駒見山、富士権現、鷲ヶ倉山、袖山

駒見山、富士権現
鷲ヶ倉山、袖山


【日時】 2007年10月27日(土)〜28日(日) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 27日:雨 28日:曇り後晴

【山域】 魚沼丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 駒見山・こまみやま・262m・なし・新潟県
 藤権現・ふじごんげん・233.5m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小出
【コース】 小出スキー場より
【ガイド】 なし
【温泉】 小出ふれあい交流ゼンター見晴らしの湯こまみ 500円

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 鷲ヶ倉山・わしがくらやま・918.4m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/只見/只見
【コース】 十島より
【ガイド】 登山道については無し

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 袖山・そでやま・701.8m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/只見/会津横田
【コース】 大塩からの林道
【ガイド】 なし
【温泉】 柳津つきみが丘町民センター 310円(石鹸のみ)

【時間記録】
10月27日(土) 8:37 ゲレンデ中間点―8:46 駒見山見晴らし新道分岐―8:49 駒見山―8:52 林道〜9:00 発―9:07 駒見山見晴らし新道分岐―9:14 見晴らし台―9:22 富士権現―9:30 石尊様―9:39 鮭の明神様―9:45 車道―9:52 小出駅入口―10:08 ゲレンデ中間部=(R.252 経由)=14:30 只見ダム展望公園  (車中泊)
10月28日(日) 7:10 十島〜7:46 発―8:39 西尾根コース分岐―8:50 寄岩からの尾根上―9:30 鷲ヶ倉山〜9:43 発―10:04 東尾根下降点―10:16 林道終点―10:29 西尾根コース分岐―11:06 十島=(R.252 経由)=11:47 林道入口―11;58 西コース取り付き―12:04 東コース取り付き―12:30 尾根上分岐―12:39 山道分岐―12:50 袖山〜13:05 発―13:15 山道分岐―13:25 尾根上分岐―13:49 西コース取り付き―13:59 林道入口=(R.252、会津坂下IC、磐越自動車道)=17:30 新潟

 藤権現と駒見山は、小出のスキー場の背後の山である。藤権現は、山頂に富士浅間神社の石碑が置かれ、スキー場から延びる林道から道が続いている。駒見山は、小出スキー場のリフト終点脇ピークである。最近、駒見山から富士権現に至る尾根沿いの登山道と石尊コースという小出駅近くへの下山道が整備された。

 鷲ヶ倉山は、只見町の只見川右岸にある山である。鷲が羽を広げたように左右に尾根を落としている姿から名前が付けられたようである。会津百名山にも選ばれているが、これまで登山道がないことから残雪期に登られてきた。最近、登山道が開かれて、一般登山の山になった。

