクリート造りの建物になっていた。手水は名水になっているようで、水を汲みに来た人もいた。
 登り2時間、下り1時間であったが、歩行時間以上に体力は必要であった。変化に富んだ雪原の登りを楽しむことができ、眺めも良く、今後、定番の山になりそうである。

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