栗子山、高館山

栗子山
高館山


【日時】 2007年11月3日(土)〜4日(日) 前夜発1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 3日:晴 4日:曇り

【山域】 米沢周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 栗子山・くりこやま・1216.6m・一等三角点補点・山形県、福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 福島/米沢、関/米沢東部、栗子山
【コース】 米沢砕石所場より
【ガイド】 一等三角点の名山と秘境(新ハイキング社)
【温泉】 喜多方蔵の湯 500円(石鹸のみ)

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 高館山・たかだてやま・847.7m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/宮下/野尻
【コース】 阿久戸より
【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、会津百名山ガイダンス(歴史春秋社)
【温泉】 昭和温泉しらかば荘 500円(ボディーシャンプーのみ)

【時間記録】
11月2日(金) 20:30 新潟=(R.7、新発田、三日市、R.290、R.113、松原、羽前小松、R.287、米沢、R.13 経由)=23:30 米沢砕石所ゲート  (車中泊)
11月3日(土) 6:20 米沢砕石所ゲート―6:39 砕石所事務所―6:45 瀧岩上橋―8:10 栗子隧道―8:17 尾根取り付き―9:02 尾根上分岐―9:36 栗子山〜9:54 発―10:33 尾根上分岐―10:59 尾根取り付き―11:05 栗子隧道〜11:15 ―12:19 瀧岩上橋―12:22 砕石所事務所―12:42 米沢砕石所ゲート=(R.13、米沢、R.121、喜多方、会津坂下、R.49、R.252 経由)=17:30 美坂高原  (車中泊)
11月4日(日) 6:30 美坂高原=(R.252、会津川口、R.400 経由)=7:45 阿久戸〜8:00 発―8:31 沢別れ―9:05 愛宕神社―9:25 高館山〜9:50 発―10:00 愛宕神社―10:28 沢別れ―10:47 阿久戸=(R.400、会津川口、R.252、会津坂下IC、磐越自動車道 経由)=14:30 新潟

 栗子山は、蔵王連峰と吾妻連峰の間の山形・福島県境上のピークである。一等三角点ピークであるが、登山道は開かれていない。最近、国土地理院の調査のための刈り払いが行われて、細々とした踏み跡を辿ることができる。アプローチの林道は、万世大路と呼ばれた旧国道13号線で、廃道歩きとして楽しむことができる。