 袖山は、金山町の只見川左岸にある山である。大塩の集落の東のはずれから始まる林道入口から山頂直下までは山道を辿ることができる。

 週末の天気予報は、日曜日は晴であったが、土曜日は台風の関係で雨というものであった。日曜日に只見の鷲ヶ倉山を登ることにして、土曜日は小出で様子を見て登る山を決めることにした。
 金曜日の午後から本降りの雨になって、土曜日の朝も降り続いた。雨でも歩ける山ということで、小出スキー場の背後の駒見山を登ることにした。駒見山は、2001年6月23日に登っているが、最近、駒見山から富士権現への登山道が整備されたというニュースが毎日新聞にのった。地元新潟の新しい登山道として確かめる必要がある。
 小出スキー場は、夏は小出公園になっている。登山道のスタート地点は、小出第三リフトのスタート地点のゲレンデ中間部あたりであろうと想像した。小出駅脇から坂道を登ると、スキー場のゲレンデに出た。小出第一リフトのかかっている丘に向かって遊歩道が続いているが、その脇の車道は侵入禁止になっていた。
 このゲレンデ下部から歩き出そうかと思ったが、雨も本降りであったので、周辺の偵察がてら様子見をすることにした。ジャンプ台の脇から駒見の湯へ通じる車道に進むと、山岡荘八の文学碑があり、その先で、スキー場の中へと続く車道が分かれた。
 小出第三リフトが駒見山の山頂に向かってかかり、その下のゲレンデに踏み跡が続いているのが見えた。前回訪れた時は、草ぼうぼうで、ここを歩くのは諦めた覚えがある。リフトスタート地点は、「山小屋」というスキーのレストハウスが置かれた広場になっていた。公園の訪問者用トイレも設けられていた。
 傘をさして小出第一リフトのかかる丘に登ると、権現堂山の眺めが広がったが、越後駒ヶ岳方面の眺めは閉ざされていた。
 NHKの日本百名山放送ですっかり有名になり、郷里大聖寺の江沼神社境内の深田久弥記念碑にも記されている「山の茜を顧みて 一つの山を終わりけり 何の俘のわが心 早くも急がるる次の山」という四行詩であるが、この小出で生まれたものである。夕日に茜色に染まった新雪の越後駒ヶ岳が、深田久弥の見た山のようである。晴れた日に訪れて、深田久弥が見たのと同じ越後駒ヶ岳の風景を楽しみたいものである。
 しばらく様子見をしたが、雨は止む様子はないので、傘をさして歩き出した。富士権現へ通じる林道に進むと、登山道入口という標識が現れた。ゲレンデの中に、登山道が続いていた。急斜面であったが、ジグザグにコースが取られていて、歩きやすくなっていた。 ひと登りで、右手に尾根が分かれ、その入口に標識が置かれていた。リフト終点へは、もうひと登りする必要があった。リフト終点は広場になっており、左手に踏み跡が続いていた。
 稜線に乗ったすぐ先が駒見山の山頂のはずであったが、ここに山頂標識はなかった。稜線伝いに刈り払い道が続いていたので、先に進んだ。僅か先で林道に下り立った。この林道は、富士権現を経て下から上がってきた林道である。地図とは違って、三角点ピークの南に続いている。林道を横断して、三角点ピーク方向に向かって刈り払い道が続いていた。三角点まで刈り払い道が続いているのかと思って、先に進んだが、僅かに登ったところで、刈り払いは終わっていた。
 林道を歩いて戻った。駒見山の山頂を巻いて北側に出ると、先ほど素通りしてきた「駒見山見晴らし新道」の入口となる。尾根伝いに刈り払い道が続いていた。富士権現との中間点には、見晴らし台という標識が置かれていたが、あいにくの雨のため、周囲の展望は閉ざされていた。新しい登山道であるが、左には林道が沿っており、二度ほど林道脇に下り立つことになる。  三度目に林道に下り立ったところで、直進すると富士権現に到着する。富士権現の山頂には、富士浅間神社と書かれた祠と石碑が並んでいる。広場には三角点が頭を出しているが、「元旦登山五十回記念碑」と書かれた石柱が目を引く。五十年はかかる記録で、ちょっとまねはできない。富士権現は、地元の信仰の対象であることが良く判る。
 その奥に、気にかかる看板が置かれていた。「石尊の道」という看板で、その脇には、「全線開通しました。この先、大山石尊宮 鮭魚明神 小出駅より600m下流に下山します。」という張り紙も木に取り付けられていた。
 ここまで書かれていては、歩くしかない。車に戻るには、林道を10分ほど下れば良いが、時間もまだ早い。
 整備されたばかりで、木の枝が横たわっていたり、切り口が気になったが、幅広い道が付けられていた。急なところには、丸太の階段が設けられていた。歩いていると、眼下に小出駅周辺を見下ろすことができ、どの付近を歩いているか、おおよそ見当がついた。
 小さな石の祠があり、これが石尊宮であった。「石尊様について 大山石尊宮は雨乞いの神である。神奈川県の大山(一名雨降山)の石尊大権現を勧請したものである。天水田の多かった昔は、雨乞いは深刻な祈願であった。」と書かれていた。
