水沢山、二ツ岳、臥牛山、榛名富士、蛇ヶ岳、烏帽子岳、髻櫛山

水沢山、二ツ岳
臥牛山、榛名富士、蛇ヶ岳、烏帽子岳、髻櫛山


【日時】 2007年11月23日(金)〜24日(土) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 23日:晴 24日:晴

【山域】 榛名山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 水沢山・みずさわやま・1194.4m・三等三角点・群馬県
 二ツ岳・ふたつだけ
  雌岳・めだけ・1300m・なし
  雄岳・おだけ・1343m・なし
 臥牛山・ねうしやま・1232m・なし・群馬県
 榛名富士・はるなふじ・1390.3m・一等三角点補点・群馬県
 蛇ヶ岳・じゃがたけ・1229m・なし・群馬県
 烏帽子岳・えぼしだけ・1363m・なし・群馬県
 髻櫛山・びんぐしやま・1350m・なし・群馬県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長野/榛名山/伊香保、榛名湖
【コース】 水沢観音より周回、榛名湖湖畔より
【ガイド】 分県登山ガイド「群馬県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「赤城、皇海、筑波」(昭文社)
【温泉】 ゆうすげ元湯 400円

【時間記録】
11月22日(木) 21:10 新潟=(関越自動車道 経由)=23:30 赤城高原SA  (車中泊)
11月23日(金) 6:40 赤城高原SA=(関越自動車道、渋川伊香保IC 経由)=7:10 水沢観音〜7:50 発―8:38 休み石―9:10 石仏―9:28 水沢山〜9:35 発―9:46 アンテナ施設―10:00 車道―10:28 オンマ谷分岐―10:49 雌岳入口―11:02 雌岳〜11:06 発―11:13 雌岳入口―11:14 管理棟分岐―11:34 雄岳〜12:04 発―12:14 管理棟分岐―12:49 管理棟―13:08 つつじヶ丘展望所〜13:45 発―14:29 憩いの森―14:46 水沢観音=(渋川、伊香保温泉 経由)=17:30 榛名湖  (車中泊)
11月24日(土) 8:05 臥牛山登山口―8:20 臥牛山―8:36 臥牛山=8:45 榛名富士登山口―9:24 榛名富士〜9:28 発―9:58 ゆうすげ温泉登山口―10:18 榛名富士登山口=10:28 蛇ヶ岳登山口―10:42 蛇ヶ岳―10:50 蛇ヶ岳登山口=11:00 烏帽子岳登山口―11:16 稜線分岐―11:40 烏帽子岳〜12:02 発―12:18 稜線分岐―12:22 下降点―12:45 髻櫛山〜12:50 発―13:03 下降点―13:14 車道―13:20 烏帽子岳登山口=(伊香保温泉、渋川、渋川伊香保IC、関越自動車道 経由)=17:30 新潟

 群馬県の中央部に位置する榛名山は、赤城山、妙義山と共に上毛三山に数えられる山である。中央火口丘の榛名富士と火口原湖の榛名湖の周りを外輪山が取り巻いている。この外輪山にある掃部ヶ岳が最高峰になっている。  水沢山は、榛名山の寄生火山であり、山塊の東の縁にあることから、周囲から良く目立つピークになっている。登山口の水沢観音は、水沢うどんとともに、榛名の代表的な観光地の一つになっている。
 二ツ岳は、榛名の南の外輪山にあって、相馬山の東に位置している。伏牛山と蛇ヶ岳は、榛名富士の北にある小ピークである。烏帽子岳と鬢櫛山は、榛名外輪山の北の稜線を形作る山である。