 高館山は、昭和村の中心部にある里山である。山頂には愛宕神社のお堂が置かれて、地元の信仰の山であるが、登山道は薮に覆われ気味である。

 栗子山は、一等三角点ピークとして登りたいと思っていた。昨年頃より、測量の刈り払いを利用して登れるようになっているという情報が入ってきていた。出かける機会を逸したままのびのびになっていたが、福島登高会のホームページで、登ったばかりという情報が入り、この機会にと出かけることにした。
 米沢から福島に抜ける国道13号線に入ると、米沢スキー場の手前で米沢砕石所の入口が左手に現れる。砕石所への道に入ると、すぐ先にゲートがあり、その脇の旧道の脇に車を停めて夜と過ごした。 このゲートは、平日の17時から8時までと日曜日には閉じるという。登山当日の土曜日は祭日でもあり、ゲートが開くのか判らないため、時間まで待つよりは、早起きして歩き出すことにした。
 ゲートからは、ダンプカーがスピードを落とさずにすれ違えるほどの幅広の道が続いていた。未舗装といっても多くの車に踏み固められ、舗装並みの路面であった。沢の対岸に米沢スキー場をみながら、谷奥に進んだ。回りの木々は紅葉していたが、砂埃にすすけていた。
 20分の歩きで、砕石所施設の中に出た。ゲートから車で入ってきた場合には、ここの事務所でことわる必要があるようであるが、休日の早い時間とあって、周囲に人影はなかった。様々な粒度の砂利の山を見ながら坂をひと登りすると、すぐに瀧岩上橋に出た。
 この瀧岩上橋が、万世大路と呼ばれた旧国道13号線の始まりとなる。新しい標柱も置かれており、栗子隧道まで4.1kmと書かれていた。今回のコースの前半は、万世大路の歩きと栗子隧道訪問がテーマになる。
 この米沢と福島を結ぶ旧国道13号線は、明治14年、初代の山形県令・三島通庸が、地元住民に多大な負担を強いることによって完成させた道で、米沢市側には「刈安隧道」、福島市側には「二ッ小屋隧道」、そして峠部には竣工当時日本最長であった「栗子山隧道」が掘削された。東北巡幸中の明治天皇によって、開通したばかりのこの道は「万世大路」(ばんせいたいろ)と名付けられた。当事は、馬車も行き交う大層賑わう道であったという。しかし、鉄道の整備によってすたれていき、また車時代を迎えたことによって、昭和の大改修が行われ、新しく幅を広げられ「栗子隧道」が整備された。昭和12年には、車の通行も可能になったというが、一年のうち通行可能な時期が半分にも満たないため、新しいコースが必要とされた。「東栗子トンネル」及び「西栗子トンネル」の2つの長大トンネルの建設が始まり、昭和41年に新しい国道のコースが誕生した。これによって、旧道は急速に廃道化し、6年後の昭和47年には大落盤によって栗子隧道は閉ざされ、「万世大路」の生涯は終わった。
 「万世大路」は、産業遺産ともいうべき歴史のある道で、現在では、廃道マニアによって、訪れられているようである。
 車は、橋のたもとか、少し進んだところの水道施設のある脇あたりに停めることになる。オフロード四駆なら、かなり奥まで入れるだろうが、往時を思いながら歩きたい道である。
 紅葉に彩られた林道歩きが続いた。ゲートが開いている時だと、砕石工場の騒音が聞こえそうなので、かえってよかったかもしれない。車の走行を前提としているため、カーブの折り返しが長いのが、歩く上での難点であった。
 多くのカーブを越えていくと、栗子沢を左に見下ろすような道になり、谷奥に栗子山付近の稜線の眺めが広がった。最初の目的地の栗子隧道まで、もうひと頑張りになってきている。
 林道は荒れてきて、潅木を掻き分ける所や、沢が流れ込んで泥地になっている所もでてきた。このような荒れた道に、バイクの轍が続いているのが認められた。倒木を越したりくぐったりの難所も、突破しているようであった。歩いた方が安全で早そうだが、廃道をバイクで走破するという趣味の持ち主のようである。
 瀧岩上橋からは、1時間半の歩きで栗子隧道入口に到着した。程よい長さの林道歩きといってよい。トンネル見物はあとにして、まずは栗子山をめざした。
 栗子山へは、トンネルに向かって左手に進む。昔の道跡を潅木の枝を掻き分けながら進む。この林道の切り通しは、地図にも崖マークとして痕跡が載っている。等高線の幅が広くなったベルトは、所々崖マークを付けながら、栗子山から西に落ち込む尾根を通り過ぎ、栗子川の北の枝沢の源頭部まで水平に続いている。
 100mほどのヤブコギで、谷状の窪地に出ると、複数のテープが付けられており、良く見ると踏み跡が始まっている。ここが取り付きである。栗子川の源頭部は過ぎているが、1202mピークの北の鞍部から下がってくる窪地の延長にあたる。
 テープが列状に続いているので、それを参考にして、踏み跡を辿る。ブナ林になって下生えも少ないが、踏み跡をはずすと、薮が障害物になる。左に方向を変えながら登り続けると、弱い尾根沿いの登りになる。
 潅木帯の中に続く笹を掻き分けながらの登りが続くようになった。急登の連続で、足の筋が伸ばされて痛くなってきた。  45分といった意外に短い時間で、稜線の縁に出た。1202mピークの北の鞍部から少し登った幅広稜線の1150m等高線の西の縁が、この稜線に上がったところの分岐である。周囲は笹原で、赤布が取り付けられているが、それ以外は目印に乏しい。上から見ても、登ってきた尾根は、見分けられない。GPSに地点登録をして、下降点を見落とさないようにした。一般的には、自分自身の目印を付ける必要があろう。
 1202mピークが特徴的な三角形の山頂を見せていたが、目指す栗子山は、前衛ピークに隠されていた。谷を見下ろすと、砕石所や国道、米沢市街地を望むことができた。
 尾根の中央部に進むには、潅木が邪魔をしていた。稜線の米沢側の縁の笹原の歩きやすいところを選んで進んだ。前衛ピークが近づくと、潅木がうるさくなってきたが、踏み跡もはっきりしてきたので、これを忠実に辿ることになった。前衛ピークへの登りでは、笹が頭上まできたが、ここが一番薮の濃いところであった。前衛ピークを越すと、一旦下りになり、その先の台地が栗子山である。潅木帯の中に切り開きが蛇行しながら続いていた。