 さらにその先で、同じような石の祠が現れた。「鮭の明神さまについて 鮭の明神さまが山に祀られているのは、そこから魚野川が一望眼下に見渡せるので、川と鮭漁を見守りながら、毎年安全と豊漁をもたらして下さい、という祈願からであった。」とあった。
 魚野川と破間川の合流点に向かって下っていくと、小出から堀之内へ通じる県道に飛び出した。この入口には、鮭魚明神登山口と書かれていた。この登山口から小出方向に少し進んだところの線路脇に駐車スペースがあった。
 小出駅の前を通り過ぎて小出スキー場に入り、今度は遊歩道を歩いて丘を越えて車に戻った。周回すると判っていたのなら、スキー場の下から歩き出した方が良かった。
 結局、1時間半歩いたので、この日の歩きもこれで充分ということになり、駒見の湯で温泉に入った。
 雨は本降りのままであったが、明日の山のために只見に移動することになった。六十里越え付近は、紅葉の盛りであった。観光バスでやってきた団体がカメラを構えて撮影を行っていたが、雨で視界もほとんど無い中とあっては、写真撮影は無理ではないだろうか。
 只見の公園で車を停めて、昼過ぎから夜まで、本と漫画を読んで過ごした。雨は寝るまで降り続いた。未明にようやく雨は上がり、紅葉に彩られた只見川の眺めが広がった。予定通りに、鷲ヶ倉山に向かうことができた。
 途中の蒲生の集落の国道脇には、会津のマッターホルンとも呼ばれる蒲生岳が、鋭い山頂を突き上げていた。登頂意欲をそそられる眺めである。新しいコースもできたようであるが、今日の目的の山は、ここではない。
 河合継之助記念館のある会津塩沢を過ぎたところで、十島橋を渡り、十島の集落を目指す。山手の道に進み、鬼渡神社の前を過ぎたところで、山に向かって未舗装の林道が始まっている。ここが登り口になる。林道は荒れており、方向転換の場所も限られているので、ここの田圃脇の路肩に車を置いて歩き出した方が良い。
 今回の鷲ヶ倉山の登山道の情報は、「会津名山案内」のホームページから得たものである。2007年9月30日の記録であるので、登山道が開かれたのも、つい最近のようである。
 田圃の中の林道を歩いていくと、右手に溜池が現れ、その先で杉林が周囲に広がるようになる。一旦、東の只見川に近づくが、カーブして、東に方向を変え、570.7m三角点の周囲を反時計周りに巻くようにして、その南の台地へ進む。地図にも、十島の876m点から破線が通じているが、林道はこれと違ったコースを辿っている。
 登るに連れて、林道の周囲には、紅葉に染まった雑木林が広がるようになり、十島や対岸の集落、笠倉山の眺めが広がった。歩くのも楽しい道であった。
 台地に出ると、伐採地が現れ、一面のススキの原になっていた。伐採からかなり時間も経っているようで、自然が戻っていた。
 鷲ヶ倉山の山頂が前方に迫ってくると、林道は、山裾をトラバースして東に向かうようになる。一般登山道の、東尾根からのコースを登るには、この林道の終点まで行くことになる。もう一つ、難コースの西尾根コースがある。ここで、東尾根コースと西尾根コースというのは、便宜的に呼ぶもので、正式なものではない。
 西尾根コースの入口は、滝の沢から分かれてトラバースを開始するところのカーブから50mほど先になる。見落としやすいが、刈り払い道が山に向かって分かれている。この分岐で、西尾根コースに進むか迷った。残雪期の記録や、会津名山案内の報告を読んでも、山頂直下は、かなりの急斜面になるようであった。それに対し、東尾根を往復すれば、危険は無さそうであった。好奇心と、記録を纏めるという使命感から、西尾根コースを歩いてみることにした。
 荒い刈り払いであったが、普通に歩くことができた。直登で一気に高度を上げ、最後はトラバース気味に進むと、寄岩からの尾根にのった。幅広尾根で、黄金色に輝くブナ林が広がっていた。どこでも歩けるためか、刈り払い道はなくなり、薄い踏み跡を辿って登るようになった。カメラを首から下げて、写真を撮りながらの登りになった。
 尾根が痩せて山頂が迫ると、急斜面が現れた。カメラをしまって、急登に備えた。足場はできているものの、イワウチワの葉が目立つ泥斜面のために、足場が滑りやすかった。雨上がりということで、スパイク長靴を履いてきているのが、滑り止めのためには良かったようである。
 一旦傾斜が緩んだものの、再び急斜面が現れた。さらに傾斜が増しているようで、一本持ってきているストックもしまい込んで両手を開けた。岩が飛び出した泥斜面であった。木の枝や根を掴んで、体を持ち上げる必要があった。握って体重を掛けた枝が折れようものなら、致命的な転落となるため、慎重に足を運ぶ必要があった。オーバーハング状の岩の縁に乗らなければならないようなところもあって、怖い思いをした。この急斜面を下ることは難しく、安全地帯になる山頂を目指して登り続けるしかなかった。