 先週の日曜日は、11月としては記録的な大雪になったが、その後も寒気が流れ込み、雪の降りやすい状態が続いている。三連休ではあるが、新潟では思うような山登りが難しくなる可能性が高いため、関東に出かけることにした。
 インターネットのブログ仲間との話がきっかけとなって、榛名の水沢山に出かけることになった。榛名山では、相馬山、掃部ヶ岳、杏ヶ岳を登っているが、その他のピークは残っている。榛名富士は、昔、観光でロープウェイを使って登ってはいるが、これは登山の勘定には入らない。榛名山は、そう険しいところのないハイキング向きの山というイメージがあるが、ピークの数は多く、一通り歩くのも容易ではない。
 新潟市を離れると、高速の上で吹雪にあうことになった。関越トンネルはチェーン規制が出ており、雪の中、チェーンを装着しているドライバーを見て同情と共に愚かさを感じた。関東に入っても、水上付近まで雪が吹き込んでいた。赤城高原SAで夜を過ごすことにした。
 高速のサービスエリアは、エンジンをかけっぱなしの車が多く、静かに眠ることができないのは難点であるが、トイレがあって、お湯が確保できるのはありがたい。
 渋川伊香保ICで高速を下りて、水沢観音を目指した。昔訪れたことはあるのだが、記憶は抜けている。古道具街、モーテル街、うどんや街を過ぎると、水沢観音に到着した。坂道の突き当たりに参道の入口はあったが、駐車場に支持に従って車道を先に進んだ。坂道を登ると、大駐車場に到着した。朝とあって、閑散としていたが、昼になれば、観光バスも含めて、混雑しそうな雰囲気であった。駐車場からも水沢山を見上げることができた。ピラミッド型の山頂で、急坂が続きそうであった。
 駐車場の脇から水沢観音への参道に進むと、すぐ先が境内であった。石仏や鐘楼を眺めながら進むと、観音堂の前に出た。その先の石段を登り、飯縄大権現のお堂を過ぎると、その先からは山道になった。水沢山頂に標識に従って歩いていくと、万葉歌碑が現れた。万葉文字で意味を読み取るのは難しい。
 東歌上の国歌3414番ということで調べると、次のような歌である。

 伊香保ろの 八尺(やさか)の堰塞(いで)に 立つ虹の
 顕(あらは)ろまでも さ寝をさ寝てば

 伊香保の高いイデ(堰堤)にたつ虹のように、はっきり人目につくほどに一緒に寝ていたら どんなに楽しい事だろう。
 歌碑の上に乗っている芸術的とも思えない絵は、虹と二人の姿を描いており、この歌の絵解きになっているようである。
 その先で、駐車場付近から上がってきている林道風に合流した。この分岐には、石灯篭が向かい合って置かれていた。左に曲がって林道を進むが、すぐに登山道は右手の山に向かって分かれた。この先は、急坂が続いた。歩き出しは寒く、帽子手袋を見に付けていたが、しまうことになった。
 水沢山は、地元の健康登山のようで、早くも下山してくる空身の登山者と多くすれ違うようになった。一旦、尾根の上に出たが、ピラミッド型の山頂は、まだ先に聳えていた。 登りの中間点で、石が中央に置かれた小広場があり、お休み石と標識に書かれていた。この先も、滑りやすい斜面が続き、木の根を足がかりに登るようなところ現れた。
 傾斜が緩んで尾根の上に出ると、石仏群が並んでいた。傷んでいるものもあったが、毘羯羅大神と読み取れるものもあり、どうやら十二神将の石仏のようであった。十二神将は、薬師如来を守護し、それぞれ武器を持ち、頭には対応する十二支の動物の像を付けている。
 ちなみに、十二神将は、説によって少し異なるところもあるようであるが、次のようなものである。
 宮毘羅大将(くびら):子
 伐折羅大将(ばさら):丑
 迷企羅大将(めきら):寅
 安底羅大将(あんてら):卯
 あじ羅大将(あじら):辰
 珊底羅大将(さんてら):巳
 因達羅大将(いんだら):午
 波夷羅大将(はいら):未
 摩虎羅大将(まこら):申
 真達羅大将(しんだら):酉
 招杜羅大将(しゃとら):戌
 毘羯羅大将(びから):亥