 刈り払いの広場に出ると、三角点が頭を出していた。待望の一等三角点である。山頂標識としては、傍らに立てられた木の棒に栗子山と書かれているだけであった。また、傍らの木には、国土調査と書かれたビニールテープが取り付けられていた。  三角点広場からの展望は、台地の中央とあって良くなかったが、腰をおろして大休止にした。このような秘峰というべき山に登った時には、二度と来ることもあるまいと思うものの、案外再訪ということも多い。
 今回は、ヤブコギ山行のフル装備ということで、GPS、赤布に加えて鉈も持ってきていた。今回の登頂が可能になったのも、測量調査の刈り払いのおかげということで、この刈り払いが少しでも長持ちするように、少し鉈をふるっていくことにした。ただ、鉈はあまり使い慣れていないのと、腕力は弱いことから、台地を通り過ぎた頃には、疲れてきて鉈はしまい込んでしまった。
 前衛ピークからは、1202mピークと吾妻連峰の眺めを楽しみながら足を運んだ。
 下降点から下りを開始し始めたところで、単独行が登ってくるのと出合った。声を掛けられ、ブログ上で良く話を交わしている福島登高会のOさんであることを知った。今回の山行は、Oさんとの話のやり取りがきっかけであったので、情報のお礼をいった。
 再び歩きだすと、急坂の一気の下りになった。心配していたコースの見失いもなく、林道跡に戻ることができた。  トンネルに戻って、ゆっくりと見物することにした。トンネル上部には、栗子隧道という額が掲げられている。その下にも落ちかけた額のようなものがあるが、なんと書かれているかは判らない。中に入ってみると、すぐ先で、落盤があり、上からコンクリートブロックが鉄線に支えられてぶるさがっていた。その先の路面の状態は少しは良いようで、かなり奥に進むことはできるようであったが、山と違って一人でのトンネル探検は恐ろしい。外に戻った。
 トンネル右手にもトンネルが口をあけている。四角の断面で、一見自然の岩屋のように見えるが、これが、栗子山隧道と呼ばれた明治時代に掘られたトンネルである。昭和の大改修によって、入口が左に移動されたという。入口から苔むした岩が一面に転がっており、中に進む気は起きなかった。二つのトンネルとも、明治から昭和にかけての交通の変遷を思い起こさせる興味深い遺構であった。
 この後は、太陽が昇って紅葉も輝くようになり、写真を撮りながらの林道歩きになった。
 砕石所に戻ると、車が入ってきているのに気がついた。ゲートは開放されていたが、歩ける距離であったということを確かめたことで良しとしよう。
 翌日もヤブコギの山を登ろうとして、黒男山のために、会津の柳津に移動することにした。米沢からは、大峠トンネルを通過して喜多方に入れば、会津は近い。途中の道の駅も、観光客で混雑していた。
 喜多方で温泉に入り、会津坂下の最終コンビニには4時に到着したものの、お弁当の棚はからっぽで、夕食と翌日の食料の買出しのため、食料が並ぶのを待つ必要があった。観光客の入り込みの多さが判る。そのため、美坂高原に到着したのは暗くなっていた。
 その夜、目を覚ますと、静かに雨が降っていた。翌朝、雨は上がっていたが、木立は雨で濡れていた。ヤブコギをすると、雨粒を頭からかぶることになってしまう。予定変更ということで、高館山を目指すことにした。この山も、会津百名山に選ばれているが、延ばし延ばしになっていた。
 只見川沿いの252号線に戻り、会津川口から昭和村をめざす。阿久戸のバス停の前に一里塚があり、その脇に高館山登山口の標識が置かれている。車の置き場所としては、少し戻ったところの石碑脇に空き地がある。
 登山口から集落内に続く車道に進むと、沢が右手から入っており、ガードレールが置かれた小さな橋を渡ったところから、山に向かう道がある。「この地域は民地です。他市町村の者の入山をかたく禁止します。これに違反すれば罰せられます。下中津川部落昭和村山菜資源等保護調査委員会」の標識があり、ここに高館山↑へとマジックで書き込まれている。これが最後の登山標識になるが、書き込んだ場所が良くないのではと思ってしまう。この場合の入山者とは、山菜やキノコ採りで、登山者というわけでないと都合が良いように解釈することにする。
 その奥の右手に木のお堂が置かれている。不動尊とのことであるが、戸が閉められていて、中はうかがうことはできなかった。古びた砂防ダムの堰堤があり、その脇に上がると、道が二手に現れた。左は、杉の植林地に続いているようであった。直進して、沢沿いの道に進んだ。頭上を越えるススキの原になっており、その中に、道が続いていた。廃田も現れ、その脇では、夏草がうるさい状態であった。真夏には、夏草がうるさく、あまり歩きたくない道であった。
 沢の左右を跨ぎこしながら上流に向かって進むと、山道が沢から分かれる地点に出た。ここには、テープが何本も掛けられていた。
 ひと登りすると、山腹をトラバースする道に変わった。ナラの目立つ木立は美しく色づいていた。すぐ先で、左俣の沢沿いに沿って登るようになった。水が消えたところで、沢を越して、山頂目指しての急登が始まった。
 小さな山と油断していたが、この急坂は足に堪えた。周囲の美しい紅葉の見物が、足休めになった。
 標高600m地点で、木のお堂が現れた。扉もないが、登山者のひとグループなら中で雨宿りできる広さであった。中には、色彩豊かな仏像が置かれていた。
 お堂の右手から回り込むと、山頂に向かう踏み跡が続いているが、ここまでの道と比べると、はっきりしない道になる。残置テープも連続的に付けられているので、それを参考にしながら登ることができる。
 傾斜が緩んで山頂のいっかくに到着すると、愛宕山の石碑が現れた。その周囲には、石積みが取り巻いており、昔はお堂かなにかの建造物が跡のような気配である。
 三角点の置かれた山頂へは、左手に進む。潅木の薮を抜けていくと、三角点の周りが刈り払われた小広場にでた。周囲は木立に囲まれており、展望は閉ざされていた。
 愛宕山の石碑に戻って腰をおろして休んだ。ここの方が、紅葉に彩られた林を見下ろすことができて気持ちが良い。
 下りは、紅葉の写真を撮りながら歩いた。濡れた落ち葉は滑りやすく、二度ばかり、尻餅をつくはめになった。
 小さな山ではあったが、昨日の栗子山と合わせて、紅葉の山を堪能した気分になり、これで充分と家路についた。

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