 この急斜面は、地図では読み取れないのは不思議である。崖マークがあっても不思議はない。実際に崖マークがあるところを登ってみると、問題なく歩くことができるという場合もあるので、地図といえども限界があるようである。  急斜面をようやく登り切ってから、緩やかな尾根を辿ると、鷲ヶ倉山の山頂に到着した。台地状の山頂で、中央には三角点が頭を出し、脇に主三角点が転がっていた。笠倉山の眺めが広がり只見川や十島の集落を見下ろすことができた。木立の間から浅草岳方面も見えていたが、山頂は雲に隠されていた。周囲の木立は、赤く染まっており、紅葉の盛りになっていた。会津百名山の中でも、難しい山として残されていただけに、登頂はうれしかった。
 下山は、東尾根コースに向かう。下り斜面の縁に立つと、思わず息を呑む眺めが広がっていた。尾根の先の小ピークに向かって、赤と黄と緑の絵の具を混ぜたような斜面が広がっていた。その向こうには、蛇行する只見川の眺めが広がっていた。高度感のある眺めであった。登山道は急斜面であったが、潅木帯に囲まれて、尻餅をついても、ズボンの尻を汚すくらいで危険はない状態であった。カメラを取り出し、写真を撮りながらの下りになった。
 850m標高の尾根の張り出し部は、僅かな高まりの小ピークになっている。振り返ると、鷲ヶ倉山の山頂が錦を纏った姿を見せていた。
 山頂に別れを告げると、一気の下りになった。ブナ林が再び広がるようになった。単独行が登ってくるのにすれ違った。言葉を交わすと、西尾根コースについては知らなかったようである。どのような情報を元に登っているのか、聞けば良かった。
 723m点を過ぎた700m標高で、林道に飛び出した。ここは切り通しになっており、通り過ぎる心配はない。林道の終点には、ドラム缶を埋めた炉のようなものが残されているのが目印になる。登山標識のようなものは、山中には一切なかった。これから標識が整備されるのかは判らないが、一般登山道のある山というなら、入口と、ここの取り付きくらいには欲しい。
 林道歩き15分ほどで、西尾根コースの取り付きに戻ることができた。後は、紅葉を眺めながらの林道歩きになった。
 只見町には、数多くの山があるものの、登山道のある山となると、浅草岳、会津朝日岳、蒲生岳くらいのものである。これに鷲ヶ倉山が加わるのは大歓迎である。
 登山道整備のおかげで、下山はまだ早い時間であった。紅葉も盛りで、もう少し山歩きを続けたい気分であった。近くの袖山を登ることにした。この山には山頂近くまで破線が記されているが、最後はヤブコギになるという、福島登高会ホームページの記録を参考にした。
 大塩と岩崎の町境の送電線が国道を斜めに横切るところから林道が始まっている。この林道は、鉛の露天掘りをしていた田代鉱山跡に通じているというが、路面の状態も判らないので、国道脇から歩き出すことにした。  谷間沿いの道に変わると、小さな沢を越した少し先で、山道が分かれた。これが、地図に記載されている546m点から下ってくる破線道のようである。少し手前の沢沿いにも道が続いていたので、こちらから登る場合には、間違った道に入らないように注意が必要である。
 林道を進んでいくと、何のためのものか判らないコンクリートブロックが左手の木立の中に現れた。林道は直線的に続いており、登り口を通り過ぎたかという心配が出てきたが、そのうちはっきりした道が左に分かれた。林道はその先に続いており、地図には、山道の方が記載されている。
 尾根沿いの登りが始まった。二山目とあって、足にも疲れが出てきていた。ひと登りすると右手に紅葉に彩られた谷間の眺めが広がった。谷の上の高まりが袖山の山頂のようであった。
 傾斜がゆるんで稜線上に出ると、左手から山道が合わさった。これが西側から登ってきた山道で、下山時にはこの道を使うつもりであった。
 稜線沿いには、幅広の刈り払い道が続いていた。緩やかな道を辿っていくと、左右に道が分かれた。左の道は、袖山の山頂を巻いてその先の662m点に続くようである。袖山へは右手の道に進む。
 すぐにトラバース道になって、杉の植林地に出た。ここからは踏み跡もなく、植林地の中の歩きやすいところを登った。植林地の終わったところで、尾根にのると、かすかな踏み跡が現れた。山頂直前でこの踏み跡もなくなり、ヤブコギで先に進んだ。
 潅木帯の薮の中に、刈り払い部があり、三角点が頭を出していた。見晴らしはあまり良くはなかったが、先ほど登ったばかりの鷲ヶ倉を眺めることができた。
 下山は、山頂からの歩き出しで方向に注意する必要があった。稜線にのったところの分岐に戻り、今度は、546m点への道に進んだ。こちらも立派な道が整備されていた。546m点から稜線沿いに続く道はみつからないまま、下りの道が始まった。つづら折りの下りを続けていくと、歩き始めの林道に下り立った。
 袖山は、山頂付近の僅かなところを除けば、良い山道が残されており、少し手を加えれば一般登山の山になる。もったいない山ということができる。
 車に戻った後は、柳津で温泉に入り、ETC割引の時間調整のために福満虚空蔵尊を見物をしてから帰宅した。

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