 神仏訪問のような歩きが続いたが、ここで展望は一気に広がった。
 関東平野を見下ろすことができ、赤城山は向かいあって広がり、遠くには富士山や八ヶ岳を望むことができた。風は少し冷たかったが、尾根道は暖かい陽だまりに包まれていた。
 石仏群から先は、痩せた尾根になり、もうひと登りしてようやく水沢山の山頂に到着した。水沢山の山頂は狭く、三角点、山頂標識、展望盤で、ほぼいっぱいな状態であった。団体がいると、腰を下ろして休む場所もなくなりそうである。それだけに、周囲の展望は開けていた。
 谷川連峰方面の展望も開けていたが、厚い雲に覆われて、荒れた天気が続いているようであった。小野子三山、子持山、赤城山の眺めも良好であった。二ツ岳と相馬岳が、ピークを並べる風景が、とりわけ目を引いた。
 予定では、一旦下山してから、榛名湖に向かい、二ツ岳を登るつもりであったが、このまま二ツ岳に向かうことにした。二ツ岳を登った後の下山路としては、昭文社の登山地図には記載されていないが、分県登山ガイドではサブコースとして載っている憩いの森への道を使えば良い。
 水沢山の山頂からは、細尾根の急な下りになった。潅木に囲まれて危険は少なかったが、足元に注意する必要があった。アンテナ施設を過ぎてさらに下っていくと、平地に出て、その先で車道に飛び出した。このまま下山するならば、右手のつつじヶ丘展望所へ進めばよいが、車道を横断して二ツ岳への道に進んだ。
 二ツ岳の東山麓一帯は、森林公園になっており、何本もの道が整備されているのが、かえって判りにくくしていた。置かれていた絵看板を見て、コースを確かめる必要があった。ただ、この絵看板は、地図と違って、南が北で方向が180度違っており、非常に判りにくいものになっていた。
 尾根沿いに登っていくと、あずまやが現れ、その先で今は通行止めになっている相馬岳との分岐になった。右手の谷間を進み、オンマ谷への道から分かれると、雌岳の山腹のトラバース気味の登りが始まった。斜面には大岩が転がっていたが、その間をぬう登山道は良く整備されていた。巻岩と呼ばれる岩壁の下を抜けると、孫岳と呼ばれる南のピークと雌岳の間の鞍部に出た。ここには、避難小屋が置かれている。といっても、壁の無いあずまやなので、注意が必要である。冬の雪景色は、「二ツ岳の雪」として江戸時代から伊香保八景の一つになっていたと書かれていた。見上げる雄岳は、美しい岩場を持っていたが、その上にアンテナ施設が姿を現しているのが興ざめであった。
 この避難小屋の先から雌岳への道が分かれた。歩幅の会わない階段登りが続いた。短いが、きつく感じられる登りであった。潅木の広がる山頂台地を進むと、石の祠が置かれた雌岳の山頂に出た。岩場の縁からは、北から東にかけての展望が広がっていた。とりわけ素晴らしいのは、鋭角的な三角形の山頂を見せる水沢山であった。水沢山から先は誰にも会わないで歩いてきたが、雌岳の山頂には男女の連れが展望を楽しんでいた。
 分岐に戻って、雄岳に向かった。下山予定の森林公園管理棟への道を右に分け、ひと登りすると、左手からヤセオネ峠方面からの道が合わさった。ここからもうひと頑張りすると、雄岳の山頂に到着した。テレビの中継基地の奥に進み、高みに登ると、石の祠が置かれた雄岳の山頂に到着した。潅木に囲まれて、岩場の先に西の眺めが開けていた。榛名富士を中心とした榛名湖周辺のピークを眺めることができた。これらのピークは、明日の目標である。
 山頂は、腰を下ろして休むような場所でもないので、少し下ったところの雑木林で大休止にした。休んでいる間にも数組の登山者が通過していった。
 下山は、森林公園管理棟への道に進んだ。雌岳と雄岳に挟まれた鞍部を過ぎると、標高差200mの一気の下りが始まった。森林公園の管理棟に出てからは、車道歩きでつつじヶ丘展望所をめざした。緩やかな登りで、つつじヶ丘展望所の下に出た。  車道から、丸太の段々で整備された歩道が始まっていた。一気に下っていき、右手に分かれるはずの憩いの森への道を探しながら歩いた。結局、スケート場の東の見晴台まで下ってしまい、間違ったということで引き返すことになった。
