奴田山、小野岳

奴田山
小野岳


【日時】 2007年12月8日(土)〜9日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 8日:単独行 9日:11名(宇都宮グループ)
【天候】 8日:曇り 9日:雪

【山域】 会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 奴田山・ぬたやま・723.3m・三等三角点・福島県
【コース】 明光寺林道入口
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/若松/若松
【ガイド】 会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)

【山域】 会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 小野岳・おのだけ・1383.4m・三等三角点・福島県
【コース】 大内宿登山口から小野観音へ周回
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟、日光/若松、田島/東尾岐、林中、上三寄、湯野上
【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)

【時間記録】 12月8日(土) 8:20 新潟=(磐越自動車道、会津若松IC 経由)=10:40 明光寺林道入口―10:56 山道入口―11:56 奴田山―12:41 山道入口―12:54 明光寺林道入口=(R.121 経由)=うさぎの森キャンプ場  (キャビン泊)
12月9日(日) 7:10 うさぎの森キャンプ場=(R.121、大内宿)=8:46 大内宿登山口―9:14 最後の水場―9:39 鉄塔―11:13 小野岳〜11:30 発―12:53 林道口―13:11 小野観音=R.121、芦野牧温泉、新鶴PA、磐越自動車道 経由)=17:15 新潟

 奴田山は、会津若松市街地の西に隣接する山である。山裾まで住宅地が迫っている里山であるが、登山者は少ないようで、山頂付近では笹薮が山道を覆っているところもある。
 会津若松から大川と名前を変えた只見川をさかのぼり、湯野上温泉に近付くと、おわんを伏せたように頭上に迫ってくる山が、小野岳である。小野岳の麓には、江戸時代からの宿場町を保存した大内宿があり、最近では人気の観光スポットになっている。