 憩いの森への道は、車道から下りはじめたすぐ下であった。気が付けば、標識もあり、見失うはずも無いのだが、盲点に入ったというしかない。「憩いの森約50分 森林学習センター」と書かれていた。
 車道のすぐ下を平行に少し歩くと、尾根沿いの下りが始まった。歩く者も少ないのか、登山道を枯葉が厚く覆っていた。尾根上の910m小ピークは左を巻いた。この先は、丸太の段々や砂利で整備された遊歩道になり、落ち葉の積もった道より歩きにくくなった。
 最後は、車道に飛び出して、駐車場への歩きになった。通行量も多い道であったが、15分ほどの歩きで戻ることができた。
 水沢観音の駐車場の一隅にも万葉歌碑が置かれていた。こちらの歌碑には、裏面に意味が書かれており、判りやすい。
 水沢山登山の後のお約束ともいえるので、水沢うどんを食べることにした。本当は、うどんよりは蕎麦の好き。山歩きで体が冷えており、暖かいうどんが良いのだが、水沢うどんは、冷たいうどんが一般的なようである。店が多く、どの店に入ってよいのか判らなかった。比較的混み合っていそうな店に入ることにした。大澤屋第二店舗に入り舞茸天婦羅付き大ざるうどん(1365円)を食べた。美味しかったのだが、舞茸天婦羅は一個が大きく、二つ目を食べ終える頃には、少しいやになっていた。次の機会があったら、別な店に入ってみよう。
 次に温泉に入る必要があったが、伊香保温泉は、大混雑で、日帰り入浴施設もあるが、入れそうもない。食料を買い込んだ後、榛名湖湖畔にあるゆうすげの湯に向かった。以前にも入ったことがあるのだが、脇には新しいホテルもできており、様変わりしていた。
 温泉に入ってさっぱりし、湖畔で静かな駐車場を見つけ、夜を過ごした。
 二日目は、いくつものピークを予定していたので、少し早めに歩き出すことにした。朝の榛名湖は、静かな湖面に榛名富士の姿をうつしていた。釣り人のボートが、湖面に浮かんでいた。
 まずは、臥牛山を目指した。伊香保温泉への下りが始まる手前に、臥牛山と書かれた小さな標識の書かれた登山口がある。脇には、柵で仕切られた広い空き地がある。
 入口には鎖が張られているが、林道跡のような幅広の道が続いている。
 台地を北に向かうと、前方に尾根が横たわっている。尾根の末端に取り付き、ひと登りすると、岩場の下に出た。左に巻いたところで、岩の間の泥斜面を木の枝を掴みながらの登りになった。その上からは、なだらかな尾根歩きが続いたが、山頂に上がるところで、足場の悪い岩の乗り越しが現れた。
 その上が臥牛山の山頂で、榛名富士を中心とする峰々を見渡せる展望ピークになっていた。二ツ岳の脇に水沢山が、牙のように鋭い山頂を見せていた。水沢山の姿は、見る方向によって、大きく姿を変えるようである。
 車に戻って、次は榛名富士を目指した。榛名富士への登山道は、ロープウェイ乗り場の西の湖畔道路との角にある。
 ロープウェイの山頂駅から下りに歩くハイカーも多いのか、良く整備された道が続いていた。富士山型のため、登山道は、つづら折り状に続いていた。標高差300mの登りになって、体力もそれなりに必要になる。汗を流しながらの登りになった。葉の落ちた雑木林は、日差しが差し込んで、歩いていても気持ちが良かったが、展望はあまり良くなかった。 ロープウェイの山頂駅に到着すると、始発に乗った観光客が到着するところであった。展望台に進むと、浅間山が真っ白な姿を見せていた。石段を登って鳥居をくぐると榛名富士山頂の富士山神社に到着した。この神社は木花開耶姫命を祀り、縁結びの神として信仰があつかったいう。自然石がご神体になっていたというが、ロープウェイ開設当時には、その痕跡も無くなっていたので、この社殿が作られたという。確かにコンクリート製の社殿は、強固そうであったが、荘厳さには欠けていた。脇の広場には、一等三角点も頭を出しており、三角点詣での目的を果たすことができた。展望としては、相馬岳と二ツ岳の眺めが特に良かった。
 下りは、少し遠回りになるが、ゆうすげの湯に向かう道に進んだ。こちらもつづら折りの道が続いたが、流水が流れ込んでいたりして、荒れ気味になっていた。北向きで、霜柱が発達していた。木立の間から、浅間山や烏帽子岳を眺めることはできたが、木の枝が邪魔をしていおり、展望地は現れなかった。