 宇都宮グループが会津で忘年会を行うというので、参加させてもらうことにした。場所は、2月に家老岳に登った時に泊まった会津田島近くのうさぎの森キャンプ場のキャビンである。日曜日には、小野岳を登るという。小野岳に登ったのは、1995年5月27日であったので、かなりの時間が経っているし、この時は大内宿登山口からの往復であった。今回は、車が複数あるので、小野観音へ下山することができる。
 土曜日に、どの山に登るか迷うことになった。金曜日の夜に仕事が入って、前夜発はできず、朝出発で登れる山を考える必要があった。結局、会津百名山にも選ばれている奴田山を登ることにした。会津若松の市街地から登る山にもかかわらず、Webで情報を集めても、山行記録は少ない。ともかく、「会津百名山ガイダンス」の本に従って登ることにした。
 会津若松で高速を走り、市街地を通過して北青木をめざした。歩き始めに使う明光寺林道は、国土地理院の地形図や道路地図にも載っていないが、車のナヴィの地図には記載されていた。林道は、車のナヴィが一番詳しいこともあり、登山口へ辿りつくために大きな助けになっている。ただ、等高線は出ていないので、周辺の道路と沢の走り具合で見当をつける必要がある。
 登山口までは、ナヴィまかせに車を走らせたが、人家の間の細い道に入ってしまった。それを抜け出すと、山裾にビルが並ぶ県営住宅に出た。山に向かって坂を登っていくと、一番奥のビルの脇から未舗装の道が始まっていた。車のすれ違いが困難な畑の中の道を進んでいくと、少し先で、明光寺林道の入口に到着した。林道入口には鎖が掛けられていた。その手前で右手の沢に向かって下りる脇道があり、ここで車の方向転換をすることになったが、道幅がなく、車の回転に苦労した。方向転換後、脇道に車を少し入れて駐車した。
 明光寺林道の歩きで登山は始まった。右手の沢から分かれて左手に沿う尾根に向かうと、その乗り越し部のカーブの先に、奴田山への山道が始まっていた。少し手前の左手から合わさる山道は、小田山からのもののようである。カーブ地点には、車両交換の路肩帯の道路標識があり、少し先に「10← →11林班」という標識があるのが目印になる。入口の木にテープが付けられているが、登山標識のようなものはない。
 尾根沿いにしっかりした山道が続いていた。窪地状になっているのは、切り倒した材木を馬などで引いたためのようである。尾根が急なところでは、トラバース気味に道が付けられているので、歩きやすかった。
 北からの尾根が合わさるところでは、地図では破線道が合流するはずであったが、それらしい道は見当たらなかった。境界管理の道は終わったのかこの先は、道が細くなって、笹がかぶり気味になった。ヤブコギとまではいかなかったが、前夜の雨で濡れている笹薮を掻き分けるのは、嫌な気分であった。
 緩やかな尾根の南に辿り、最後に緩やかな登りを終えると、奴田山に到着した。山頂台地の手前に、刈り払いの広場があったが、以前あった反射板を撤去した跡のようである。台地を進むと、最高点部の木に山頂標識が取り付けられていた。その先へ少し下った所に三角点が頭を出していた。周囲は木立に囲まれて展望は無かった。
 登りも1回踏み跡を外したが、下りも2回踏み跡を外し、歩くのに注意が必要な状態になっていた。少し手を加えれば、会津若松市街地を見下ろすことのできるハイキングコースになるのだが、奴田山は忘れられた存在になっているようである。
 時間は少し早かったが、この後温泉にも入る必要があり、山は終わりにした。
 その晩の忘年会は盛り上がり、寝たのもかなり遅くなっていた。それでも、翌朝、朝食をとって片付けをして出発したのは、そう遅い時間でもなかった。
 夜の間に新雪が降って、うさぎの森キャンプ場周辺は銀世界に変わっていた。
 湯野上温泉から大内宿への道に入ると、すぐに小野観音への道が分かれる。車に乗っていて怖くなるような急坂であった。道路に雪が積もっていなかったので助かったが、道路の凍結時には乗り入れたくない道である。一気に高度を上げると、小野観音の駐車場に到着した。ここに私の車を置いて、大内宿登山口に向かった。
 現在、大内宿は、会津を代表する観光地になっており、大きな駐車場が設けられている。大内宿を通り過ぎた先で、登山口に通じる林道が分かれる。未舗装で路面が少し荒れている所もあったが、登山口の広場に到着することができた。
 登山口付近に雪は無かった。杉林の中の登りになった。右手に小さな沢を見ながらの登りになった。標高880地点で、沢の源頭になっており、最後の水場という標識が置かれていた。この先で、左手の尾根に向かっての登りになった。丸太の階段が整備されていたが、雪が積もり始めており、判りにくくなっていた。
 尾根上に出ると、すぐ左手に送電線の鉄塔が立っていた。この先は、雪も多くなって、本格的な雪道の歩きになった。尾根の登りを続け、右に方向を変えると、1223m小ピークに到着した。ブナ林が広がり、雪が付いて銀世界の眺めになっていた。
 このピークから僅かに下り、その後は、小野岳への最後の登りになった。急な所も出てきたが、雪が積もって滑りやすくなっており、登るのに苦労した。
 小野岳の山頂は、台地状になっている。膝下の深さの雪が積もっていたが、石灯篭と山頂標識は、まだ現れていた。GPSを確認すると三角点は少し先にあるようであった。GPSを見ながら進んでいくと、杭の頭の上の雪が少し盛り上がっているのが見つかった。足の先で雪をどかしていったが、なかなか見つからなかった。2mほど広げてようやく三角点を見つけることができて、すっきりした。夏道のある山なので、三角点を見たければ夏に登れば良いのだが、雪山でも三角点が見つかれば、満足度が上がる。
 三角点の周りに腰を下ろして昼食にした。風が冷たく体が冷え、長い間休んでいることはできなかった。
 下りは、小野観音への道に進んだ。大内宿登山口からの登山道は地図にも記載されているが、小野観音への道は書かれていない。山自体もドーム型のため、地形を見ても、登山道の走り方は見当がつかない。
 一旦1097m点への尾根に向かい、すぐにトラバースして1267点に通じる尾根に乗った。この斜面の方が雪も多く、吹き溜まりでは膝がもぐるほどになった。もう少し雪が増えたら、登山道を辿るのは難しくなるところであった。
 ジグザグを繰り返す下りが続いた。下るにつれて雪も少なくなったが、かえって足元が滑りやすくなった。
 杉林の中に入って、麓も近いことを知った。大きく東西に曲がりながら下っていくと、林道跡のような幅広の道に出た。山腹を水平に巻いていく道を進んでいくと、小野観音のお堂に戻ることができた。
 一行には待っていてもらい、運転者を乗せて、車の回収のために大内宿登山口に向かった。両登山口の間は距離もあり、車が二台ないと回遊は難しい。
 宇都宮グループとは、今年も難しい山を一緒に登らせてもらったが、忘年会の間にも、来年の山行計画が持ち上がり、来年も楽しい山行ができそうである。

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