 ゆうすげ元湯に下りたってからは、車道歩きで車に戻ることになった。榛名湖を眺めながらの歩きになって、退屈することもなかった。20分の車道歩きであったので、山頂往復よりは、この周回コースの方がお勧めであろう。
 続いて、蛇ヶ岳に向かった。歩いた道を車で戻り、ゆうすげ元湯からは、榛名富士の北側を巻く車道に進んだ。北に分かれる林道があり、この入口が蛇ヶ岳の登り口である。この林道は、少し奥に入ったところでゲートが設けられている。入口右手に「みどり世紀の森」という看板があり、その背後から山道が始まっている。
 登山道というほどにははっきりしない道で、潅木の枝もかぶり気味である。初冬の季節なので問題なく歩けるが、夏には歩きにくそうである。尾根沿いに登っていくと、稜線歩きの途中といった感じの蛇ヶ岳山頂に到着した。「蛇ヶ岳 平成元年(巳)」と書かれたプレートが置かれていたが、次の干支もすでに過ぎたずいぶん昔の標識ということになる。木立に囲まれて、展望も無い山頂であった。これなら、再来年の牛年の臥牛山の方が、干支の山としてお勧めができる。
 車に戻り、烏帽子岳の登山口に移動した。ゆうすげ元湯を通り過ぎた湖畔道路沿いに烏帽子岳の標識が置かれている。道路脇から赤い鳥居がいくつも並んでいた。くぐっていくと、加護丸稲荷大明神の祠に出た。小さな祠の中には、落ちこぼれそうなくらいに瀬戸製の狐の人形が奉納されていた。お稲荷さまは、少し不気味なところもあり、このように大量の人形も怪しげな感じがした。
 烏帽子岳へは、右手の林道跡に進んだが、すぐに分岐になった。植林のための作業道も分かれており、この付近は標識に忠実に従う必要がある。上から登山者の鈴の音が聞こえてきたが、近づくにつれ、右手の杉林の方に遠ざかっていってしまった。顔を見ていないので、声を掛けるきっかけも無かったが、あるいは間違った方向に進んでいたのかもしれない。
 左へのトラバース気味に登っていくと、烏帽子岳と鬢櫛山とを結ぶ稜線上に出た。まずは、烏帽子岳に向かった。ひと登りすると、狛犬よろしく道の左右に狐の石像が並んでいた。この足元にも、小さな狐の置物がこぼれるように置かれていた。烏帽子岳への道は、稲荷神社の参道になっているようである。足元の滑りやすい急登が続いた。5名ほどの集団が下りてくるのとすれ違った。
 山頂手前の岩場の下には、加護丸稲荷の赤い鳥居が立てられ、鈴が岩から吊るされていた。岩に開いた洞窟が奥の院になっているようである。
 岩場の左の滑りやすい泥斜面を固定ロープを手がかりにして登ると、烏帽子岳に山頂に到着した。
 笹原の台地が広がり、踏み跡を辿ると、小広場があり、ここが一応の山頂になっているようであった。昼時になっていたので、腰を下ろして昼食にした。木立に囲まれて展墓は無かったが、少し先の下り斜面に出ると、展望が開けるようであったが、これは見落としてしまった。休んでいる間に、夫婦連れと単独行が登ってきたのに出合った。
 烏帽子岳を下り、分岐から先の鬢櫛山への道に進んだ。小ピークを巻いた先の鞍部から、下山に使う道が左に分かれた。この分岐には、ベンチなのか、鉄製の枠が置かれていた。
 鞍部からは、標高差200mの登りが始まった。それほどの急坂ではないが、足も疲れてきていた。傾斜が緩んだ後は、笹原の歩き僅かで、鬢櫛山の山頂に到着した。この山頂も木立に囲まれて、見晴らしは良くなかった。登山道は、北に向かって続いているが、帰りの車道歩きが長くなるので、引き返した。
 鞍部から湖畔への下山路に進んだ。少し下ると、林道跡のような幅広の道になった。地図にも破線が記されている道であるが、最後は、東に反れて車道に出た。この入口には、登山標識はないので、ここから登るのは難しい。僅かな車道歩きで、車に戻ることができた。
 登山の締めくくりに、昨晩と同じ温泉に入ってさっぱりした。
 連休は、後一日残っていたが、三日目は新潟でも晴天になるという天気予報を信じて、家に帰ることにした。
 
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